エピローグ それぞれの空
「観測圏からの離脱を確認。識別コードランページキャット、およびコメットランナー、無事宇宙へ飛び立ちました」
宇宙港の管制室で作業している観測員からの報告を聞くと、同じく管制室に控えていたステップの町の自警団長は片手を上げて合図を出し、そのまま目の前のモニターで通信をしている相手を見直した。
「と言う訳だが、聞こえたか?」
『聞こえた聞こえたありがとよ。しかしすまんね、わざわざ結果まで教えてもらっちまって』
通信機に向かって話し出す団長。そのモニターに映っていたのは、外で暴れていた宇宙船を追い払い、少し前にギルドオフィスに他の傭兵達と帰って来ていたレインだった。
簡単な挨拶をしながらも、軽くだが彼が普段行わない人に対して頭を下げるのを見ると、それだけで彼はレインの胸の内を確認する事が出来た。
「管制はそれが仕事だ、いちいち気にするな」
『いやいやそう言うなよ、本当ありがたく思ってるんだからな。所で話が変わるが、うちの子供たちが今宇宙港に居るはずなんだが、今どうなっているか分からんかな』
「それだったら、傭兵の坊主と一緒にここのモニターの一つを占拠してるぞ」
レインと話をしている団長の視線の先、管制室のオペレートシートの一席に、いま話題に上がった三人の子供たちが集まっていた。
非常事態が解除されてからパーラとプラムはエトに連絡を取ると、彼は今宇宙港の医務室で治療を受けている事を話した。
するとパーラはプラムの腕を引っ張りながら全力で宇宙港を走り、数分後には肩で息をしながら医務室の扉を開けてエトに飛びついていた。
「念のため診てもらっていただけだ」とエトが説明してもパーラは心配し続けており、彼女が落ち着くまで医務室を出ることが出来なかった。
ようやく部屋の外に出たところで、今度はプラムから「船を見ることが出来た?」と質問された。「見たよ」と言った後何か思いついたエトは「映像見るか」とプラムに聞き返し、見せてほしいとせがむ彼女と姉を連れて、エト自身は報告のために自警団の詰め所を訪ね、そして今、エトは自分のインカム映像をモニターにつないで映像を出し、それをプラムに見せていた。
「カタパルトから船が発進する所をオイラが見上げている所。これが一番よく見える映像じゃないかな?」
「へえ、どれどれ……」
「このインカムの映像、辺り一面爆発だらけじゃない!エトちゃんホントに身体大丈夫なの?もう一回ちゃんとお医者さんに診てもらおうよ!?」
「おちつけよパーラ、もう三回も診てもらってるんだからこれ以上行っても意味ねえよ?」
「うーん……、エトのインカムの映像もパッとしないなー。船が飛んでいく所見たかったのにぃ」
「だからそんな状況じゃ無かったって言ったでしょ!いつまでもわがまま言ってんじゃ無いの!」
姉の言葉に頬をぷうと膨らませると、プラムは頭の耳を前に倒しながらエトから変わってコンソールパネルを操作していた。
そんなやり取りを見ていた団長はレインに、下の子は大物になれそうだなどと話していた。
「ま、飽きたら帰るだろうしそれまではゆっくりさせてやりな」
そう言い残すと、トカゲの団長は通信を切った。
アドベンチャラーズギルドのオフィスで彼と話をしていたレインも通信機のスイッチを切ると端末をカウンターに返して、オフィスに併設されているカフェテリアにソーダ水を注文した。
グラスいっぱいに氷が浮かんだ炭酸水が彼の席に到着すると、間髪入れずにその中身を一口含み、口の中を炭酸の刺激に慣らすと、レインはグラスを傾け半分近い量を一気に飲んだ。
歓喜の声にも似た溜息を口から放つと、彼はイスの背もたれに思いきり身体を預け、空を仰いでオフィスの天井を眺めていた。
「肩の荷が一つ下りたって感じかい?」
不意にかけられた声にレインが視線を移すと、先程レインと共にリュウの宇宙船を撃退するチームに加わっていたネコ族の初老の傭兵がレインの隣に立っていた。
近くのイスを手にとって自分の所に寄せると、彼はそのままレインの隣に座りカフェのカウンターにコーヒーを注文した。
声をかけられたレインはしばらく声も出さなかったが、席に届いたコーヒーを初老の傭兵が手に取った時おもむろにその口を開いた。
「肩の荷が下りたって心配事が無くなる訳じゃない。結局親って代物は、一生子供を心配してなきゃいけない仕事なんだよな。それが例え預かり物の子供だとしても」
