表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂塵の魔女  作者: 追儺式
5/12

四章 砂海を往く

 朝日はまだ頭上に昇っていない。

 低い位置で砂海を照らすに留まっている。

 プラントの外壁は一部が崩れていた。砂上戦艦が壊した跡だ。あれほど巨大な砂上戦艦は、朝方にはこつ然と姿を消していた。

 陽光に晒されるプラントの周囲は出入り口だけではない、外周のフェンスを囲むように人垣で埋め尽くされていた。

 早朝だというのに、人々の眼は剣呑な光を宿していた。彼らの持つ道具は、手に松明やライフル、四つ股の鋤、鎌、山刀、スコップ等。自衛と言うにはあまりに過剰なものだった。

 何よりも驚くべきはその人数だった。男だけではなく女、老人までもその騒ぎには参加しており、プラントを囲む様子は絶対に逃さないという意思表示であるように見えた。

 プラントの建物から出てきたニコラは、フェンス越しに大勢の人々を認めると形の良い眉をしかめた。

黙って内鍵を外してフェンスを開けると、むっとする人いきれがニコラの周囲の空間を満たした。これだけの人数が包囲しているというのに、誰ひとり話しかけてくることがない。ただ草木が風にさらされるように、ざわめくだけだ。本当に草木だったらいいのに、とニコラは思った。光合成してくれるだけ、よほど世界のためになる。

「なんだい皆さん、朝っぱらから」ニコラは努めて気怠い声を出した。

「ニコラ先生、私たちの言い分は分かっているはずだろう」

 群衆を掻き分けてニコラの前に進み出てきたのは地主だ。このあたりでも一番の広さの畑を所有していて、ニコラにとってお得意さんであると同時に、プラント一の有力者でもある。

地主は比較的温厚な人柄で知られているが、その彼も今日ばかりは顔色を変えていた。表情は怒りよりも、困惑の色が強い。きっと周囲にそそのかされ、収まりがつかなくなったのだろう。

「まだ酒が抜けていなくてね、考えがまとまらないんだ。仕事もあるし、夕方くらいにしてもらえると助かるんだが」

 ふざけたようなニコラの態度は時間稼ぎのためと、問題を矮小化するためだった。問題が問題でなくなれば、この群衆も早々に解散する。

「ならば先生の方針を代行させていただこう。私たちはレイン・カリフと魔女の即時引き渡しを要求している。先生はおとなしく我々に従ってくれればいいだけのことだ」

 向こうは焦っているのか、早々に話題を切り出してきた。ニコラの薄皮一枚の微笑が破れ、剣呑な表情に変化する。寝た子を起こすようなことをするなど、このバカめ。

「お断りします」

「先生にだって分かるだろう、あいつに恨みがあって言ってるんじゃないんだ。どこで拾ってきたかは知らないが、あいつの拾ってきた魔女はこのプラントにとって危険なんだ」

 地主の部下がとりなすように間に入る。あいつ、とはレインのことだろう。普段から調整役をしているのを見たことがあるが、卑屈に笑いながら腰をかがめてこちらを見上げる視線がニコラの癇に障った。

「だから引き渡せと? あんたたちは彼を引き渡してなにをしようって言うんです」

「そりゃあ、騒ぎを起こした以上この街にはいられない。どこか他の街に移住するように準備させるさ」

「ずいぶん親切ですね。行先は砂賊の村ですか? 砂賊が更に力をつけてここを襲うという想像はできないのですか」

「それはない。先方とも話をつけている。何も焼いて食うわけじゃないさ、悪い話じゃない」

 言ってから男が口をつぐんだ。こいつらは砂賊にレインとQXを売り渡す気だ。ニコラは男に対する眼光がますます鋭くなるのを自覚した。

「やはり。レイン君とQXがここにいれば、砂賊に対しての抑止力になります。一度は追い返すことができたんです、むやみに攻めこんできたりはしないでしょう」

「そ、そうは言っても手付金は受け取ったんだ」

「受け取ったんですか!」

「仕方ないじゃないか、向こうが差し出してきたんだから。お、俺は銃を向けられていたんだぞ!」

 男の劣勢を見たのか、地主の顔色が変わる。まずい、とニコラは密かに舌打ちした。

「ならば先生、あんたの気が済むように彼と魔女をかくまったとしよう。そして、砂賊が攻め込んできたときにあんた責任取れるのか。住人の命が失われたとき、あんた死ねるのか。どうなんだ」

 地主の、赤く焼けついた鉄塊のような言葉は、地主が温和の仮面を脱ぎ捨てた証拠だった。極力譲歩はするが、譲歩できなくなった時には争いをするしかない。そうなれば一切の手加減や容赦がない。ニコラはレインの弁護に夢中になるあまり、地主を本気にさせてしまった。

