昔の日本人は果たして本当にいわゆるナンバ歩きをしてたのか
私は、武道家で「昔の日本人はナンバ歩きだった」云々と語る人と会ったとき、取り敢えずその評価を一段階か二段階下げることにしている。単に「昔の日本人歩き方は今の人とは『少し違った』」と言えば済むところで態々「ナンバ」という言葉を使う辺りにいかがわしさ、胡散臭さ、もしくは安易に人の受け売りだけで語っているのではないかという疑念を抱くからである。
もしその人物が昔の日本人のことを「右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して歩いていた(ナンバ歩きの最も流布している定義)」とか「走ることができなかった」等と来たらもうダメだ。ナンバ歩きの効能などを語り出したらもはや何をか言わんやである。
もちろん、現代の日本人と江戸時代以前の日本人の歩き方や体の使い方に差異があるのは間違いない。そのこと自体は否定しない。ただその変化は現在進行形で少しずつ起こっているものであり、またその差異も「ナンバ歩き」を商売のネタにしている人間が言うほど大きなものではないと私は考える。
そもそも彼らが主張するように、江戸時代の日本人が「右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して歩いていた」とすれば、その当時来日していた外国人の誰かしらが記録しているはずである。またやはり彼らが主張するように明治維新以降の学校教育や軍事訓練などでその歩き方がそれほど大きく変わったのであれば、世相の変化を事細かに記述している当時の文豪達の作品にも何らかの言及があるはずであろう。
さらに言えば、江戸時代と聞くと遙か大昔のように感じるが、私の祖父母は明治の生まれでありその両親、私の曾祖父母は江戸時代の生まれである。それほど遠い昔ではないのである。もしそれほどに歩き方が変わったならば、誰かしら少なからぬ者が証言を聞いていなければおかしいと思うのだが、寡聞にして私はその実例を知らない。
ちなみに現在のナンバ論の元になった書籍の一つ(『舞踊の芸』武智鉄二 東京書籍 1985年)には「ナンバの姿勢を説明するときに、よく、右足が前へ出るとき右手も前へ出す。というように説明される。しかし、これは正確ではない。(中略)そこで腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形になる。(中略)だから、ナンバ歩きに、手を振るという説明は、正しくない。」とある。
これであればまだ多少は納得がいく。なにより実際に街で歩いている人間を観察すると、現在でも腕も上半身も一切動かさずに歩いている日本人が老若男女を問わず多いことが良く分かる。ことさらナンバ歩きを強調する人達が主張するほど、昔の日本人と今の日本人の動きに決定的な断絶は無いのである。
私の主観だけではない。
スポーツ史の研究者である谷釜尋徳によれば、幕末から明治初期に来日した外国人の見聞録に記述された日本人の歩行の特徴は
・足を引き摺ること
・歩行の差異に音が生じること(草履や下駄など履物由来)
・爪先歩行
・前傾姿勢
・小股・内股(主に女性)
・歩行が奇妙であること(主に下駄着用時の女性)
が主な項目だそうである。
一方、現代の日本人の歩き方の欠点として外人などから指摘される項目は
・靴を地面にズルズル引きずるように歩く
・前屈み気味の歩行姿勢
・内股歩き。小股でちょこちょこと進む。(主に女性)
などである。
上記の比較によっても、昔と今の日本人の歩き方に外見上の大きな変化はなさそうなことが読み取れるのではないだろうか。無意識に働きかける伝統文化の強制力というのは実に強いものである。
検証のため映像資料にも当たってみた。撮影機が発明される以前のため残念ながら江戸時代の動画は存在し得ないが、明治や大正の頃の動画であれば最近は気軽に見ることができる。これらの時代であれば年配の人間は江戸時代の生まれであり、まさかその全員が幕末や明治維新以降に完全に矯正されて歩き方がすっかりと変わってしまったなどということもあるまい。もし江戸時代の人間がいわゆるナンバ歩きをしていたというのが事実であれば動画上になんらかの痕跡があるはずだと思ったからである。
と言っても、じっくりと調査したわけではなく、軽い気持ちで試しにすぐに見ることができた動画を眺めただけである。だが、それにも関わらず思いもかけなかった実に面白い知見が得られた。
映像を見た第一印象は、明治時代の人間も大正時代の人間も大枠ではいかにも日本人らしい歩き方をしており、特に違和感は感じないということであった。いわゆる武智論に則った右半身と左半身を繰り返すナンバ歩きや、右か左の半身を保持したまま進むとされる「片踏み」の歩き方をしているように見える人間、その他奇妙な歩き方をしていると思える人間はざっと見では見当たらなかった。やはり日本人の歩き方が、ナンバ論者の言うように明治維新以降にガラッと大きく変化したとはとても思えない。
実のところ、当初はここで終わるつもりだった。大量の映像を精査したわけでもなく、違和感を感じないというのも私個人の主観でしかないわけだが、プロの研究者を含む多くの人間がいわゆるナンバ歩きをしていたという明確な証拠を見つけることができていないわけだから、私が目を凝らしてチェックするまでもないだろうという思いからである。
