第六話 襲来、超ハイテンションアッパー系宇宙人
八月四日。
シオンとの共同生活、三日目の朝が来た。
あの後、夕飯も食わずにソファで寝てしまった俺は、朝の七時ごろになってシオンに起こされた。
話を聞く限り彼女は昨日も眠らなかったようだが、今日はちゃんと貸したTシャツを着てくれている。
……下はノーパンだったが、ぶかぶかのシャツで危険な部分はちゃんと隠れていたのでまあセーフとしておこう。
なにせ中身を観測されない限りシオンがノーパンであるかは誰にも分からない。つまりはノーパンである事は確定しないのだ。
これぞシュレディンガーのパンツ。
「朝からアホの極みみたいな言葉すぎる……やっぱ疲れてんのか、俺……」
昨日あんな事があった事もあり、今日のバイトは休みを貰う事にした。
店長に断りの連絡を入れた俺は、今はシオンと二人でソファに腰掛け、だらだらとテレビを眺めている。
休みの日は朝飯を取らずに昼飯と一緒に済ませてしまう派なので、洗濯機さえ回してしまえばこの時間はとくにする事がない。
最初はテレビを珍しがって猫のように超至近距離で画面と睨めっこをしていたシオンだったが、三十分も続けて飽きが回ってきたのか今は静かに俺の隣に腰掛けてぽけーっと無防備に半口を開けて虚空を眺めたり、家の中をフラフラ歩きまわってまた定位置に戻ったりを繰り返していた。だいぶ自由。
そして相変わらず何を考えているのかはよく分からない。
『――「おりひめ二号」の打ち上げまであと六日と迫った夏本番の種子島は、ご覧の通り例年以上の凄まじい熱気に包まれています。見てくださいこの人の数! ロケットの打ち上げを一目見ようと集まった観光客たち、そしてそんな観光客たちに種子島の夏を楽しんで貰おうとする島の方々の色とりどりの屋台によって、西之表市商店街は早くもお祭り当日のような空気に染まっています。実際、ロケット打ち上げの前日には前夜祭という形で夏祭りも開催される予定で、夏祭り当日からロケット打ち上げまではさらなる混雑が予想されています。……それでですね、どうしてここまで人が集まっているのかと言いますと――なんと! 今回の打ち上げは来年の七月に予定されている有人月面着陸計画「たなばた計画」の予行演習となる有人機を利用した無人試験飛行となっているのです! 国家を挙げての一大プロジェクトという事もあり、世界的な注目度も非常に高い「おりひめ二号」の打ち上げについて、JAXA鹿児島宇宙センター所長の佐久間空充さんにお話を伺ってみたいと思い――』
時刻が変わり番組も切り替わったのだろう。
CM明けに流れてきた聞き慣れた地方局の女子アナの口からあまり聞きたくない単語がいくつか飛び出してきた辺りで、俺はテレビの電源を切った。
途端、雑音さえも消え去り降ってきて静寂に、なるべく考えないようにしていた現状へと再度意識が向かってしまう。
「……」
「……、」
同じソファに座る俺とシオン。二人の間に空いた微妙な距離は、シオンが隣に腰掛けてから俺が空けた距離だ。わざわざスペースを空けておいたのに肌が触れ合うような至近に座ってきたシオンのせいで、大きく横にずれた俺の尻は三分の一がソファから飛び出してしまっていた。
……何というか、自分の家のリビングで座っているのに気疲れする。妙な緊張感が俺の中に居座っていて、完全にリラックスする事を許してくれない。
でも、それも仕方ない事かもしれない。
なにせ、星空と海の見えるあの崖でシオンと遭遇して以来、こうして同じ空間で同じ時間をまともに共有するのは、これが初めての事なのだから。
「……なあ」
少しの躊躇を経て、俺は隣に座る彼女の方を見もせずにそう声を掛けていた。
