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第十三話 夏祭り

 八月七日。

 今日はシオンが楽しみにしていた夏祭り当日だ。


 シオンは朝から祭りの事ばかりで騒がしく、俺はそんなシオンの的外れでとんちんかんな口撃を適当にいなしながら飯を作ったり洗濯物を干したりシオンに掃除を手伝わせたりと、まあいつも通りの日常というヤツを過ごしていた。


 いよいよ明日に迫ったロケットの打ち上げに島民は勿論のこと、打ち上げの瞬間を一目見ようと国内外問わず様々な場所からやって来た観光客たちが浮足立つ中、そんな世間とリンクするように、本来世俗から外れまくっているはずのシオンのテンションが高いのが何だか面白くて笑ってしまう。

 今だって、


「コーイチ。祭りとは大勢の人々が一か所に集まりその汗と熱気で雲を生み出し雨を祈願する神事が起源と聞いた」


 昼飯も済ませ、来客を待ちながら俺がソファでスマホをいじりながらくつろいでいると、シオンからそんな質問が飛んでくる。

 今日は一日朝からずっとこんな調子なので、俺が笑ってしまうのも仕方がないというものだ。……まあ、いい加減うんざりしてきて苦笑いに移行しつつあるんだが。


 そんな俺の内心も知らず、シオンは尚も心配げに眉をハの字に顰めている。


「今日も雲、出るか? でも、出ると困る。花火とは晴天の時がベストだという話を聞いた」

「あー、多分色々混じってるぞー、ソレ」


 雲云々は某ビックサイトの祭りから拾って来たのか、実際にそういうのがあったのか分からんので俺の受け答えも適当になる。

 いつものツッコミよりやる気が感じられない? そりゃあ、いつものシオンの色々と際どいアホ質問と違って俺に害はないからな。


 ちなみに今回の祭りに関しては完全にロケットの打ち上げにあやかった完全便乗ものなので、起源もへったくれもない。種子島でその手の由緒正しき祭りと言えば鉄砲まつり一択。


 と、そんなやり取りをしていると、来客を告げるインターホンの音が響く。


「コーイチ」

「分かってるよ」


 心なしかワクワクしている様子のシオンをその場で待たせ、俺は玄関へ。

 いつかの想定外の邂逅を思い出しながら扉を開ける。瞬間、元気な馬の尻尾が楽しそうに跳ね上がって、


「シーオーンちゃーん、長瀬彩夏。只今参りました!」

「早いな。もう来たのか」

「当たり前じゃないですか! シオンちゃんの裸体を合法的に視姦もとい合法的にロリの生着替えを堪能どころかこの手で実践できるこの夢の機会、私がどれだけ待ち望んでいたと――」


 やたら食い気味、そして早口でまくし立ててくるロリコン女子高生もとい長瀬彩夏のロリ語りに俺は苦笑しながら割り込みを掛けた。


「――あー、はいはい。分かった、分かったから。お前の気持ち悪さはもう十分以上に伝わってるよ」

「……なっ、き、気持ち悪いですと!? こーはい先輩酷い! 女の子に向かって言う台詞とは思えません、非常識ですっ、サイテーですッ、人格を疑いますッ!」

「いや、前後の発言を踏まえて今のお前にだけは非常識と言われるのも人格を疑われるのもご免なんだけど……」


 気持ち悪いと言われたのが余程ショックだったのか、顔を真っ■にして憤慨する彩夏。

 そうは言ってもコレより非常識で人格破綻ってそれもう確実に幼女に手を出してるからね。何ならこいつも女子高生という免罪符がなければ即刻アウトまである。


 ……けどまあ、ちょっと言い過ぎたのは事実か。


「あー、気持ち悪いってのは確かに言い過ぎたな。冗談でも女の子に言う言葉じゃなかった、ごめん。悪かった」


 言い訳をする訳じゃないんだが、彩夏のああいう言動を見ると昨日のことを――今の長瀬彩夏を形作ったものが何であるかを思い出してしまって、それで照れ臭くなっててつい……な。


 我ながら、照れ隠しで好きな子に意地悪する男子小学生みたいで滅茶苦茶情けないんだが、昨日の今日なので大目に見て貰えると助かる。

 あんな大胆な告白をされて、流石に今すぐいつも通りにってのは無理がある。


 一方の彩夏は「お、女の子……」などと口の中でもごもごやっていたが、俺の視線に気づくと我に返ったように、


「ふ、ふーんだ。こーはい先輩なんてもう知りません、ばーかばーか。今更謝ったって遅いんです。乙女の心を傷つけた罪はそう安いものじゃないんですから」


 そっぽを向いてツンとした表情の横顔で怒りを表現する彩夏は、そこで「でも」と一度言葉を区切って、身体の後ろに腕を回して上目遣いに俺を見る。


「今日は特別に、許してあげます。だって今日は、皆で夏祭りですから」


 ……だからさ、そうやって全部見透かしたように優しく微笑むのは反則なんだってば。



☆ ☆ ☆ ☆



彩夏がシオンの浴衣の着付けをしている間、俺は特にやることもないので先に家を出て翔と合流することとなった。

 というか、『シオンちゃんの浴衣姿。通称和ロリ姿は後でのお楽しみなんですからさっさと出てってください。しっし』と彩夏に家から追い出されてしまったというのが正しい。

 来客と居候に追い出されるという理不尽が家主を襲う!


