4.家事ができなかったわけじゃない
使えるペンを発掘してくるのには5分ほどかかった。ローテーブルを陣取る猫を下ろして膝に乗せ、図書館で借りてきた本の束や、それをまとめるためのノートもきちんと揃えて棚に置いた。そして、しっかり準備をした上で、最初の一行を書こうと姿勢を正した。
まずは目についたものから。テーブルの上を片づける。猫のトイレ掃除。床に落ちている服を拾う?
意外なことに、あまり思いつかなかった。だんだん考える作業に疲れてきた私は、過去のノート束で、今の生活でもあるようなタスクをとりあえず書き写してみた。
部屋の片づけ、財布の整理、ごみをまとめる、ごみを捨てる、洗いもの、猫の世話……。
洗いものはすぐに取りかかれた。
すると、驚くことに、さほど時間がかからずに終わってしまった。毎日あんなにも腰が重かったというのに。
やることを書いて、できたらチェックする。たったこれだけのことなのに。空っぽになったシンクはなんだか磨き上げたくなるし、食器をきちんと片づけたら料理もしてみたくなった。
ところが、冷蔵庫を開けてみると、食材がぎゅうぎゅうに詰まっていて、しかもいつ作ったのかわからないような料理の詰まった保存容器もあり、私のやる気は消滅してしまった。
ふたたびソファに座り、ノートを開く。ただ座るだけだと、またいつも通りだ。誘惑に負けてしまう。ノートとペンをセットにして、目につくようにする必要があると感じた。
さっき書き出したリストの「洗いもの」にチェックを入れる。すごく爽快感があった。今まではとにかく憂うつだったものが、一つ片づいた。それが、目に見えてわかった。
次に行なったのは「ごみをまとめる」作業だ。大学生のときは、部屋の各所にあるごみ箱から、ゴミ袋を取り出してきてまとめる作業を指していたもの。今の部屋では、それ以前の問題で足の踏み場がほとんどない。溜まりに溜まったスーパーのレジ袋を出してきて、明らかにごみだとわかるものをぽいぽいと放り込んでいくことにした。
気分が乗らなかったので、高校生のころから使っていたMDプレイヤーで音楽をかけた。いつもより捗ったような気がした。ただし、この作業にはゴールがない。どの時点で「完了」にしていいのかがむずかしかった。後に、この作業は「10分片づけ」「10捨て」などの呼称でやることリストに書かれることになる。
明らかなごみを選別しただけでも、ずいぶん片付いたような気がする。いくつか溜まったゴミ入りの袋を捨てに行こう。チェックリストも埋められるし――と思い、ふと自分の格好を見下ろした。額を前回にしたひっつめのお団子頭に、中学生のころの切りっぱなしのジャージ、高校生のときのクラスTシャツ。こんな格好で、マンション内といえど歩くことはできない。
「ごみを捨てに行く」は後回しにすることにして、玄関に溜めたゴミ袋の山に、今集めてきた数袋を追加した。
今思うと、ごみ出しが面倒だった理由は、この格好にこそあった。その辺に出かけるくらいなら寝間着でも構わないという冬吾とは違い、私は人の目を気にするタイプだったのだ。
自分は家事ができないと思っていたけれど、問題はもっと小さく、無数にあった。
いろいろなところで書いていますが、実は「家事ができない」という問題は、存在しないのかもしれません。
そうじゃなくて「家事をしようという気持ちの切り替えができない」「部屋が散らかっていて何から手をつけていいかわかっていない」「子どもたちの世話で手一杯でなにもできない」みたいな、小さくて気づかないような問題が暮らしの中には無数にあります。この一つひとつに気がつくこと。それが第一歩なのだと今は考えています。
この物語では登場しないのでいくつか紹介すると、ゴミ出し問題を解決するためにこんなことをしてきました。
・部屋着をそのまま外に出られるようなものにする
・ごみの分別表をわかりやすく掲示しておく
・ごみの収集カレンダーをわかりやすく掲示しておく
・ごみの定位置をしっかり決めておく
・ごみ袋の収納を見直す
ほかにもいろいろあったかもしれません。こうした一つひとつの積み重ねで、ずいぶん改善されました。