3.書くという、たったそれだけのこと。
ダンボール箱に無造作に詰め込まれていたのは、数十冊にも及ぶノートだった。子どものころから集めてきたノートが捨てられず、とりあえずこの箱に入れたのだ。
その中で、あるものに目が止まった。たくさんのノートの束だ。これは学生時代の私が、いろいろなことをとにかく一冊にまとめて書いていたもの。やることリストや日記、観た映画に読んだ本といったことのほか、レシートが貼り付けてあったり、冬吾といっしょにやっていたゲームの攻略メモが書いてあったりもした。
なんでも一冊に書く。そのノート術はとても画期的だった。
実家には何千冊もの本があった。子ども用のものもあったけれど、廊下の両脇を囲む本棚の中で私がよく惹かれたのはビジネス書だった。デスクの整理術だったり、時間の使い方、速読の方法。そういったスキルについて書かれたものがとりわけ好きで、小学生のころから読んでいた。
もちろんそのままでは子どもの自分に意味はなく、取り入れられる部分だけに絞ったり、アレンジしたりして生活に組み込んでいた。中でもノートをどうまとめるかというのは今思うと私のライフワークだった。大学生だった当時は、私の取ったノートをコピーしたいとテスト前に追いかけられたり、自宅に押しかけられたりするくらいだった。
大学生になった私は、よく図書館や書店でビジネス書を探した。購入したものの中でも特に印象に残っていたのが『100円ノート「超」メモ術』『情報は1冊のノートにまとめなさい』という二冊だ。
いずれもノート1冊を自分のデータベースとして使っていくもの。このたくさんのノート束は、これらの影響を受けて書いたはずだ。
「――そういえば、大学生のころは、家事ができないなんて思ったこと、なかったなあ」
ふと気がついた。収納家具の中は散らかっていたけれど、いつ誰が来てももてなせるくらいに部屋が綺麗だった。自炊もよくしていた。
ぱらぱらとノートをめくっていて気がつく。
「やることリストを作っていたからなのかもしれない」
ノート作りを続けることができない私だったけれど、この大学ノートの数は二十冊以上にも及んだ。確か半年以上は書き続けていたと思う。
やめたきっかけは就職活動で家を空けるようになったことではなかったか。そうして存在を忘れなければ、今も書き続けていた――? いや、でも困りごともいくつかあった。
一つは、自分が想像以上に“メモ魔”だったということ。日常のいろいろなことを書き綴っていたら、最初のころは1週間も経たずに1冊を使い切ってしまったのだ。記録のできない時期があったり、少しずつ記録する情報を削ぎ落としたことでノートの保ちをよくしたけれど、それでも半年で20冊以上になっている。
また、ノートをかわいくするのに手間がかかっていた。一時期、記録を挫折してしまった理由がそれだった。シンプルなノートだからこそ、表紙が少し寂しい。かわいいものや綺麗なものが好きだった私には、それがどうにも物足りなくて、毎回いろいろな表紙を作っていた。プリンタに布を挟み、コピーして、それを半分に切り、ノートの表側、裏側それぞれに貼り付ける。すると背の部分が空くので、そこをマスキングテープで隠すように覆う。それからナンバーを書き……と、このようにとても手間がかかっていた。元来ものぐさな私は、少し忙しくなると、この手間が億劫になってしまっていたのだ。
とはいえ、ページをめくるたびにドキドキしていくのがわかった。もしかして、ノートに書いたら、昔のように家事ができるようになるんじゃないだろうか。藁にもすがるような、馬鹿馬鹿しい考えだったかもしれない。でも、結果的にはそれが正解だった。
ノートに書いたら、部屋も自分もみるみる変わっていったのだ。
『100円ノート「超」メモ術』(中公 竹義さん著)は、サイトもあります。
http://communication21.biz/100note/
インデックスが本当に素晴らしいです。結果的に違うノート術に行き着いた私ですが、綴じノートを使うときは必ずこのインデックスを使います。
http://365kaji.blog.jp/archives/20200124.html