だが、一応念のためと何度も映像を繰り返し眺めているうちに、下記のような幾つかのことが目に付くようになってきた。
・大正時代は、足と逆方向に、現代人と同程度に大きく手を振って歩く人間が増えている。
・明治時代にも、足と逆方向に手を振って歩く人間はいるがその手の振りは小さい。また、手を全くかほとんど振らずに歩いている人間が多いように思われる。
・明治時代は、体を左右に揺らして歩く人間が多く見受けられる。
・大正時代は、体を左右に揺らして歩いているように見える人間はあまり見受けられない。
この、手を振らず体を正面に向けたまま、足運びに伴う重心移動によってゆらゆらと僅かに左右に揺れる歩き方をする人の多さが個人的には貴重な発見であった。
結論から言えば、私見ではこれこそが往時の日本人の最も一般的な歩き方であったのだろうと考えている。
この歩き方は、要は毎回踏み出した足の側に体重と重心を移動させながら進んでいるわけだが、これは幼い子供や足腰の衰えた老人、体重の重い人間などが無意識に自然に行う歩き方であり、私が考える、特に歩き方の訓練などを一切行っていない農民や町人などが自然に行う歩き方という条件とも合致する。また何よりもこの歩き方は、現代人や外国人であっても体重と筋力のバランスが取れてない人間であれば自然と行ってしまう歩き方であるので、歩き方の変化が人々に認識されず、外国人を含めて誰も記録していないことも不思議ではない。
ナンバ論者達が主張する条件とも矛盾しない。
明治時代の動画には多く見受けられたにも関わらず、大正時代になるとほとんど見なくなっている辺りは、ナンバ論者が主張する、明治維新以降の軍事訓練や学校教育、服装や履物などの西洋化によって失われたとする主張とも合致していると言って良いだろう。
武智は、彼のナンバ論の根拠の一つとして昔の人の歩き方の特徴を、「鎮台兵が右向け、左向けの方向転換が、すこぶるへただったということも、この意味で、たやすく理解されよう。わが農民は、転回や旋回の技術を、まったく持ち合わせなかった。例えば、能や狂言で、左へ向きをかえる場合、(中略)左足から踏み出すことをしない。(右を向くときは右足)(中略)日本人の場合は、左を向く時には、右足を進行方向に向けて、つまり、向こうと思う方向と反対の側の足から、方向転換を開始するのである。」(『伝統と断絶』 武智鉄二 風濤社 1969年)とあり、武智はこの理由を「このことは、つまり、ナンバの歩行では、前へ出ている足は、足だけで方向転換ができないわけで、上半身も全部前方へ進んでいるのに、足だけが左へ向いたのでは、からだのバランスを崩すことになる。そこで、おくれているほうの半身が、前へ出る時を利用して、つまり、後ろにある反対側の足から、方向転換をはじめることになるのである。」と説明している。
つまり、武智は昔の人が左を向く際に、左足を左側に踏み出さない理由をナンバの動きによる推進力に伴う慣性に求めていると読み取れるが、これには無理があるように思われる。脚力がよほど衰えていない限り左足を左に踏み出してもそれまでの前方への慣性を殺すことは決して難しくはないからである。
一方、毎回体を横に振って踏み出した足に重心と体重を乗せる歩き方であれば、このことはより容易に理解できる。体重の乗った左足を軸に右足を左に運んだ方が、その逆よりもずっと自然だからである。
また上記の文に続いて、
「能で、たとえば右へ転換する時、左手を大きくふくらませて、いわゆるヨセイ(余勢)という型をするのは、そういう型をするというきまりがあるのではなくて、(中略)つまり、ヨセイは、あくまでも余勢で、元の進行方向へ進もうとするからだの勢いが、余っているため、そのような形が、自然発生的に、生ずるものとして、受け継がれねばならないのである。」とヨセイの形も前進の慣性によると説明しているが、これも事実慣性による余勢を表現しているにしても左右への体の揺らしによって説明できるしそのほうが自然なのではないだろうか。
なお念のために言っておくと、私は決してこれが「唯一の正しい昔の人の歩き方」だと主張している訳ではない。というか、そもそも江戸時代においては、地域による違いはもちろん、同じ地域であっても武士や町人、農民などそのそれぞれで(細かく見ればさらにその中における階級や職種などによっても)言葉や作法、体の使い方などありとあらゆる事柄が明瞭に異なったのであるから、唯一の共通した歩き方などあろうはずがない。
当然、武士としての作法や武術の訓練を幼い頃から義務づけられていた武士の歩き方や、棒などで荷物を担いだ際に使ったとされる「片踏み」の歩き・走り、杖を使っての歩き方、険しい山道での歩き方など、専門技能によるものや日常とは異なる条件時の歩き方はまた別であり個別に検討する必要がある。
これはあくまでも、往時の人間の多くが日常の基本とした歩き方のうちの一つはこれであろうという私見である。
最後にまとめると、私の結論としては、やはり昔の日本人と今の日本人の間にナンバ論者達が主張するような大きな変化はなく、ほとんどの人は例え自分の歩き方が変わったとしても自覚しない程度の変化しかなかったであろうということである。
彼らが主張するような、昔の日本人は誰でもごく当たり前に、今は失われた優れた体の使い方をしていたなどというのは営業トークの一種と捉えるべきであろう。同じ側の手と足を同方向に出すナンバ歩きは、使われたとしても特殊な職業や状況などに限定されたものと私は考える。