上を見ている体勢のまま身じろきもせずに声を出すレインを見ながら、初老の傭兵はコーヒーカップに口をつけると静かに中身を飲み、カップを離すと低い声で笑い出した。
「若造が何を偉そうに。そう言うセリフはわし位の歳になってからの方が生きてくるんだ」
生意気な事を言うなといった気持ちが込められた傭兵の言葉を半分聞き流しながらレインが起き上がると、汗をかきはじめたグラスを手に取り残りのソーダ水をゆっくり飲み出した。
惑星トラメイはそろそろ昼になる、そんな時間帯の出来事だった。
少年は幼いころ青い空が好きだった。その一方では暗い星空には恐怖を感じており幼い時は嫌いだった。
いつの頃だかからその星空に夢やあこがれを抱く様になり、青空とは別の感情を持って好きになった時、いつかこの空まで飛び出したいと思っていた。
十六歳になった今日、少年は自分を広い世界へ連れ出した少女と共に青空を抜けて星の海へとやって来た。
パペットのコックピットの中で、ロックは身に纏っていたアーマーをチェイサーに戻すと、チェイサーの座席に座ってモニターから外の景色を眺めていた。
空気の無い真空空間では星の瞬きはほとんど見る事が出来ないため、暗い深淵がぽっかりと穴を開けて全ての物を飲み込み先へと行かせない様なイメージを与えたが、ロックにはそれが自分の心を震わせる特別な物に見えていた。
「これが宇宙か……」
ただ一言、その一言だけで心の中で感じたロックの様々な思いが全て表わされている、そういった思いが込められた声だった。
「ロック、ロック聞こえる?ロックー、生きてるんでしょ、なんとか言いなさいよ?」
「全く。人が浸っているんだ。お前さ、もう少し気のきいたセリフって出てこないの?」
スピーカーから聞こえてきたリカルの声で現実に引き戻されたロック。
その時の返事の声に不機嫌さが混ざっているのを感じて少しムッと来たリカルは、ロックの言葉に少し考えてから再び返事をした。
「じゃ、船に戻ったらご飯にする?お風呂にする?それともアタシにする?」
「ちょ、おま……」
それがお前の中で一番気のきいたセリフなの?と声を出そうとしたロックだったが真面目につきあう事もバカバカしかったので、牽制をするつもりで冗談を言ってみた。
「それじゃリカルって言ったらどうなるんだ?」
ロックの言葉に一瞬反応が無くなったリカルだが、顔に薄い笑いを浮かべると意味ありげな声を作ってロックに答える。
「その言葉本当なら、すごい事してあげるわよ。忘れられない位にね」
「……やっぱりメシでいい」
自分はこの手のやり取りに弱いな、そう考えながらリカルに返事をするとロックはコックピットのコンソールを操作し始め、そのままリカルに質問をした。
「そっちの機体の様子はどう?オレの機体は空間用の調整なしで飛び出したから、やっぱり良く無いな。装甲もさっきの無茶で第一装甲板が溶けたし、その影響で機動力も落ちたから真っ直ぐ飛ぶ事位しか出来ねえや」
「こっちも似たようなものね。まあでもロックのパペットよりはマシな状態、ロック達を乗せたままでも飛べるわよ。でもそんなに心配しなくても、シャインウェーブに連絡入れたら拾いに来てくれるってさ」
いつの間に彼女が通信を入れていたのか分からなかったが、「そうか」と一言リカルに声をかけるとロックは通信を切り、何やらコックピットの中でごそごそと動きだした。
「リープ、悪いけどアレやってくれ」
しばらくして用意が出来たらしいロックがリープに声をかけると、リープは一瞬意味を確認するために沈黙で間を置き、コックピットの中のロックの姿をモニタリングしてようやく何をしたいのか理解すると、コックピットの中の空気を少しずつ抜いて真空状態を作っていった。
空気が抜けて行く音を聞きながら、ロックは左の手首、APRとは反対側に付けている素粒子皮膜型の宇宙服の装置を確認していた。
素粒子を固着させて身体に纏わせるこの宇宙服は、当然その名の通り完璧な気密性を持っており、宇宙で活動する事など造作も無い事だった。
しかしいくら実験を行い、一度は宇宙服を装着して海中に潜った事もしたが、地面から掘り出した宇宙船に積まれていた機器である以上万が一の事態もあり得る。それを思えばさすがのロックも緊張を隠せなかった。
コックピット内の空気が完全に無くなり内部照明が警告灯に切り替わる。
コンソールを操作してハッチを開けると、ロックは命綱を付けてパペットから外に飛び出した。
ゆっくり息を吸い込むと息苦しさを感じないので宇宙服が大丈夫なのを確認出来て安心した。
