第四話
今日もお城の外は雲1つ無く晴れ渡っている。だが、自分以外に誰の姿もない廊下を隠れるように歩くルキアの心はそんな空とはまるで正反対のようにどんよりと曇っていた。
いつもいつも魔王であるはずのヴァイスはルキアを連れ出しては離さない。国の長たる魔王とは本来、国内外の政などいろいろやることがあるはずなのに、忙しいはずなのに、あのヴァイスは朝の支度が終わった頃に毎日毎日…突然に現れる。
ーーー本音を言えば、彼に言いたい。“つかれた”と、私にかまうのを止めてほしいと…
そう思うが、相手はこの星でもっとも最強の魔王である。言えるわけのないルキアは今までよりも早く起きて服を着替え、いつも気が付いたらテーブルの上にある朝食も無視して部屋を静かに飛び出していた。
だてに、あの鬱陶しい魔王ヴァイスにこのお城を連れ回されてはいない。自分の足で歩いたことのある場所は少ないが、あれだけ連れ回されればさすがに憶えてしまう。
「確かこの先に…」
角を曲がった先に下に続く階段がある。その先の大きな扉は装飾が細かく頑丈そうに造られている。この部屋はこの城にいくつかある図書館の1つであり、歴代の魔王についてや魔族の歴史などの本が保管されているらしい。ヴァイスがそう言っていた。
「重っ…」
見た目通りと言うか何と言うか、ヴァイスはルキアを横抱きにし、軽そうに片手で開けていたのに…ルキアにとってこの扉はとてもとても重い。重すぎる。
やっと扉を開け、中に入れば古い本の匂いがした。
「部屋にいなかったら、魔王も諦めて仕事をするよね…クーファッシュさんが“魔王の仕事がたまっている”って言ってたし」
ぶつぶつとルキアは呟きながら、扉が勝手に閉まるのを背に確認しながら本棚の並び立つ部屋の中に入って行く。
太陽村で本なんて物は高価すぎて手に入れることなんてできなかった。それでもおじいさまの持っている本を目にしたことはあるため、どういったものかは知っている。
「部屋の中にいた時とか魔王に連れ回されている時には気付かなかったけど、たまにサイズ違う本があるの何!?」
一見、本棚に綺麗に並べられた分厚くて高価そうな本達は人間が持って読むような大きさをしている。だが、ずらっと並ぶルキアよりもはるかに背の高い大きな本棚を見渡すと、たまに本の頭がポツリポツリと飛び出していたり奥行きがあっておらず通路に飛び出したりしている本が目につく。
「っ!?うぎゃ…!!」
ルキアが本棚を見上げながら歩いていると、足元に飛び出していた本につまづいて転けそうになった。
まさか、足元にも飛び出していた本があったとは…つい変な声が出てしまった。恥ずかしい。どうせ誰にも見られていないだろうが、一応周りを確認したルキアは本当に誰もいなくて良かったと思う。そして、つまずいてしまった本を急いで確認しなければ…大事な本を傷つけて、魔王の逆鱗にでも触れてしまったらと思うと心臓がもたない。
「壊したりしてないよね?」
床に両膝をつきながらその本を手に取り、念入りにルキアは確認する。どうやら問題ないようだ。本当に良かった…そう胸を撫で下ろしていると、突然に体が宙に浮いていた。え?と思う頃には持っていたはずの本が黒い炎に包まれていて、とっさにルキアは手を放した。音をたてて床に落ちた本はさらに燃え上がっている…すぐ傍で魔王ヴァイスのピリピリとした気配を感じる。ああ、ヤバい…と思った時にはもう遅く、彼の声が耳元で聞こえた。
「部屋にいないから探したぞ。ルキア」
昨日よりも声が低い、気がする。今の彼はものすごく機嫌が悪いみたいで…何故かそう直感するのに時間はかからなかった。
ルキアはまるで、これから蛇に丸呑みにされるネズミのように本気の悲鳴を小さくあげた。これはもう本当に魔族の食事として喰べられるかもしれない。
