第一話 星空の下の邂逅
波のさざめきと月明かりが幻想的な空間を生み出す深夜。日付が変わるか否かというこの時間帯に外を出歩く島民はほとんどいない。
それは、天然の展望台と化している『裏山』も同様だった。俺はそれでも一応、人目を気にして程よく生い茂った緑の陰に身を潜めるようにしていた。
「――つ、つまりお前は、その……地球を滅ぼす為にやって来た、って事なのか……」
冗談みたいな出会いの後、俺はひとまず全裸のシオンに上着を貸してから幾つかの質問をぶつけていた。
本当は何も見なかった事にして一刻も早く家に帰ってベッドに潜り込み全てを忘れたい所だったんだが、このまま彼女を放置していては不安で眠れそうにない。
なにせ彼女は宇宙人、陳腐な表現を使うが要するに侵略者だ。
自らを『星喰い』などと名乗り、地球に滅びを齎しに来たと宣う彼女の真意を知らなければ、この言いようのない不安と恐怖から解放される事はないだろう。つまり俺の安眠は永遠に訪れない訳で。
……まあ、知った所でどうにもならないかもしれないんだけどな。
どちらにせよだ。人間、謎とその答えが詰まった箱が目の前にあったとしたら、その中身を確かめずにはいられない。好奇心猫を殺すという言葉もあるが、間違いなく人も好奇心で死ねる生き物だろう。
とはいえ、俺がこの場から逃げ出さないのは目の前の彼女が今すぐ地球を滅ぼしてしまうような危険な存在には見えないから、という打算的な理由もあるのだが。
「む。その表現は的確ではない、わたしは星を喰らうだけ。破滅を願ったのはアナタたちだ」
俺の表現にシオンは首を横に振った。
『星喰い』。文字通り、星を喰い滅ぼす者。
その存在が地球に現れたのは、この惑星に住まう人類が星の終わりを願ったからなのだと彼女は言う。
様々な時代、土地、宗教の中で語られる幾多の終末思想、終末論。日々を生きる人々が何気ない瞬間に冗談で願う世界の終わり。
もしくは……過去に置き去りにされた誰かが憎悪と共に祈った世界の終焉。
それら小さな祈りの積み重ねが長い年月を経て形を得て『星喰い』は誕生する。
人々の祈りに生まれた彼女らは、その祈りに応える機能を生まれながらにして持っていて、その機能こそが『惑星捕食』の能力なのだそうだ。
『星喰い』が星を喰らうのは人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐くのと同じくらい自然な事で、そこに善悪も害意も敵意もありはしない。
ただ生まれながらにしてそういう習性を持っているだけ――というのが、シオンから聞き出した『星喰い』に関する大まかな情報だった。
……馬鹿げた話だ。人々の願いから生まれたなんて、意味が分からない。
大真面目な顔で語られたシオンの話はあまりに荒唐無稽な内容で、本来なら頭のおかしな女の戯言と一蹴していただろう。ついでに警察にも通報する。真夜中に出没する電波な全裸女、完全に数え役満だ。
だが残念な事に、目の前で上下逆さに宙に浮かびながら今の話をされたとあっては、その全てをデタラメだと鼻で笑う事も難しい。
「……要するにお前は、人間とは全く異なる存在って事でいいんだよな?」
「その認識で正しい。わたしとコーイチは根底からして違う存在」
「で、お前は俺達人間の願いによって宇宙で生まれ、俺らの願いを叶える為に地球に来た……」
「む。コーイチにも分かりやすい例を挙げるなら、ノストラダムスの大予言あたりが時代的には最近。一九九九年の恐怖の大王。あれも、人間が恐れるあまり望んだ破滅の形。わたしを形作る要素の一つ」
なぜ宇宙で生まれたばかりであるはずの彼女が、地球の過去の出来事を知っているのか。
これにも彼女の出生が関わっていた。
彼女は人々の祈りや願いから編み込まれ生じた存在だ。それ故に、常に人々の願いや祈りに寄り添って存在している。
要は、シオンはその生まれの性質上、人類の願いや祈りといったモノの集合体へアクセスする事が可能で、そこからある程度の情報を引き出す事が出来る。……尤も、それはあくまで人々の願いや祈りの集合体である為、引き出した情報が一〇〇パーセント正しいとは限らない。多くの人々の主観や偏見、それこそ「こうあって欲しい」という祈りや願望が多く入り混じっているのだろう。
だからこそ、共通の認識や言語を用いながらも、シオンの言動はどこか的外れで普通の受け答えからはズレてしまう事が多いのかも知れない。
……くそ、頭が痛くなってきた。『星喰い』だの人の願いだの、理解も感情も何もかも追い付かない。
「……とりあえずお前のことは宇宙人みたいなモンだと思っていればいいのか?」
「む。だいたいそんな感じで構わない。おーるおっけー」
手探りで目の前の異物への理解を少しずつ深めようとする俺に、シオンは親指と人差し指でオッケーマークを作って適当に応じていた。……てか、なんで当然みたいな顔して逆さなんだコイツ。ちょっとシュールで面白い絵面なのが腹立つ。
そんな風に、じろりとシオンを眺めていると、一歩分こちらに無遠慮に距離を詰めたシオンが俺の目の前でこてりと首を傾げた。
「わたしが美少女なのが気になる?」
「……見当違いの事をさも心を読んだ風に言うんじゃねえ」
揺れる黒髪に鼻孔をくすぐる甘い香り、視界一杯に広がる見開いたシオンの瞳に思わず呑み込まれそうになる。俺は無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。……悔しいけど、確かにコイツは美少女だ。でもやっぱり悔しいので絶対に頷いてやらないが。