海中に潜った時は、深海に引きずり込む重力の影響があったため上下の区別がまだついたが、今はコックピットから出る時に身体を押し出した方向にゆっくり、何の抵抗も無く漂うだけで上下の感覚はまるで無く、これが本当の”地に足が付かない状態”ってやつだなと大して面白くも無い事をわくわくしている感情を隠せない表情で考えていた。
命綱に引っ張られて前進する身体が止められる。
ここで初めてロックは自分の周りの景色を見る。眼前には漆黒の宇宙空間が視界の端いっぱいに広がっており、右端にはトラメイに3つある月のうち一番大きな月が見える。
遠くに見える一際強い光を放つ二つの光源がモルコース星系の二連太陽。
そして視線をずらして眼下を見下ろすと、球体一面に広がっている青い海とその上に浮かんでいる一つだけの大陸の惑星、ロックの故郷もある惑星トラメイがそこにあった。
初めて生で見る自分が住んでいた星。自分が見る前から様々な人間がこの光景を目にしており、自分の相棒も自分より先にこれを見ている事は知っているが、ロックはそんな事で羨望や嫉妬の感情を抱く事は無かった。
彼は人の体験を聞く事の大切さを知っているが、それ以上に自分がそれを行ったという事実の方がより自分のためになる事を知っていた。
だから今は自分がこの場所に来てこの光景を見る事が出来た事に対して、その心を躍らせていた。
星を見ながらふわふわ漂っていると、急に目の前に黒光りする物体が飛び込んできた。
驚いたロックがとっさに両腕を伸ばして物体に触れ衝突を防ぎ、飛び込んできた物を見直すと、それはリカルの戦闘機だった。
いつの間にか流されていた事に今更ながら気が付くと、ロックはリカルが何をしているか気になりコックピットに近づいてみた。
両手と両足を使って、初めての宇宙空間にもかかわらずそれなりの身のこなしで戦闘機の表面を伝い、機体のキャノピー越しにコックピットを覗き込むと、たび重なる激戦から解放されたリカルがくつろいでいる姿が見えた。
インカムを頭から外してセミロングの髪を下ろし、インナー上部のファスナーをおろして胸部を少し解放すると、手であおいでそこに風を送り込み、火照った身体を冷まそうとしていた。
そうして一息ついたリカルが閉じていた目を開くと、キャノピーを挟んでこちらを見ているロックと目があった。
たまたま覗いてみたらこんな場面に遭遇した。話としては他愛も無いものだが、当事者たちはそうはいかない。
服の裾をつまんでいた手を離すとリカルはロックを見つめたまま空いた手で頭から外したインカムを掴み取るとマイクを口元まで持ってきた。
「このムッツリネコ」
「見たくて見た訳じゃねえよ!」
聞こえてきた声に怒鳴り返したロックだが、覗き込んだ時一瞬、リカルの服の隙間に目が行っていたため思った以上に声が大きくなっていた。
もっともリカルはインカムをきちんと装備していなかったため、声の大小は気にならなかった。
しかしロックがどんな態度を取ろうと、リカルは言っておきたかった一言があったので言葉を続けた。
「やっぱりアタシにする?」
「黙ってろ色ぼけライオン!」
そう言うとロックは戦闘機の装甲を思いきり蹴りつけシッポを大きく一振りすると、ランページに向かって飛んでいった。
それを見ていたリカルは無言で目を細めるとインカムを空に放り出し、座席のシートを倒すとその場に寝転んだ。
リカルが投げたインカムは彼女の目の前の空間でゆっくりと回りながら浮かんでおり、リカルは浮かんでいるインカムの後ろ、キャノピー越しに遠くに見えるロックの姿を見ていた。
表情は分からないが初めての宇宙を体験している彼は心から今を楽しんでいる、リカルはロックからはその想いが見える様な気がした。
この後船が迎えに来るまでの数十分、二人は一言も言葉を出さずにただ宇宙を見つめていた。少女は戦闘機の中で寝転がりながら、少年は宇宙空間にその身を躍らせながら。二人とも、ただ無言で。
「修理状況は?」
「ステルスの修理完了、現在展開を開始。これより他の部署の修理に入ります」
照明を落として薄暗くしている船内のブリッジ、艦長席の机に足を無造作に放り出しながら、リュウはブリッジにいる他のクルー達に先程の戦闘で損傷した船の修理状況を確認した。
ロックとの戦闘に負け、彼らが宇宙へ飛び出したのと同時刻、すでに追いかけれない事を悟ったリュウは惨敗したチームの機体から動かせる物だけを運ぶと、あらかじめ指定しておいた地点で船と合流した。
