06
「え……?誰だって?」
僕は思わず聞き返した。
「平敦盛だ。平家の武将で笛の名手」
「なんか聞いたことがあるような。あつもり、ゲームのタイトルじゃないですよね。」
「……」
「すいません……で、蛭尾教授。どうしてこの子が、その……あつもり?だってわかるんですか?」
「平敦盛は、「青葉あおはの笛」「小枝さえだの笛」の二本の笛を持っていたんだ。おそらくこの笛は、その「小枝の笛」だ。」
「さえだのふえ?」
「高麗こま笛ともいわれる細い管の笛だ。前に神戸旅行に行ったとき須磨寺っていうお寺で見せてもらったんだよ。」
蛭尾教授はスマホに写った笛の写真を見せる。
「それに君が一瞬見たという風景と状況。平家物語に出てくる、一の谷の戦いの場面だ。」
「……。」
「この子の着ていた装束。この小枝の笛。君が見た状況から推理すると、この子は平敦盛その人だ。」
「状況ですか?」
「ああ、一の谷の戦いで、平敦盛が熊谷直実に討たれる場面は、能や幸若舞のお題になっているんだ。」
蛭尾は、自分の推理を披露すると、口ひげを軽く撫でた。
「俺は、そこに乱入して、この子を助けちゃったのか。これってタイムパラドックスとか起きないんですか?」
「どうだろうか?もしかすると彼女が目を気を失ってしまったのが、その影響なのかもしれない。」
「……。」
俺は姉ちゃんに顔を向ける。
「……でもさ姉ちゃん。教授は平家の武将って言うけど、この子って……その、女の子じゃ……?」
「そうだな、女性だな。そこは私にもわけがわからない……」
蛭尾も姉ちゃんも黙り込む。
僕は、ズボンのポケットからスマホをとりだし、検索してみる。
【平 敦盛たいらのあつもりは、平安時代末期の武将】
【笛の名手であり、「青葉あおはの笛」「小枝さえだの笛」の二本の名笛を所持したと言われる】
さっきの笛がその「小枝の笛」か……。
【源平合戦の「一ノ谷の戦い」で熊谷直実くまがいなおざねに討ち取られた。】
打ち取られた?じゃあ目の前で寝ているのは誰なんだよ。
【熊谷直実は、敦盛の顔を見て、不憫になり、命だけは助けようと思ったが、思い直し討ち取った。
首を取ることができず、代わりに彼の兜と「青葉の笛」を持ちかえり、平敦盛であることが判明したという】
敦盛が突然消えたから、そういうことにしたってことかな。
【直実は敦盛の笛を屋島にいる敦盛の父、平経盛たいらのつねもりの元に送り、その後出家したという】
一瞬見えた、あの髭もじゃのおっさんが熊谷直実って奴か。見かけによらずい奴だ。
本来敦盛は、あの場面で熊谷直実に討ち取られていた。
そこに俺がタイムスリップしてきた。
死ぬはずだった敦盛は生き延びて、目の前に。
思わず全身が震えた。
俺は……。歴史を……彼女の運命を変えちまったんだ。
俺はどうしたらいい?あのこの子のために何ができる……。
「信太朗、どうやら目を覚ましそうだ」
姉ちゃんの声が、信太朗の思考を停止させた。
軽く首を振り気を取り直し、少女の寝ているベッドへ駆け寄った。
髪をおろして、病院服を着た彼女は、現代風の普通の女の子にしか見えない。
高校生くらいだろうか?
彼女はゆっくりと瞼を開けた。
まつげが長い。大きい目だ。
少しの間、天井の照明をじっと見つめていた。
そして、ゆっくりと信太朗の顔に視線を移しじっと見つめた。
なぜかおれの顔をみてるいる?)
なぜか心臓が激しく鼓動した。
彼女の眼は燃えるような緋色だった。
その美しさに、思わず吸い込まれそうになる。
「大丈夫かい?」
姉ちゃんが横から心配そうに声をかける。
「ここは……極楽浄土ごくらくじょうどですか?」
「え……何だって?」
思いもしなかった第一声に俺たちはうろたえる。
「違うのですか?話に聞いたお浄土のように、まばゆい光に真白な壁。それに見たこともないお召し物」
「……」
どうやら彼女は、死後の世界にいると思っているらしい。
蛭尾教授が代表して説明する。
「ここは、極楽浄土ではありません。あなたは死んでいませんよ。」
「えっ……では……?」
「ここにいる信太郎くんが君をここまで運んだんだ。戦で首を取られそうになった後、頭を打って気を失っていたのだよ。」
彼女はキョトンと首を傾げた。
かわいい……。
「まず確認したい。私の名前は蛭尾、この子は君を助けた信太朗君と姉の弘子君。君は、平敦盛さんだね?」
「……。」
「状況がわからないのは無理もない。私の研究実験のせいで、君を連れてきてしまったんだ。」
「あの……。」
「なんだい?」
少女はまばたきをし、病院服の裾を両手でつかみ、こう言った。
「たいらのあつもりって誰ですか?そして、私はいったい誰なんでしょう?」
その後の医者の診察では、脳に異常はなく、いわゆる突発的な記憶喪失というやつらしい。
数週間入院させて様子をみましょう、とのことだ。
この病院は、姉ちゃんの大学や蛭尾教授とも関連している病院なので、なにかと融通をきかせてくれるらしい。
保険証のない敦盛を入院させるには都合がよかった。
「何かのきっかけで記憶を取り戻すでしょう。」
と医者は気軽に言い、病室を出ていった。
