9th ACTION 傷
展示室に戻ってきた五人はプレートの収められているケースの前に再びやってきた。
ロック達はコーラルに先程したのと同じようにケースを持ち上げてもらう。
するとケースが一瞬淡く光ったかと思うと、コーラルは何をやっても持ち上がらなかったケースをいとも簡単に持ち上げる事が出来た。
リカルはケースの中のプレートに手を伸ばすとむんずと掴み取る。
その隣でコーラルは、試練を達成させた証としての品物を持ち帰るため、隣のケースを開けていた。
それぞれ目的の物を手にして、五人は遺跡を後にする。
入り口の空洞の長い階段を上って行って外に出ると、出発する時高い位置に上っていた太陽は今、水平線と口付けをかわしていた。
もういくらかもしてしまえば完全に海の彼方に太陽が沈んでしまうほどの時間を、彼らは遺跡の中で過ごしていた事になる。
遺跡から帰って来た彼らをまず迎えたのはチャンジャだった。
偶然出てきた所に居合わせた態度では無かったので、彼らが出てくるのをずっと待っていたようだった。
どうだったかと首尾を聞いてきたチャンジャに、リカルとコーラルは同時に腕を突きだすとその手を開いて、自分達が持ち帰って来た物を見せる。
それを見たチャンジャは一つ大きく頷くと、コーラルについてくるよう伝え、ロックとリカルには自分の家で待っている様に言ってからコーラルを連れて歩き出した。
置いてきぼりにされた二人はとりあえずチャンジャの家に歩いていき、中に入っていった。シャワーを借りようと家の奥に入っていったロックは浴槽のドアノブに手をかけると、同時にリカルの手もそのドアノブにかかった。
「……何、お前もかよ?」
「うん」
「……どっちが先よ?」
「こういう時に譲ってくれると男の株が上がるわよ。それとも一緒に入る?」
「……うーん?お前がいいならそれでもいいけど」
「あら本当?アタシは全然オッケーよ!」
疲れで判断力が鈍っていたロックの言葉にリカルが嬉しそうに答える。
急にトーンの変わった彼女の声にロックの頭も少し刺激される。
何か変った事でも言ったかそのまま少し思考を巡らせると、脊髄反射的にとんでもない事を口走った事に気が付き、ロックは先に入っていいぞとリカルに一言言い残すと、顔を赤くしながら一人足早に家の外に出ていった。
そして残されたリカルは、残念といった表情で今しがたロックが通って行ったドアを見て、すぐに浴室の中に入っていった。
家の外に出たロックは、踏切をつけて飛び跳ね家の屋根の上に飛び乗ると、そのまま屋根に腰をおろし、取りだしたキセルにハーブを詰めると携帯していた種火で火を点けハーブを吸い出した。
一階建ての屋根の上は大して高いというわけでもないが、この島の家はほとんど全て一階建てで、さらに島には盛り上がった部分も無いため、この屋根の上からでも十分景色を楽しむことは出来た。
ぱたん、ぱたんとシッポの先端を小さく動かし屋根を叩きながら特に何かを考えるわけでもなく、ボーっとしながら水平線を見つめハーブを吸っていると、ふと視線を感じたのでその方向を見てみる。
そこにはシャチ族の子供が数人、下からロックの事を見上げていた。
キセルを口から離すと、ロックは子供達に笑顔を見せると小さく手を振る。
すると子供達も笑顔になって大きく手を振って応える。
子供の一人が行こうと言うと、口々にロックに「さようなら」と言ってどこかに走っていく。
子供たちの走り去っていく方を見ながら、ロックは自分が面倒を見ていた村の子供たちの事を考えていた。
みんな元気で暮らしているか、自分がいなくなっても平和だろうか。
色々な事を考えて、最後に頭を数回振って考えるのを止めた。
村を出てまだ数日しか経っていないし、自分で村を出たのだから今更心配してもしょうがない事で、しかしそれでも自分が守ってきたものだからどうしても気になってしまう。
全くどうしようも無いなと思いながら、ロックはハーブの煙を一息、強く吸い込んだ。
「ロック。次いいわよ」
下から聞こえたリカルの声で立ち上がると、携帯灰皿にハーブの吸い殻を捨て、ロックは屋根の上から地面に直接飛びおり家の中に入っていった。
ロックが家に入ってすぐにチャンジャが帰って来た。
彼を出迎えたのは、風呂上がりの髪をブラシで梳かしているリカルだった。
