1.ハッピーエンドのその後に
どうして物語のハッピーエンドは結婚式なのだろう。日常はそのあとも続いていくというのに。
結婚式を挙げたのは、東京から離れた海沿いの街だった。そのまま式場に泊まり、長い時間電車に揺られながら家に着いたのは、翌日の夕方だっただろうか。
ドアを開けるなり、冬吾はむっつりと黙り込んだ。たった一日前は、彼も私も満面の笑顔だったというのに。
そこに広がっていたのは、足の踏み場もないような家だった。冬吾はきっと帰ってきたくなかったに違いない。私だってそうだったのだから。
半年ほど前に、会社を辞めた。新卒で入社してから一年。それが私の限界だった。
人間関係が理由だったから、会社を去ればすべてが変わると思っていた。
ところが、心と体の不調は、ずいぶん遅れてからやってきた。
いや、辞める前から体の調子はよくなかった。でも、それ以上のひどさだった。
いつでもとにかく体がだるくて、少しのことで息切れしたり、気持ちが悪くなったりした。もともとあった偏頭痛も悪化し、そのままにしておくと吐き気と寒気に襲われて寝込んでしまうので、一日に数回薬を飲むくらいだった。
そんな環境の中で、冬吾は社会人になり、私は週に数回の、新しい仕事に就いた。
それからややあって引っ越し、籍を入れ、新しい家族として猫を迎え、結婚式の準備に追われた。
今考えると、非日常が続きすぎたのだと思う。冬吾も私も、静かに疲弊し、言い争いばかりするようになっていった。
冬吾は私の至らなさを責め、私はカッとなって言い返し、一方で彼のいないところでは不甲斐ない自分を呪い続けた。
彼は毎日、くり返し同じことを私に説いた。
「頼むから、10分でもいい。掃除をしてほしい」
「それから今散らかっている、手をつけていない場所を片づけて」
「――小説は書いてるの?」
朝、冬吾を送り出す。さあ、今からがんばろうと毎朝思うのに、体が動かない。
部屋を見渡すとまず目につくのは、昨夜の洗いものだ。調理台の上も散らかっている。朝ごはんを諦め、すとんとソファに腰を下ろし、ぼんやりテレビを眺めながらスマートフォンに目をやる。そうしてなんとなく見ているうちに体がだるくなってきて、気がつくと眠ってしまう。
次に目を覚ましたときには、日がとっぷりと暮れている。
そのときの気持ちは本当に混沌としたものだ。
こんな時間になってしまった、どうしようという焦燥感に、何も進まないことへのいらだち、主婦として失格じゃないかという自己嫌悪。
そうしたものがごちゃごちゃに混ざり合い、絵の具をたくさん洗ったあとの水のような色の感情に支配されていた。
そして、それがさらにやる気を奪っていく。
家事なんて、みんなが当たり前にやっていることじゃないか。子どもがいるわけでもないのに。フルタイムで働いているわけじゃないのに。
冬吾の怒りはもっともで、彼はいつも、私に背を向けて眠るようになった。
今思うと、あのころの私は、やることがありすぎて、何をすればいいのかわからず、途方に暮れていたのだと思う。
引っ越したあとのダンボールも片づかず、狭い部屋の中に山積みになっていたのだから。
それに心がとてつもなく弱っていたのも、たぶん一因だったはずだ。仕事を辞めたことで、張り詰めていた心の糸がぷっつりと切れてしまった。ゼンマイが切れた人形のように。
結局、部屋が片づくまでには2年ほどかかった。
ところが運命とは不思議なもので、あれから何度目かの結婚記念日が過ぎた今、私は家事の本を書いている。