 でも俺的にはそんな事よりも和ロリというパワーワードを勝手に一般普及させないで貰いたかった。全然通称じゃねえよ和ロリ。なんだよ和ロリ姿って。


 それにしても、祭り開始の四時間前から着付けとかどんだけ豪勢な浴衣を着せるつもりなのかね。

 シオンが装飾ごてごてメイク濃いめ髪マシマシの花魁スタイルとかで現れたらどうしよう……まあ、十中八九彩夏はシオンと遊んでから浴衣の着付けをやるつもりなんだろうけど。

 手提げからスイッチはみ出してたの、ちゃんと気づいてるからな?


 メッセで伝えておいた集合場所に着くと、当たり前のような顔で五分前行動の翔が待っていた。

 片手にうちわ、片手に巾着袋の涼しげな甚平スタイルで既に準備万端といった感じだ。足元は流石に歩きやすさを優先してか下駄ではなく草履風の和デザインなサンダルで合わせ、ファッションと機能性の両立を求めるあたりに翔らしさが出ていると言える。


 いつもどおりのTシャツハーパン姿の俺とは気合が違う。


「お、光一。生きてたか」


 俺に気づいて大げさに目を見張る幼馴染の下手な芝居に俺は脱力したように、


「生きてたかって、数分前にメッセ送ったばっかだろうが。つか、お前まで着替えたのか」

「ん? ああ、そりゃあ折角持ってるんだから着とかないと勿体ないだろ? 甚平なんて普段は着る機会ないんだしさ」


 普通の人間は甚平なんて持ってないだろ。いや、今時は甚平を持っているのが普通なのか……? 最近の若者の普通が分からん……俺も若者なのに。


「そんなことより、その様子だとシオンちゃんと仲直り出来たみたいだな。つっても光一、かなり負けず嫌いでいじっぱりだからなー。ちゃんと謝れたのか?」


 てっきり翔からは触れてこないものかと思ったが、からかい混じりに躊躇なく昨日の顛末を尋ねられる。

 俺は一瞬どう答えたものか迷ったが。


「……まあ、一応は何とかな」


 詳細は語らず、それだけを口にする。


 シオンを迎えに行った時も、メッセじゃ最低限の事しか翔には説明していない。

 当事者である翔には何があったか後でもっと詳しく説明すべきだろうが、ひとまずこの場でこれ以上は言わない方がいいだろう。

 これから夏祭りを楽しむって時に、積極的に話したい内容でも聞きたい内容でもないだろうからな。


 そのことを、付き合いの長い翔は汲み取ってくれたのだろう。


「そっか。じゃあ一安心だな」


 それ以上は何も聞かず、短く頷いてくれた。

 空気の読める幼馴染に感謝しながら、俺は意識を切り替えるように一度息を吐いて、今度は改まって翔へと頭を下げた。


「翔。昨日は色々迷惑かけた。すまん、マジで助かったわ」


 急な俺の謝罪と感謝に、佐久間翔は一瞬ぽかんと間の抜けた表情を見せてから、すぐにいつもの人好きのする笑顔を浮かべて、


「いやホントだよ。急に飛び出してった時はすっげー焦ったんだぜ? あの時の光一、あのまま電車にでも飛び込みかねない顔してたからさ、連絡付くまで超ヒヤヒヤしたっつーの」


 言って、冗談めかすような軽い調子で肩パンでの返礼をしてくる幼馴染。

 ともすれば昨日の今日で深刻になりかねない空気をうまく誘導して、いつもと変わらない距離感で接してくれるその気遣いが今はありがたかった。

 俺はありがたくその気遣いに甘えさせて貰う事にして、小さく破顔して、


「……電車ってお前、流石に大袈裟だろ」

「でもシオンちゃんはそれくらい心配してたんじゃねえの? お前が走ってった直後、凄い顔してたぞ、あの子。俺でも一目で分かるくらいにはさ」

「それを言われると心がキリキリ痛むので勘弁してくださいホントに……」


 痛い所を突かれ苦い顔をする俺を見て、翔はからかうように笑う。……こいつ、完全に俺をいじめるのを楽しんでやがる。


「おう、痛め痛め。女を泣かせるような男は多少は痛い目みて反省しろって事だ」


 種子島で一番女を泣かせていそうなヤツ(俺調べ)にこんな事を言われる羽目になるとは。


「いや、ほんと昨日の件に関してはマジで申し訳ねえと思ってるから……この埋め合わせとお礼は、必ずや……」


 平身低頭。合わせた両の掌をスリスリとこすり合わせながらこの茶番劇を終わらせる許しを請う俺に、翔は顎に手を当て明後日の方向を見やり思案するようなポーズを取ると、翔は思案するように唸って、


