1-1:底なし穴
目覚めると同時に地震が起きた。腹の底をかき混ぜられるような重い地鳴りが家を震わせる。トタンの天井からパラパラと降ってきた塵埃が、煎餅布団に着いた手の上で跳ねた。
揺れがおさまったのはきっかり一分後。固まった足を伸ばし、ゆらりと立ちあがる。どうということはない。また神様がいつもの悪癖を起こしただけだ。
「はぁ……」
ため息を吐き、前髪を掻き上げる。視線だけを窓に向けると、傷付き曇ったガラスの向こうに、いつも通りのゴミ山が見えた。
*
「おう、おはよーさん」
「どうも」
外に出ると、お隣の森野さんが挨拶をしてきた。いつもは着崩している軍服の襟を詰め、ヘルメットを被り、ライフルまで担いで臨戦態勢だ。
「久々の天災だなぁ。一週間ぶりか?」
「今回はどっちの方向?」
「砂漠の方だな」
そう言って南を指差した森野さんの人差し指には、鋭い爪が生えている。どこぞの軍隊が秘密裏に行っていた研究の結果生まれたらしい森野さんは、一見人間の格好をした熊だ。一応は人間の外見を保っているボクと並ぶと違いは一目瞭然だろう。
「オマエも一緒に偵察に行くか?」
「どうしようかな」
お誘いを受けるが、さて、どうしたものか。特に予定はないし、新しくできあがったであろう街の端っこに興味がないわけでもない。できるだけ隣人さんとは仲良くしておきたい気持ちもある。
「じゃあ、せっかくだし」
と、頷きかけたところへ、横から茶々を入れる者があった。
「ご一緒してもよろしくて?」
やって来たのは、もう一人のお隣さんであるレヴィアさんだった。今日も麗しいご尊顔に艶のある笑みを浮かべている。
「……アンタも行くのか」
「あら、いけない?」
あからさまに顔をしかめる森野さんと、笑みを深くするレヴィアさん。顔を合わせればすぐこれだ。まったく困ったもんだよ。
二人に挟まれて肩身が狭いボクは反目しあう大人の間から抜け出して、一足先に南へと駆け出した。
「ほらほら、行くよお二方!」
時間がもったいないですよ。
*
街の中央にそびえ立つゴミ山を迂回し、市街地から砂漠へとやって来た。道中しょーもない争いを繰り広げていたお隣さん達は、今はそろって難しい顔をしている。
「こりゃあたまげたな」
「まさかまさかね。底が見えないわ」
興味深そうに断崖の下を覗く二人の脇で、ボクは一人青ざめている。
南の端にきてみれば、そこにあったのは巨大な穴だ。穴に呑みこまれていく砂の滝を呆然と眺める。街が広がるどころかその逆の異常事態。これはいつもの悪癖と違う。
「なにがおこってるんだ……」
天を仰ぐ。天井知らずの灰色の空を、雲の群れが素知らぬ顔で流れていく。
「とりあえず、傭兵達を捜すか」
ライフルを担ぎ直し、森野さんは言った。
「そうね」
珍しいことに、レヴィアさんも素直に同意する。
実際、いつまでもぼさっと穴を眺めていたところで、何かがわかるわけでもない。
「そうしよう」
深く頷いて踵を返す。今はとにかく傭兵さん達の安否確認が優先だ。
傭兵さんと渡会君──この砂漠に住む友人達の顔を思い浮かべ、のっそりのっそり歩き出したボクは、バシリと背中を叩かれて跳びあがった。
「しみったれた面してんじゃねぇ。アイツらのことだ。けろっとしてるだろうさ」
相当ひどい顔色をしているらしい。森野さんは勘違いをしているみたいだけど、わざわざ訂正する必要もない。気遣いはありがたく受け取ることにしよう。
「そうだね」
シャンと背筋を伸ばす。
*
「なんだその顔は。ミイラの方がまだ生き生きしているぞ」
出会い頭に皮肉をぶつけられても、今日ばかりは痛くもかゆくもない。
あれから一時間とかからぬ内に、傭兵さんと渡会君のコンビを発見した。ボク達の心配をよそにピンピンしている二人は、オアシスでキャンプを設営している真っ最中だ。
「オマエんとこのとんでもモンスターとコイツを一緒くたにすんな」