「地主さん、あなたの仕事は畑を経営することですよね。そのためには私のプラントの強力が必要だ」

「……作物の苗を引き渡さない気か、取引条件にするために」

「違います。プラントの存続にはあなたたちの言う魔女が必要不可欠だということです。彼女がいなければ、我々は来年の収穫すら怪しい」

「どういうことだ」

「プラントが寿命に差し掛かっているということです。延命するためには魔女の強力が必要です」

 嘘ではなかった。現にQXが初めてここに足を踏み入れた時、プラントは死にかかっていた。それを蘇らせたのはQXの功績だ。地主がニコラの瞳を覗き込んで嘘がないことを確認するが、その表情は決して晴れることがなかった。

「……しかし、その前に砂賊に襲われてはどうにもならん。砂賊どもは、あいつらの身柄と引き換えにプラントの安全を保障するという取引を持ちかけてきたのだからな」

 地主は苦渋の表情だった。

 砂賊の取引と言うが、これはれっきとした脅迫だ。こちらがレインとQXを渡さなければ、向こうは即座にこちらに再び襲い掛かる準備ができているというわけだ。ニコラはいくら自分が浅知恵を巡らせたところで、有無を言わさぬ本当の力にはかなわないのだと自嘲の笑みを浮かべた。

 地主はニコラを諭すように穏やかな口調で話を続ける。

「ここは戦争から逃れた難民が寄り集まって出来た街だ。魔女に親を、家族を殺されたもんだっている。先生ならこの意味が分かるだろう?」

 たとえプラントを延命させてくれたとしても、魔女は魔女だということか。QXが魔女である限り、ここに住むことはできない。

「なら、この街はどうなるんです。QX無しでプラントを保守するなんて、わたしには手に負えない」

「あんたが無理なら別の人を寄越す、というわけにはいきませんかね。中央から」

「……人の質でどうこうなるわけではないのですよ!」

 自分の無能を指摘されたようで、ニコラは激高した。事実そうだとしても、人に出来ることには限界がある。ニコラ以上に腕の立つプラント技師は中央にはもういない。

「レイン君たちは疲れている、それに彼らが交渉を反故にすればどうなる。嘘を吐くという可能性もある。彼らを引き渡した瞬間からあなたたちの命が危なくなるという想像はないのか?」

「想像があるからこうして来ているのだ。奴ら、魔女が力の最も弱った時間を」

 地主は無表情だった。そして自分の言葉が彼らには決して届くことがないのだ、とニコラは目の前が暗くなってゆく感覚だった。

 誰かが指示をしたのか、地主たちの間から背の高い男たちが割り込んできた。ニコラの肩に掛ける手は遠慮がちだったが、問答無用といった雰囲気があった。

「すまないがどいてもらえるか、先生」

「どかなければどうするのだ。砂賊のように力でねじ伏せるか」

「……」

 男は答えることなく、手に力を込める。鎖骨がミシリと悲鳴を上げ、ニコラは苦痛に顔を歪めた。

「何も持たない少年少女を生贄に自分たちだけ助かろうというというのか、あなたたちは?」

「……あれは、魔女なんだよ」

 男が力なく言った。そのままニコラを強引に押しのけようとする。時間制限でも指定されているのか、男の顔には焦りの色が浮かんでいた。

「先生に触れるな!」

 雷光のように澄んだ声がプラントの庭に響き渡った。

「レイン、くん」

 ニコラは力が抜けてしまい、地面に崩れ落ちた。

 建物の正門扉にレインとQXが立っていた。ふたりとも外套に身を包んでいる。背中に大きな背負い袋があるのは、旅支度が済んだということだろう。

 それでも、徒歩で砂漠を、それも昼間の砂漠を歩くことは自殺行為に等しい。ニコラの時間稼ぎは夜を待つことにあったのだが、全ては無駄に終わってしまった。

「俺が出て行けばいいんだろう」

「砂賊はどうするんだ、おまえが逃げだしたら」取り巻きの男が口を開く。

「そんなのあんたたちが勝手に決めたことだろう、自分の尻くらい自分で拭けよ」

「この、恩知らずが!」

「自分たちの仲間を売り渡すような連中に恩なんて感じちゃいないさ。行こう、QX」

「はい、マスター」

QXの表情は深く被った外套に隠されていてよく見えない。しかし、声色には寂しさが滲んでいた。

「レインくん」

 ニコラの呼びかけにレインが振り向く。その表情は凍り付いた鉄板のように固く、誰も寄せ付けない冷気を孕んでいた。

「君はどこに行くんだ、なにをしようというんだ。宛てはあるのかね」

「……それを聞いて、どうしようというんです」

 ニコラはレインに答えることができなかった。答えがないことを確認するとそのままレインとQXは歩みを進める。行く手を遮るはずの人垣は自然に割れ、レインたちの前に道ができた。