「んー、じゃあ泰来軒のチャーシュー麺特盛りで手を打ってやるか。俺、昼まだなんだよね」 

「……ぐっ、お前ソレ千五百円もする化け物ラーメンじゃねえかよ……」


 いくらバイトをしてるとはいえ、大学生にとって飯代で千五百円はかなりの出費。

 とはいえ昨日あれだけ迷惑をかけたのにラーメン一杯を出し渋るのはあまりにケチでダサいしこのまま昨日の事をいじられ続けるのは精神衛生上あまりよろしくない。


「……いや、いいよ。分かったよ。俺だってもう大学生だ、それくらい余裕で奢ってやるよ」

「お、言うじゃんか光一。じゃ、遠慮なくゴチになるとしますかね」


 結果、強がって頷く俺に翔はニヤリと口端を嫌らしく吊り上げた。


「……なあ、光一。結局男に飯奢る羽目になったな」

「うるせえ、ほっとけ」


 相変わらずのリア充クソ陽キャの距離感でこのクソ熱いなか肩に腕を回してくる幼馴染のクソ鬱陶しい手を払いのけながら、俺は仕方なく男二人で馴染みのラーメン屋へと足を向けるのだった。


 ……こういうのも悪くない。久しぶりの幼馴染とのやり取りに、そんな感慨を覚えたことは俺の心の内だけに留めておきながら。

 


☆ ☆ ☆ ☆



 翔にラーメンを奢ったりして時間を潰した後、俺と翔はバスを乗り継いで一足先に西之表市商店街を訪れていた。


 現在時刻は午後五時半。

 前夜祭の正式な開始時間は午後六時からなのだが、既に祭り会場の商店街とその近隣の通りは人と熱気に溢れ、道端に立ち並ぶ屋台や出店の列からは美味しそうな匂いの煙が立ち昇っている。


 焼きそばにたこ焼きイカ焼き、フランクフルトにわたあめりんご飴かき氷などの祭りの定番ものから、タコスやケバブに肉巻きおにぎりドラゴンフルーツなんていうちょっと特別感のある変わり種まで、出店のバリエーションはかなり豊富だと言っていいだろう。

 この光景を見てシオンがどんな表情を浮かべるのか、それを想像するのは不覚にもちょっと楽しかった。


 会場周辺は三十分ほど前から歩行者天国になっており、車道にまで人が溢れかえっている。

 楽しげな人々の喧騒の中に身を投じ、その流れに逆らうように歩くのだが、歩いても歩いても人の流れが途切れない。

 祭りに来ること自体が久しぶりなので断言は出来ないが、やはりロケット打ち上げの影響か例年の鉄砲まつりよりよっぽど人が多い気がする。


「分かってはいたけど想像以上に凄まじい人だな……合流出来んのか、コレ」


 商店街のメイン通りから少し離れた場所にある島唯一のハンバーガーショップの前まで来て、うんざり息を吐く。

 わざわざ祭り会場から少し離れたこの場所を集合場所に選んだというのに、ここも凄い人だかりだ。


 ちなみに俺は、シオン達の着替えが終わった時点で家まで迎えに行って、そこから一緒に商店街へ向かえばいいと言ったのだが、それでは面白くないと彩夏に却下されていた。解せぬ。


「ま、あれで彩ちゃんはしっかりしてるし大丈夫でしょ。むしろ俺は合流してからが怖いな」

「シオンか?」

「そゆこと。シオンちゃん、スマホも持ってないし、色んな意味で常識外れだろ? 迷子になったら見つけるの大変だぞ」

「……分かってる。フラフラされても面倒だしな、手でも繋いどけば平気だろ」


 翔の心配も尤もだ。シオンは今回の祭りをかなり楽しみにしてたみたいだからな、あの様子だと目に付いたモノ目掛けてフラフラと手当たり次第に突撃して、気づいたら姿が見当たらない――なんて事になりかねない。