「む。じゃあ『空踏み』が気になる?」
「スカイ……? あぁ、そりゃまあ。目の前で上下逆さにプカプカ浮かれたらな」
先も触れたが、逆さに浮かぶシオンの長髪は重力に引き摺られ、まるでクラゲの傘のように垂れさがって大変シュールな絵面になっている。
おかげ様で話の内容が半分も頭に入ってこない。
シャツを貸したものの相変わらずほぼ全裸だし、目は虹色に光っているしで滅茶苦茶だ。頑張って目を逸らしている俺、紳士偉い。誰か俺にノーベル紳士賞をあげてやって欲しい。
「ならコーイチもやってみればいい」
「じゃあやってみる、で飛べたらライト兄弟は苦労してないんだよなぁ」
「む。挑戦する前から諦めるのは良くない。人間の中にも空を飛べる個体がいると聞いている」
人間の妄想混じりの願望が情報源のヤツにそんな事言われても説得力が欠片もなくてびっくりするわ。今回はどの漫画からの引用だ。生憎だけど現生人類は武空術を使えないぞ。
「あのな、俺はどこに出しても恥ずかしくないザ・普通の人間なんだよ。平凡オブ平凡、凡人の中の凡人の俺が空を飛べる訳ないだろお前馬鹿か――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!? なに何で怖ッ!? 俺超浮いてるんだけど!!」
「コーイチ、わたしは真剣だ。叫びながらぐるぐる回って遊ぶのは後にして欲しい楽しそう」
「最後に本音が漏れてるお前にだけは言われたくない! けどその前に何とかしてくれどうなってんだコレぇえええええええええええええ!?」
「あ」
「なんだ、まだ何かあるってのか!?」
「いや、言い忘れていた事があったのを思い出した。実は、さっきの接触事故の際、色々あってコーイチに『星喰い』の力が半分移ってしまったり…………てへぺろ?」
「やっぱりお前の仕業か! あとそれ、語尾に付けておけば誤魔化せると思ってるなら大間違いだ、腹立つから辞めろてかコレ止めろ!」
その後、水車のようにその場で縦回転をはじめた俺の動きを何とか止めたシオンは、自分も宙に浮くのを辞めて二本の足でしっかり大地を踏みしめると、何やら改まった様子で再び話を切り出した。
「……そういう訳で、わたしの『星喰い』としての力の半分はコーイチへと移ってしまった。星を捕食する為の機能も、わたし一人ではうまく機能しそうにない」
それは、俺が最もシオンに聞きたくて、でも最も恐ろしくて聞く事が出来なかった、事の核心に迫る内容だった。
彼女は『星喰い』。
俺の日常を侵した侵略者であると同時に、この地球に滅びを齎そうとするもっと大きなスケールでの侵略者でもある。
そんなシオンの口から、星を捕食する事が難しそうだとあっさり告げられたのだ。
それってつまり、とりあえず地球は滅びずに済む……って事なのか?
地球が滅ぶかもしれない、なんて話にも欠片も実感が湧いてなかったのだ。そこへ、やっぱり地球は滅びません、とか言われても助かったのだという実感はやっぱり少しも湧いてこない。
けれど、心地のいい脱力感のようなものはあった。
平穏が揺るがなかった事への安堵、やっぱり俺の人生には、こんな例外的で特別なイベントなど必要ないのだという確信。
それが一応それなりに気を張っていた俺の緊張を、湯船に沈むように緩やかに解きほぐしていったのだ。
けれど、話はこれだけでは終わらなかった。
何より俺は、ついさっき自分の身に起きた出来事や、シオンの発言の意味を正しく認識していなかったのだから。
……いや、正確には違うか。きっと俺は、その事を考えないようにしていたんだろう。
聖剣も魔法も超能力も欲しくない。普通で平凡などこにでもいる凡人として平穏にありたい、そんな俺の唯一の望みを破壊する事態が、既に俺の身には起こっていたのだから。
「コーイチ」
話がこれで終わりではない事を示すようにシオンは俺の名を呼んだ。虹色の発光が収まった黒い瞳が、真っすぐに俺へと向けられる。
基本、彼女の容姿は喋らなければ完全無欠に美少女だ。その身に纏わせている神秘的な雰囲気も相まって、その瞳に真っ直ぐに射抜かれると、正直気圧される。
頬がどうにも火照ってしまい彼女の顔を直視する事が出来なくなる。
「な、なんだよ……」
俺の顔を捉えたまま一歩二歩と近づいてくるシオン。何故か俺は縮まった歩幅の分だけ狼狽え後ずさってしまい、二人の距離は一向に縮まらない。
だがそれも、俺の背中が行き止まりにぶつかった事で終わりを迎えた。緑の茂みを構成する木の幹。これ以上後ろには下がれない。
まんまと俺を追い詰めたシオンは、表情の起伏の薄いその顔を出来る限り神妙に歪めて、
「さっきも言ったように、わたし一人では星を食べられそうにない。なので、コーイチに地球を食べるのを手伝って貰う事にした」
真顔でとんでもない事を言い出した。
「これから、一緒に頑張ろう。よろしく頼む」
びしっと、日本式の礼で頭を下げるシオンに俺は……
「え、普通に嫌だけど……」
……まあ当然、こうなるわな。
「え」
「……え?」
お互い、どこか当惑したように顔を見合わせる。
まるで、向かいから来た歩行者と進路の譲り合いになりフェイントを掛け合っている時のような奇妙な居心地の悪さ。
まさかとは思うが、お願いを断られると思っていなかったのか。
頼みをばっさりと一刀両断されたシオンは、変化の薄い仮面のようだった表情を一目で分かる程に歪めて動揺を露わにしている。
というか、表情がはっきりしないから分かりづらいがなんか泣きそうじゃないか……?