そのまま一度も振り返ることなく、レインとQXはプラントの正門を出ていった。

「……先生」

 地主が安心したように肩を落とした。

「まだですよ。地主さんは砂賊に対しての言い訳を考えなければならない」

「そうだ! いまからでもあいつらをひっ捕まえて」

「やめんか!」地主が取り巻きの男を制止した。

「魔女は誰も止めることはできん。彼女たちのマスターを除いてな」

「じゃあ、どうすればいいんです、大将!」

「何とかする。先生、虫のいいことを言うようですまない。協力してくれるか」

 先まで角を突きあわせておきながら協力を求めるのは、確かに虫のいい提案だった。しかし、そうした節操のなさも地主には必要なのだろうとニコラは納得した。

「はい、私でよければ」

 どんな無理難題を持ちかけてくるのだろうか、とニコラは想像する。それと共に、砂賊たちがレインたちを求める動機について疑問が生じた。

 昨晩彼らがプラントに押しかけた理由は、略奪ではなかった。魔女、QXを求めてきたのだ。

 そして、彼らはQXをいったい何に使うつもりなのだろうか。

もし戦いならば、マスターであるレインは納得するのだろうか。


 眼を刺し貫く光に、レインは目を細めた。

外套を深く被り直すが、坂道を歩いて行くうちにどうしてもずれてしまい、また同じように被りなおす。

 頭上にあるのは、雲一つない、抜けるような青空だった。

太陽は真上を差している。容赦なく砂地を炙り、地面からは陽炎が浮き上がり揺らめいている。

 その中を歩いているのは、砂色の背景に同化したような色の外套を身にまとったレインだった。

 先を行く影は、QXのものだ。何度も振り返りながら、一定の距離から離れようとはしない。まるで道案内しているように見えるが、実は逆だ。レインがQXを隣の街へ連れて行っているのだった。

 隣と言っても、徒歩でどれだけの時間がかかるのか。砂上船でも丸一日かかる距離を、徒歩で行くのは自殺行為といっていい。

 本当ならば夜を待ち、陽が沈み切ってから動き出すのが正しい砂漠の歩き方だ。しかしプラントを追われた自分は、砂賊から逃げなければいけない。休んでいる暇はなかった。

 砂がくるぶしまで埋まる。埋まった脚を力任せに引き抜きながら、また次の一歩を踏みしめる。その度になけなしの体力を奪われているようで、徐々にペースが落ちている。こんなことをしていては、いずれ体力が尽きてしまうことは火を見るよりも明らかだ。

歩けば歩くほど体力が奪われる、ここは砂漠の真ん中だ。太陽光線を遮ることのない砂山と谷、骨のように転がる砂礫のなかを移動するのは、頭上からレーザー光線を浴びながら熱せられた鉄板の上を歩くに等しい。

もう汗は粗方出尽くしていた。しかし乾いた雑巾を絞るように、新たな汗がレインの額をじっとりと濡らし、その度にレインは忌々しくその汗を手の甲でぬぐう。ジャリ、と音がするので見てみると、手の甲には塩の結晶が付着していた。

 太陽光に耐性のあるQXが粗末な外套を纏っているのは、そう言い聞かせているからだ。銀色の髪とボディスーツは、否が応でも見る人に「魔女」を連想させる。

 吹き抜ける熱風の運ぶ砂塵が、火傷しそうなほど熱い。地平線には砂丘が行く手を阻み、レインは無言でそれらを踏み越え、踏み降りる。

遠くに見える平坦な砂の地面は、一見砂丘よりもはるかに通行に容易な地形に見える。しかし、砂上船を持たないレインにとっては一切の通行が許されない地形だった。

平坦な砂地は、砂海だ。脚を踏み入れたが最後、自力での脱出が非常に困難な場所だった。砂海を迂回することは更に体力の消耗を強いることになる。

あとどれくらい、この砂丘を越えればいいのだろう。

レインは後ろ向きな考えを振り払い、脚を動かすことだけに集中した。コンパスは新調したが、それだってちゃんと機能するかどうか怪しいものだ。太陽の位置のほうがずっと信頼できる。

自分はその壊れたコンパスのせいで、遺跡に迷い込む羽目になったのだから。

「……マスター、なぜわたしを捨てなかったのですか?」

レインが顔を上げると、砂丘の上にQXが立っていた。外套の奥に見える表情は、まるで自分が罪を背負ったような陰りがあった。

「マスター解除ってやつか?」

「はい。所有者に何らかの不都合が生じた場合、ウイッチフレームのマスター解除は認められています」

QXは悲しそうに目を伏せていた。マスター解除は彼女にとって不都合な事実なのだろう、それでも選択肢をマスターであるレインに提示するのは、QXの機械たる所以なのかもしれない。