彼女は下に着ていたインナースーツとスパッツだけで居間の座布団に座っており、ジャケットとホットパンツは自分の後ろに畳んで置いていた。
「あ、お帰りなさい。遠慮なく使わせてもらっていますよ」
「おうよ悪かったな。ん、ロックはどうした?」
ロックの居場所をチャンジャに聞かれると、リカルは部屋の奥を親指で指さした。
そちらの方から聞こえてきたシャワーの音を聞いて納得したチャンジャは部屋の隅の戸棚からラム酒とソーダ水、二本のボトルとグラスを三つ持ってくると、リカルと向かい合うように座布団の上に座った。
彼はグラスの中にラム酒を注ぐとそれにソーダ水を少し混ぜ、そのまま自分で中身に口を付け、リカルにもグラスとボトルを差し出す。
「ま、とにかくお目当ての物が手に入って良かったな。こっちも失敗続きで駄々をこねてた孫をやっと一人前に出来たし、まあおいら達そろって万々歳ってところだなぁ」
「なーにが万々歳よ。最初からアタシ達を利用しようとしていたくせに」
差し出されたボトルを手にして、ソーダ水に少しだけラム酒を混ぜた薄いソーダ割りをグラスの中に作ると、リカルは一気に中身を飲みほした。
喉に潤いを与えると、彼女は目の前の老人を睨むように見つめて、幾分声のトーンを変えて話を始めた。
「何だよ急に。おいら何かしたかな?」
「プレートを入れていたケースは、試練を攻略して資格を受けた人間にしか開けられない様になっていた。つまりあなたの孫が証を手に入れられない以上アタシらは目的を達成する事が出来なかった。初めに見た時は分からなかったけど、先に試練を済ませた時、試験官らしいアナウンスがケースを開けるにはこれが必要みたいな事を言っていたから間違いないでしょ」
リカルの言葉を聞きながら、チャンジャは黙ってグラスを傾け、グラスの中身を喉へと流し込んでいく。
リカルはソーダ水だけを空になったグラスに入れ直すと、一口含んで話を続けた。
「失敗続きのお孫さんを合格させる方法を考えてた時にアタシらが来て、話を聞いた時に利用しようと考えたんでしょ。でもそれだったら一言ぐらい相談してくれてもいいと思うんだけどな。ロックも怒っていたわよ、おじいさんにいい様に利用されたって」
「それがなんでい!こっちは奴より倍以上生きてるんだ、そうそうガキにこっちの考えの斜め上に行かれてたまるかよってんだ!大体奴は人に頼まれて遺跡に潜る様なガキじゃねえから、奴が自分から入るように仕向けて手伝わせるにゃこの方法しかねえんだい!」
「なるほどね、ロックが良い顔しない訳がわかったわ。悪いおじいさんね」
詫びれる事無くいけしゃあしゃあと言いのけたチャンジャをあきれた表情で見ながらリカルはグラスの中身のソーダ水をちびちびと飲みだした。
それを聞いたチャンジャは苦笑いをしながら、懐の中から何かを取り出してリカルの前にそっと差し出した。
「悪党みたいに言うなよ、人聞きの悪い。そう思うからこそ、おいらからもお前さん達に謝礼の品を持ってきたのに」
「お礼の品物?まあもらえるならありがたく頂くけど、つまらないものじゃないでしょうね」
「実は何にするか迷ってな。だからとりあえず誰でも喜ぶような物にしようってんでそれにした」
少し意味を含めた言い回しに首をかしげながら、リカルは彼から貰った封筒の中身を確認した。
中には深い青色をした円形のプレートが五、六枚入っていた。
これはこの世界の通貨であり、プレートの色と大きさで価値が変わる。
この色のプレート一枚で、普通の暮らしをしている人が半月は何もしないで食べていける位の価値を持っていた。
さすがのリカルもこのプレートはめったにお目にかからない代物で、目を少し見開くとすぐに視線をチャンジャの方に戻した。
「驚いた。確かに誰でも喜ぶだろうけど、まさか現金をそのままくれるなんてね、しかもこんなに。これって相場の金額以上じゃない」
「まあ色々世話になったからな、それも含めて少し多めに入れといたわ」
「そう言うなら貰っておくけど、それにしたって多いわね?」
「そりゃ、いろーんな分がその金の中に混ざっているからな。例えば口止め料とか、例えば謝罪の気持ちとか」
突然聞こえてきた声に二人が振り向くと、そこにはロックが意地の悪い笑顔で腕組みをしながら立っていた。
風呂上がりの彼は、下はいつものジーンズをはいているが、上の方はタオルを首から掛けているだけで全く服を着ていない状態だった。
