第二話 それでも日常は回る
目が覚めるとそこには知らない天井があった――などというアブダクション的展開が訪れる事もなく、目を覚ました俺を待っていたのは自室のベッドの上から見上げるいつも通りの天井だった。
「む。コーイチ、ようやく起きたか」
「……ああ」
起床一番、耳を打ったのは俺の名を呼ぶ少女の声。
反射的に声の方へと視線を向けてみれば、視界に飛び込んでくるのはベッド脇にぽつんと佇むパンツ一丁の少女の姿だった。
これまでの日常からは到底考えられないような異次元の状況に、俺は眉間を手で押さえながら呻くような声を上げていた。
これまでの話が全て今朝見た夢の話か俺の妄想の類だったならばB級映画の見過ぎでは? と苦笑したくなる所なのだが――現実は無情。裸女は確かな質感を持って目の前に依然として裸で存在している。
肌色一色のこの光景は、童貞の妄想力が生み出したえっちな夢的なモノではないようだ。
「……お前、なんでここにいんだよ。俺の部屋だぞ、ここ」
寝起きの頭で何とかそんな言葉を渇き切った喉奥から絞り出して、俺は目元を擦りながら確認するように周囲を見渡す。
実家の二階にある俺の部屋の広さは五畳ほど。一人部屋としては十分すぎる広さの空間にはベッドと勉強机の他に、島を出る際に残していった漫画類が散乱する本棚、衣類を入れる箪笥、ゲーム機と繋がったおさがりのブラウン管テレビなどが鎮座している。
小学生の頃に父に頼んで取り付けて貰った古いエアコンは効きが悪く、部屋には淀んだ夏の熱気が我が物顔で居座っており、まだ朝だというのにどんより暑い。
父親は出張続きで家を空ける事が多く、夏場は新しいエアコンがあるリビングのソファで寝る事が多いのだが、昨日は彼女にリビングを使わせるつもりだったので、わざわざ寝苦しい自室で寝たのだ。
最悪の状況――つまりは疲れ切っていた俺がリビングで寝落ちして彼女の寝る場所を奪ってしまったという可能性を危惧しての確認だったのだが、問題はないようだ。
そして、そのリビングで寝ているはずの少女はどういう訳か今、目の前にいる。しかも裸で。
ベッド脇に立つ彼女の足元には昨日貸したワイシャツが乱雑に脱ぎ捨てられており、今さっき脱いだようには思えないその光景に、俺は何故かとても嫌な予感を覚えた。そもそも何故脱ぐのか。
俺は、汗でぐっしょりしたシャツの気持ち悪さに顔を顰めながら、
「……お前、もしかして一晩中そこに突っ立ってたのか?」
「コーイチの寝顔を眺めていた。……ごちそうさま? で、あっている?」
そのまさかだった。
あれだけソファを使って寝ろと言ったのに、これでは寝苦し損だ。
というか、ひょっとして『星喰い』には睡眠が必要ないのだろうか? いや待てそういう問題じゃないだろう。
「……ぞっとしないからやめてくれ。本当に」
「む。やはりごちそうさまの前にいただきますを言わないとダメだったか」
「あまりにも会話が噛み合わなくてビビるな。宇宙人かよ、いや宇宙人だったわ」
彼女――深窓の令嬢めいた儚くも神秘的な雰囲気を湛えたシオンと名乗る黒髪虹眼の少女は、自らを『星喰い』と称する宇宙人だ。
シオンがこの星を訪れた目的は、惑星に終焉を齎す者として地球を食べる事にあるらしい。
運命的と呼ぶには情緒もへったくれもない正面衝突という遭遇イベントの末、彼女の正体を知ってしまった俺を待っていたのは「目的達成の為、星を食べる事に協力して欲しい」などと言い寄られる超展開。
……あり得ない。馬鹿げている。ふざけている。
二十一世紀の現代日本で、大学生にもなってどうしてこんな事を真顔で喋らなきゃならないのか。
剣と魔法の学園ファンタジーも、超能力者で構成された学生の街も、ゲームの死がリアルの死に直結するデスゲームも、可愛い女の子に囲まれるハーレム物も異世界転移に異世界転生も、全部フィクションの中だけで充分だ。空から少女が降ってくる展開がいくら創作物で使い古されたからって、それをわざわざ現実世界に持ってくる必要なんざどこにもないだろう。