 と、そんな俺の妥当な返答に、何故だか翔は目を丸くしている。


「……なんだよ」

「いや、なんつーか。変わったよな、シオンちゃんへの態度。前はもっとこう、嫌がってただろ。少なくとも表面上は」


 翔の言い分は分かる。だが、それは勘違いだ。だって俺は。


「……別に、嫌なんかじゃなかったよ。最初から」


 そう。嫌なわけがなかったんだ。

 だって俺は、出会った時からシオンを小夜と重ねていたのだから。俺が小夜の事を嫌がるわけがない。


「ただ、俺は――」


 ――怖かっただけだ。


 どうしようもなく小夜を求めていながら、もう一度小夜との日常を過ごすことが。


 ……そんな事を口にする勇気などなく、続く言葉を曖昧な沈黙で誤魔化していると、


「ぴと」

「うおひゃ冷たッ」


 突如として俺の首筋に氷のように冷たい何かが宛がわれ、驚きに変な声が出てしまう。


 奇声の勢いのまま背後を振り向くと、そこにはキンキンに冷えたコーラの缶を手にしたシオンと長瀬彩夏が二人仲良くお揃いの浴衣に身を包んで立っていて――


「――、」


 ……やられた。


 そんな悔恨の一念が、最後に浮かんだ。


 完全な不意打ちに思考が空白に飲み込まれ、言語機能は一瞬でブラックアウト。

 そもそもこんな時に何を言えばいいのかさえ分からない甲斐性なしの俺は、阿呆のように瞠目し、ただただ目の前の二人の姿を脳裏に焼き付ける他ない。


 高校生にしてはスタイルのいい彩夏と、触れれば折れてしまいそうな程に華奢なシオン。

 対照的な二人が共に身を包むのは、涼やかで清楚な□に□色の大きな菊柄とガーリーな■■■の帯が映える女の子らしい爽やかさと可愛さを併せ持った浴衣。足元の下駄はは涼しげで、少し丸みを帯びたデザインで可愛らしく二人の背伸びを支えている。

 スタイルも性格も雰囲気もまるで違うというのに、お揃いの浴衣はとてもよく似合っていて、傍目にはまるで仲のいい姉妹のようにも見える。


 そして、そんな二人の印象が普段と異なっているのは、浴衣に合わせて髪型もいつものモノから変えているからだろう。


 普段は頭の後ろで結んでポニーテールにしている彩夏は、結んだ髪を簪でまとめてお上品なお団子に。明るく活発でいつも元気が有り余っている彩夏のイメージからは外れたスタイルとなっている。

 だがそれ故に、彼女が本来持っている素材の良さ。整った顔立ちとそれを薄すらと覆う上品な化粧とが相まって長瀬彩夏に一夏の妖艶な魔法を掛けているようだった。


 一方、普段は長い■髪をストレートに流しているシオンも、彩夏にやってもらったのか、三つ編みに編み込んだ髪をくるくると巻いて頭の下付近でまとめる少し大人っぽさを意識したヘアスタイルになっている。

 彩夏の慧眼と言うべきか、流石はロリコンとその業を讃えるべきか。普段の髪型ですら無造作と言い切ってしまうにはあまりに美しい■■色の艶かな■髪を持つシオンは、そこに一工夫加えるだけでまるで別人のようだった。

 彼女が持つ少女性、つまりは穢れなき無垢さ、透明感や儚さはそのままに、一つまみの大人っぽさ――現実と融けあい融和するような実在性を得た少女は、まるで物語の世界から飛び出してきたヒロインのような不思議な存在感を放っている。

 華奢な体を包む浴衣と髪の隙間から覗く□いうなじが、健全な艶やかさという矛盾を叩きつけてきて脳がクラクラした。


「あはは、見ましたか今のせんぱい後輩の間抜けな顔。いたずら大成功ですね、シオンちゃん」

「うん。確かに今のコーイチは面白かった。もう一回やりたい。コーイチ、今のもう一回」


 人の顔を見て腹を抱えての豪快な爆笑を披露する彩夏と、ほかほかと高揚に頬を上気させるシオン。

 いえーいと仲睦まじくハイタッチを交わす二人の初遭遇時の展開を考えれば彩夏はよくもまあここまでシオンとの関係性を回復させたものだとある意味関心してしまう。


 ……まあ、ゲームやらお菓子やらあの手この手で彩夏がシオンを餌付けしている所は容易に想像できてしまうんだけどな。コイツの性別が違ってたら即事案だぞ。マジで。


「……お前らな、首に缶ジュースってベタ過ぎんだろ……」


 見た目や雰囲気は違えど中身はいつも通りな二人にようやく硬直状態から回復した俺は、どうにか平静を装って呆れたような声をあげてみせる。

 すると彩夏は、そんな俺の内心の動揺などお見通しだと言わんばかりに目を細め意地の悪い笑みを浮かべ、しかしそのことには直接触れずに、


「えー、そのベタにあれだけベタなリアクション返す人にそんなこと言われてもーって感じですね。うおひゃあって何ですかうおひゃあって。こーはい先輩のくせに可愛い枠でも狙ってるんですかね? めっちゃウケます」

