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後編



 エマとアメリーはお揃いのフリルエプロンをつけていた。


「バターはちゃんとやわらかくなってる?」

「もちろん。エマに言われた通り、材料は全部室温に戻してあるわ」


 ふたりがいるのは開放感のある広いキッチン。

 ここはアメリーの家、つまり男爵家の館である。


 シンクの隣に置かれたのは、大量のバター、砂糖、卵、小麦粉。

 ボウルに泡立て器、ヘラなどの道具も並べられている。


「それにしても、いつの間にフェリックスさんとデートの予定を?」

「デートだなんて! 一緒にレストランへ行くだけよ」

「それを世間ではデートって呼ぶんじゃないかしら」

「断じて違うわ。フェリックスさんの市場調査に同行するだけだもの」


 耳まで真っ赤にして全力で否定するアメリー。

 あまりにも力強いので、エマは肩をすくめてみせた。


「でも、アメリーはフェリックスさんのことが好きなんでしょう」

「うー。そうだけど、そうだけど!」


 アメリーらしからぬ歯切れの悪い物言い。

 それには大きな理由があった。


「フェリックスさんが、アメリーの作ったものを食べたいって言ったんでしょう?」

「だから困っているのよ。相手は料理で身を立てているひとだし、あたしは生まれてこの方、料理なんてまともにしたことがないし」


 男爵令嬢であるアメリーにとって、料理は作るものではなく、味わって褒めるものなのだ。

 そして料理なんてまともにしたことがないという主張通り、初めてひとりで焼き上げたクッキーはまさしく『岩』そのものだった。

 味見を頼まれ、味以前に歯が欠けるかと思ったエマ。一緒にクッキーを作ることを提案して、今日に至っている。


「エマがいてくれてよかった。料理もできるしお菓子作りも得意なんて、頼もしすぎる」

「必要に迫られてやってきただけよ。さぁ、はじめましょうか」


 ぱんっ、とエマは両手を叩いた。


「まずはボウルのなかで、バターがクリーム状になるまで練るところからはじめるわよ」

「そんなのレシピに書いてなかったわ」

「このひと手間が肝心なのよ。バターが冷たくてカチコチのままだと、また()が完成すると思う」

「岩は……岩は勘弁してほしい。次こそクッキーを作ってみせるわ」


 頬を膨らませながら、アメリーが作業をはじめる。


「そこに砂糖を加えて、白っぽくなるまで混ぜてちょうだい」

「この前も思ったけれどすごい砂糖の量」

「減らすと味だけじゃなくて食感も変わるわよ」

「うっ」


 アメリーが気まずそうに口をつぐむということは、岩を作ったときには、砂糖の量を勝手に変えたのだろう。


 その後も、溶き卵はちょっとずつ入れないとなじまないとか、小麦粉は目の細かいザルでふるわないとダマができるとか。

 さっくり混ぜないとやっぱり岩のように仕上がるといったアドバイスを重ねて、なんとかクッキー生地が仕上がった。


「すごい。そもそも、この見た目が前回と違うわ」

「どんな見た目だったかは訊かないでおくわ」


 そうしてちょうだい、とアメリーは溜め息をついた。

