23 蛭尾教授の演説の抜粋② 奇襲が得意な義経だって、奇襲には弱い
蛭尾教授の演説が続きます。
もうしばらくご辛抱ください。
蛭尾教授の演説の抜粋 ②
この次に起こる大きないくさは、元暦2年(1185年)2月の「屋島の戦い」だ。
義経が最も手薄になる、彼を討ちとるのに絶好の機会だ。
いつもは、数千数万の兵に守られている彼だが率いる兵は、この時わずか150騎になる。
義経は戦いの前の晩に、暴風雨の中、摂津国(今の大阪府)渡邊津から真夜中に出航する。
まさかこんな日に奇襲はないと油断する、屋島の平家の背中から奇襲をかける。
当然周りは大反対した。そもそも源氏方はいくさはなるべくしたくない。
ましてやそんな危険な賭けをしてまで、今すぐ平家を滅亡させたいと願う関東武士は義経だけだ。
梶原景時らと大喧嘩したあげく、義経の手勢150騎だけで渡海する。
史実だと、阿波国(今の徳島県)勝浦についた義経は、油断していた地元の小豪族を打ち破り、やがて屋島の平家の背中から奇襲をする。
海上からの攻撃にのみ備えていた平家方はあわてて船で海上に出てしまい、普通に船できた源氏方の大軍と挟み撃ちに会い、平家方の負けとなる。
ざっくりいうとこんな感じだ。
私の作戦は、『勝浦に上陸する義経を待ち伏せして討ち取る』これだけだ。
奇襲が得意な義経だって、奇襲には弱いってことは彼の最期「衣川の戦い」が証明している。
彼を倒すにはこのポイントしかない。彼が上陸した後では、阿波の小豪族を倒し、その残兵を糾合してしまい1000騎以上に増えてしまう。これでは戦の天才義経を倒すのは難しい。
しかし、渡海で疲れ切った150騎なら?
え?敦盛君。
その150騎を倒すのが難しいって?
君もこの作戦を考えたようだね。そう、それでも難しいんだよ。
じゃあどうするか、説明するよ。