「似てねえモノマネすんの今すぐ辞めろそんな女々しい感じじゃなかっただろうが」


 腹立つうえになんか無性に恥ずかしいからホントに勘弁してくれ。あとその全部わかってますよ感を出すのもやめて、ホントに全部バレてそうで怖いから。


「そうそう、光一の顔で可愛い枠は無理があるって」


 いいぞ、その通りだ。翔、このアホどもにもっと言ってやれ。

 頼もしい増援に俺が期待の眼差しを送っていると、何故か翔はすべてを悟ったような顔で俺の肩に優しく手を置いて、


「俺は人の趣味にどうこう言うつもりはないけどさ、その無謀なキャラ付けはやめといた方がいいぞ、光一。思い出して後で痛くなるのはお前だ」

「無理やりなキャラ付けしようとしてるのはお前らだろうが俺にそんな特殊な性癖はねえてかちょっと待てお前そっち側なのかよ」

「ブルータス!」

「いやそれ俺の台詞だブルータスはお前」


 こいつ今絶対言ってみたかっただけだぞ。間違いない。だって俺がそうだから。


「確かに。先輩普通にロリコンですもんね」

「それはお前な? あとさりげなくロリを一般性癖枠に入れようとするな。十分特殊性癖だ」

「……チッ」

「真顔で舌打ち怖いからやめてね」

「コーイチ、コーイチ。男性で可愛い枠を狙うなら、男の娘という属性があると聞いた。コーイチもそれを目指すか?」

「こーはい先輩の女装……。待って、これはこれで……。シオンちゃん、さてはあなた天才ロリですね!?」

「ダメだこいつら手に負えねえ……」


 完全にボケの四面楚歌である。

 もうツッコミが間に合わないしツッコミを入れる気力もない。

 目の前で繰り広げられるカオスなやり取りに早くも諦めの境地に達して頭を抱える俺の無様な様子に満足したのか、彩夏は今度は見せつけるようにくるっとその場で回ってみせる。浴衣の裾がひらりと流麗に舞い踊る。


「それで、どうです?」

「……どうって、何がだよ」

「何がって、決まってるじゃないですか。今の私たちを見て、何か言うことがあるんじゃないですか? ねえ、シオンちゃん」


 話を振られた途端、一度俺の方に視線をやって何故か慌てて彩夏の背中に逃げ隠れようとするシオン。

 しかしその行動は予測済みだったのか、彩夏は自分へ向かってくるシオンと入れ替わるようにくるんと回って突撃を回避し逆にシオンの背後に回り込むと、その肩を後ろからがっしり掴んでしまう。

 そうなれば当然、俺と対面することになるシオンは、俺の視線から逃げることすら儘ならなくなってキョロキョロと挙動不審に美しい■瞳を迷子にさせながら、


「えと。あ、……その、――」


 正面、中途半端に開いては閉じてを繰り返すシオンの口から蚊の鳴くような声が漏れ、隠れる場所を失ったシオンの顔がかぁっと■色に染まっていく。

 そんなシオンの反応に、俺まで無性に恥ずかしくなってつい目を逸らしてしまう。


 ……何か言うべきだ。それは分かる。分かるのだが……こういう経験に乏しすぎて、そもそもこういう時に男が何を言うべきなのか分からない。

 そして分からない以上に、この状況そのものが俺のキャパシティーを完全にオーバーしてしまっている。


 夏祭りという喧騒の中。自分の息遣い、心臓の鼓動さえ相手に届いてしまいそうな泡沫の静寂が、俺たちの間を完全に支配する。その寸前。


「――だっ、男性は!」


 緊張と混乱と動揺とその他様々な感情が入り混じって、結局何も言えず言葉に詰まっていると、この沈黙そのものに耐えられなくなったのか、明らかに声量や声のトーンの調整に失敗したであろうシオンの調子っぱずれた絶叫が耳朶を叩き、急速に俺の意識をシオンの元へと引っ張っていく。


 俺は勿論、何故か声を上げたシオン本人も驚いて顔を上げ、視線がぴたりと合って石像のごとく固まること数秒、それで何か踏ん切りがついたのか、シオンは視線をやや下げて俺の口元あたりに固定すると、頬を染めたまま自信なさげにぽしょぽしょと、今度は小さめの声で話し始める。


「……男性は、お祭りなどの際、浴衣を着た女性に興奮すると聞いた。ゆ、浴衣姿の女性と花火を見ながら君の方が綺麗だと口にすれば告白成功率は九割以上だとも。つ、つまり、今がチャンス。わたし大安売り。攻略大セール中……」


 瞳を潤ませ、つっかえつっかえでたどたどしい言葉を重ねるシオン。

 シオンもシオンで混乱しているのか、半分以上は何を言っているのか分からないし、おそらくはシオン自身も自分が何を言いたいのか分かっていないであろう事がありありと伝わってくる、そんな話し方だった。


 それでも、必死に言葉を探して、懸命にそれを紡ごうとする彼女の努力は、その想いは、真っ直ぐに俺の胸に届いてきて、


「だ、だから……その。コーイチは、こういうの……好き、か?」


 おずおずと俺を見上げる潤んだ瞳に滲む羞恥と不安、そして指先が白くなるまで必死に握りこんだ一握りの勇気。それは、正真正銘初めて見るシオンの表情で、極大の感情だった。


