聖夜
冬のリゾート地で出会ったアレンを、捕らえたまま翻弄しているのはどう言う積もりだ?!と、追求するつもりで声を掛けたラルフだったが、感覚に齟齬が有る事も事実だった。
改めて見るアウルの美しさに、アレンの執着に納得できる気にも成った。だが、自分の真意が、恋愛そのものだけでは無いこともまた、事実だった。
冬のモンブランはリゾートに徹していて、あらゆる欲望に燃えたあらゆる階層、あらゆる人種が右往左往している所だと言えよう。
彼の人とはスキー場のロッジで出会った。留学中のソルボンヌから学友と共に訪れて居るという。
話そのままに聞くつもりは無かったが、学生の屈託の無い様子は好ましいものだった。
一緒に居た1つ上とやらの美女は、シェネリンデの文官の娘だったか…妙だと思った事を覚えていた。
彼女は彼の人に好意を寄せて見えるのに、彼の人の反応は、気の毒に成るほど友人の域を出ていない。
美人でおっとりと見えて、ソルボンヌの主席を取った才媛でも有るという彼女に、何の不足が有ると言うのだろうと。
何日か後、何処かに出かけて帰りの道すがら、ふと目をやった路地の奥に、地廻りのシンジケートのチンピラが2人。袋小路の奥を向いて通路を塞ぐように立っている。
獲物を囲って迎えを待って居るのだろう…よもやあんな奴等にカモにはされまいがと不安が過って見ていると、連絡を受けたかで、1人が動いた。
隙間から垣間見えた若い男が、泥酔しているのか、薬でも盛られたか、身動きもしない様子で積み上げられたガラクタの上に座っている。
間違い無い。思ったときには車を降りていた。どうするか…金でかたが付かねば…怪我をするのは馬鹿らしい。
「旦那…」
留めようとする奴を無視して通りかけると、凄んで見せる。そいつの鼻先へ携帯を押し付ける様にして、スピーカーの音声を聞かせると両脇に別れて大人しくなった。
「何を飲ませた?!」
「何も、パブで潰れてたんで」
肩に担ぐと、なるほど、酒だけの様だった。
「世話になった」
酒代を握らせるとそそくさと離れていく。車の近くまで行くと運転手が驚いて降りてきた。
後席に放り込んで助手席に着いた。
「お屋敷にやって良うございますか?!」
それでも良いが…。
「オテルミルテへやってくれ」
地下の通用口から支配人の手を借りてペントハウス直通のエレベーターに乗り込んだ。
靴と上着だけを脱がせてベッドの中に放り込むと、書き置きを残して帰途に就いた。
これが彼の人との…シェネリンデの大伯爵家の総領アレン・フランス・カーライツとの出会いだった。
我ながら混んだ手を使うと失笑が漏れた。
馬鹿が、墓穴を掘るとはこの事だった。
これがきっかけで現在に至って居るのだからな。
「奴は来ると言ったぞ。俺が奴を苛んだと知れば、俺を如何するんだろうな?!」
此方に微笑みを向けている映像の恋人に、ここから先自分が取るべき態度を確認しているのだ。夕べの俺からすると釈明の余地の無い行動を起こしかねない。
聖夜を家族の元で過ごすために帰郷した恋人は、今夜の自体を知らない。俺の元へ、牙を隠してやって来よう奴にしても、事の顛末を漏らすことなど有り得ないのだろう。例えどの様な事態になろうとも…だが。
当の俺は知っている。知りながら自分を誤魔化す程愚かに成らない積もりなのだが…。
聖夜とて、樅ノ木には飾り付けが施され、客人を迎えるべく其れなりの支度が整っていた。何時もの俺の好みに沿った幾つかのオードブルと、ワイン。ここの所共に過ごす事が多かったからだろう、これと言って指示をしなかったテーブルの上には、ここには居ない恋人の好みも反映している。
今夜の演出としては失笑を誘う。
これから俺がどんな狂態を演じる事に成るのか、或いは痴態を晒すのか。本音は震えが来るほど恐ろしい。
自分が隠し仰せて居る本心を、晒け出されそうな予感がしている。
急死した先代に代わって、わずか6歳で、兄を抱えて家を立て、老獪な政敵をも忠臣と共に退けた切れ者だった。その優しげな姿からは現実との間に余りな解離が有った。
加えて奴には、本音だけしか存在せず、画策も欺瞞すら何も無い。既に喉元まで迫られている俺にも、自分を隠す余地など無くなるのだ。
やはり声を掛けるべきでは無かっ…
「…様?!…お客様がお付きで御座います」
ノックに気付いて居なかった。
伺いを立てて居るのに応えてやらねば、取り次ぐ執事は延々と待ち続ける。それが判っていながら喉がひりついて声が出ない。通常と余りに違う俺の対応に、何事かと、老執事がもう一度扉を叩く。
入室の許可を与えねば成らない所を、俺が直接ドアを開けた事で、今夜の客が俺の根幹を揺るがす相手と悟った様で、新たな緊張が彼の身内を支配したのが知れた。
不躾に客を顧みる事はしないが、改めて、する事はないかとその目が俺に問うた。
「…お通しして…お前達はもう下がって良い。後は俺が良い様にする」
なおも一旦開きかけた口を止む無く閉じ、慇懃に控えたまま客の後ろで扉を閉じた。
扉の前で佇む彼は、執事の緊張も館の者達の異様な様子も、全てを感じ取って居るのだろうに、流石に生まれながらの王族と言う奴は、自分の中の感情を気取らせもしない。微かに執事の消えた扉に気をやるのが伺えた。
神気が立ち上るとはこの事だろう。
今日も彼のいでたちは何処かの夜会の帰りなのか、抜けられぬ相手との観劇だったのか、昨夜と同じ夜の正装だった。
女性のドレスの邪魔をせぬように、白と黒とで構成されたスワローテイルと言うやつは、簡素で完全な作りから、身に付ける者の価値を完璧に炙り出す。
着用に人手がかかり、着熟すと言うのとは少し違うが、そのすらりと伸びやかな四肢が、望みに能う限りの真珠の肌が、厚すぎも、薄すぎも、朱すぎもせぬ唇が、しっくりと、描かれた燕尾服を着た肖像画そのものになってそこに存在していた。
扉に気をやって、視線を落としたそのままに、余計な肉の乗らないすっきりとした項が、好奇心と情欲をそそる。
白と黒とがぴたりと包み隠して居る彼の秘密を、性急に剥ぎ取って解き明かしたい欲求に駆られていた。
この時気づくべきだったのだ。これ程の好奇心をかき立てられたのは、かの恋人に出会った時以来だったと。
間の抜けた話だと、今思うと溜息が出る。
お読み頂き有難うございました。
「銀の鍵」では、アレンとの出逢いの部分は書いていなかったのですが、こう言う経緯でした。実は、話はこのシーンから出て来て、次に、燕尾服の夜会の部分が出て来ました。
私の話のインスピレーションの出方は何時もこんな風なんです。
ヘンかしら?!