 それとも、レインのことを第一に考えての発言なのか。

 レイン自身もマスター解除の方法を知らないわけではない。

 単に、しなかっただけだ。

 街の連中に囲まれたあの状況でQXを手離していたら、どんなことになっただろうか。

いいところQXは一人で街を追い出され、砂漠を放浪することになる。あるいは遺跡に戻り、また自分を使ってくれるマスターを永い眠りのなかで待つのかもしれない。

最悪の想像をするなら魔女であるQXは人々の恨みを買い、その場で抹殺される。銃殺だろうかなぶり殺しだろうか。ウイッチフレーム、いわゆるロボットであるQXはどんな血の色をしているのだろうか。

不吉な想像に、レインは心が冷えてゆくのを感じた。

たとえマスターであるレインがQXを助けても、レイン自身も街の人々の恨みを買うことになるだけだ。自分の身を守るためにQXに力を使わせれば、人死にが出ることは確実だ。

QXの「性能」が街の人々に後れを取ることはありえない。QXの力を濫用するのは、レイン自ら魔女をこの世に復活させることに他ならない。

そんなのは御免だった。だから、今の状況がある。

街から逃げ出すことは、QXとレイン自身を守るために必要なことだったのだ。

「……何を考えているのですか、マスター」

「俺がマスター解除したところで、誰の得にも救いにもならないってことだよ」

「わたしが救われました。マスターは、私を見捨ててもよかったのに、なぜそうしなかったんですよ?」

「見捨てたら俺の寝覚めが悪くなる。それにおまえを捨てたらどうなる。おまえはまたあの遺跡に引きこもるのか?」

「そうかもしれません。そうできたらいいのかもしれませんが」

「……他にどんな行先があるんだ」

「所有者を失ったウイッチフレームは、次のマスターを探し求めます。わたしたちは、ただ人に仕えること、人のお役に立つことが本懐なのです」

 レインは想像する。マスターを探し求め、ひたすら砂漠を彷徨するQXの寂しげな姿を。そして新たなマスターに出会ったQXは、自分が望むと望まないに関わらず、道具としてその生を全うするのだろうか。

 ここが「大変動」以前の平和な世の中ならば平和な施設や家庭に入ることもあるのかもしれないが、いまは違う。

 「大変動」後の世界は国家が月単位で現れ消えてゆく、戦乱の世の中だ。

 そんななかで求められるのは兵器であり、兵器の終焉は決まっている。稼働限界を迎え、やがて破壊されるまで使い潰されるのだ。

「……おまえも、あの砂賊の女みたいな自由があればいいのにな」

 昨晩の砂賊の襲撃をレインは思い出した。

砂賊の頭として傍若無人に振る舞っていた、海賊帽の少女。炎を操る彼女はウイッチフレーム、魔女なのだろうか。それにしても、ウイッチフレームが人の上に立つなどありえないことだ。あるいはマスターがそのように振る舞えと命令したのだろうか。

「なあ、QX。なんであれは、砂賊の頭なんてやってたのかな。あいつにもマスターがいて、そうしろって命令したのかな」

 顎に人差し指をあてて、少し考えるそぶりをした後にQXは答えた。

「うーん、わかりません。きっと、さびしがり屋さんなんでしょう」

「そんな簡単な理由かよ。だからって、砂賊はないな」

 言ってから、確かに戦いを天賦の才とするウイッチフレームにとって砂賊は天職なのかもしれないな、とレインは心中に納得した。

 だが、それなら目的も判らないままに自分についてくるQXはどうするのだろうか。マスターである自分の判断に従うとQXは言うが、このまま流されていてはいずれQXに頼ってしまうことは目に見えている。

 QXの取り柄は、戦闘だ。破壊であり、人殺しだ。

 しかしQXはそのことに気が付いていない。今のQXは無垢な赤子のようなものだ。

「俺は、赤子に人殺しをさせたくはない」

 我知らず呟いた瞬間、砂に足を取られた。そのまま肩から砂地にうつ伏せに倒れる。熱砂の絨毯が肌をちりちりと焼くのを感じる。

 レインは起き上がろうと体に力を込めた。

 しかし、起き上がることができない。腕に力を入れても、強張った感覚だけで反応しない。脚も同様だった。まるで体が石になってしまったようだった。

 そのなかで、頭だけが冷静に事態を認識する。なぜ動かない。動かなくては、死ぬ。背中を焼くように照り付ける太陽光がいつになく忌々しい。

「……マスター?」

 レインの様子に気づいたのか、QXが駆け寄る。どこかにQXの細い指が触れる気配があったが、どこを触られたのか分からない。全身の感覚が心から切り離されたように、レインは自分の身体を認識できなくなっていた。