 俺は、手持ち無沙汰を誤魔化すように頭を掻きながら、


「えっと……まあ、その。うん。なんつーか……」


 顔が熱い。頭も。やたらと喉が渇いて生唾を飲み込んだ。

 祭りだからだろうか、ドクドクと太鼓の音が身体の内側で鳴り響いて俺の思考を乱していく。

 一言。たった一言でいい、絞り出せ。俺が思っているままを伝える。

 それがシオンの勇気に報いるという事だ。そのはずだ。そうしなければと思っているのに……ヘタレな俺の声帯は仕事を放棄する。

 シオンに対して俺が抱いているはずの解答と、俺自身の身体との反応が一致せず、嫌悪感めいた拒絶反応が毒のように全身を駆け回って俺の矛盾を指摘する。


 あー、とか。その、とか。どうでもいい接続詞ばかり並べ立てて肝心な事が言えないまま、気まずい時間ばかりが流れていく。


 駄目だもう無理耐えられない……大学ぼっちの人間に初手でこれはハードル高すぎだってマジで余裕で下潜り抜けられる高さなんだけど。

 何でもいいから誰かこの地獄を終わらせてくれー―そんな俺の願いが通じたのか、俺のヘタレっぷりを見かねた翔が、


「――浴衣、お揃いにしたんだね。二人とも凄く似合ってる。それ、彩夏ちゃんが選んだの? 流石、いいセンスしてるね」

「ありがとうございます、翔先輩っ。折角の浴衣デートなので、ペアルックにしてみたんですよ。ねー、シオンちゃん?」


 一瞬、最後まで口を開けなかった俺に呆れとも失望ともつかぬ鋭い視線が飛んでくるが、実に自然に不自然な空気への介入を果たした翔のフォローに彩夏はすぐさま得意げな笑みを浮かべて応じ、後ろからシオンにしな垂れかかる。