シオンがこちらを振り向いた気配を左頬に感じつつ、俺は気怠そうに灯りの消えたテレビに視線をやったまま話を続ける。
何の映像も映っていない黒い画面には、ぬぼっとした顔の俺と俺の横顔を見つめる美しい少女の姿が入り込んでいて、まるでこの現実が画面の向こうの出来事のように錯覚してしまいそうになる。
「俺とお前は、……その、何だ。一週間、同じ家で暮らす訳だろ」
正確には今日を含めてあと五日間が彼女にとってのリミットで、俺にとってのゴールだ。
「大丈夫。ちゃんと把握している。コーイチとの一週間のお試し夫婦生活。目指せ、そのままお持ち帰り。れっつ、うぇでいんぐ」
……お試し夫婦生活。なんか、ダイエットの通販番組みたいな響きだな。今すぐクーリングオフしていいですか? ダメですか。ダメですよね。
「……まあ、何でもいいか。とにかく、俺達は一週間限定の家族……みたいなモンだろ」
自分で自分の言葉に照れ臭くなる地獄っぷりに死にたくなる。
というか、あれだけシオンとの共同生活を嫌がっていたのに、急にどうしたと思われるような豹変ぶりだというのは自分でも分かっているのだ。
ただ、昨日の一件を経て、俺も少し冷静になって、落ち着いて今回の件について考える事が出来た。シオンの存在と向き合おうと思えた。先の言葉はその結果だ。
……改めて言うが、俺は非日常が嫌いだ。
特別も特例も例外も、聖剣も魔法も超能力も欲しくない。
俺にとって、シオンは平穏を脅かす侵略者も同然であり、同時にモノクロの世界をも喚起させる受け入れがたい存在だ。その事実は揺るがない。
しかし、だからと言って彼女を拒絶しその存在を否定し続けているだけでは、きっとこの一週間は誰にとっても不幸な時間になってしまうだろう。
俺としてもそれは本意じゃない。
トラブルもなく平和に一週間が終わるならそれに越したことはないと考えるのは当然の事だ。
だから、『星喰い』シオンが俺の日常に混入した異物だと言うのならば、彼女という存在に歩み寄る事で、異物だったシオンを退屈な日常の中に落とし込んでしまえばいい。
非日常の象徴である彼女を家族という日常の枠内に迎え入れる事で、俺はそれを達成しようと思ったのだ。
『星喰い』を自称する少女とどう一週間を過ごすべきか、これが俺なりに考えて出した一つの結論であり精いっぱいの妥協案だった。
……そう、だからこれは決して――モノクロの世界の彼女と目の前の彼女とを重ねている訳ではない――はずだ。
「だから、昨日みたいな事が起きないよう、一緒に暮らす上で色々と決まりを作るべきだと俺は思うんだよ」
「決まり?」
「ああ、そうだ。お前が俺の家に居座る以上、守って貰う約束ごとってトコだ。もちろん、俺もその決まりは守る」
「約束……人が、誰かと交わす、大切な決まりごと。守るべき誓約……」
ぎゅっと縋るように掌を握る気配があった。
大切な贈り物を嚙み締めるような儚げな囁きが少女から零れる。
聞いているだけで切なくなって、胸が締め付けられるようなその声色に、俺はわざとらしく苦笑した。
そうしなければ泣いてしまう、何故かそんな予感があったのだ。
「大袈裟なヤツだな。別に、そんな大したモノじゃねえよ。ただ、どうせ同じ一週間を過ごすんなら、お互い気持ちよく普通に過ごしたいだろ? 昨日みたいなトラブルはもうごめんだしな。だからこれから決めるのは共同生活する上でのルールだな。部活の部則とか、学校の校則とか……って、この例えじゃ伝わらないか――」
頭を掻きながら今更のようにシオンの方に向き直る。すると、思っていたより近い位置に彼女の小さな顔があった。
俺の顔を覗き込むまん丸くて大きな黒目の中には引き攣った表情を浮かべる俺がいて、心臓が止まりそうになる。