「マスター、しっかりしてください!」

 QXの大声が鼓膜を揺らす。だが遠くから聞こえるように感じる。そのままレインの意識は見えない力に引かれ、急速に遠くに飛んでいった。


 いつも泣いていたような気がする。

 自分はここにいるのだ、と訴えるためか。親は自分の子供の泣き声を数千の中から聞き分けると言うが、親を呼ぶために泣いていたのだろうか。

それとも人の同情を引くためか。

小さなレインは周囲に訴えるように、大声を上げて泣いていた。

 どこで自分が生まれたのかも思い出せない。

遠い記憶だった。

 物心つくころには、レインは両親の手に引かれて難民キャンプを転々としていた。目的は働き口を探すことと、慈善団体の不定期な炊き出しで糊口をしのぐためだ。

 なによりも、戦火から逃れるため。

自分の右手は母親の荒れて痩せ細った枯れ木のような手、左手にはまだヨチヨチ歩きを始めたばかりの妹の手。

 このご時世、安定した場所などありはしない。ひと月前までは大きな都市だった場所が、今では戦場跡になっていることも珍しくはない。

 妹の姿がある日から見えなくなっていた。きっとはぐれてしまったのだろう。それとも死んでしまったか。

 巡り合わせが悪かったのだろう。

両親から責められもせず、自ら責めることもない。自分が妹の責任を負うには、レインはあまりに幼かった。

 なぜなら自分が妹のようになってしまうことも、簡単に想像できたからだ。

雑踏の中で一人消え、ふたり消え。気が付くとレインは一人ぼっちになっていた。

小さなレインが生きてゆくのに、手段を選ぶ余裕はなかった。慈善団体は思い出したように炊き出しを行うだけの存在で、自分を保護してくれるような余裕はなかったのだろう。

盗みに物乞い、砂賊の真似事をしたこともある。しかし力を持たない物乞いは社会的な害悪とされ、大都市から「物理的に」排除された。犯罪行為は成功する時もあったが、失敗すると必ず激しい暴力にさらされた。

そんなことでも、生きていくためには必要なことだったとレインは正当化せざるを得ない。

またそんな日々に戻ることになるのだろうか。レインは絶望感に打ちのめされながら、確かな予感を感じる。

それでも、戦争をするよりはマシだと思った。

戦争は自分たちを離散させたものなのだから。

QXの力は、使ってはいけない。あんなに可愛い、自分のことさえ知らない娘が人の命を奪ってはいけない。

あいつは平和な場所に行って、女の子らしい服を着て、人に親切にしていればいいんだ。それが一番似合っている。

戦わせたくない。そのためには、何が必要だろうか。

QXを、ふさわしい場所に連れて行ってやることだ。

世界は砂漠だけじゃないと聞く。優秀なQXなら、きっと働き口だって見つかるはずだ。

間違っても、砂賊と戦うような日々を送らせてはいけない。そんなことになったら、彼女は魔女になる。戦争を象徴する存在に。

だから、自分は行かなくては。争いのない土地へ。

でも、どこへ? そんな場所があるのだろうか。

争いのない土地があるとしよう。QXは大丈夫にしても、自分は受け入れてもらえるのだろうか。

 もう体に染みついた硝煙の匂いは死んでも消えることがないのだ。


 目が覚めると、額にひんやりした感触があった。

「……?」

 レインは自分の額に手を当てる。ぼんやりした頭でも、その感触が布にくるまれた冷却シートであるとわかる。

 おぼろげだった視界の焦点を合わせると、自分の頭の上には低い天井と蛍光灯の無機質な光が見えた。蛍光灯は格子状のカバーで覆われている。突然の破損や落下から人を守るためなのだろうが、そんな配慮をされる場所はそう多くはない。

