前編
教室の後ろから声がした。
「目が見えないと他に見えることもあるんだよ」
ドキリとしてしまった。
クラスカーストトップの阪口夏樹だ。アイツの声は気持ち悪いほどよく通る。
オレは机の中で拳をギュッと握ってからそっと振り向いた。掃除道具入れの横でメガネを外し、切れ長の目を光らせて立っている。
――カンベンしてくれよ。
◇◇◇
その日は朝から落ち着かなかった。理由は他にあるのだが、周囲が騒然としていると輪をかけてどうしようもない。
まずは平安貴族キャラの阪口が見慣れない黒縁メガネで現れたのだ。もちろんクラスの女子たちはきゃあきゃあ言った。
「目、悪かったの? いつもはコンタクトなんだあ」
という子がいるかと思えば、同小の女子は、
「懐かしー、小六までかけてたよねー」
などと物知り顔をする。
ざまぁ見ろ、これでおまえの中学デビューもこの中三の春で一巻の終わりだ。コンタクト失くしたのか知らないが、王子様からオタクに転落。
別に個人的に恨みがあるわけじゃない。同じクラスになって1カ月、どちらかというと、阪口は嫌味のない良いヤツで、クラス委員もやってくれている。
でもそれだからこそうんざりするってもんだろう?
特に相手が勉強も運動も音楽もできて誰にでも優しいとなれば、同じ男として敬遠したくもなる。自分にはムリだろう中高一貫制私立の狭き門、高校入試枠に楽勝らしい。
性格に嫌味はなくてもその存在自体が嫌味だってこと。
「イケメンってメガネも似合うね」
「なんかメガネの奥って目が見開いてて、よっぽど大きい感じする」
ウソだろ?
普通視線はメガネフレームに吸い寄せられて、中の瞳までまじまじ見やしない。相手が自分のような影の薄いヤツだったら、レンズの中に気が付く女子などいやしないんだ。
同じメガネ男子でもこの扱いの差……。
見つめてくる女子の目を見返せる阪口の性格も信じられない。
「コンタクト、どうかしたの?」
「父親に奪われた」
「「「何、それ、ウケるー!」」」
わいわい騒ぐ女子の向こう、教室の入り口に立ち尽くしている入江清良が見えた。入室を躊躇っている。
こっちはいつもの、紺色のスクエアフレームをかけていない。漆黒の短めボブとそのメガネは、入江の、意志の強そうな性格にぴったりだったのに。
また女子が群がる。
「きゃー、清良どうしちゃったの? かっわいーじゃん?」
「も、もう、ちょっと黙っててよ、恥ずかしいんだから」
「どうして、どうして?」
「メガネがないって、ブラ着け忘れた気分」
「ぎゃー!」
入江は十分声を落としていて、周囲の奇声にかき消され常人の耳には届いてない。
でも入江ファンのオレがアイツの声音を聞き逃すはずがない。ぼっと顔が熱くなった。
「前髪なしにメガネもなしじゃ、顔が出過ぎるんだってば……。前髪作ろうかとも思ったけど、やっと長さ揃ったとこだし、切りたくなぁい……」
「このままがいいよ。清良、キレイだから。それで、目は見えるの?」
「あ、うん、片目だけコンタクト入れてる。でも私メガネじゃないとダメ……、絶対あがる、人前でクラなんて吹けないよぉ……」
入江は合奏部で、背筋をピンと伸ばしてクラリネットを吹く颯爽感がいいのに、今日はどうもうつ向き気味。横髪がさらりと頬を隠してしまう。素顔を見るチャンスでもあるのに、オレは良心の呵責で直視できない。
本人は女友達にポンポンと背中を叩かれ、励まされてから席に着いた。
朝のHRで入江清良のメガネが紛失したと担任が告げる。
昨日掃除の後、入江はレンズの汚れが気になったので後ろの黒板の前で外した。自分の整理棚のカバンからメガネケースとスプレーを取り出したところで部活の友人に呼ばれ、その子の教室へ行った。戻った時にはメガネだけ失くなっていた、そうだ。
「かけてなけりゃ気付くだろ? 取りに戻らなかったのか?」
男子の誰かがバカにするように呟いた。