……勘弁してくれ。音もなく距離を詰めるなよ。アサシンか、お前は。
「――た、例えば、そうだな……『星喰い』としての力を人前で使わない、とか」
ソファからずり落ちる限界まで後ずさりながらやや上ずった声で一つ目の約束を告げると、シオンは思ったより真剣な表情で頷いている。
その真面目そのものな態度に、一人心拍数を上げる俺の心臓の方も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「それから……周りの人間に自分の正体を知られないようにする、とかも必要だよな」
一つ目とやや被っているが、感覚にズレのある彼女の場合、これくらい丁寧に条件を伝えてやった方がいいだろう。
これに関しては、彼女や俺の身の安全を守る事にも繋がる大切な事だ。
「後は……そうだな。なあ、お前からは何かないのか」
三つ目を考えながら俺がそう尋ねると、シオンは意外そうに目を見開いてこちらを見て、
「わたし……?」
「ああ。共同生活のルールなんだ、俺だけで決めるなんてのもおかしな話だろ。一人じゃアイデアにだって限界があるしな。ほら、なんかないのかよ」
自分もアイデアを出していいとは思っていなかったのか、急に意見を求められたシオンは少しだけ焦った様子でキョロキョロとあっちこっちに視線をやっている。
必死に考えを巡らせているんだろうが、なんというか挙動不審で、マイペースさを崩さない彼女らしくないと思った。
「え、あ……う。――わ、わたしは約束をしたことがない。から、うまく考えられるか……分からない」
「別にそんなの気にしねえよ、言うだけ言ってみればいいだろ」
「けど……」
「いつもの図々しさはどうしたんだ? 頭のおかしな内容だったら速攻で却下してやるから、遠慮せず言えって」
俺がここまで言ってもシオンはしばしの間逡巡するような様子を見せた。
表情も、心なしかいつもより不安に沈んでいるように見える。
それは、俺が彼女と出会ってから初めて目にする、彼女の人間めいた感情の揺らぎだったかも知れない。
「じゃあ……」
そしてシオンは、遠慮がちに口を開いた。
まるで、――のように。
「……出来るだけ、一緒にいて欲しい。私と」
俺の袖口をちょこんと握る小さな手は、少しだけ震えていた。
「もう、独りは。いやだ」
☆ ☆ ☆ ☆
結局、それからの話し合いで共同生活を送る上でのルールがいくつか決められた。
『星喰いの力を人前で使わないこと』
『周りの人に正体を知られないようにすること』
『期間中、なるべく一緒に過ごし、出かける時は行き先を告げること』
『家事は二人で協力してやること』
『大事なことは相談して決めること』
『決められた約束を守ること』
現時点で六つ。これから実際に暮していく中で約束事は増えるかもしれないが、とりあえずはこれでやっていこうと思う。
「コーイチ、それは?」
戸棚を漁り油性マジックとコピー用紙を手にテーブルについた俺の元にシオンがすっと無言で寄ってきて、そんな事を尋ねてきたので、
「紙とペン」
咄嗟に紙を身体で隠しながらからかい半分、照れ隠し半分でそんな適当な事を言った。
何をしているのかを答えるのは簡単だったが、自分の行動があまりにもお約束的過ぎて自ら言葉にするとなると途端に恥ずかしくなってきたからだ。
そして、やはりというか当然というか、俺の適当な答えがシオンには不満だったらしい。
ほんの少しだけ、黒くて大きなまあるい目を細めて、
「む。それはわたしも知っている」
「おお、そりゃすげえ。よく知ってたなー、偉い偉い」
感情の全くこもっていない棒読みと共に、適当に頭を撫でてみる。
今度は気持ちよさそうに目を細め、鼻高々にご満悦のご様子。うーん、チョロいなコイツ。やっぱり犬か?