「僕のいないところでケガなんてするな」
そう言うと魔王ヴァイスはルキアの向きを腕の中で軽々と変える。また、彼の綺麗過ぎる顔が近すぎる。そう思っているといつの間にか先ほどの通路ではなく椅子とテーブルがある場所へと移動していた。
スッとテーブルの上にルキアを下ろすと、ヴァイスはルキアの右足を持ち上げた。何!?と足をバタつかせて抵抗するルキアだが、まったく意味をなしていないことがとても悔しい。そんなに足を上げられたら恥ずかしすぎるに決まっている。
それなのに…とずっと抵抗しているとヴァイスはまたさらにイラついた声で言った。
「暴れるな。血が出ているのに気がついていないのか?」
ヴァイスのそんな言葉で自分の足を見たルキアは、やっと痛みを感じた。どれだけ鈍感になっていたのだろうか。でもこれだけ血が出ているのにあの本は問題なかった。どうしてだろうと、本のことを心配していたルキアの足にまた別の痛みが走る。持ち上げている手の力をヴァイスが強くしたからだ。
「おとなしく傷を見せろ。僕のルキアに傷をつけた本なんて抹消してやりたいくらい憎いんだ」
ヴァイスがお城を壊しても、何事もなかったかのように元に戻る…その事を思いだしたルキアは本も元に戻る対象なのかと思い当たった。
でもどうしてこんなにも彼の機嫌が悪いのだろうか…確かにいつも来る時間に部屋にいなかったから、“探した”なんて魔王のくせに変なことを言うから調子が狂う。
「“魔王”のくせに、何なの…?」
足の傷は綺麗にヴァイスの魔力によって治されていた。そして、つい思っていた言葉が音になっていた…ルキアはその事に気付くと慌てて口を塞ぐように両手でおおった。
やってしまった…魔王に対してこんなことを言ってはいけない。ルキアがそう思って恐る恐る彼の顔色を伺った。
「フッ、“魔王のくせに”か…ルキアは面白いことを言うな」
魔王であるヴァイスは何故か笑っている。ルキアの足を掴んでいた手がいつの間にかルキアの頬を撫でていた。
今まで機嫌が悪かったのが嘘のように…それもまたルキアには理解できないことだらけだ。
「え?な、に…?」
「僕は繊細な魔力操作が必要な探知系は苦手だ。だからルキアは僕の目の届かないところには行くな」
ーーー探すのが手間だ。
そう言うヴァイスの表情は、どうしてそんなにも…魔族と人間は喰う喰われるの力関係のはずなのに。そんな顔は人間に向けるものじゃない。食事である人間に、気のせいでないのなら、まるで恋愛感情を向けられているのだろうか?
ーーー本当に意味が分からない…
ルキアは困惑を隠せずにヴァイスを見上げる。いつの間にか、いつものように彼に横抱きにされると…周りの景色が変わっていた。
たくさんあった本達は無くなり、見慣れた自分がいつも使っている部屋だった。
「今日こそは僕の相手をしてもらうぞ」
そう言いながらヴァイスはそのまま奥の部屋へと入って行く。いつも寝ている部屋だ。村には無い広すぎるベッドにはまだ慣れていない。
「え?待って、どこ行くの!?」
「耳元で騒ぐな。おとなしく僕と寝ろルキア」
いつの間にかベッドの上に下ろされていた。突然すぎるヴァイスの行動についていけていないのは当事者であるはずのルキアだけだ…ヴァイスもベッドの上に上がり、慌てて後ろへとさがるルキアに近付いて来てはルキアの髪や頬、唇をヴァイスの手は撫でていく。
「僕はもう少し肉がある方が好きだが…」
ヴァイスの手付きは今までと違う。ルキアの知らない触れられ方だった。と言うより、“肉”?いったいどこを見てヴァイスは言っているのだろうか?確かに太陽村でも可愛いとか美しいとかと男達に言われるような容姿ではないのは理解しているつもりだが…まさか魔王にまでも言われるとは思っていなかった。
