15.やることリストのつくりかた(4)
いらいらしながら帰路についた。
雑務は膨大だ。私には、毎日行う雑務が10個、週に1度行うものが5個、月に1度行うものが5個ある。そのほか、単発で入る雑務も加えると、30種類程度の雑務になる。くり返し行うものは問題がない。困るのはテープ起こしのように、単発で頼まれるものだ。同時に複数の人から頼まれると、時間内に終わらせることはできない。
そのため、以前はふつうに残業をしていたのだが、編集長から定時ぴったりで帰るようにと注意されたのだった。
いらいらしながら、適当にネットニュースを開く。関連リンクを開いて、また別な記事を読み、また違う記事に飛んで――。
最寄り駅まであと三つほどになったときだった。中学時代の同級生から、結婚したと連絡が届いたのは。その人の顔を思い出したとき、ここ数日考えていた、ノート作りの疑問をふと思い起こした。
くり返し書くという作業への嫌悪感。それは、中学生のころの宿題が根本にあるのではないか、と。当時の私は勉強が好きで、自分なりにわかりやすくまとめたノートさえあれば良い成績が取れた。それなのに、日々の宿題が私から勉強する時間を奪っていた。たとえば、同じ漢字を100回ずつ書く宿題。日本史の穴埋め問題100個が書かれた、まったく同じプリントを毎日書き続けるものもあった。
すでに暗記していることなのに、何度も何度も何度も何度も書く。それがどうしてもむだに思えて仕方がなかったのだ。だって、こんな宿題をする時間があれば、今日の授業の復習ノートが作れる。
先生たちはそうすれば一生忘れないといったけれど、今思い出そうとしても、歴史の年号ひとつとっても思い出せない。
さて、そんなわけで、恐怖のくり返し宿題のような嫌悪感が「くり返し書く」という行為にあるのではないだろうか。そう推測した。蓋を開けてみると、本当に個人的でつまらない理由だったのだけれど、生理的に無理な作業だということがわかった。だから、くり返し書くのを苦痛に感じないための工夫ではなく、とにかく書く回数をへらすほうがいいと方向性は定まった。
また、仕事と同じように、頻度の設定をしてみたらどうだろう。
大量の雑務は、もともと頻度が指定されていたものばかりではない。たいていのものは、これくらいの間隔でやれば困らない、と自分で設定したものだ
これを家事にも当てはめてみたら? 確か、以前読んだ本に面白い表現があったような気がする。一週間の曜日それぞれに家事のテーマを決めていく「七色の家事」。これを取り入れてみたらどうだろう。
一度やりたいことが定まったら、早く試したくなって、モミジさんに抱えたいらいらした気持ちもすっかり消えていた。
七色の家事は、中山庸子先生の著書にあったものです。そもそもの私のノート好きの原点も中山先生の本だったと思います。子どものころに出会った『夢ノートのつくりかた』。小学生のころにこの本に出会ったのがきっかけで、いろいろな小さな夢を叶えることができたし、夢探しが上手になったと思います。
今はやりたいことがたくさんあって、時間が足りなくて困っているけれど、子どものころはやりたいことが何にもなくて困っていました。