 エマはしっとりとまとまったクッキー生地を持ち上げる。


「すぐに焼いてしまうと、オーブンのなかで形が崩れる可能性があるから、いったん冷蔵庫で寝かせましょう。冷えたところで薄く伸ばして、型抜きして焼けば完成よ」

「型ならたくさん買ったわ!」


 アメリーが棚からガラス製のケースを取り出した。

 そこからずらりと型を並べる。丸や四角だけではなくハートや星、葉っぱの形まであった。


「流石、形から入るアメリー」


 エマは素直に感心する。

 今度はアメリーが肩をすくめる番だった。


「そういうエマは、ナイフで正方形に切って終了、だものね」

「だって、いちばん無駄がないもの。端っこは味見用になるし」

「もう。そういうところ、面白みがないわよ! もっとかわいらしさを追い求めなきゃ!!」

「そうねー……」

「ちょっと!? もしかしてフランクのこと思い出して落ち込んでる!? あんなバカのこと、気にするだけ時間の無駄なんだから」

「えっ?」

「えっ?」


 エマとアメリーは顔を見合わせた。

 お互い、目が丸くなっている。


「……フランクのことなんて微塵も考えてなかったわ」

「それならよかったけど。あ、もしかして」


 何かを閃いたかのようにアメリーの瞳が輝いた。


「レオンさんの紹介したあの男のひとと、最近いい感じ?」

「どうしてそこでアベラルドさんが出てくるの!?」


 驚いたエマの声が裏返る。

 ついでに、持っていた型を落としてしまった。慌ててしゃがんで拾い上げ、シンクで洗って水気を拭く。


「ふーん。レオンさん、何人か紹介してると思うけど、真っ先に名前が出てくるのはやっぱりアベラルドさんなのね。ふーん」


 アメリーの口調は明らかにエマを追及したがっている。

 エマは拒否を示すように、くるりと背中を向けた。それから、位置のずれた黒縁眼鏡を直す。


「そろそろオーブンに予熱を入れておきましょうか。それから、天板の用意も」

「ねぇ、エマ。あたしは喜んでるのよ。だってあのバカと婚約してたからって恋愛的な何かがあった訳でもないし。お父さまへの義理立てだけだったでしょう?」

「もう。ほんと、そういうのじゃないから」


 タイミングよく、オーブンの予熱完了を告げるアラームが鳴った。


「ほら、クッキー生地を冷蔵庫から出してちょうだい」


 アメリーは不満そうに口を尖らせた。

 それでも、はぁい、と指示に従うのだった。





 型抜きされたクッキー生地がオーブンに入ると、たちまち甘い香りが漂ってきた。

 アメリーが分厚いミトンをはめて、ちょうどいい焼き色のついたクッキーを取り出す。


「すごい! 焦げてない! 形も崩れてないし、ちゃんとクッキーに見えるわ」

「ちょっと。今食べても火傷するだけだからがまんして」


 アメリーが、天板から網の上へ慎重にクッキーを移す。

 さまざまな形のクッキーはどれも美味しそうだ。


「ひとつひとつの作業に意味があるの。それを守れば、誰だって成功するわ」

「なんだか仕事の話をしてるみたい」

「そうかもしれない。冒険者ひとりひとりの特性を知って、適切なクエストを紹介する。冒険者が無事に帰ってきてレベルアップしていたときって、すっごい達成感があると思わない?」

