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(二十三)エンドレス・ラブ

 母親の良枝は英姫と達也の結婚は待つまでもないと見限って、英姫に内緒で電話番号を変えていた。何度電話しても現在不通の録音テープばかり流れるのを不審に思った達也は、良枝(ヤンジ)の仕事場にかけてみた。

「達也です」

 と名を告げたとたんに電話を切られた。

 ……母親の仕事場にはつながるのに家の電話が不通? 英姫を電話に出させないためだ。嫌われた。英姫の実の母親だけにショックは伯父のとき以上だった。達也は良枝を恨んでみた。が、立場を入れ替えれば、定職のない男など同じに扱ったろう。玄関はおろか勝手口まで閉じられてしまっては打つ手はない。達也は、英姫が早く気づいて彼女から電話して来るのを待つほかなかった。

 一方の英姫は、有らぬ噂を立てられて針のムシロで耐えている達也の、せめて邪魔になるまいと電話を遠慮していた。達也から電話があったときに励ましてやろう。英姫は今は試練の時期なのだと素直に思っていた。


 達也が樫山学園に出講するのは週に二日だけになった。学校からの電話もまったく無くなった。惨じめだった。専任教諭から非常勤講師へ、蜘蛛の糸がプツンと切れて地獄へまっ逆様のカンダタだ。経済が破綻した。貿易会社にでも就職すればどうにかなるかも知れない。

 しかし、達也は予備校や塾ばかりを探し歩いた。彼は樫山学園の非常勤を犠牲にする仕事は考えなかった。予備校や塾で専任になるつもりもなかった。『非常勤でも学校の先生は先生です。達也さんが悪いわけじゃないんだから、誤解はきっと解けます。噂なんかに負けないで学校の先生を続けてね』と英姫から哀願されたことが頭から離れないのだ。英姫は自分が教師を目指しているせいか学校にこだわった。教員への漠然とした憧れと尊敬がじゃまをして、非常勤の情けなさは実感できなかったのだろう。はたちそこそこの娘に、男社会、いや、実社会に仕掛けられる汚い罠のことなど知る由もなかったのだ。達也はそんな英姫の幼い思いが愛おしくて、常識的にはおよそ賢くない選択をした。それほどに英姫と切り離されるのを恐れた。達也は樫山学園非常勤講師の立場に甘んじた。

 生活が一変した達也を、岳志がアパートに訪ねてきた。ずかずかと上がり込んで、テレビの上の写真に向ってガクっと頭を垂れた。

「英姫、すまんっ」

 達也が初めて英姫の家を訪ねたときに写真館で撮った婚礼衣裳の写真だった。

「達ちゃん、電話どうしたんだよ。ちっともつながらねえじゃねえか」

「英姫のおっ母さんに電話番号変えられちまってさ、ムシャクシャしたんでコードを引っこ抜いたまんま、ははは」

 達也のやることは意味がない、岳志は呆れた。のほほんとしてるようでけっこう感情的だ。

「英姫から電話があったらどうするんだよ?」

「ないよ。もうまったく。で、今日は何の用で来てくれたんだい?」

 岳志は持参した一升瓶の口を開けて達也にすすめた。

「くそ、副理事長の奴ァ化け物だな。タヌキだかヒヒだか、どっちにしても人間じゃねえやっ」

「副理事長って?」

「うちの学校の篠山隆蔵だよっ。ダミーの理事長を操って副理事長に収まってるアイツに決まってるだろがっ!」

「篠山……?」

「三ヵ月前に心臓発作で倒れて、今じゃ死にぞこないだとよ。年甲斐もなく英姫に横恋慕しくさって、挙げ句にゃ達ちゃんをハメやがったバチが当たったんだ。ざまァ見ろい、化け物めっ」

「ハメた?」

「達ちゃんは毎日学校に来なくなったから知らねえだろう。篠山がぶっ倒れてからこっち、達ちゃんのキーセン話なんかこれっぱかりも出ちゃいねえのさ」

 岳志は人さし指を親指ではじいた。

「PTAや校外にまで噂が飛び交ってると校長が盛んに言いふらしてたろ? でも、町のどこを歩いてもそんな話はまったく聞かねえ。副理事長に脅かされて校長の野郎が仕組んだにちげえねえが、証拠がねえんだよ」

