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雑文置き場  作者: あんにゃもんにゃ
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いわゆる「ナンバ歩き」の「ナンバ」の語源

 前回の最後にナンバの語源について少し触れたが、つい最近、恐らくこれこそが本当の語源だろうと思われるものを発見したので、そのことについて記したい。


 発見の経緯は本当に偶然であった。たまたま『はきもの』(潮田鉄雄 法政大学出版局 1973年)という本を読んでいたら、「各地で稲刈りに深田でもぐらぬために用いられるナンバとよばれる板型の田下駄の類型で」という文章が目に留まったのである。


 前回、山の難儀な場所で使う「難場(歩き)」が「ナンバ」の語源ではないだろうかと書いたものの、自分で書いておきながらこの説には多少の疑問も感じていた。というのも昔の日本人にとって、そのような特殊な歩き方が必要となるような、まともな道もないような険しい山の中というのは猟師や宗教家、武術の修行者など特殊な人間以外はそうそう立ち入るような場所ではなかったであろうからである。山奥は聖域であり、猟師などの縄張りであり、熊や猪、狼なども出没する危険な場所でもあった。


 となると、そのような一部特殊な人間だけが必要とするような歩き方がはたして能や狂言などに武智の言うような形で取り入れられるものだろうか?


 そのように引っかかる物を感じていたところに上記の文章である。さっそくさらに追加の情報を求めてネットで検索してみたところ『田下駄の名称をめぐって ―― 猪苗代湖周辺のナンバを中心に ――』(佐々木長生)という論文も見つかった。この論文中には「オオアシ(大足)のように田下駄の先に縄を付けて、これを持ち上げるようにして土塊を踏み込む動作からすると、手足同時に揃えて歩く方法と同じ姿勢になる」という記述もある。


 ただし、上記論文には「各地でのナンバという呼称の存在は、ナンバという動作から派生した名称でないかという仮説を提起したい」とあり、いわゆる「ナンバ歩き」の動作とその名称が先にあって、そこから田下駄に「ナンバ」という名称が付いたという立場のようである。そして、ナンバの語源そのものについては、『はきもの』の文中の潮田説を紹介するに止め、「ナンバの名称について、新たなる事例の発掘に期待したい」と結んでいる。


 では、『はきもの』の文中にはどう書かれているかというと、

「ナンバの語源については、南蛮渡来だとか、難場(なんば)の下駄とか牽強付会するよりも、むしろ田植えのあとに残ったナーバ(苗を束ねる藁)を田の一隅に立ててナーバ流しとすることや、〆(しめなわ)を張って飾り物をし、男女の象徴(シンボル)などを立てて(けが)れのある者がこれに触れるのを禁じ、秋の頃まで置くのをナーバ流しとよぶ(同県(*)行方郡)。稲苗をナーバ、ナエバ、ネバと各地でよぶごとく、ナンバ(またはナーバ)は稲作で最も重要な苗であり、それを植える深田の代踏みを神聖視する点や、豊作を祈る気持ちの表われなどからみて、ナンバが苗と考える方が当っているであろう」

とある。


(*)茨城県


 結局、どちらからも舞踊の用語であるらしい「ナンバ」という語の大元の語源を知ることはできなかった。


 だが、私の当初の目的である「ナンバ歩き」の「ナンバ」の語源の情報としてはこれだけでも充分である。恐らく論文の著者は、最近の「ナンバ論」を信じていて、それ故に「ナンバ(歩き)という動作とその名称」が先にあったと判断したのであろう。しかし、「ナンバ論」に否定的な私の見地からは、これはどう考えても田下駄の名称の一つである「ナンバ」が先にあり、そのナンバ(田下駄)を履いた時の農民の動きが武智が言うところの「ナンバ」の所作の元であり語源であると思われるからである。


 論文中に、「なんばハ摂洲(せつしゅう)等にて深沼田にはきて田ニ入の農具なり」という文が紹介されていて、ナンバという語が摂洲(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)など近畿地方でも使われていたことを確実なものとしてくれたことも個人的にはありがたかった。


 というのも、現在のナンバ論の元祖と目される武智鉄二の出身地は大阪であり、彼が演劇評論家や演出家として活動し、能や狂言などの伝統芸能と関わって「ナンバ」の知識を得たのも大阪でのことであろうと思われるからである。


 摂津国(せっつのくに:摂洲)で農民がナンバ(田下駄)を使っていたのであれば、その所作と名称が近畿地方の伝統芸能に取り入れられていたとしても地域的にもおかしくはないだろう(浅学のため、他の地域の伝統舞踊でも「ナンバ」という用語が使われていたのかどうかは残念ながら知らない)。


 農業由来というのもしっくりくる。なんと言っても、少数派の山で生活する人間と違い、江戸時代やそれ以前の日本では人口の大半(参考までに江戸時代中期から末期だと約80~85%とのこと)が農民だったのである。その特徴的な所作や名称が同時代の演劇に取り入れられていないという方がむしろ不思議である。


 能や狂言など伝統芸能の「ナンバ」の所作の大元がナンバ(田下駄)を履いた農民の所作であり、それがいつしか演劇的な誇張として農業と全く関係ない部分の所作にも取り入れられていって、やがてその成り立ちも、少なくとも武智の活動していた昭和の時代には忘れられてしまっていたというのは決して無理な推論ではないだろう。


 という訳で、少なくとも私の中では武智の言うところの「ナンバ」の語源は農作業由来と結論が付いた。これが正しいとすれば、田下駄を履いての動作なので、日常的な動作とも言えないであろう。前回の難場説などは全て取り下げさせていただきたい。


 ここで終わっても良いのだが、ついでなので「ナンバ(田下駄)」の語源についても考察してみよう。ヒントはある。

 まず一つは、『はきもの』から引用した上掲の文章。

 そしてもう一つは、前記論文中に記載されていた、「ナバ」「ナーバ」「なんば」「ナンバ」「南蛮」「(あめかんむりの下に浦)板」「奈奴婆(ナヌバ)」といった「ナンバ」もしくはその類似と思われる田下駄の名称の数々である(類似ではない田下駄の名称としては「オオアシ(大足)」「コアシ(小足)」「ヒラキ」「ひらか(平駕)」「カンジキ」「ガンジキ」などが記載されていた)。


 私の考えるところ、最大のヒントは論文中の、「ナバ」「ナーバ」「奈奴婆(ナヌバ)」という田下駄の名称である(「ナンバ」は「ナヌバ」がさらに訛ったものだろう)。あくまでも推測でしかないが、これらに漢字を当てはめてみると恐らく「苗場」もしくは「苗之場」になるのではないだろうか。そして、「ナンバ」は本来「ナンバ下駄」などと呼ばれていたのではないかと思われる。それがいつしか「下駄(かそれに類した語)」が省略されて「ナーバ」「ナンバ」などとなったのであろう。


 『はきもの』からの引用文にある田下駄(ナンバ)と紛らわしい語。例えば、稲苗については苗の束ということで恐らく「苗把」が「ナーバ」「ナエバ」などとなったものと思われる。ついでに言えば「ナーバ(苗を束ねる藁)」については元々は「苗把藁」辺りが正式名称だったのではないだろうか。

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