「わかる」


 アメリーが激しく首を上下に振るので、エマは思わず笑ってしまった。

 ミトンを外したアメリーは、改めて感心するように息を吐き出した。


「エマはほんとうにすごいと思う。冒険者の情報だけじゃなくって、クエストのことも、要綱に載ってないことまで調べ上げてるんだもの」

「ありがとう」


 エマはアメリーからの誉め言葉を素直に受け取る。

 日々、勉強。これはエマのモットーだ。


 キッチンからそのままダイニングへクッキーを運ぶ。

 ふたりはソファに腰かけた。

 すると待っていたかのように、白い大型犬がふさふさのしっぽを振りながら部屋へ歩いてきた。


「わふっ」

「アーディ!」


 名前を呼ばれて、アーディはますますしっぽを振った。

 艶々とした毛並みにはもふもふという形容がふさわしい。たれ耳で、黒い瞳は優し気な丸みを帯びている。

 人間の子どもよりも大きいアーディは、エマとアメリーの間に割って入ってきた。


「もう。あなたの分はないわよ?」


 アメリーがアーディを撫でた。

 エマもその背中を撫でる。

 滑らかな指触りで、ほんのりと温かい。いつまでも撫でていたくなる触り心地だ。


「アーディ、久しぶり」

「もう。アーディは、ほんとうにエマが好きよね」


 もふもふ……。


 ふたりがしばらくアーディを撫でていると、クッキーの粗熱が取れてきた。

 使用人がティーセットを運んできてくれたので、そのまま、ささやかなお茶会になる。


「ちなみにアベラルドさんはどれだけ強いの?」

「ごほっ」


 紅茶を口にしていたエマは見事にむせた。

 残念なことに、話が戻ってきてしまった。


「レオンさんが気に入って連れてきただけあると思う。ひと月で、クリスタルからシルバーになったんだもの」

「うわぁ。いい意味で、信じられない。どれだけ強いの」


 エマがアベラルドと関わるのはクエストを紹介するときだけ。

 だからどんな風に帰還しているかは知らない。しかしリングに蓄積されたデータを見れば彼の強さは一目瞭然だ。


「今回からシルバー対象のクエストを紹介しているけれど、この勢いだとあっという間にゴールドになりそう」

「それくらいじゃなきゃエマには釣り合わないかもね」

「だから、そういうのじゃないってば」


 さくっ。


 エマは冷めたばかりのクッキーを口へ放った。

 まだ風味がなじんではいないものの、ほんのりと甘くて食感も軽く仕上がっている。

 アメリーひとりで再現できたら、問題ないだろう。


(そういうのじゃ、ないってば)


 慰めてくれているのかアーディがぴったりとくっついてくるので、エマは空いている手で撫でてやる。

 胸のうちに生まれたもやもやは、クッキーと共に飲み込んだ。





「おい! どういうことだ!」


 冒険者ギルド中に響き渡る怒声。

 反射的にエマは目を瞑ったものの、すぐ冷静に切り返す。


「どういうことだ、とは?」

「俺様に合ったクエストがこんなしょぼいだって? ふざけるな」


 目の吊り上がった冒険者が、エマから渡されたクリスタルのカードをカウンターへ叩きつけた。

 割れはしないもののいい気分はしない。

 エマはカードを手に取って、丁寧に置き直した。


「わたしたちはひとりひとりに合ったクエストを紹介しています。今のあなたのレベルでは、このクエストが最適だと判断しました」


 カウンターの下で、エマは拳をぎゅっと握りしめる。


「馬鹿にしてるのか!?」


 己のスキンヘッドに右人差し指を当てながら、ずいっと身を乗り出してくる。

 なんとなく濃い酒のにおいを感じてエマは眉をひそめた。


「馬鹿になんてしていません。ご自身のレベルにあったクエストは、最も経験値を蓄積できます」

「へぇ」


 するとスキンヘッドの冒険者の視線が、エマのことを()()()()()値踏みするようなものに変わった。


「あんたみたいな女には、レベルにあった男すらいなさそうだけどな。いたとしても、大したことはなさそうだ。ははっ」

「……!」


 言い返したい衝動を、エマはぐっと堪える。

 相手がまともじゃないのは明らかで、反論したって会話が成立するとはとうてい思えなかった。

 年に1回あるかないかの、理不尽なクレーマー。ただの、事故。


 当然のことながら目立つので、すぐに助けは飛んできた。


「相談員に難癖つけるような冒険者はアナタかしら?」

「何だてめぇ、っ」


 スキンヘッドの後ろから現れたのは警備ではなくレオンだった。

 闖入者に向かってスキンヘッドは勢いづくものの、中指のリングを見て怯む。


「ブブブ、ブラック……」


 レオンはにっこりと微笑み、スキンヘッドの肩に腕を載せ、わざとリングを見せるように手をひらひらと振った。


「さて、アタシは優しいから選択肢を与えてあげるわ。ここでごねて冒険者資格を剥奪されるのと、すぐにここから出て行って出直すの、どちらがいい?」


(笑ってるけど、目が笑ってないです、レオンさん!)