「全く相変わらず食えねえとっつぁんだぜ。子供に難しい使いを吹っかけるんだから」
「は、使いの出来ねえガキって年でもなし、ちったぁ年寄りに協力しろってんだよ!」
「そうよロック。こうしてお小遣いも貰ったんだから文句言わないの」
「にしても何て格好してんだぁ、年頃の嬢ちゃんがいるってのに上真裸で出てくるなんてよ」
「言いたい放題言いやがって。ちょっと悪いけどとっつぁん、背中を見てくれねえか」
「背中、どうかしたんか?」
「シャワー浴びてたら、水に血が混ざってきてさ。自分で見える所に傷は無いから後は後ろの方かと思って」
そう言いながらロックはチャンジャの隣に腰を下ろして彼に背中を向けた。
チャンジャはロックの背中に手を乗せると、彼の身体を覆っているやや短めの体毛をよけながら地肌を念入りに見てみた。
「背中の怪我って、さっきガーディアンの攻撃を受けた所?傷負ったままあれだけ戦えたの?」
「直接の原因はその攻撃だろうけど、怪我の方は違うな。おそらく……」
「おう、ここだな。古傷が開いて血が少し出てる。大事にはならんだろうけど、一応医者を呼んできてやらあ、ちぃっとそのままで待っていろ。あ、後お前は酒飲むなよ、血ぃ止まりにくくなるからな」
ロックの背中をポンと軽くはたくとチャンジャはゆったりとした動作で立ち上がり、そのまま外に向かって歩いていった。
ロックはタオルを一枚広げると背中からそれを羽織り、そんな二人のやり取りを見ていたリカルは身体をロックの方に向き直すと、グラスに口を付けながら彼の身体を見ていた。
「やっぱり傷口が開いちまったのか。ゴメンな、見苦しいもの見せる様な事して」
「別に見苦しいってほどの物じゃないから気にしないし、それに格好がラフなのはお互い様じゃない」
「そう言ってもらえりゃありがたいね。しかしそのインナーって随分変わったアジャスターなんだな、ジャケットのせいで気付かなかったぜ」
彼女のインナーアーマーは、胸元に胸の辺りまで開くファスナーが付いているが、身体の脇や胴周り、肩の近くや腕の内側など様々な部分に色々な長さのファスナーが付いている。この各部分のファスナーを締める事で、装着者はアーマーのサイズとフィットを自分で調節する作りとなっていた。
今のリカルは全ての部分のファスナーをほぼ全開に開いており、開かれている部分からは彼女のくすんだ金色をした毛並みが、その姿を覗かせていた。
「ちょっと変な目で見ないでよ、ロックったらこんなのが好きなの?意外とエッチなんだから」
両腕で身体の前を隠しながら、妖しい笑顔でロックに話すリカル。
彼は一瞬キョトンとするが、その言葉にみるみる顔を赤らめていく。
「馬鹿野郎、気になっただけで下心なんざ一つも持ってねえよ。て言うかお前だって人の裸じろじろと見てるじゃん。何、そんなに珍しいか?」
「まあ、珍しいと言われれば珍しいわね。全身にいろんな種類の傷がある身体だなんて」
先程までの笑顔から表情を少し引き締めると、リカルは改めてロックの身体に視線を移してから彼の言葉に答える。
ロックはその言葉を聞いて納得したのか軽く頷き、そして羽織っていたタオルをゆっくりと脱ぎ捨てた。
「ま、確かに普通のガキがフツーに生活していれば、体中こんなに傷が付く事は無いもんニャ」
ロックの顔には右の頬に、刀による大きな切り傷の痕がついているが、顔から下の身体の方には毛並みでも隠せないほどの深い傷が、少なくとも十以上はついていた。
その傷の種類もリカルが言うように様々な物であり、刃物による切り傷から鋭い爪によるひっかき傷、青アザになっている打撃痕や鋭い牙にかみつかれた痕、更には銃創といった具合になっており、それらの傷もかなり古いものからごく最近出来た物まで、およそ普通の生き方をしている人間の身体つきでは無かった。
「ガキの頃から冒険者になるって言っては、いろんな人に稽古付けてもらっていたし、ダンジョンとかにも潜っていたし、村の守人していた時に村を襲ってきた盗賊と戦った時のヤツもあるな」
自分の傷を得意げにというわけでもなく、ロックは淡々とそれら全部をひっくるめた感じでリカルに話して聞かせた。
彼女も神妙な面持ちでその話を聞きながら、ロックの身体を改めてみていた。
が、不意にリカルがロックに少し近づくと、表情を変える事無く彼に問いかけてきた。
「ねえロック、少し触ってみてもいいかな?」