 じゃれつかれたシオンは一瞬びっくりしたように呆けた声を上げたが、我に返ったようになって、照れ隠しなのか自分の■髪をいじり始めた。

 うーん、縁日で展開されるまさかの百合ロリ空間。


「……え、あ……ああ、そうだ。全部、アヤカがやってくれた。この髪のくるくるまきまきも」


 はにかみの中に浮かぶ少し嬉しそうなその表情が、この生活の中で彼女が獲得した尊いタカラモノなのだと思うと、胸の奥がじんわりと暖かくなってくる。


 やはり俺は、シオンが笑顔でいる事を嬉しいと感じているのだろう。

 別にそれはおかしなことではない、感情が分からないと言ってた彼女が俺との共同生活を経てその笑顔を掴んだというのなら、それは間違いなく喜ばしい事なのだから。

 でも。それなら、どうして俺は……。


「へー、髪も彩夏ちゃんがセットしたんだ。凄いな。いつもと印象違うよ、やっぱり」

「そうでしょう。そうでしょう。可愛いでしょう?」

「ああ、二人とも可愛いよ」

「もー、翔先輩はすぐそうやって女の子を落とそうとするんですから。どうせ誰にでもそういう事言ってるんでしょう?」

「別に、誰にでもって訳じゃないよ。俺は思ったことを言ってるだけだし」

「いえいえ騙されませんよこの遊び人めっ、いくら翔先輩が相手だろうとシオンちゃんは渡しませんからね! お前のロリも俺のロリも私のロリです!」

「うーん、やっぱ彩ちゃんは凄いな。どんなルートを辿っても最終的な終着点はそこなんだね」

「……、」


 いや彩夏の鉄壁ロリコンぷりも凄いがお前も大概だろ。なんだ今の流れるようなやり取りは。

 なぜそうも自然にスマートな感じで恥ずかし気もなく女の子を褒める言葉がスラスラ出てくるのか。

 こっちは窒息寸前の息苦しさだったって言うのに、この恥ずかしいイケメン野郎めがよォ。

 異次元の会話過ぎて何一つとして理解できねえ……でもやっぱり一番理解できないのは長瀬彩夏の結論だったな。ジャイアンを超越する超ロリ理論。ロリは誰のものでもねえよ。


 肘で俺の脇腹をつついて「貸一な」とこっそり伝えてくる翔。

 今回に関しても言い訳のしようがないレベルでおんぶにだっこだったので、拒否権など俺にあるわけもない。


「それじゃあ、みんな揃ったことだしそろそろ行こうか」


 そのまま移動を促す翔の提案に彩夏もシオンに頷いて、こうして俺たちの夏祭りはスタートしたのだった。


「……コーイチのいくじなし。ばか」


 ぼそり。俺を追い抜きながらシオンが小さく零した不満げな呟きに、俺は何と返せばいいのかやはり分からなくて、頭を抱えながら思わずぼやく。


「……開始一秒で帰りてぇ……」

「何馬鹿なこと言ってんだよ、シオンちゃん担当は光一だろ」

「あ、恥ずかしイケメン野郎」

「おい、誰が恥ずかしいくらいにイケメンな野郎だ。照れるだろ」

「……言ったけど言ってねえよちくしょう……」


 悪口を勝手に美化すんなお前の顔面はもう十分に美化されてんだろぶっとばすぞ。


「そんな事より。ほら、迷子にならないように手を繋いでやるんじゃなかったのか?」

「ニヤニヤとお前っ……さっきの今で鬼か? 人の心がないの?」

「失礼なヤツだな。奥手でヘタレな幼馴染の背中を押してやってるだけだろー?」

「背中を押した先にあるのは地球の破滅なんですけど……お前、やっぱり実はシオン側だろ」

「あはは、まあ俺としては、むさい男より可愛い女の子の味方でいたいと思っちゃうよな」


 こんな、甘酸っぱいなんて表現するには些か痛々しい時間さえも、きっと。いつの日か思い出して頬を緩める時が来るのだろう。

 生きている限り、いつか。

 そんな、俺にとっては何の益体もないことを思考の片隅で考えていた。


 ……胸の奥で存在を主張し続ける甘苦い痛みを、見て見ぬふりをしながら。



☆ ☆ ☆ ☆



 正直な所、俺みたいな人間が心から夏祭りを楽しむことが出来るかどうか、不安が全くなかったかと言えば噓になる。


 なにせこちとら小学生以来、その手のイベントからは意図的に距離を置いてきた身だ。

 こういうお祭り事でのはしゃぎ方も楽しみ方も忘れてしまって久しい。

 当時は当たり前のようにこの手の行事に参加し率先して楽しんでいたのが噓のような酷いアウェイ感。

 特別も例外も異常も非日常だって欲しくないと言っておいて、夏祭りという非日常の一幕を許容する二枚舌に自己嫌悪を覚え、道を行き交う楽しげな人々の群れには虚無を感じる。

 さらには開幕早々メンタルに来る展開に晒され、速攻で帰宅欲を刺激されていた俺だったが――


「……なあ、光一。本気でこんな事やるつもりか?」

「なんだよ翔。今更になってビビッてんのか? 別にいいぜ、昔みたいに逃げてもさ」


 目の前、揺らめく地獄の炎に熱せられ、灼熱の煙を立ち昇らせる球体を前にして、俺は好戦的な笑みを広げていた。


 ……分かっている。これは安い挑発だ。

 一々相手にしていられないと切って捨てるのが模範解答な賢い大人のあり方なのだろう。

 実際、俺たちのやり取りに特に興味がない女性陣は、一歩離れた所でりんご飴を舐めながら俺と翔、そして両者の果し合いを見届けんとする寡黙な男の三名を、冷めた様子で眺めていた。

 その視線、まるでガラス越しに実験対象を観察する白衣の科学者の如き絶対零度。そんな視線、意識したら死ぬまである。心が。


 だが俺は信じているんだ。


 佐久間翔、お前の中にもまだ、子供のように無邪気で純粋で、それゆえに燃え上がる熱い心があるという事を。


 祭りの楽しみ方すら忘れていた俺がそうだったように……お前も……ッ。あの頃のように!


「……はあ。光一、お前もずいぶん大人しくなったと思ったけど、根っこの部分は相変わらずみたいだな。頑固で負けず嫌いで、すぐ馬鹿をやらかす」

「それはお互い様ってヤツじゃねえのかよ、ブレーキ役くん」


 呆れたように吐息を吐きだす翔と、そんな翔を煽るように不敵に笑う俺。周囲に漂うピリピリと肌を焼く一触即発の空気。その余波に、寡黙な男の額を汗が伝う。


「そうでもないだろ。昔とは色々違うと思うぜ? だって、今の光一と俺とじゃ、優劣なんてわざわざつけるまでもないだろ。誰の目にも明らかだ」 

「決着をつけるのが怖いってんなら無理せずそう言えばいいと思うぜ、翔」

「……分かった。そこまで言うなら仕方がない。俺だって言われっぱなしで黙っていられる程大人じゃないんだ。その子供の挑発に乗ってやるよ、光一」


 更に重ねられる俺の挑発に目を閉じ、一度だけ小さく頷く幼馴染が次にその瞼を開いた時、その相貌に座す覚悟の輝きを宿した瞳が爛々と、対峙する俺を真っ直ぐに射抜いていた。


 瞬間、武者震いにも似た衝撃が全身を駆け抜けて、俺は最後の戦いが始まる予感にニヤリと口角を釣り上げる。


 勝者の陰には必ず敗者があり、敗者の存在こそが勝者の証明となる。


 ならば男二人が真っ向からぶつかり合って、そのどちらもが依然立っているなどあり得ない。


 さあ、決戦の準備は整った。


「……嗚呼、俺たちの因縁に。今ッ」

「決着を……!」


 二人の脳内に虚構のゴングが鳴り響き、今、戦いの火蓋が切って落とされる――刹那。俺と翔、二人の対峙を見届ける寡黙なオヤジの瞳がくわぁと勢いよく見開かれ、筋骨隆々のその両腕が同時に閃いた。


「――こおぉおおおっっ!! 激辛ドラゴンブレスチリ入りロシアンたこ焼き二人前、お待ちィ!!」


 ――ドッ! 威勢よく俺と翔の前にたたきつけられる小舟型の容器、その中でホクホクと鼻孔をくすぐる香ばしい湯気を立ち昇らせている灼熱の九つの球体――ソースにマヨネーズ青のりにかつお節と定番のトッピングを施された旨そうなたこ焼きが、高良光一と佐久間翔との最終決戦の開幕を告げたのだった。


「たこ焼きで決着する因縁って何なんですかね? ……あ、このりんご飴、中にジャムが!」

「美味しそう……アヤカ、わたしもアレ食べたい」

「うーん、シオンちゃんにロシアンたこ焼きはちょっと早いですかねー。ほら、そんな事より一緒にわたあめ買いに行きません? わたあめ!」

「ふわふわのヤツ! 行きたい」


 ついに完全に興味を失ったのか、すぐ近くの綿菓子の屋台へと歩き出すシオンと彩夏の二人を視界の端に収めつつ、俺はこれまでの翔との激戦に思いを馳せる。


 射的、的当て、景品くじに輪投げに金魚すくい、そして型抜き。

 ただ回るだけじゃつまらないからと軽い気持ちで勝負を提案した彩夏の予想を超えたヒートアップを見せ、二人を完全に置き去りにしている俺と翔は現時点で既に六戦を終え、その戦績は三勝三敗と並んでいた。

 つまり、このたこ焼きロシアンで勝負が決まる。ここが俺たちにとって天下分け目の関ヶ原……!