 レインの身体はベッドに横たわっていた。

「お、気が付いたか」

 ぼやけた視界が像を結ぶ。レインの横、ベッドの脇にはニコラが腰かけていた。

「先生」

 上体を起こそうとするが、力がうまく入らない。レインが再び倒れ込むと、ベッドがギシリと軋む音がした。

「無茶をするな、キミは熱中症だったんだぞ」

「熱中症? 砂漠じゃよくあることじゃないですか」

「よくあることであると同時に、死亡原因の筆頭だ。安静にしていなければ命にかかわるぞ」

「……QXは? 一緒だったんです」

「ああ、無事だ。今頃Feフィーと仲良くやっているだろうさ」

「Feって? 先生の知り合いですか。それにここはどこですか?」

「慌てるな、順を追って話すぞ。君は砂漠の真ん中で倒れてしまったんだ。それを助けたのは砂賊の砂上戦艦。砂賊の頭であるFeは君たちの行方を追っていたのさ」

「……ここは、砂上戦艦の中なんですか」

「ああ」

「なんで先生はここにいるんです。略奪されたんですか?」

「おいおい、突拍子もないことを言うな、君は。君たちを捜すついでさ。中央セントラルに用事があってね」

 ニコラは自分の言葉を証明するように、鞄から小冊子を取り出した。小冊子には細やかな字で報告書が書かれている。

「プラントのメンテナンスの報告書さ。君とQXのおかげで、何とかかたちになった。まさか設備の故障で税収がゼロになります、とは書けないからな」

「はあ」

「わたしは道すがらこの船に乗せてもらっているのさ。その途中できみたちを拾ったというわけだ」

そう言ってニコラは首をすくめた。

「だからって、昨晩襲ってきた奴らですよ? ましてや先生は女です。砂賊を簡単に信用していいんですか」

「村を襲い、人を殺し、女を連れ去る……それも実際の砂賊の姿だが、この砂賊は違うらしい。この“紅の旗”は多くのプラントと傭兵契約を結んでいるらしいからな」

「傭兵契約?」

「分かりやすく言うなら、用心棒だ。金を払って安全を買っているのさ」

「そんなの嘘かもしれない。信用できるんですか」

「少なくとも私は信用できた。疑うのなら、少し外の空気を吸いに行ってきたらどうだ」

「……はい」

「Feは上の艦橋にいるはずさ。艦長室があるからな」

 砂上戦艦の艦長室に信用の根拠があると言わんばかりのニコラの態度にわずかな不信を抱きながら、レインはベッドから起き上がった。

 ふらつく脚も脚を進めるごとに、血が通ってきたような感覚がある。しかし頭を内から殴りつけるような鈍痛は健在で、歯を食いしばってレインは耐えた。壁に寄りかかりながら足を進める。

「……QX」

QXはどこにいる。ニコラの話によると、艦長室にいる可能性が高い。いないとしても、そこにいるFeに話を聞く価値はあるはずだった。

Feと仲良くやっていると聞かされたが、安心するのはまだ早い。少なくとも、無事を見るまでは。そもそも昨晩命のやり取りをしていた相手が「仲良くやる」とは言葉どおりの意味とは考えにくい。

水密戸の扉をまたぐと、通路があった。無骨な金属質の通路には、無造作に荷物が置かれている。多くは武器や弾薬で、警戒心のかけらもない。

狭い通路の脇で、砂賊と思しき男が煙草を吸いながら銃の点検をしていた。見張り番なのだろうか。しかし男はこちらをちらと見ただけで、再び銃に視線を戻して整備を再開していた。

レインは男に見咎められないことを不審に思ったがチャンスだとも感じた。早くQXを見つけ出して、ここから出ないといけない。

通路の先には扉があり、開けようとするが風圧のせいかやけに重い。やっとのことで開けると勢い余ってドアの外に投げ出されそうになったが、とっさに掴んだ手すりのおかげで何とかこらえることができた。

強風が吹いている。扉の向こうはそのまま外につながっていた。

目もくらむような高さにレインの立つ金網状の床をした通路があり、遥か眼下に流れるのは高速で流れる砂海だ。落ちたらひとたまりもない。ふらつくレインの姿勢を支えるのは鉄製の手すりで、所々錆びている。全力でもたれかかったら確実に崩壊し、レインの身体はあっという間に砂海に飲み込まれてしまうだろう。

「ちょっとごめんね、どいとくれっ」

 女の声がした。正面から迫ってくるのは洗濯籠を持った女だ。洗濯籠には洗濯物が満載で、顔が見えない。見えるのはイノシシのような手足で、特に脚は安定性抜群に見えた。慌ててレインは壁にへばりつくようにしてそれをかわす。

「……女の子?」

イノシシ女の後ろを一人の幼女が自分の身体くらいある洗濯籠を持ってついて行っていた。後ろを見ると階段がある。きっと艦橋があるに違いない。

レインは作り笑いをして、恐る恐る幼女に話しかけた。

「えっと、艦橋はどこかな」

「お兄ちゃん誰? 知らない人とはお話しちゃいけないってお母さんが言ってた」キッ、と両目を吊り上げて幼女が応じた。

「俺はレイン。これできみは俺のことを知ってる人になった」

「……あたし、ベリー!」幼女ベリーは白い歯を見せて笑った。ちょろい。今度から幼女の親御さんは「あまり知らない人とは話してはいけない」と教えたほうがいいかもしれない。

「で、艦橋はどこかな」

「……カンキョー?」

ベリーが短い腕を組み、大きな首をかしげる。洗濯籠から手を離した隙に洗濯物が風で吹き飛ばされそうになり、ベリーは洗濯籠に頭から突っ込んで押さえつけていた。

「銀色の髪をした女の子も見なかったかな。知り合いなんだ」

「カンキョーのことはしらないけど、銀色のお姉ちゃんのことなら知ってるよ!」

 逆さまになったべリーはその姿勢のまま階段の上を指差した。

「そうかい、ありがとう」

踵を返しかけると、ベリーが「情報料!」と甲高い声で叫んだ。

「俺、金持ってないし」

「ならお兄ちゃんのカラダで払って」

逆立ち状態でじたばたするベリーはスカートもはだけ、下穿きが丸見えになっていた。どういう育て方をしてきたんだ、こいつの親は。しかしあのイノシシ脚の女ならやりかねないと思い、レインはベリーの身体を洗濯籠ごと持ち上げ、階段へと足を運んだ。