すぐさま反撃に出た森野さんを、傭兵さんは鼻で笑い飛ばす。
「話しに聞く限りでは、貴様のところのグール共の方がよほどとんでもだろう」
「今は別のヤツらのシマだ。オレはもうあそこにゃ関係ねぇよ」
「それはよかったな。自由がきく連中はうらやましい」
言葉だけ見ればギスギスしている二人だけどこれもいつものことで、別にケンカをしているわけじゃない。ただどちらもぶっきらぼうなだけで、これで案外気が合うらしいのだ。軍人と傭兵──似たような立場にいるからか。
「やっぱ出られなかったか」
「試してみたが市街地の方にはいけなかった。今はいいが、二つ目の穴がいつ現れるとも知れん」
「難儀だな……」
深刻そうに話を続ける二人を尻目に、ボクは渡会君に声をかけた。テントをはっていた彼は、手を休めてこちらを見る。
「無事でよかった」
「心配してくれたの? ありがとー。朝起きたら蟻地獄に呑みこまれる寸前でさ……いやぁ、びっくりしたよねぇ」
びっくりで済む話じゃないだろ。あっけらんかんとしているが、危機感が足りないなんてもんじゃない。
「相変わらず軽いわね」
呆れた目をしたレヴィアさんは、どこからか取り出した扇子で口元を隠す。ボクもつられて苦笑いだ。
「とりあえず、生きててよかったね?」
「マジでね。神様ありがとうって感じ」
渡会君は「あっはっは!」と大口を開けて笑う。肝が据わっているというかなんというか。流石は【主人公】だ。ボク達に「死」という概念があるのかわからないけど、この豪胆さと補正があれば、どんな死地でも生きて切り抜けられそう。……それだけに惜しい。
なんとも言えない気持ちで渡会君の様子をうかがう。微妙な顔をするボクの隣で、
「その神様のせいで大騒ぎしてるんじゃないの」
忌々しげに言い捨てるレヴィアさん。一瞬で閉じられた扇子が鋭く大きな音をたてた。美人が怒ると迫力満点だ。曝け出された怒りに合わせて、オアシスの水面も踊るおどる。
レヴィアさんはかつて、魔界を治める七人の魔王の一人だったそうだ。水域を統べた彼女の感情に、水の精霊達がシンクロしているんだろう。ボクには見えないけど、心なしか空気がピリピリしている気がする。
一方、何もない空中にさっと視線をはしらせた渡会君は、何事もなかったかのように涼しい顔で答える。
「ほんと大変だ」
「あはは……」
それはけっこうクセ球じゃないかな? これ以上女王様が不機嫌になったら困る。
ハラハラするボクだけど、心配は杞憂に終わった。レヴィアさんはフンと鼻を鳴らすだけに留めたのだ。流石さすがの神子様である。神霊の扱いは手慣れてらっしゃる。なにより大抵の人間(レヴィアさんは魔族だけど)は、美形の笑顔に弱い。
ほっと一安心ついでに感心したのもつかの間、渡会君は畳みかけるようにキラーボールをぶん投げてきた。
「俺がここに放り込まれてもう十年か。二人はどれくらいだっけ?」
「私はもうすぐ二年ね」
「ボクは……」
言い淀むボクを四つの目玉が凝視してくる。
「ボクは覚えてない」
事実だ。この街で暮らしはじめてだいぶん経つが、正確な時間は把握していない。そもそも、他の住人達と違って、自分がどんな【設定】の【キャラクター】なのかをボクはまったく覚えていないのだ。なんなら名前すらわからない。だからこういう話題は正直苦手だ。
それが表情に出ていたのかもしれない。渡会君はゆるりと目を細めた。
「長いこといるんだっけ? 古株なんだよね?」
「まぁ……」
「街が広がるのは見たことあるけど、壊れるのは初めて見たよ。これまでもこういうことあった?」
質問されるたび口角が下がっていく。口調は優しいがどことなく尋問めいている気がするし、なにより、目を背けたい事実に無理矢理向き合わされることが苦痛でならない。
……だけど、逃げてばかりもいられない。そもそもボク達はこの街から出られないんだし。
「いいや、ないよ」
だからこそ焦ってるんだよな。