 カウンター越しとはいえ伝わってくる威圧に、エマはたじろぐ。

 今の彼ならほんとうに人間を燃やしかねない。それは、まずい。


「くそっ」


 がんっ。


 スキンヘッドは、毒づいた後にカウンターを蹴りつけて、レオンの腕を振り払うと冒険者ギルドから出て行った。ふざけんな、見てんじゃねーぞ、とどなり散らしながら。


「レオンさん。ありがとうございました」

「大丈夫? エマちゃん」


 威圧を解いたレオンの表情は、完全にエマを気遣うものに変わっていた。


「はい。たまにあることですし……」

「だからといって、傷ついていい訳がないでしょう?」


 優しいながらも真剣な眼差し。

 エマはレオンへ言葉を返すことができなかった。

 唾を飲み込み、俯く。


「何かあったのか」


 そこへ現れたのは、アベラルドだった。


「ちょっと、遅いわよ!」


 すっとレオンが立ち上がり、アベラルドを座らせる。


「はい。お仕事、お仕事♪」

「どういうことだ?」

「アベラルドは黙ってなさい。今のエマちゃんにはまともな客とのやり取りが必要なのよ」


 レオンの妙な勢いにエマもまた圧されるのみ。

 視線を下げると、アベラルドのリングの輝き方が変わっていた。驚いて勢いよく顔を上げる。


「アベラルドさん、ゴールドになったんですね! おめでとうございます!」


 エマは瞳を輝かせてアベラルドを見つめた。

 霧が晴れたように、ちょっと前までの陰鬱な気分は一気に吹き飛んだ。


「すごいです。史上最速なのでは?!」

「うーん。悔しいけれどそうかもしれないわねぇ」


 アベラルドの脇に立つレオンは残念そうに首を振った。


「このままだと6人目のブラックになる日も近いんじゃないかしら?」

「なれたらいいとは思っている」


 アベラルドがぼそりと答えた。


(謙遜しない。ちゃんと自分の実力を分かっていて、目標を据えているんだ)


 そんなの無理だ、とは決して言わないのだろう。

 エマにとってそれだけで、アベラルドに対して尊敬の念が湧いてきていた。

 ぴっ、と背筋を正す。


 レオンがふふっと微笑み、尋ねてきた。


「エマちゃんはどう思う?」

「そうですね。応援しています」


(わたしもがんばらなきゃ。些細なことで落ち込んでなんかいられない)


 エマは両肘を曲げて拳を上げた。


「記念すべきゴールドの初クエストに、こんなものはいかがでしょうか?」





「お疲れさまでした」

「お疲れさまでしたぁ」

「はい、ご苦労さま」


 副ギルド長に声をかけ、エマとアメリーは事務所に入る。


「エマ、大丈夫? 落ち込んでない?」

「全然。アベラルドさんのゴールド昇格で、むしろすっごく、元気」

「……そうみたいね」


 アメリーがほっとしたように胸をなでおろした。

 隣の席で、アメリーもまたエマのことを心配していたのだ。


「ありがとう、アメリー」


 エマはアメリーを抱きしめた。


「いいのよ」


 アメリーがきつく抱きしめ返してくる。


「あたしたち、同僚である前に、親友だもの」


 たわいのない話をしながら着替え終わり、ふたりは冒険者ギルドの外に出た。

 陽はまだ高い。

 また明日、と挨拶をして別れる。


(今日は父さんも帰ってくるし、気合入れて晩ご飯をつくろうっと)


 今なら市場もまだ空いている。なんなら、お買い得な品物もあるかもしれない。

 目的地を決めてエマが歩き出そうとしたときだった。


「おい! 受付嬢! そこのお前だ、お前!」


 不快な大声がエマを呼び止めた。


「……何でしょうか」


 エマは、ゆっくりと振り返った。

 声の主はレオンに退場させられたスキンヘッドの冒険者。

 エマに向かって大股で近づいてくる。


「お前のせいで恥をかかされたんだぞ。どうしてくれるんだ?」


(距離が、近い。酒くさい。気持ち悪い)