そんな異常が現実に転がっていたって恐ろしいだけ、ワクワクなんてするものか。
聖剣も魔法も超能力も、貰えると言われたって欲しくない。女の子とは普通の出会い方をしたいし、そもそも宇宙人はお呼びじゃない。
どうして自分から厄介事に首を突っ込むような真似をしなければならないのか。
『特別』なんて欲しくない。
『非日常』なんて求めていない。
平凡で普通で没個性な量産人間として、何事もない平穏で平坦な退屈な日常をただ平和に過ごしていたいだけなんだ。俺の願いなんて、そんな程度のモノなのに。
想像の一歩先を行くシオンの奇行に頭を抱えていると、しかしシオンはそもそも何がおかしいのかを理解していないようで、
「? 女性は寝起きに異性の寝顔を眺めるものだと、この星の書物で学習した。男はそれを喜ぶともあった。何が不満か?」
勘弁してくれ。またお得意の妄想願望からの情報か。
「……あのな。一体どんなヤツの願望から情報を入手したか知らないけど、得体の知れないヤツにそんな事されて喜ぶ奴は――」
「情報源はコーイチのベッドの下に置いてあったこの本」
「――は?」
想定外の不意打ちに変な声が出た。見れば、シオンはその手に十八禁の漫画雑誌を持っていた。シオンの手から強引に本をひったくり、中を見る。
最悪なことに、少し幼めでスレンダーな黒髪美少女を中心としたラインナップだった。なんというか、目の前の少女に酷似している。
「全く身に覚えがないエロ本が出てくるってどうなってるんだ俺のベッド下……魔窟か」
その手の本は一人暮らしを始める際に処分したハズ。片付け忘れがあったとしても、まさかベッドの下にあるようなものを見逃すとは思えない。まさかあの親父か? と、地獄のような可能性に思い至りげんなりする。両親の性癖など両親の夜の事情並みに知りたくない。
まるで狙ったような出来すぎたチョイスのエロ本に頭を抱える俺の様子を横から見ていたシオンは、少ししてから表情一つ変えずにぺろりと舌を出して。
「なーんて、うっそぴょーん」
てへぺろっ、と。拳をこつんと額に当てて、可愛らしく首を傾げる動作をした。
ただ、酷く棒読みかつ大きな黒目を見開いたままの表情は完全に死んでおり、可愛さよりも間抜けさが目立つ。なんというか教室で盛大に滑ったヤツを見ている気分だ。なんだコイツ。俺の古傷抉るのやめろよ。
「……ついに母星から怪電波を受信しはじめたか? 緊急の要件なら是非そのまま帰ってくれ」
「コーイチのベッドの下から出て来たのは嘘だと言っている。本当はコンビニとやらで入手した。わたしに惚れて貰う為の作戦第一弾。さぶりみなる」
ちなみにこの付近にコンビニはない。多分それは酒屋だ。あと、確実に営業時間外。……こんなくだらん事の為に忍び込みやがったなコイツ。
「いや、そのアホっぽい作戦はともかくなんで意味のわからない嘘をついたんだ?」
「む。妻になるには愛嬌も大事と聞いた。小粋なジョークで夫の心を癒すのも、わたしの役目。目指せこめでぃあん」
「どこが小粋だ。まっとうな家庭なら危うく家庭崩壊の危機だわ。親父がロリコンって地獄かよ……て、ちょっと待て。お前まさかソレ金も払わずに持って来たんじゃ……」
俺の懸念に、シオンはない胸を堂々と張る。そして自信満々な様子で、
「安心して欲しい。この惑星の貨幣経済については学習済みだ。ちゃんとコーイチの財布に入っていた現金で購入した。レシートもばっちり、ぱーふぇくと」
「……お前アレだな。実は俺を惚れさせるんじゃなくて怒らせたいんだろ?」
「?」
可愛く小首をかしげても無駄だ。その仕草を何度見せられたと思っているのか――まあ、何度見ても可愛いモノは可愛いのだが、可愛いから逆に腹が立つ。
「……はぁ。もういい、分かった。降参だ。その本はやるよ、好きにしてくれ」
何にせよ、朝起きて一発目のジョークにしては重すぎる。
