5.どうして「家事はできて当たり前」なのだろう
「三井さん」
オフィスを出て、コンビニへ向かう途中で声をかけられた。以前勤めていた会社の部長だった。
「仕事のほうは、どうかな」
「すごく良くしてもらってます」
「――それは良かった。仕事がすごく速いって評判を聞いたよ」
私は、胸が熱くなるのを感じた。
家にいると、自分の不甲斐なさに落ち込むばかりだった私にとって、たとえお世辞でも褒めてもらえることはこの上なくうれしかった。
「君が辞めてしまったのは、――僕のせいだったのだろうか?」
ややあって部長は切り出した。
困ったように笑うその表情は、初めて見るものだった。
私は首をぶんぶんと振る。
人間関係に耐えられなくなって、会社を辞めた。
でも、辞める前に「次の行き先」を紹介してくれたのは、他ならぬ部長だった。
「この近所にね、僕の知り合いがやっている、小さな出版社があるんだ。君の能力にも、将来的にやりたいことにもいいんじゃないかと思って。――もしやってみて合わなかったら辞めたっていい。よかったら紹介するよ」
心が疲弊していて、正直なところすぐに働く気にはなれなかった。身体にもさまざまな不調が出ていたから、フルタイムで働くのにも不安があった。
そう告げると部長は、週に3回のアルバイトにしたらどうだろう? と言ってくれた。直接話を持っていってくれたらしく、頻度も条件も、無理のないものにしてもらえた。
はじめての出社も、退職してから1ヵ月後に決まった。
前の会社のことは好きだった。部長をはじめ、尊敬できる人がたくさんいたからだ。たくさんの学びがあった。新人を丁寧に育ててくれる会社だったから、ほかに生きる術がないからとりあえず働こうと入社した私も、がんばっていこうと決意していた。
でも、どんなに素敵な人がいたとしても、一番よく接する人に辛く当たられ続けるのは耐えられなかった。
もともと自分に自信のあるほうではなかったけれど、あの一年間で、私の心はぽっきりと折れていた。
「仕事が速い、か……」
社交辞令だったのかもしれない。でも、これまで働いてきて、できあがったものを送ると驚かれることが多々あった。タイピングが得意だからだと思っていたけれど、もしかすると、仕事の進め方でいろいろと工夫してきたことも大きいのかもしれない。
でも、効率が良いというのなら、どうして私は誰もが当たり前のようにできる家事をできないのだろう。
そう考えてみて、ふと気がついた。そもそも、どうして家事はできて当たり前のことなのだろう?
勉強だって仕事だって、だれかに教えてもらいながら進めていくものだ。もちろん、環境に恵まれている場合だけれど。
でも、家事に関しては違う。家庭での手伝いを通して学び取ったり、自分でわからないことを調べたりするしかない。家庭科の授業で習ったことが役に立った試しもない。
それでいて、できるのが当たり前で、できない人はなにかが欠けている……というような風潮がある気がする。
でも、そもそもできて当たり前のことなんてあるのだろうか。なにも考えずにやってきた。できている人の本を読み漁ったりもした。でも、今できずに困っている私に合うやり方は多くはなかった。
それならば、自分と徹底的に向き合いつつ、仕事をするときのように、工夫をしてみたらどうだろう。
そう気づけたのは、大きな変化だった。
部長については、同じシリーズの前日譚『いつか、東京で見た空』をご覧ください。
このシリーズでは、私の気づきや試行錯誤部分はかなり実話ベースです。ただ、物語としても読めるようにしたかった&誰かを傷つけたり迷惑をかけたりするのはいやだったので、登場人物やそれに関連する出来事については大幅に脚色を入れています。