 エマは気づかれないように後ずさる。

 しかしスキンヘッドにとっては、エマが動こうとも動かなくとも、怒りの対象であることに変わりがない。

 見下すようにして、指を差してきた。


「馬鹿にしてきただけじゃなく、恥をかかせるだなんて、女の分際で舐めてんのか!?」


 時々裏返る大声。

 周りの人間はひそひそと話をしながら遠ざかっていく。


(きっとまともな会話なんて成立しない。だけど) 


 ……エマが思い出したのは、アベラルドの姿。

 クリスタルから、シルバー、ゴールドへと変わっていくリング。

 

(あのひとは真摯にクエストと向き合っている。そんな冒険者もいる。だからこそ、馬鹿にされたままじゃだめだ)


 すぅ、とエマは息を吸い込んだ。


「舐めているのは、あなたでしょう」


 反論されると思っていなかったのか、スキンヘッドがわずかに怯んだ。


「クエストと真剣に向き合っている冒険者なら、飲酒した状態でギルドへ来るなんてありえません。自分の力量も測れずに喚き散らしているあなたこそ、冒険者という職業を貶めています」

「……なんだと、てめぇっ……」


 顔を真っ赤にして、スキンヘッドが左の拳を振り上げた。


(殴られる!)


「……っ」


 せめて顔だけは守ろう。エマはとっさに両腕を顔の前に出した。

 しかしいつまで経っても衝撃を受けることはなかった。


 おそるおそるエマは腕を下ろす。

 すると。


「アベラルド、さん」


 スキンヘッドが上げたままの左手首を掴んでいたのは、アベラルドだった。

 アベラルドが無言でスキンヘッドを見下ろす様は、なかなかの迫力がある。


「くそっ! 離せ、離しやがれ」


 スキンヘッドは手を振りほどこうとするが、圧倒的にアベラルドの力が強い。

 そこへ別の、よく通る声が響いた。


「残念だ。せっかく、選択肢を与えてやったというのに」


 辺り一帯の空気がすーっと冷えた。なお、発言主はアベラルドではない。


「こんなことならさっさと資格を剥奪しておけばよかった」


 現れたのは、もはやオネエ言葉も笑顔もやめたレオンだった。

 アベラルドが掴んだままの、スキンヘッドの左手首。レオンはそれをそっと降ろさせ、中指からするりとクリスタルのリングを抜き取った。


「何するんだ、てめぇ! そんなことしていいと思ってるのかよ!」

「勿論」


 レオンはリングをスキンヘッドの顔面へ翳し、そのままぐっと握りしめた。


 ぱりっ、ん……。

 さらさら……。


「う、うそだろ」


(レオンさん!? 握っただけでクリスタルのリングを粉々にするだなんて、どんな握力!?)


 ようやくエマも我に返る。気づけば、冷や汗が背中を伝っていた。


「貴様は冒険者の風上にも置けない。以降はレオン・リッターの名において、冒険者ギルドへ一切の出入りを禁ずる」


 容赦なくレオンが告げる。

 アベラルドが掴んでいた手首を離すと、スキンヘッドはその場に崩れ落ちた。腰を抜かしてしまったのだ。

 その頭上へ向けて、アベラルドが静かに呟いた。


「冒険者にはなれなくても、他の職業で一からやり直すことはできる。やり直す機会があるというのは、幸福なことだ」


 ぱちぱち、とどこからともなく拍手が巻き起こる。

 今のやり取りを眺めていた人々だ。彼らはレオンやアベラルドへの称賛を口にしはじめた。


 へなへな、ぺたん。


 緊張の解けたエマもまた、地面に座り込んでしまう。


「エマちゃん!? 大丈夫!? 」

「こ、腰が抜けちゃい、ました……」


 オネエ言葉に戻ったレオンが駆け寄ってくる。

 