……そもそも宇宙人の彼女がなぜ当たり前のような顔をして俺の家に居座っているのか、という話だが、それに関しては正当な取引の結果だ。
不慮の事故によってシオンから『星喰い』としての力の半分を与えられてしまった俺は、このふざけた力を何とかするという条件の元、俺を惚れさせるという謎の目標を掲げているシオンの同居を許可していた。
宙に浮いたり目が虹色に光ったり、人間離れした能力を持っているシオンを足で撒くのはおそらく不可能だし、それならば少しでも自分に都合のいい状況になるよう交渉する方が得策だと判断したからだ。
とはいえ、無期限に居座られたのではキリがない。
こちらもシオンとの協議の結果、一週間という期限を設ける事で同意を得られた。昨日を含めて七日――つまりは残り六日間、八月八日までに宣言通りにシオンが俺を惚れさせる事が出来なかった場合、シオンには俺の協力を諦め、宇宙に帰って貰う。そう約束させたのだ。
「……とりあえず、恥じらいを持ってくれとは言わないから服を着てくれ。頼むから」
「どうして? コーイチ、昨日わたしの胸ばかり見ていた」
「……」
その顔でそういう事を言うのを辞めて欲しい。
二重の意味で心臓に悪いし罪悪感も凄い。
「コーイチはわたしの胸が好き。ならどうして自ら隠そうとする? あるのだから見たいのなら見ればいい。コーイチが嬉しい、それは結果としてわたしも嬉しい。うぃんうぃん」
「……いいか、俺はもう大人だ。誰がお前みたいなお子様体系の胸なんぞを見て喜ぶか」
「じゃあ、どうして昨日は見ていた? 視線、明らかにわたしの胸に集中していた。興奮値の上昇も確認されている。……む。そう言えばもう一か所、コーイチの視線を集めていた部位が――」
「――仮に!」
容姿だけは美少女であるこの宇宙人にそこから先を言わせる訳にはいかない、絶対にだ! 俺は強い決意を持ってシオンの言葉を遮るように大きな声で割り込みを掛ける。
「仮にだ、仮に俺がお前の……その、アレを好きだったとしよう」
「アレ? アレとはどれ?」
天然なのかわざとやってるのか分からないが、小首を傾げるシオンを無視して、俺は早口オタクみたいに言葉を続けた。
「……で、お前は俺を惚れさせて地球滅亡の協力をさせたい。俺はそれに協力したくない。なら、見ようとしないのは戦略として当然だ。そして、実際にはそんなものは好きでもなんでもない。だから当然見ない。わかったら服着ろ。じゃないと俺は一生このベッドから出ない」
「む。それは困る。ベッドから降りて外出して貰わないと、『おかえりなさいアナタ。ご飯にする? お風呂にする? それとも、ワ・タ・シ☆』を実行する事が困難になってしまう」
「困り方が斜め上かつ限定的過ぎて俺が困るわ。てか、それホントにやったらマジで叩き出すからな」
「む。コーイチはワガママボーイだ」
「極めて普通の常識を言ってるだけなんだよなぁ……」
コーイチの理論は理解出来ないと言いたげな怪訝な表情でワイシャツに袖を通しはじめるシオンに溜息を吐きながら、俺はこの状況をどうするかぼんやりと考える。とりあえず……。
「むが」
「……ああ、馬鹿違う。どっから頭を出そうとしてんだ、そこは袖だ!」
訳の分からない所から頭を出そうとして、網に掛かった魚みたいにもがいているシオンにワイシャツの着方を教える所から俺の一日は始まりそうだった。
☆ ☆ ☆ ☆
朝からシオンと頭の痛くなるやり取りを交わした後、食パンを適当に腹に詰め込んだ俺はバイト先で労働に勤しんでいた。
宇宙人は当然留守番である。
俺のバイト先は父の知り合いが店主を務める地域密着型の酒屋とコンビニの中間のような店だ。昨日、シオンがエロ雑誌を持ってきたのもおそらくここだろう。何故ならこの近辺にコンビニっぽい店など他にないから。
基本的には店主とその娘の二人で回しているのだが、夏休みになると観光客が増える事もあり、俺は中学生の頃から手伝いに度々駆り出されている。