 艦橋に入ると、なぜか石鹸の匂いがした。

艦橋は最新設備の粋を集めた電子の城だ。設備はすべて壁に埋め込まれ、コの字型になったパネル内臓型の戦況卓と中央には艦長専用の指揮用の椅子が置かれている。壁はショック吸収用の緩衝材で覆われている。戦時にはこれが機能するのかもしれないが、今の艦橋はその設備を全く生かしていなかった。

「なんだよ、ここは」

 艦橋には余計な物を置かないという印象がレインにはあった。いざというときに邪魔になっては命にかかわるからだ。しかし、その印象は根底から覆された。

 その場には洗濯物の満艦飾が艦橋狭しと張り巡らされていたからだ。頭上は多くの布に遮られているせいで、視界が不自由だった。それらはタオルや下着で、男女の区別なしに雑多に干されている。

「おかあさーん!」

 ベリーがイノシシ女のところに走って行った。イノシシ女はレインを認めると、「やだね、あんた若いのに小さい娘が趣味なのかい」と眉を顰めながら言った。

「違います! 俺はFeって人に会いに来たんです!」即座にレインは否定する。

「そうかい、あたしはどっちだっていいけどね。あんたが噂の客人かい」

 自分に関するどういう噂が立っているのだろうか。それに応えることなく、イノシシ女は衣類を干す手を休めることなく顎をしゃくった。顎の指す方向にはひと一人潜れるほどの小さな水密戸があった。

「その向こうは艦長室さ。行ってみな」


 干された洗濯物をくぐってレインは扉の近くに寄ってみる。

 扉は少しだけ開いていて、向こうの音が聞こえた。衣擦れのかすかな音と。湿り気のある熱気を感じるのは、シャワーでも浴びているのだろうか。

扉の奥から、小声でささやくような会話が聞こえてきた。

「早く見せてください、お姉様」

「そんな、恥ずかしい。マスターにも見せたことないのに……!」

 一方の声は定かではないが、もう一方は確かにQXの声だった。どこか困惑ぎみの声だった。QXを助けるべくすぐに押し入りたい衝動に駆られたが、状況と会話から察するにふたりはシャワーを浴びているのかもしれない。女性二人の入浴中に乱入する勇気は持てないレインは、とりあえずふたりの会話を聞くしかなかった。

「お姉様の初めての相手はあたしでしたのよ。いまさら恥ずかしがる必要がどこにあるのかしら」

「わたしは恥ずかしいのっ! それに、あれはあなたが強引に……!」

「強引でも事実、しちゃったんですもの」

「それはそうだけど……」

「それに、あたしの言うことをお姉様が聞かなければあの男がどうなるか。未来予測を演算していないとは言わせませんわ」

「くっ……卑怯だわ」ぎり、と奥歯を噛む音がした。

「あたしはお姉様を手に入れるためなら、どんな卑劣な手段でも取らせていただきますわ……だから見せて頂戴、お姉様」

「それだけはイヤ、嫌なの!」

「これ以上我儘を言うのなら、こちらにも考えがありますわ!」

 ドシン、バタンと重い物音がする。

「いやーっ!」

「おとなしくなさって、お姉様!」

「いや、裂けちゃう!」

 QXが襲われているのだ。女性が女性を襲うという不条理と「裂ける」という単語にこの上ない背徳感を覚える。理性を衝動が抑えきれなくなり、レインはドアを力任せに開け、その奥に殺到した。

「QX!」

 ドアの奥の様子は、レインの予想とは大きく異なるものだった。

 大きな作業台にアイロンが置かれ、スチームの湯気を上げている。部屋を埋め尽くさんばかりのワードローブには背広や和服、ナース服など様々な衣類が糊のきいた新品同様の状態でビニールに包まれていた。その中でも海賊帽と眼帯、黒い革のコートは大きな割合を占めていた。