「魔王様の好みじゃないんでしょ!?何でこんなことするの?」
いつの間にか視線を天井に向かされたルキアは魔王であるヴァイスを睨み付けるように言う。ヴァイスにそんなことを言われる筋合いなど、きっと無い。それとも、魔族らしくこのままベッドの上で食事を始めるつもりか。
「そんな呼び方をするな。ルキア、ヴァイスでいい」
抵抗しているのに、ヴァイスの手は止まらない。どうしてそんなに優しく?自分の体に触れてくるのだろうか。それなのに…そんなことより、そんなところは絶対に触れられていい場所じゃない。
「っ、何で!?どうして!?ふざけないで!魔族は人間を喰うんでしょ!?」
「騒がしいな。そう抵抗するなルキア」
魔族はこうやって人間を喰うのだろうか?いや、でもこんな状況はまるで…ルキアは子供の作り方を知らない子供じゃない。いつかは村の男と結婚して女は子供を産むのだと皆にそう教わって育ってきているのだから…。
「だから、嫌だって言ってるの!」
どうやっても力の差は埋まらない。敵わないと理解していても、ルキアはヴァイスに必死に抵抗していた。そんなルキアを見下ろすヴァイスの口元は笑っている。
またそんな表情をしているヴァイスに、ルキアはムカついてくる。
「ヴァイス、ルキアの許可無くそれを続けるつもりならエヴィルが黙っていない」
突然に部屋の扉をノックする音がしたかと思うと、いつものようにクーファッシュの声が聞こえた。邪魔をするなとヴァイスが力を弱め、扉の方に顔を向けたその瞬間を見逃さずにルキアはヴァイスから逃れてベッドから下りるとクーファッシュの所まで行って彼の後ろに隠れた。
「…どういうつもりだ?クーファッシュ」
「どうもこうもない。いい加減、ルキアに嫌われていることに気づけ」
数秒、時間が止まったかのような静寂が駆け抜けたかと思うと…ヴァイスから黒い魔力が溢れ出して一瞬にして周りの景色がまた変わった。部屋どころか城すべてが粉々に崩れていた。そして目の前にいたはずのヴァイスの姿は大きな大きな魔族の姿へと戻っていた。
どうやらルキアはクーファッシュによって守られたようだった。足場の無い空中に何故か浮いている。でも真下を見るのはやめておこうと思う…相手は魔王と魔王補佐、この星で最強の2人なのだから。気にするだけ無駄だ。きっと魔王のお城で生きてくのなら慣れるしか無い。
「はぁ!?僕のルキアがこの僕を嫌っているわけがないだろ!?」
「お前がルキアを見てきた時間なんて、ルキアは知らない。この城に来てから何も知らないルキアを我が物顔で構いすぎなんだ」
理解できないのかと言うクーファッシュは、後ろに庇うルキアをサッと抱き上げる。まるで大切なものを扱うような優しい手だ。ルキアの知っている、強引に横抱きにしてくるヴァイスとは決定的に何かが違う。
大きな魔族の姿のヴァイスはクーファッシュのすることが気に食わないのか、その大きな大きな魔族の手を振り上げる。だが、人の姿のままのクーファッシュは何事もなかったかのようにそれをかわしてヴァイスの目の前へと移動していた。
「城が完全に元に戻るまでおれがルキアをあずかる。ヴァイス、その間に頭を冷やせ」
そう言うとクーファッシュは飛んで移動しているなんて感じさせないくらいに静かに、ルキアを風や重力などから魔力で守りながら飛び続けていた。
今のルキアに、“魔力”なんてものはよく分からない。それでも、クーファッシュはこういう配慮ができるのにどうして魔王であるヴァイスにはできないのかと、少しおかしなことを考えていた。
クーファッシュのことを“優しい人”と言うと、ヴァイスはいつも嫌そうに私から顔をそむけて“優しくなくて悪かったな”って言うの。