シオンは、無表情の中にどこか得意げな態度を滲ませて、
「当然。コーイチはわたしを何だと思っているか?」
「なにって、宇宙人だろ」
「残念、ハズレだ。わたしのような存在を人は幼妻と呼ぶ」
「残念なのはお前の頭、外れてるのはお前の感性だ。誰一人として呼ばねえよ」
どちらかと言うと、お前みたいなヤツが呼ばれるとしたら押しかけ女房とかそんな感じだ。
「む。じゃあ宇宙人を何だと思っているか?」
「想像してたよりアホだなーと現在進行形で思ってる。少なくとも目の前の個体に関しては」
「むぅ」
ていうか何だよ、宇宙人を何だと思っているかって。質問の主語がクソでか過ぎる。
軽口の応酬をする間もペンを紙面に走らせ続けていた俺がちらりと視線を横にやると、シオンは相変わらず感情の読めない表情で俺を見ていた。
烏羽色の髪の流れの奥に佇む少女の眉は、動かざること山の如しを体現して微動だにしない。
さっきの動揺が嘘のようだ。
これじゃあ怒ってるのか困ってるのか呆れてるのかも分からない。
「……む。というか、そもそもわたしはそういう話がしたかったのではない」
どうやら本題を思い出してしまったらしい。
話を逸らすのもこの辺りが限度のようだ。
「コーイチは紙とペンを用いて何をしているか、という事が聞きたかった。けれど、どうやらわたしの言葉が足りなかったらしい、反省。そして、再度の解答、つまりは二度手間を取らせる事を謝罪する」
自分の質問が悪かったと、ぺこりと律儀に頭を下げるシオン。
俺としては軽いからかいのつもりだったんだが、ここまで純粋な反応をされると凄まじく申し訳ない気持ちになってくる。
何というか、ツッコミ待ちのボケが滑った挙句、相手を泣かせてしまったみたいな地獄っぷり。空気の読めないタイプの喋るコミュ障が陥りがちの地獄である。
この場合、悪気の有無に関わらず相手を傷つけた側の有罪判決となるのは確定的に明らかだ。
くだらない意地を張って女の子に頭を下げさせる男がアウトかセーフかなど、一々考えるまでもないだろう。
……まあ、宇宙人のシオンを女の子と言っていいかどうかについては、議論の余地があるかもしれないが、その辺りは結構デリケートな問題な気がするので触れぬが吉。
「あー、いや。今のはだな……」
俺は居心地の悪さに頭の後ろを掻きながら、シオンに先のやり取りについて謝ろうとして、
「それで、その婚姻届にいつわたしは判子を捺せばいい? 準備は出来てる、もーまんたい」
「いや問題しかねえし心も身体も準備不足過ぎるわ怖ええよ」
顔をあげたシオンの勢いある言葉の力に、喉まで出かかった謝罪が全部引っ込んだ。
……俺が何やってるか分かんないんじゃなかったのかよ。答えてもない疑問が勝手に解消された挙句、今度は俺の頭が疑問符でいっぱいになったんだが?