「買い付けに行ってた連中帰って来た。作業班へスケジュールを回します」
「頼む。ハク達の様子はどうだ?」
『パイロットチームの三人、これから修理作業に入ります』
「しっかり治してやってくれよ」
このほか大小の船の運営や修理指示を各部署に連絡して回ると、リュウは背もたれに身体を預け各部署から回ってくる報告書に目を通していた。
報告書の中には備考欄も含まれているが、その中のほとんどに『無茶をしすぎた結果がこれだ』といった内容の文章が書かれているので、リュウとしては苦笑いをするしかなかった。
「おやおや、散々に言われまくってますね」
シートの周りに散乱している報告書を拾い上げるメタルパーソン。
他のクルー達と同じ量産型のボディをしているが、アクセサリーとして身に付けているバイザーグラスとキャプテンハットが他のクルーとの違いであった。
この二つのアクセサリーは航行用のデータ処理と航路の安全をすぐに計算出来る外部取り付け用の演算装置で、船の安全を預かる船長であるならぜひとも装備しておきたい物である。
「流石に今回はマイナスが大きいですから、文句が出てもしょうがないでしょうね」
「今回は熱くなりすぎた、反省している。ったく、まさかサイフ一つでここまで負けと損害出すとは思わなかったぜ」
そう言うとリュウはズボンのポケットに入れていたサイフを取り出し、苦々しい表情でそれを見つめ出した。ロックからすりとったサイフには大した額の金が入っていなかった。
しかも気が付けば自分のサイフが抜き取られていた。そんな事が出来る相手にケンカを売った事がそもそも間違いだと言えばそこまでだが、やられたらやり返すのが自分の流儀とばかりに相手の所に乗り込んでいって、その結果負けた。機嫌が悪くなるのも当然の事だった。
「とにかく今回の事に懲りたら、しばらくは真っ当な仕事を探して損失分を取り戻す事を考えないといけませんよ」
「オート、その位の事はお前に言われなくても分かってる。とにかく船とパペットの修理費を稼ぐから仕事を探しておいてくれ」
船とパペットの修理費用の見積もりを見ながらリュウは低い唸り声を立てて頭をガシガシと掻きむしると、この船の操舵長であるメタルパーソンに指示を出す。
了解の合図を出すとオートは自分の機能を使ってネットワークにログインすると、仕事情報を集め出す。
ややあってから彼が現実に復帰すると、そのままリュウの腰かけている船長席のモニターに情報を掲示し始めた。
「とりあえず五個見つけましたから、中身を確認して引き受けるか決めて下さい」
オートの言葉を聞いて、リュウは持っていた書類をまとめて机の上に置くと、腕と長い耳を大きく上にあげて身体を伸ばしてからモニターに目を移す。
内容を確認しようとした時、不意に何かを思い出したかのような表情を作ると目線を上げて正面を見た。
「おっとそうだ。いい奴も悪い奴も、みんなは俺の真似しちゃダメだぜ」
指を立ててどことも分からない方を見ながら大声で喋るリュウをブリッジの乗組員たちが振りかえり見ると、全員何事も無かったかのようにまたそれぞれの仕事に戻っていった。
「何で頭はいつもあのセリフ言わなきゃ気が済まないんだろうな?」
「キメ台詞にしたいんだろ。でもせめて人前で行ってほしいもんだけど」
リュウのこの言葉、普段から言っているらしい事が乗組員たちの会話で明らかになる。
リュウ自身も特に反応を待っている訳ではないらしく、声を出した後はそのまま何をするでもなく下を向いてモニターの文字を追いかける作業に戻っていった。
それを離れた所から見ていたオートは、ただ頷いて一言も口を開かなかった。
こうしてロックは、自分の足跡を広めるための第一歩になる宇宙への進出を果たした。
一つの惑星で繰り広げられた冒険達に別れを告げ、彼の冒険は少女と仲間たちと共に遺産への新たな局面を迎える事になる。
彼らの目の前に何が立ちふさがるか、この冒険はどこに繋がっていくのか、今のロック達にそれを知る事は出来ないが、それだからこそ彼はこの先に待っているであろう出来事にその心を躍らせていた。
目の前に広がる宇宙を見たときと同じように。少年少女たちの冒険、新たなステージへと昇っていく。
「あ、そうだ忘れるとこだった。ロック!」
「どしたリカル。なんかあった?」
「今日誕生日なんだってね。Happybirthday ToYou!」
「ああー……Thanks」