今回もその流れで「帰省中に大丈夫な日だけで構わないから手伝って欲しい」と頼まれており、特に予定もなかった俺は二つ返事でそれを了承していた。
昨日の時点で今日の出勤の約束をしていたので、本当は夕方からの出勤のところを無理言って変更して貰いシオンを放置して朝から店に顔を出したという訳だ。
知り合いの店だと何かと融通が利くからいいよな。ありがたい。
……本当は、俺の置かれている状況を考えればバイトなんてしている場合ではないのかもしれない。けれど、今の俺にはこういう時間が必要だった。
俺の元に宇宙人が襲来したからと言って、世界が何か様変わりする訳ではないのだという事をどうしても確認しておきたかったのだ。
そうしなければ不安で心が圧し潰されてしまいそうだった。
そうして、まるで初バイトの日のような緊張を胸に出勤してみれば、目の前に広がっていたいつも通りの光景に、笑ってしまう程無関心に平常運転を続ける退屈な日常とやらの強度に、肩すかしめいた安堵を覚えたほどだ。
無意味な緊張さえ解けてしまえば、こっちのもの。
店主とそこの娘とは子供の頃からの付き合いなので気は楽だ。仕事内容も品出しや清掃など力仕事が主で体力的にそこそこ疲れはするが、島を出て一人暮らしの為にはじめた居酒屋のバイトと比べれば百倍くらい楽――なハズだったのだが……。
「だあー、疲れたぁー」
労働終了の開放感からバンザイをするようにぐぐっと身体を伸ばしながら、俺は時折異音のする自動ドアを潜り、灼熱の太陽の元へと躍り出る。
途端、噴き出す多量の汗。
「……人、やっぱ多かったな」
いくら夏休みは観光客が増えるとは言え、言っちゃあ悪いが所詮は地域密着型の酒屋だ。
本来であればこの時期でも三人で回せばかなり暇なのだが、今年に関しては六日後に迫った世界的イベントのせいで観光客の数がとんでもない事になっている為か、俺まで接客に回らなければいけないタイミングもあった程だ。ぶっちゃけ異常だ。
何より中途半端な英語力で外国人観光客の相手をしなければならないのが辛い。
ここの家は親子揃って英語力皆無なんだよなぁ……というか、看板娘に関しては時々日本語ですら何言ってるか分からん時まである。頼むぜ現役女子高生。
「……バイトが終わったのにちっとも家に帰りたくならねえ。むしろ憂鬱だ」
今日は逃げるように朝からバイトに顔を出していたので、時刻はまだ昼過ぎ。
バイト終わりに店主からご馳走して貰ったアイスの棒を口に咥えながら、人々を見下ろすように地上に照りつける灼熱の太陽を恨めしげに睨めつける。
田舎特有の無駄に面積の広い駐車場では、ジリジリと焼かれた凸凹まみれのアスファルトに陽炎が揺らいでいて、停めてある原付のサドルがどれだけ熱くなっているか触れずとも分かってしまい嫌気がさす。
暑い。溶ける。とにかく暑いからクーラーの効いた空間に駆け込みたい。
いつもならバイト後は即家に帰ってダラダラするのだが、家で待っている現実を考えるとそういう気分にもなれない。
なので、どこかで時間を潰せればそれが一番なのだが……。
「何もねえんだよなぁ、この町」
俺が生まれ育った種子島中種町は鹿児島県種子島の中央部にある人口およそ八〇〇〇人程の町だ。
俺の実家があるのは中種子町の南端、熊野神社周辺の畑に囲まれた緑の中。家の裏手には件の熊野神社がある『裏山』――シオンとの遭遇を果たした海に迫り出す天然の展望台が。少し歩けば熊野漁港、さらに弧を描く海岸沿いに沿って進んでいけば熊野海水浴場があるような場所にある。
美しい大自然に囲まれた豊かな大地と言えば聞こえはいいが、要するに海と畑と森、そして星空以外は何もないド田舎だ。
尤も、そんなド田舎だからこそ、昨日の夜中に全裸の女を家まで連れて歩いても逮捕されることもなかった訳だが。
……田舎凄いな。田舎は性が乱れるという言説も納得の夜の無人具合。しかし俺は童貞である。全然乱れがない。何故だ。