 ルールは簡単、同時に一つずつたこ焼きを頬張り、最後まで激辛を引き当てなかった方の勝ち。

 ついでに店主の前で最後の一個になるまで激辛たこ焼きを引き当てなかった場合、たこ焼き代がタダになるという嬉しい特典付きだ。

 俺と翔、どちらが勝者に相応しいか。互いの運命を競う最終戦にふさわしき対決だった。


 俺と翔は一瞬、目配せをするように互いの視線を交錯させると――手に握った爪楊枝を手の中でくるりと回し、息ピッタリのタイミングでたこ焼きへと突き刺した。


 そのまま、躊躇を押し殺して灼熱の球体を口内に放り込み――嚥下。ごくり。喉を鳴らす生々しい音が、両者同時に響く。


「……さすがの悪運だな、光一」

「そっちこそ。そのスカし顔、腹が立つほど似合う野郎だよお前は」


 ニヤリと笑いあって、そのまま二個、三個、四個、五個とテンポよく食べ進めていく。

 止まらない爪楊枝。アツアツのたこ焼きに思わず漏れる吐息。両者一歩も譲らず、激辛を引くことなくたこ焼きを消化していく。そして――


「――あと、三つ……ッ」


 俺と翔、互いに当たりを引かぬまま、たこ焼きは残り三つにまでその数を減らしていた。

 この時点で、激辛を引く確率は三分の一。

 かなりの高確率で当たりを引く危険域。

 俺と翔のたこ焼きロシアンは、いつ勝負が決まってもおかしくない最終局面へと差し掛かっていた。


「……そろそろ当たりを引いてくれてもいいんだぜ、翔」

「……そっちこそ。良くも悪くも光一は『持ってる』からな。ここらで面白おかしく当たりを引いといた方がらしいんじゃないか?」


 緊張と口の中で暴れまわるたこ焼きの熱さ、陽が傾いてなおじりじりと襲い来る真夏の熱気とが相まってダラダラと汗を流す俺と翔。

 互いに一歩も引かぬ勝負の中、着実に迫る決着の瞬間に、胃がキリキリする。

 互いに次の一手が勝負を分けることになると、確証なき予感を抱く中。俺と翔はタイミングを示し合わせたかのように手元の爪楊枝を閃かせ、己の中に生じ欠ける怖気と逡巡を飲み込むように灼熱のたこ焼きを口の中へと放り込んだ。


 ――咀嚼。

 瞬間、隣の翔から「――うっ」という呻きにも似た呼吸の乱れを感じ取り、半ば勝利を確信しかけた俺は――


「――が……っっっっ~~~~~~~~~~~づァッッッ!!? ごぶっ、ァ……っっっっ」


 次の瞬間、遅れて口の中に燃え広がった想像を絶する喉と舌とを破壊する地獄の『痛み』に、声にならない悲鳴を上げ隣の翔共々地面をのたうち回る事となった。え、待って。なにこれ辛っってか痛い!!


 ……そう。奇しくも、俺と翔は同時に激辛たこ焼きを引き当ててしまったのだッ! 


「どうやら、二人とも当たりだったみたいだな。あともう少しだったんだが、ルールはルール。じゃ、約束通りお代を頂こうか。ほい、一人二千五百円な」


 予想を裏切る饒舌でお代を要求してくる寡黙そうなオヤジに、俺と翔は涙目で、


「ひ、人殺しの料理を食わされて二千五百円……」

「解せねえ、理不尽だぼったくりだろこんなの……」


 土の味すら分からない程の敗北の痛み(カプサイシン)により地面に崩れ落ちる俺と翔の財布から、斯くして二千五百円という大金が一瞬で消え失せたのだった。


 ……本日の勝敗、三勝三敗一分けの為ドロー。


 激辛たこ焼きのあまりの辛さに屈し、完全に戦意を喪失した俺と翔とを、


「はぇー、これまた見事な同士討ち。男の子っていくつになってもバカなんですねー」

「アヤカ、コーイチとショウ、泣いてる。あの丸いの、そんなに旨いか?」


 女性陣二人は買ってきたわたあめ片手に吞気に眺めているのだった。



 ――祭りを楽しむ事が出来るかどうか不安だなんて言ってみたが、蓋を開けてみればこの通り。俺は八年ぶりの夏祭りを、気の置けない幼馴染たちと共に心から満喫していた。

 ……キャラ崩壊? いいんだよそれくらい。せっかくの夏祭りだ、男はこれくらいバカになって騒いでなんぼだろう。


 これが最後なら、尚更。

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