「何だ興味あるのか、こんなもんに?触るのは別にいいけど」
ロックから許しを得るとリカルは席を立ってロックの後ろに回り込み、彼の背中の傷跡を指でゆっくりとなぞり始めた。
少しくすぐったさを感じていたが、我慢できないほどの物では無かったのでロックは黙ってリカルに背中を預けていた。
「やっぱり凄いわね、小さなものから大きくて深いものまで色々。アタシも結構場数を踏んで来たしいろんなハンターを見て来たけど、アンタほどのを見た事はちょっとないわ」
「自分でもそう思う。でも生きてりゃケガ位するし、心も身体も傷つかないで生きていくなんてありえない。傷つかない生き方なんてものはどこにも無いから、傷や痛みってのは生きている証だよな」
リカルの言葉に相変わらず、淡々とした調子で返しながら、ロックは空いているグラスにボトルの中のソーダ水を入れると、出ていたお茶を混ぜて飲み始めた。
そして彼の背中に手を置いていたリカルは、少し思いつめた様な表情をした後、ロックの背中に自分の顔をうずめた。
突然背中に重さを感じたロックが振り向くと、目の前に彼女の金色の髪が飛び込んできた。
背中に顔を密着され、ロックも流石にこれには驚いたのか、うわっと、思わず声を上げていた。
「ちょっと、どうしたんだよいきなり。そんなにくっつかれちゃ恥ずかしいよ」
「あ、ゴメン。何て言うかさ、男の人の背中だなって思ったら、ついね」
なんだそりゃ、と尋ねてくるロックの言葉を聞いて、リカルは背中に埋めていた顔を上げると、正面からロックの目をじっと見つめて、彼の背中をなでながら口を開いた。
「こんなに傷つきながら、誰かのため、自分のために前に進み続けて、そしてまた傷ついていく。男らしい生き方だと思うけど」
「買いかぶりすぎだ。大半は仕様が無くやってた事の結果だし、古傷にしたって治す前に新しい傷がつくもんだからしっかり治すのが面倒になっただけ。第一、誰かにその事を誇らしげに話す様な趣味は持ってねえからな」
ここまで話すとロックは床に置いてあるグラスを持つと、グラスに残っている中身をゆっくりと飲みだした。
「身体の傷にしろ心の傷にしろ、誰にだって言いたくない事の一つや二つはあるだろ。オレはすき好んでそういう重い話を聞く気はないし、人に話す気にもなれない。リカルにだってあるだろ、人に言いたくない傷跡が」
傷の話題を振られた時、リカルは急にロックから離れるとそのままその場に座り込んだ。
彼女が自分から離れた事を知ったロックも、身体の向きを変えて彼女の方に向き直る。
彼女は足を崩したまま座っており、こわばった表情をしたまま左手で自分の首筋をさすっていた。
彼女の首には、少女の身体にはあまりつり合わないデザインをした革製のチョーカーが巻かれており、ロックも一度そのチョーカーについてリカルに言ってみたが、彼女はあまり表情を変えずに好きでしてるから気にしないでと言っていたのを思い出した。
彼女の態度からあまり話して良い話題じゃ無かった事を悟ったロックだが、聞き手だった彼がいきなり別の話題を出すのも難しくどうしようかと考えて、とりあえず考えがまとまると、ロックはリカルの頭に手の平を優しくポンと置いた。
「ま、あれば偉いってわけじゃねえし、そんなに気にするものじゃないよ。オレも数が多いもんだから、どれがどの分だったかなんてもうきちんと覚えてねえからな」
そう言ってから、ハハハとロックは声を出して笑いだした。
笑いながらリカルを見ると、彼女の態度はまだどこか強ばっていたが、頭に乗っているロックの手を取ると、彼の顔を見て小さく微笑み、それを見たロックと一緒に二人で笑いだした。
「なんつーか、おめえら二人ホントに仲が良いよな。見てるこっちが恥ずかしくなりそうだわ」
「……いやだから誤解ですから、って、ああもうどうでもいいや。頼みますからそんなに見ないでくれます?」
二人が笑っていた所に入って来たチャンジャの、あきれた様な第一声を聞いたロックはそれに異議を唱えようとしたが、隣のリカルの、ガラが悪いと思われるほどに思いきりつり上がった目と強く振られているシッポを見て、機嫌を損ねるのも得ではないと思った彼は、半ばやけになって話を打ち切った。
そしてロックは、チャンジャが連れてきた医者にケガの治療を受け、リカルはロックの代わりにチャンジャと話を初め、ロックの治療が終わったのは太陽が水平線に半分沈んだ頃だった。