(二〇)解雇通告
篠山隆蔵がまた校長室に姿を見せた。
「渕上君っ、家内に先立たれて十五年、七十歳のこのワシが余生のすべてをかけようと決めた女だぞっ。それをあの勝又の若造めが韓国に逃がしてしまいおった。即刻クビにしろ、いまいましいっ」
渕上は篠山副理事長の憤激ぶりに思わず体を震わせた。
……たかが妓生一人を思い通りに出来なかっただけでこれか。勝又にも困ったもんだが、依怙地になった老人はどんな諫言にも耳を貸すまい。そして私の立場はますます危うい。やはりもうひと押しせにゃならんか……。
篠山老人が帰ったあと、校長室に呼び出された達也が棒立ちになって目を閉じていた。
「あれだけ言ったのに、また君が妓生と居るところを見たという話だ。学校としてもいよいよ考えなくてはならん」
……まさか。一体だれがどこで見たというんだ。僕はもう〈無窮花〉には行ってないのにおかしいな。学校をサボった生徒にでも見られたのか。店を一歩出ればジーンズTシャツの英姫がなんで妓生に見えるんだ……。
「今度も信頼できる筋からの情報で、噂はますます広がっていると言ってきた。学校としては一刻の猶予もない。君は再三の私の忠告を無視してきたのだから、覚悟は出来ているだろうな」
「覚悟……?」
解雇ということばが達也の頭のなかをぐるぐると駆け巡った。激しい動揺の中で彼は冷静になろうと自分に言い聞かせた。
……うろたえるな、落ち着け。噂されているのは僕でも、僕が立てた噂じゃない。その噂で職場を追われるなら、被害者は僕で、学校が加害者じゃないか。恋愛も結婚も憲法が認めた個人の自由だ。僕は間違ってなどいない。それをトカゲのシッポ扱いしやがって。さっさと厄介払いしてサバサバしたいわけか……。
「僕には実害が出ているとは思えません。僕も組合員です。これは不当解雇で事件になります」
「何ぃ? 校長の私を脅すのかっ」
「僕が脅していると言うなら、僕をして脅さしめているものがあるのでしょう?」
「屁理屈はいい。被害が出る前に善処するのが私の役目だ」
「僕の人権を無視するのを善処といいますか」
「もうたくさんだ。とにかく君がアテにする組合は君の味方ではない」
「え?」
「組合だって実害が出たときのことをまっ先に考える。生徒数が減ったら組合員にも死活問題だ。だれだって自分が可愛い。学校がなくなって組合だけ残るって法などないっ。噂とお化けは出てからじゃ手後れなんだよ。学校は体面だ、人気商売だっ。それを人権、人権とバカの一つ覚えか? 君は学園の品位を傷つけたのだぞ。性行不良で改善の見込みがないなら退学だ、と生徒手帳にさえ書いてあろうがっ」
人の集まる所どこへ行っても中傷する人間がいる。噂に効き目があると知っているからだ。そして結局、世間という姿を見せない敵は〈火のない所に煙は立たない〉と締めくくって〈悪評の張本人は学校から追い出せ〉と結論する。
校長と示し合わせていたのか、岡本主任が現れた。いやな予感がした。
「君だって一人の我がままのために教職員一五〇名を犠牲にしていいとは思わないでしょう? こんな状況になっても、まだ身を退こうという気になれませんか?」
岡本のバカていねいな口調に達也は苛立った。岡本にすれば、自ら面接に臨んで達也を雇った五年前にさかのぼって〈失敗〉を挽回するチャンスに恵まれたわけだ。岡本主任はねちねちと責任を果たそうとした。
一五〇人の生活か……。閉じた目のなかで五色の霧が濃く流れ出し、達也は吐き気がしてきた。
「勝又君ね、依願退職ということならわずかですが退職金も出ます。私からも口をかけてみますが、どうです、予備校を当たってみては? 英語科としては君に英会話担当の非常勤を考えていますから、それも頭に入れといてください。いえ、無理にとは申しませんよ」
「非常勤……」
岡本の話はナイフのように達也の腹をえぐってきた。