 ふわっ。


 突然、エマは体が地面に浮くのを感じた。


「あらやだ」

「えっ?」


 レオンが目を丸くする。

 気づけばアベラルドがエマのことを抱えていた。しかも、いわゆるお姫さま抱っこというかたちで。


「家まで送ろう。案内してくれないか」

「いやいやいや、大丈夫です! もうちょっとしたら歩いて帰れます。それに」


 今日は父が帰ってくる日なので、と続けようとしたとき。


 どどどどどどどど!


 遠くから地響きが『近づいて』きた。


「エマァァァァァ!」

「父さん!?」


 取り巻きの群衆から飛び出すように現れたのは、1人の男。

 ぽかんとしているアベラルドの前にレオンがすっと立つ。男と向き合うと、胸に右手を当てて丁寧に頭を下げる。


「シュテルクスト様。ご無沙汰しています♪」

「やぁ、レオン君。また一段と腕を上げたみたいだね」

「おかげさまで。でも、まだまだシュテルクスト様には敵いませんわ」


 どこにでもいるような穏やかな雰囲気を纏った、エマによく似た中年男性。

 シュテルクスト・ハイト。エマの父親だ。


 すっとアベラルドがエマを地面に降ろす。


「……君の父上はブラックリングの持ち主なのか」

「すみません。お話ししていませんでしたっけ」


 そこへ、レオンが説明を加えた。


「シュテルクスト様はこの国最強の冒険者。幼い頃から稽古をつけてもらってたの。アタシなんか足元にも及ばない御方よ」


 レオンはエマに近づくと、その両肩に手を置いた。


「だから、エマちゃんは妹みたいな存在なのよ」

「……なるほど」


 何かを納得したかのように、アベラルドは口元へ手を遣った。


「エマ。ほんとうに申し訳なかった。フランクのことを聞いたら、いてもたってもいられなかったよ」

「いいのよ、父さん。これで一生仕事に生きられそうだもの」

「そうか、そうか。父さんはエマが幸せなら何でもかまわないさ!」


 シュテルクストが涙目になる。


「……で。さっきエマのことを抱きかかえていた君は、一体?」

「はじめまして。私はアベラルドといいます」

「隣国の方なの。レオンさんが紹介してくださった冒険者よ」

「ふむ」


 父さん? と、エマが口を開きかけたとき。


「レオン君。それから、アベラルド君とやら。よかったら今晩は我が家へ来ないかい? 私がいない間のエマの話を聞かせてくれないか」

「父さん!? 冒険者3人分のお腹を満たす食材は我が家にはないわよ!?」

「大丈夫。今から皆で市場に行けばいいんだ。料理も皆でやればいい!」

「喜んでお付き合いしますわ、シュテルクスト様。アタシもクエストの話が聞きたいです♪」

「決まりだな! よし、行くぞ! 酒も買い込むぞ!」


(ほ、ほんとうに?)


 どんどん話は進んでいき、あっという間にシュテルクストとレオンの姿は小さくなってしまった。

 エマが若干引いていると、頭上からアベラルドの咳払いが聞こえた。


「私が行って大丈夫なのか?」

「父さんもレオンさんもすっかりその気ですから、よかったらどうぞ」


 微笑みかけてもやはりアベラルドの表情は変わらない。


(だけど、分かってきたかもしれない。眉毛が動くのよね、アベラルドさん。さっきは困ってて、今はちょっと、喜んでる)