あと、そういうのは当事者二人の問題なので、一方的に話を進められても準備が出来てるとは言わないと思います。
「……チッ」
「……コイツ、滅茶苦茶言った挙句に舌打ちしやがった」
「? 何のことかわからない。わたしは可憐で清楚な乙女……のはず。なので、今のは投げキッスの練習の音。チュッ♡」
「あー、うん。既に音が全然違うな」
てか、投げキッス言うくらいなら表情筋を使え表情筋を。俺はどんな感情で能面投げキッスを見ていればいいんだ。虚無か。
「む。さっきのはアレ、バージョンが違う。対象を鏖殺する際に用いるわたしの専用必殺技」
「投げキッスの殺意が高過ぎるんだよなぁ」
せめて悩殺にしてくれ。通常攻撃が全体攻撃で即死攻撃の女の子とかどんな生体兵器だ。いや宇宙人だったわこいつ。割と実行出来そうで困る。
と、作業をしながらそんな風にシオンとくだらない軽口を叩き合っていると、来客を告げるインタホーンの音が割り込みを掛けてきた。
……翔のヤツ、準備が出来たらまた来ると言っていたがいくら何でも朝早すぎる。
まだ八時過ぎだぞ。どれだけ気合い入ってるんだ。
てか、連打すんじゃねえよ気付いてるっつの。
「あー、分かった、分かったから。今回は無視なんてしねーよ」
楽しげなリズムを刻んで鳴り響く呼び出し音にうんざりしつつドアを開けると、そこには見慣れた幼馴染の顔が――ではなく茶色のポニーテールが揺れていた。
「せんぱい後輩こーはい先輩こんちはーっす! 先輩がバイトを当日キャンセルだなんてよっぽどの事があったのだなと思い、長瀬商店の看板娘ことこの長瀬彩夏が遊びにもとい可愛い後輩の様子を見に来てあげ――」
瞬間、ドンッ! と響く快音。
俺は全力で、ほぼ反射的に、家が壊れるくらいの勢いで玄関のドアを閉めていた。
「……」
俺は何も見なかった。何も見なかったんだ。跳ねるように揺れる茶色のポニーテールも、元気いっぱいな太眉も、ブレザーを元気いっぱいに押し上げる暴力的な二つの塊も、健康的な太腿も何もかもが幻想妄想夢の類に決まっている。
宇宙人よりも宇宙人的なあの生命体はここにはいない……よし、オールオッケー大丈夫。すべて世は事も無し。
待って全然大丈夫じゃない。
「コーイチ、来客ではないのか?」
リビングから顔を覗かせたシオンが声を掛けてくるが、今はそれに応じている余裕もない。
いやホント頼むからちょっと待ってくれ。現実を、状況を整理する時間を下さい、神様。
――確かに、扉の向こう側に居たのは見慣れた顔ではある。ある意味幼馴染だと言えるだろう相手。
だが何故だ。どうしてよりにもよって翔を待っていたこのタイミングでバイト先の店主の娘――長瀬彩夏がやってくる?
と、俺がどうにか処理落ち寸前の脳みそを再起動させようとしていると、扉がドンドンと叩かれ始めた。凄まじい威力と連打である。超うるさい。近所迷惑だ。
……コイツ、全力のグーで人ん家の扉を殴ってやがる!?
「ちょ、こーはい先輩ーっ!? いきなり締め出すって酷くないですかー? 私とせんぱい後輩の仲じゃん仲じゃんーっ! 入れてくださいよーうわーんっっ!!」
ついには扉を叩きながら泣き出す始末。必死さが一方的に別れ話を告げられたメンヘラ女並みなんだが? 俺達、別に付き合ってませんよね?