そして、何もないのは中種子町に限った話ではなく、そもそも種子島全体がそんな感じなので、遊ぶ場所などこの島には何も無いに等しい。
最も栄えている西之表にはツタヤがあるが、中種子町にツタヤはない。一番近い書店でさえ家から十キロの距離があるのだから、中種子町にツタヤなど夢のまた夢だったのだろう。
とはいえ俺ももう大学生だ。
島を出て一人暮らしを始めた俺にとって、西之表のツタヤ如き最早羨ましくも何ともない。なにせ、俺が暮らす学生マンションは徒歩七分のところにツタヤだけでなくモスバーガーまであるのだ。完全勝利である。
……だから何なんだよ、ツタヤ好きすぎかよ俺。
我ながら馬鹿な思考すぎて頭を抱えたくなる。不毛過ぎる。暑い。現実逃避下手くそか。
いくら頭を捻っても、時間を潰せるような場所が近くに何もないというのはどうしようもない事実なのだ。
家に帰りたくないからと言って、野原を駆けまわっていて楽しいような年齢でもない。
それでも、他に何かこの町に特筆すべき場所があるとすれば――
思わず見上げた視線の先、大空を貫くようにして聳え立ち、嫌でも視界に入ってくる巨大建造物がでっぷりと鎮座しているのが確認できる。
――宇宙に最も近い島、種子島の誇る種子島宇宙センターのロケット発射場。
多くの人間の夢と欲望を詰め込んだバベルの塔では、世界が注目する一大イベント――合衆国主導の元に複数国家共同で行われる人類初の有人月面着陸計画、その前座を兼ねた試験飛行となる無人機による月面着陸を目的としたロケットの公開打ち上げが六日後に迫っていた。
その影響か、この島も国も世界さえも『酔い』のような一時的な熱狂に包まれている。
例年を越える異様な数の観光客の理由がこれだ。
ロケット打ち上げの瞬間を一目見ようと、世界中から沢山の人がこの島に集まっているのだ。今頃、宿泊施設が密集している西之表の方は大変な騒ぎになっている事だろう。
……盛り上がるのは大変結構だが、出来れば俺のいない時にやって欲しかったものだ。
宇宙も月もロケットもどうでもいい。この馬鹿騒ぎは、全くもっていい迷惑だ。
「帰るか」
心臓が芯から冷えきっていくような感覚を呑み込みながら一度ゆっくりと溜息を吐く。それからヘルメットをかぶり、俺は静かに原付に跨った。
蝉の音は高らかに、空は澄んだように青く、あの頃と同じように太陽と入道雲が空の支配権を争っている。
子供の頃は見上げるだけで心躍る風景がそこにはあったのに、今の空はやけにくすんで見えた。
かつてそこにあったはずの憧れだけが、もうどこにも見当たらない。
そのまま、腐った心で原付を走らせようとしたその時だった。
「ん、メッセか? 誰から……」
メッセージアプリの通知音にポケットからスマホを取り出す。画面に表示されていたその内容に、俺は思わず眩暈を覚えていた。
「うそ、だろ……」
昨日は人生最低の日だった。
非日常など糞くらえな俺にとって、未知との遭遇など胃を締め付ける厄介事のタネでしかない。
特殊能力なんてふざけた代物も以下同文。碌なモンじゃないに決まっている。
ましてや、それが地球を滅ぼす侵略者だと言うなら猶更だ。
朝から逃げるようにバイトに出かけたのも、そんな最低の現実から目を逸らす為。
あわよくば、俺が外出している間に留守番に飽きた宇宙人様がどこへなりとも行ってしまえばラッキーとは思っていたが、内心期待するだけ無駄だとも思っていた。
しかしだ。最低の現状に対して高望みこそしなかった俺も、まさかたった一日で人生最低の日を更新することになるとは流石に思わなかった。
「もうバレたのかよ……しかも、よりにもよってコイツに」
メッセージを送って来たのは佐久間翔。
俺の幼馴染にして腐れ縁のイケメン野郎とのチャット欄には、ご丁寧にピースサインをしているシオンと翔とのツーショット写真が貼られていた。
『翔:なあ、光一。この子何者?』