 岳志のことばに達也は肩を落とした。

「遅いよ、岳さん。僕は退職したんだ。あちこちで半端な仕事をやっても収入は学校のときの半分。英姫とのことはもう無理だよ」

「達ちゃん、俺が代りに英姫のおっ母さんに会って事情を説明するよ。英姫にも会って早まったことはするなって言って来るよっ」

 岳志は意気込んだ。達也を焚きつけたのは自分だと責任を感じているようだった。相変わらずの男気だ。

「岳さんの気持ちはありがたい。でも、状況がこうだから、僕もボチボチ頭を冷やさなくちゃ」

「たいして良くもねえ頭なんか冷やしてどうするよ。本当にそれで気がすむのかあ?」

「ああ、すむよ。すませるよ」

 ………………

「達ちゃん、(生活が)大変だな……」

「ああ、アパートが新しくなって家賃あがったしな。能無しはそのうち野たれ死だな、ははは」

 達也は力なく笑った。

 派手なものの何ひとつない部屋を見回して岳志は本棚の一冊を手に取った。英文のリルケの選集をパラパラとめくるとメモがはさんであった。達也の筆跡だった。


 〈暁子〉


ぼくに 終わりのない 愛の歌を 残して

はなれればなれの 暁子よ

ぼくは知っています 

ぼくの声が きみに届くのを 

ぼくの歌を きみがよろこぶのを 

ぼくは知っています   

それを ぼくに 歌わせるのも きみがぼくの 

いのちのいのちだからだと 知っています


ぼくらは ぼくらの一生を まっすぐに 暮らすのだから

きみの足音が この部屋に 聞こえたら 暁子よ 

今度は 二人しずかに 語らいあおう

だから 言ってください 「わたしは居ます」と

「ぼくはここにいます」


はなれてある 苦しみのなかで 今 ぼくは

きみの そばにすわれる ひとときを 求めます

うつろな部屋で きみを 想うときです

静寂のなかで きみとぼくに に呼びかける ときです

ぼくらがぼくら自身に たどり着けなかったなどと 悲しまないように

ぼくらが いつまでも 暗く寒い戸外に 待たないようにと

太陽が 黄金の粉を まき散らす 朝が早く来るようにと

ぼくは ぼくらの 愛が成就する 朝を待ちます

待つことが そのまま 祈りだと 


愛は 尊大な者の 求めに応じない

それでも ぼくの心は なお一つの叫びをあげる  

きみをほしい きみだけをほしいと


望みに 心を疲れさせ 待っているのは ぼくだけではない

ぼくの祈りに きみを呼ばずとも ぼくを愛する きみは

いつも ぼくを 待っていてくれるので

あらゆるところに きみを 感じられます


だから 言わないでください 

ぼくらの前に 何も見えないなどと

ぼくらの道は どこにあるのかなどと


きみを想うと なぜ ぼくの生命がざわめくのか

夜に祈り 朝に希望を抱く ぼくへと立ちかえるのが

そのまま きみのもとへ 帰ることなるように

遠い二人を近づけて 愛を契らせた 存在が

朝の小鳥の 姿で ささやき 訊ねたら 言ってください

「ぼくらは 要るものと 要らないものを 分けたのです」と

まぶしい光を 眼にたたえて そう言ってください

これが きみへの ぼくからの ことづてです


 詩は大きな×印で消されていて〈投稿しない。もっと明るく愛したい〉と書かれてあった。失敗作か。……達ちゃんに女? 岳志は題名が気になった。

「なんで詩なんか書いてるんだ?」

「あ、それ読んだのか?」

「悪かったか?」

「別にぃ。貧乏人の道楽だ。金はかからないし(ひま)だしね、ははは」

「金の方はやり取り出来ても、時間はそうは行かねえよ。達ちゃんに頭と時間を使わせて、幸せもンだ、この娘は……」

「だといいけどな、ふふ」

「だれだよ、暁子って?」

「岳さんも知ってる娘さ」

「知らねえな。彼女ができたのか?」

「できるわけねえだろ。英姫だよ」

「なんで英姫が暁子なんだよ?」

「ちょっとした事情があるんさ」

 ……ま、いい。この暁子があの英姫なら、達ちゃんはどんなになっても終われない恋をしているということだ。愚直な男だ。羨ましくなるほどのバカ正直だ。こんな達ちゃんをあいつらっ……。

 岳志がぼそっと言った。

「目算があるわけじゃねえけどな、出来るとこまでやってみっから。しばらく臥薪嘗胆ってのをやってくれ。すまん、この通り」

 岳志は座ぶとんを外して両ひじを床に突っ張った。

「やめてくれ。なんであやまるんさ。僕がグズだっただけだろ……」


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