入江が俯いたまま席から立ち上がったが、いつものはきはき感が全くない。
「あ、あのー、私の目、悪いのは片方だけで、片方は度入ってない、見えないわけじゃなくて……。ただメガネ無しだと頭が痛くなるんです、倒れたこともあって……。明後日演奏会があるのに、新しいのが間に合わないかも……」
「そういう大事なメガネだから、誰か何か知ってたら教えてくれ」
担任が口添えすると、
「全員の持ち物検査でもしてみますか?」
と、クラス委員の阪口が全く悪気は無さそうに呟いた。
担任は聞き咎めて、
「誰かが持っていると疑ってるんじゃない。落ちていたのを見たとか、放課後他のクラスの者が来ていたとか、そういう情報が欲しいんだ。クラスメイトが入江を困らせるとは思えないからな」
と締めくくって教室を出ていった。
◇◇◇
「これなの? 僕にメガネを探せって?」
担任と入江の話を聞きながら阪口夏樹は頭を掻いていた。
「僕に何かできるって思ってんの?」
一応昨日の父との会話を復習してみた、どこかにヒントが隠れていないか。
家業の音楽の神社の拝殿内、目の前に正座する神主姿の父親と、学校帰り制服の自分。毎日の日課だ、普段は教典のどこかを歌う。次に聞こえた言葉だけがいつもと違った。
「コンタクト外して」
「はあ?」
父、阪口信也は、立派な神主でありながら言動がどうも年相応でない。その対応には生まれてこの方鍛えられているはずが、いくらなんでも反応し兼ねた。
「コンタクトぉ? 目の? 外すの? なんで?」
「目が見えないともっと見えるものも出てくる」
「……それは修業としてですか?」
相手が親神官として話すなら弟子としては無碍に逆らうわけにいかない。
「違うよん」
「よんって何?」
46歳にもなってしっかりしてよという言葉を夏樹は呑み込む。
「メガネじゃないんだから簡単に付け外しできないんだよ、コンタクトは」
「うん、だから没収」
「没収? 今晩宿題も明日学校もあるのに?」
「これと取り替えっこ」
見覚えのあるものが父の指先で鈍く光っていた。
「なんでそんなもの持ってるの、それ僕の予備のメガネじゃん!」
「じゃんって言った! 珍しぃー、夏樹」
両肩を落としてため息を吐くしかなかった。
「いつもメガネかけてて急になくなったら、ブラ忘れたみたいな気分になる?」
自分が真っ赤になるのを意識してよっぽど加速する。
「知らないよ、ブラなんてつけたことも触ったこともない!」
「じゃ、チャックが開いてる感じ?」
「そんなこと聞いてどうするのさ?!」
視力がばっちり良い当の本人はどこ吹く風で、僕の黒縁メガネをかけて辺りを見廻している。
「メガネもコンタクトもおんなじだと思うけどなー」
ムカッときた。
「目のいい人にはわからないよ!」
怒っても仕方ない、何か理由がある。こんな時は問い詰めても答えは返ってこない。メガネで過ごして欲しい理由がどこかにある。一両日中に何か起こるのが今までの経験だ。
――こんなヤツが僕の父親なんだよ!!!
心の中で絶叫しておいて、しぶしぶとコンタクトをケースにしまい、メガネと交換した。
入江さんは昨日、演奏できないかもと、うちの神さまに泣きついたらしい。
僕の交友関係からしてこのメガネ探しに知らんぷりはできない。
「夏樹ぃ、なんかやってみなよー」
父親の間抜け声が頭に響いた気がした。
――阪口信也、アンタは音楽の神さまの生まれ変わりかもしれないが、僕はアンタの式神じゃない!
企画条件「眼鏡が壊れてコンタクト」に逸脱するかもしれません。清良は自分の眼鏡が壊れていることをコンタクトで登校時にはまだ知らないので。
ご許容いただけると嬉しいのですが!
テーマ『眼鏡娘とコンタクト』
条件 『女の子は普段眼鏡。その眼鏡が壊れてコンタクトにしてきた。男の子は普段コンタクト。彼も彼女と同じ日にコンタクトがなくて、眼鏡にしてきた。』




