恋仇
大学から祖国に戻ったアウルを待ち構えていたのは、アレンの恋人ラルフだった。別れを告げて終わってしまったはずの恋に何の文句が有るのだと、つい、挑発にのってしまう。
結末は?!
オックスフォードをこの夏で終えて、帰国した。
開放的な他国の環境から、母国に戻ると、殊更に自分を取り巻く環境が味気なく、陰鬱に感じられた。
恋の夢を見ていたのだから醒めた現実が味気ないのは当然の事だったが、その恋すら逃げを打つ為のまやかしで有った。
気づかぬふりでごまそうと画策したが、相手が悪かった。
私も彼も、歯止めの効かない程にのめり込んでいて、奇妙に片隅が冷えていた。互いに求める者と向き合わねば満たされることが無いのを、自覚していたからだった。
今更に、私をこの世に留め置いてくれる唯一の相手を、これ程に愛してしまわねば良かったのに…
手の届かぬ所へ去ってしまわれれば、諦めがつくものだと思っていた。望みうる限りの理想的な相手の元へならばと。
問題は私だけだ。
この身をどの様に始末するべきか思案しながらも、リントをその人の敵対者として残して逝く事への危惧が有った。その人が政治家として表舞台に立たねば成らなくなるのも時間の問題だった。
その人の父が引退の年齢に達して久しいからだったが、私が作った政敵であるリントを、このまま残して逝けば、その人はリントを叩く所から始め無ければならない。
私の知っているその人では、老獪な狸に丸め込まれて終わないとは限らない。
顔出しが義務づけられたホワイト・タイの夜会で、ご婦人方に捕まっていた。
「閣下。ご卒業おめでとうございます」
「オックスフォードの賢いお嬢様方はお気に召しまして?!浮かないお顔は残していらしたお相手を思ってかしら?!」
「これは、大使夫人。…とても貴女ほどには、味気ないものです」
「まぁぁ…どうしましょう?!」
当たらずとも遠からずだった。そんな顔をしているのだろうか?!。艶然と、口元の黒子を揺らしながら、彼女が取り巻きと共に笑いさざめく。
こうしてみても評判に違わぬ社交界の花だ。
悪くは無い。だが、とりとめの無い話に辟易として、意識が揺蕩う。
首筋にチリリと視線が刺さる気がして振り返る。
敵対心を秘めた執拗な眼差し。
探り当てた視線の主がいた。
ルドゥワルド・ラルフ・エリュウデ・ダ・ストラダ。
東を陰で統括する「黒の公爵」
私や、かの人と血の上で関わりが無いとも言えない。
最も、欧州の王家は政略結婚の果てに、殆どが何処かで繋がって居たから珍しい話では無いのだが。
かと言って、彼に此方からかかわる気も毛頭無い、顔を見るのも煩わしい、と、踵を返して立ち去りかけた。
「逃げるのか?!」
言い放つのに、振り返り見たその顔は、意外な顔だった。それが、瞬時に見慣れたと言うか、黒の公爵と異名を取る何時ものイメージに塗り替えられていた。
瞑目の後、傍を通ったウエイターのトレイからフルートグラスを2つ取ると、此方へ歩いてくる。
かっしりと逞しい体軀に、艶やかな黒髪が引き締まった貌を、更に精悍にしている。
鷹を連想させる佇まいに反して銀の瞳は烟るように暖かい。非の打ち所のない美丈夫。
誰有ろう、望むべくも無いかの人の相手とは、彼の事だった。これ以上考えていると、じきに怒鳴る羽目に陥りそうで、一刻も早くこの場を逃れるべく、平静を装って切り出した。
「逃げるとは?!何から?!」
やはりおかしい。彼にしても自分を装う術と方法を叩き込まれて育った部類だろうに、抑えても抑えきれない怒りと、憤りが噴出してしまっている。少し挑発してみるか…
「何が可笑しい?!」
微かに口の端を上げて見せただけなのに、この怒号はどうしたことだろう?!これでは彼の心情が私とさして変わらないように見える。
この反応の根拠が理解できない。
「…失敬した。これを」
言いながらグラスを差し出した。その顔には明らかに焦燥が浮かんでいる。何故?!
「…流石に美しいな。蒼の貴公子と呼ばれる由縁。君から蒼い焰が迸って来るようだった」
「公。1つ提案したいが、受けてくれるか?!」
「関わりたくないと…関わるべきでは無いと立ち去りかけたのだが?!」
「ああ。私もそう思って居たのだ」
私と同じく、現状をきちんと理解していて、お互いの意思も意図も承知していて、この事態を避け得なかったとすれば、彼らの関わりが私故に阻害されて居るという事だった。
…何故?!
「明日の夜…私の西の屋敷まで御足労願おう」
覚悟を決めて踏み出したのが知れた。
そうしなければならない理由が何なのかは私にも知る必要が有るのだろう。
「明日の夜。必ず」
応えて終っていた。
…幾度も思い切る折は有ったはずだった。
なのにその都度後ろ髪を引かれ、今もまた。
これからの国の先行きに、思うとおりに事が運んだなら、第一の障害と成るはずの相手に、どう考えても、プライベートでも最大の弱点を掴まれて終う危険を、敢えて犯して終おうとしていた。
己のみならず、私の破滅はシェネリンデの現国王マルグレーヴの治世にも影響を及ぼすことは必至だった。
我が兄にして、善良なる統治者。今日まで私をこの世に留め置いてくれた縁でも有る彼を害してまでとは…。
思惑とは違って、明日、何かもにケリが付くかも知れなかった。
私に成す術は無いが。
唯一の救いは、ラルフがかの人を真実愛して居るという事だった。
私に代わってかの人を護ってくれることを願うばかりだ。
お読み頂き有難うございました。
遂に、最後の連載に突入しました。
「レイトン・カレッジ」、「銀の鍵」
「金の封鎖」「秘められた紫」へと続きます。お分かりかと思いますが、「銀の鍵」の最後で出て来た「リエージェ」は代替わりしたレオノールです。
ラルフは彼のリエージェとしての最初の客と言うわけでした。たはは…