「コーイチ、まさか手伝ってくれない……?」
「いや、逆にこの内容でなんで手伝って貰えると思ったんだ……? だいたい、貰う事にしたってなんだよ、事後承諾のスケールがおかしいだろ。怖いわ」
魔王ですらちゃんと事前に交渉してくるぞ。しかもコイツの場合は仲間になっても世界の半分貰えるどころか世界滅ぶし。勧誘が悪質過ぎる。
「童貞はチョロイと聞いていたのに……」
「……おい、なんでそこで俺が童貞な前提で話を進める」
というか、童貞だったら可愛い女の子に頼まれれば何でもやるとでも思っているのか。
地球滅ぼすの手伝ってと頼まれ二つ返事で引き受けちゃう童貞は流石にチョロ過ぎるし、どちらかと言うとただの狂人な気がしなくもない。全体的に童貞への風評被害が凄い。
「根暗で目つきが悪くて人付き合いが苦手で裸の女の子に目も合わせられないヘタレな女っ気ゼロの男は童貞だと聞いていたのに……」
違った。凄いのは俺への風評被害だった。てか、俺の印象ってそんなのなの……? え、なにそれ。普通にショックがデカいんだけど。
「具体的に俺が童貞である根拠をあげろなんて一言も言っていないからな? てか、断られたこと根に持ってないか? なあ。具体例にとんでもなく悪意を感じるぞ」
「……分かった」
「何が分かったのか全然分からんが嫌な予感しかしない」
「コーイチがそこまで言うなら仕方ない。わたしも、少し本気を出そう……」
瞬間。空気が、変わっていた。
真剣な表情でそう言ったシオンの全身から、重苦しい不可視のオーラが溢れ出した。
シオンを中心に放射状に風が吹き荒れ、辺り一面の草原が美しいウェーブを描き俺の前髪を激しく揺らしはじめる。俺は多量の冷や汗を流しながら、直前までの空気の抜けたサイダーみたいに弛緩し切っていた己の愚かさを呪っていた。
思い返してみればだ。宇宙から飛来した『星喰い』を自称する超常存在。正確には宇宙人なのかどうかも定かではない人外の存在に対して、俺の言動はあまりにも迂闊だった。
彼女が人間を超越する力を持った未知の侵略者である以上、そのコミュニケーションには最大限の注意を払うべきだった。
そんな事、普通に考えれば分かる事だったのに――どうしても、彼女の姿は俺にモノクロの世界をチラつかせるから。
(く……っ! なんだこれなんだこれ! 明らかにヤバいだろ、おい……ッ!)
俺の不用意な発言が彼女をその気にさせた。そのツケは、俺の命という形で支払われることになるのだろうか?
(俺が死ぬだけなら別にいい。けど、もしこれで――俺は、また――――)
シオンは虹色の発光が収まり普通の黒目に戻ったその瞳を光一に向け、真っすぐにその顔を射抜くと一度だけ息を吸い込んで――
「――わたしは、今日からコーイチと一緒に暮らす」
「……は、あ?」
絶対に聞き間違いだと思った。なのに目の前のソイツは、まるで俺の反応の方が間違っているかのようにこてりと愛らしい動作で小動物のように小首を傾げて、
「? 何かおかしいか? 極めて合理的な回答。はじめての共同作業、というものは夫婦で行うものだと聞いた。コーイチがわたしの夫になればコーイチはわたしを手伝ってくれるはず。だから一緒に暮らして、コーイチをわたしに惚れさせる。む。まさに完璧な作戦。のーべる賞もの」
そんなふざけた宣戦布告をしたのだった。
「改めて。これからよろしく。コーイチ」