俺は、仕方なく少しだけ扉を開けて、その隙間から上半身だけを出すような形になって、
「……あー、悪い彩夏。今朝はちょっと腹が痛くてだな……」
「はいそれ嘘ですねー、嘘嘘嘘! だって私、今扉の隙間から見ちゃいましたもん!」
めちゃくちゃ得意げにそんな報告をしてくる彩夏。
一瞬前まで泣き叫んでたのはどこいった。
こいつの感情の切り替わりにはやっぱりついていけない。ふり幅が大きすぎるというのもあるが、負の極致から一瞬で正の最大にまで上げてくるえぐい緩急が常人には理解不能なのだ。
ともかく、この超ハイテンションアッパー系宇宙人を超ダウナー系マイペース宇宙人に邂逅させるのはマズイ実にマズイ絶対にマズイ。多少強引でも何とか誤魔化して今日の所は帰って頂かなければ……。
「つうかお前、バイトはどうしたんだよ。お前が店ほっぽり出したら親父さん一人になっちまうだろ」
「そんな事知りません。どうでもいいです」
「お前、仮にも看板娘だよな?」
そんな冷たい声で言わないであげて。親父さんお前の事大好きだから泣くぞマジで。
「やだな、冗談ですよ。上段斬り!」
叫んだ彩夏は宣言通りに上段より手刀で斬りかかってきた。はぁ? 何だコイツっ。
咄嗟に反応して空いていた右腕で手刀を受け止めると、彩夏はそんな俺の対応に、強敵を認めるかのように口端を吊り上げた。
そのまま俺ごとドアをこじ開けるように力を加えてくる。いや、何なのコレ。
「なんでお前は唐突に手刀を繰り出す!?」
「ノリです!」
「店をほっぽり出したのは?」
「ノリです!」
腕同士で鍔迫り合いを続けたまま叫ぶ彩夏に勘弁してくれという感想しか湧いてこない。
「……と、言うのも冗談で。本当はせんぱい後輩がズル休みしたので私も私の独断でもってお店を休業日にしただけです。何も問題ありません」
「少なくとも娘に甘すぎる店主は問題だと思うぞ」
親父さん……自由かよ。いや、アンタが娘大好きなことは知っていたけど、まさかここまでとは。もうちょい真面目にやってほしかった、主に俺の為にも。
そしてそれはノリで店を休みにしたのと同じなのではないだろうか。
「そんな事より! 私にとってはこーはい先輩のお家の中の事が重要なのであって――」
「――あー、何の事だか分からないなー。う、いたた。腹がまた急に痛く……悪い彩夏、俺はまた長く孤独な戦いに赴かなければならなそうだ……今日のとこは一旦帰って――」
「先輩! 家の中で可愛い女の子飼ってるでしょー?」
「いやお前言い方!」
馬鹿でかい声で何を言っちゃってくれてんだコイツ!?
「まったくもう。後輩くんはいつからロリコン先輩にジョブチェンジしてしまったんですかー? 私はそんな先輩の将来が不安ですよー」
「そんな不名誉な職業についた覚えはねえよ。てか、店にいる時以外は先輩で呼び方で統一しろって言ってんだろ頭がこんがらがるから!」
俺は彩夏の通っている高校の先輩であり、同時にバイト先では彩夏の後輩でもある。
だからこそのこーはい先輩、もしくはせんぱい後輩呼び――という事らしいのだが、ややこしくて面倒なだけなので本当に辞めて欲しい。
「先輩の呼び方なんて心底どうでもいいです! そんな事より私にもカワイ子ちゃんを拝ませてください。そして満遍なく触らせてください!」
「ちょっとは下心を隠せロリコンを擬態しろ!」
俺がシオンと彩夏との接触を避けたかった理由その一。
……そう、この超ハイテンション系アッパー宇宙人こと長瀬彩夏は小さくて可愛い女の子に目がないのである。
コイツをシオンに接触させるのは絶対にマズイと俺の本能が告げている。
「とにかく却下だロリコン後輩。危険だと分かっているのにみすみす接触させられるか」
シオンの存在に勘付かれた時点で痛恨のミスではあるが、コイツを家に上げさえしなければまだ何とか――
「ふっふっふー、いいんですかそんな事言って。お家にあげてくれないなら、先輩がロリを攫って監禁陵辱していること、ウチで勝手に記事にして島中にばら撒いちゃいますよー?」
――……、なりそうにないですね、はい。
シオンと彩夏の接触を避けたかった理由その二。
この後輩、我らが母校種子島中央高校が誇る新聞部の部員なのだ。
種子島中央の新聞部は活動の一環としてタウン誌を発行しており、そこにあることないこと書かれると社会的に俺が死ぬ。
翔の時と同じだ、詰んでるわ、コレ。
こうして迫真の鍔迫り合いは彩夏に軍配があがり、先輩で後輩な素敵ポニーテールの脅しに屈した俺は、社会的地位の死守と引き換えにシオンを生贄に捧げたのである。
もうなるようになれ。アーメン。