 エマはその発見を、心のなかに留めておくことにした。

 しかし隠しきれていなかったようで、アベラルドが首を傾げた。


「――」


 アベラルドの唇がゆっくりと動いて、隣国の言葉を紡いだ。

 聞き取ってしまったエマはぴたりと動きを止めて俯く。


「……あの、アベラルド、さん?」

「何だ」

「わ、わたしの母が隣国出身だという話はしましたよね? つまり、その、隣国の言葉はかんたんなものなら分かるんですが、その……」


 耳まで真っ赤になったエマはしどろもどろ。


「今、なんておっしゃいました?」


 アベラルドの口が半開きになる。

 エマが理解したことは、アベラルドにとっても予想外だったらしい。

 顔を横に向けて手で覆い隠したものの、エマと同じように頬があかく染まっている。


「『レオンと恋仲でなくて安心した』」


「あの、それって、つまり……わたしの勘違いでなければ……その……」


 アベラルドは吹っ切れたように、エマと向き合った。

 夜の光を湛えた瞳がエマを映す。


「エマ。君が好きということだ」


 今度は、この国の言葉で。はっきりと、しっかりと。


(どうしよう。すっごく、うれしい)


 それは形だけの婚約者がいたときには、感じたことのない感情だった。

 エマもまた、じわじわと広がっていくそれを、しっかりと言葉に変える。


「わたしも、アベラルドさんが、好きです」


(これが、恋なんだ)


「ちょっとー、ふたりとも。早くしないと市場が閉まるわよー!?」


 遥か先を行っていたレオンの大声がふたりの耳に届く。

 エマとアベラルドは顔を見合わせた。


「行きましょうか」

「……そうだな」


 そしてふたりは、同じ歩幅でゆっくりと歩き出した。





「おめでとう、アメリー!」

「エマのおかげよ。ありがとう、ほんとうに」


 数日後、冒険者ギルドの更衣室。

 アメリーは、これからフェリックスと『正式な』初デートなのだとエマに告げた。


「美味しいクッキーを作る人間は丁寧な人間だって褒められちゃったの」


 エマが制服から着替えたのは、普段よりも華やかなワンピース。

 大ぶりのイヤリングもよく似合っている。


「練習した甲斐があったわね」

「うん。()だったら、間違いなく玉砕してたから」


 フェイスパウダーをはたき直したアメリーの表情は、一段と明るい。

 それはきっとメイクのせいだけではないのだろう。


「そういうエマは? アベラルドさんと両想いになったんでしょう?」

「アベラルドさんは冒険者だから、街にいることの方が珍しいのよ」


 デートしないのかという問いかけだと解釈して、エマは苦笑いで返す。

 アベラルドは今、紹介したクエストの真っ最中だろう。


「ふーん。また進展したら教えてね?」

「それは、お互いにね」


 着替え終わったふたりは事務所に挨拶する。


「お疲れさまでーす」

「お疲れさまです」

「はい、お疲れ」


 そして先に扉を開けたアメリーが、くるりとエマへ振り向いた。


「エマ。()()()ひとが、待ってるわよ」

「え?」

「じゃあ、また明日!」


 にやりと笑みを浮かべて、アメリーは冒険者ギルドから出て行った。


「珍し……?」


 エマが外に出ると、アベラルドが立っていた。


「先ほど戻ってきた。……迷惑だっただろうか」


 ぼそりと呟くアベラルド。

 エマは、いいえ、と首を横に振った。 


「おかえりなさい」


 会いたかったです。エマはそう付け加える。

 するとアベラルドの眉尻が下がり、口角がわずかに上がった。

 エマが初めて目にする、アベラルドの笑顔。


「ただいま、エマ」



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i836473
― 新着の感想 ―
[気になる点] これからのエマとアベラルドの進展具合が…気になります(笑) [一言] 続きが読みたくなるお話でした!
[良い点] 登場人物の特徴が分かりやすく、読みやすい作品でした。 作品世界として魅力を感じるので続きが見たくなりました。
[良い点] ざまぁがないお話ですが、それでもスッキリしていて良かったです! [一言] 外見的タイプはヒーローなんですが、内面的にはレオンさん推しです! オネェなのに漢前とか、もう大好きです! 是非別で…
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