僕と姉ちゃんと蛭尾教授は、今までのあらましを、彼女に簡単に説明した。
「それでは私は本当に生きていて、名前はたいらのあつもり。そして今は私がいた世界ではなく後の世での世界。」
彼女は目を見開き茫然として、やがて眼を閉じた。
しばらくの間、だれも口を開かなかった。
無理もない、記憶のない状態でこんなことを聞かされて、すぐに理解できるわけがない。
やがて彼女はゆっくりと上半身を起こし、病院服の襟を整えると信太朗の目を見た。そして柔らかな口調でこう言った。
「あなた様方は、私の命の恩人です。改めてお礼を申しあげたく思います。」
僕はたじろいだ。
「命の恩人って……。ただボタンを押して、行って帰ってきただけなんだけど……」
「何をおっしゃいます。私をここまで運んできて命を救ってくださいました。本当にありがとうございます。」
彼女の美しい緋色の瞳にじっと見つめられ、ドギマキする。
「助けてくださらなかったら今頃死んでいました。貴方は命の恩人です。御恩は一生忘れません」
「一生って……」
「何か恩返しが……。そうだ!私の笛を!」
「笛?笛って確か……」
「これだろ、お嬢さんの小枝の笛。」
蛭尾が敦盛に横笛の入った赤い絹袋を渡す。
「ああ!そうです。小枝さえだの笛です。ありがとうございます。」
なぜが笛のことだけは覚えているらしい。
彼女は、目覚めて初めて笑顔を見せた。
可愛い……。
敦盛は、点滴の管を気にしながら、笛を唇にあてる。
小さく息を吸うと、桜色の小さく少し厚めの唇から、小枝の笛に息吹を注ぎ込む。
一瞬の静寂。
病室内に清らかな笛の調べが充ちはじめた。
彼女の奏でる笛の音は、もの悲しく、どこまでも澄んで、僕の心を打った。
信太朗の目から自然に涙が流れ落ちていた。
大学受験に失敗して以来、ずっと我慢していた。どうやら僕は、ずっと泣きたかったのかもしれない。
横を見ると、姉ちゃんも泣いてる。
姉の涙を見るのは、両親の葬式以来だった。
蛭尾教授を見上げると、彼は目をつむり、わずかに微笑んでいた。
どのくらい時が流れただろう。敦盛は唇から笛を離し、僕たちを見て少し、はにかんだ。
「いかがでしたか?こんなことくらいしかできずに、お恥ずかしいのですが……」
胸が一杯になって何も言えなかった。
かわりに姉ちゃんが興奮した声で言った。
「いや凄いよ敦盛ちゃん!いや敦ちゃん!凄い、あんたは本物だ!」
「ほめすぎですよお姉さま。お恥ずかしいです」
「お姉さま!?……ねえ敦ちゃん、お願い、もう一回言って、ねえ。」
「え?……はい、お姉さま」
姉ちゃんは顔を真っ赤にして悶絶している。
「私の名前は弘子。よろしくね敦ちゃん!」
姉ちゃんはなぜかもう一度自己紹介する。
「ありがとうございます、弘子お姉さま……それとえっと……」
敦盛は頬をほんのり赤く染めて僕を見つめる。
「お……僕の名前は信太朗……です。」
「ありがとうございます。信太朗様。私の命の恩人……」
その時、看護婦さんが、血相変えて飛んできた。
「病院内で何を騒いでいるんですか!」
三人は、看護婦さんにひたすら謝った。
しかし、演奏が終わってから部屋に入ってきたところを見ると、看護婦さんも感動して聞き入ってたんじゃないかと、推理する。
その証拠に彼女の頬に涙の跡がある。
敦盛は小枝の笛をゆっくり赤い絹袋にしまう。
「不思議ですね。自分がどこの誰かは覚えてないのですが、笛のことだけは覚えています……」
言いながら彼女は何かに気付き、顔色を変えた。
「青葉の笛……あの、笛はもう一本、ありませんでしたか?」
なぜか彼女は笛の事は覚えているようだ。
「君が着ていた装束の中には無いようだが……信太朗君、知らないか?」
「僕が車の中に落ちてるのを見つけたのは、その一本だけだです」
「そんな……大切な笛が……」
彼女の悲しげな声。
僕はどうにもたまらなくなり気がついたら大声で叫んでいた。
「その青葉の笛、俺が見つけ出してやるよ!」
「……」
「元の世界にも絶対戻してやる。記憶も取り戻してやる!」
「……」
「俺が連れて来ちゃったんだ。君のことは俺が責任を持つ!」
「……」
「大丈夫、絶対に見つかるよ!俺は敦ちゃんの味方だよ!」
敦盛の顔を見つめ叫び終わった。
次の瞬間、青ざめた。
おいおい、気安く敦ちゃんなんて言っちゃったよ。姉ちゃんにつられちゃったんだ。
絶対気持ち悪く思われたよ……。
敦盛は目をパチクリしている。
だいたい、俺に何ができるんだ。タイムマシンを動かせるようにするのは蛭尾教授や姉ちゃんだし、記憶喪失を治すのは医者だ。僕はボタンを押すだけしかできない。今は……。
そう、あの時の僕は、何かを変えたいと願いを込めてあのボタンを押したんだ。
だから……。
目の前の少女は顔を赤くして、うつむいてしまった。
やはり引かれてしまったか……。
彼女はゆっくり顔をあげると、その燃えるような緋色の眼で僕を見つめ微笑んでこう言った。
「信太朗様……ありがとうございます。よろしくおねがいします」
俺は、彼女の笑顔を見て、これから自分の運命が大きく変わっていくであろうことを感じた。