 どうして砂上戦艦のなかにクリーニング店があるのだろうか。

「……なにやってるの?」

 レインの目の前でQXと海賊帽の少女が、取っ組み合いの姿勢のまま固まっていた。QXが下、海賊少女が上で、見ようによっては押し倒したようにも映る。

 ふたりの手には、何やら襤褸切れがあった。半分に裂けてしまったのか、無残な断面をさらしていた。

「何ってわかるでしょ、裁縫よ。何その目。それとあんた誰よ」

 失礼しちゃうわ、と言いたげに海賊少女は埃を払いながら立ち上がり、QXに向き直った。

「お姉様、これはあまりにお粗末ですわ。外套があんまりボロボロだったとはいえ、どう直したらここまでひどくなるのかしら」

「……うう、だから見ないでって言ったのに。外套のほつれを直していて、飛び出した糸を切ってたらこんな風になっちゃったんだから」

QXは消沈した様子でうなだれていた。おそらくあの襤褸切れが外套のなれの果てなのだろう。

「お姉様には少し、あたしの縫製データをインストールする必要があるわね」

海賊少女が襤褸切れを握りしめて嘆息する。ふと思い出したように、レインの方向を向く。

「そう言えば、見かけ無い顔ね。乙女の趣味部屋に無断で入るなんて、無礼な男だわ」

「……QXの悲鳴がしたから入ったんだよ。俺は彼女のマスターだ」

「ああ、そう言うこと。初めましてじゃないわね、だたしはFeフィー。この砂上戦艦の艦長で、砂賊“紅の旗”の頭首をやらせてもらってるわ」

 海賊少女、Feが優雅にお辞儀をする。燃えるような赤い髪と端正な顔は、確かに魔女、ウイッチフレームにふさわしい存在感があった。


「いきなりで悪いけど、君のマスターに会わせてくれないか。話がしたいんだ」

 レインは開口一番で本題に入った。いろいろ聞きたいことがあるが、ウイッチフレームであるFeから話を聞くよりも、そのマスターと話をした方が早いと思ったからだ。

「マスター? そんなものいないわ」

「マスターがいないなんて、そんなことあるのか」

 QXを見る。QXなら。マスターを目撃していてもおかしくないからだ。しかしQXは首を横に振った。

「マスター。私も彼女のマスターを見たことはありません。マスターを指し示すナノマシン共有者も、見当たらないのです」

「Fe。本当に、おまえはマスターがいないのか」

「そうだって何度言ったらわかるのよ。あたしは壊れたウイッチフレームだからね……これを見れば納得してもらえるかしら」

 そう言って、Feが左目の黒い眼帯を外す。眼帯のない左目に眼球は埋め込まれておらず、ただの空洞になっていた。その奥には金属の輝きがあり、流体のように蠢いている。

「もういいでしょ、あまり見せたいものじゃないから。これもあんたがお姉様のマスターだからってことで、特別に見せてあげてるんだから」

「何で壊れたウイッチフレームが、砂賊なんてやってるんだ」

「あら、砂賊なんて聞こえの悪い。PMCって呼んでよ」

「……PMC?」

「民間軍事会社。あたしたちの生業よ」

目の前のFeが聞いたこともない言葉をしゃべっているのを見て、レインは彼女が急に大人びた存在に見えた。

「そりゃ、昔は砂賊なんて蛮族みたいなアコギなことやってきたらしいけどね。でも、奪うばっかりじゃその土地から人が逃げてっちゃう。作物も肥料を与えなきゃ土地が枯れちまうのと一緒ね」

「それと民間なんとかと、どういう関係があるんだよ」

「関係は大アリよ。あたしたちはその砂賊から用心棒をやってるんだから。それも格安で。都市の警備や流通路の護衛、紛争が起きた時の要人の救出。なんでもござれよ」

「……すぐには信じられない。あんたたちは、俺たちの村を襲ったんだろう」

「ああ、あのときは悪かったわ。ゴメンね」

 拍子抜けするほどあっさりと海賊少女は海賊帽を脱ぎ、レインに頭を下げた。

「ウイッチフレームの反応が遺跡から消えていたから。あたしたちはずっとあの遺跡をマークしていたのよ」

「そんなのが理由になるのか」

「ええ。ウイッチフレームは強力な武器になる。あたしたち民間軍事会社らが、ちゃんと保護して使い方を指導してやる必要があるのよ」

「……」

 確かに、ウイッチフレームは強力な武器だ。使い方を理解できないうちからQXを「使って」しまったレインにとって、昨晩の戦闘はあまりに非現実的で、衝撃的なものだった。

「だけど、悪かったわね。あたしたちが砂上戦艦なんかで来ることなしに、もう少し穏便な方法を取っていれば、お姉様が戦うこともなかっただろうしね」

 そう言って海賊少女はもう一度頭を下げた。

「それで、あんたたちはQXをスカウトしに来たのか?」

「……それもあるけど、手元に置いておいた方が脅威にならないって言う理由ね。別に戦いを強いるわけじゃないわ」

「そうなのか」

「それに、こんなに可愛いんだもの! 戦いなんかより、もっとやれることはあるはずよ。たとえば、あたしの作品を着てもらうとか!」

 突然Feがワードローブに走り寄ると、何やら衣服を取り出してきた。それはピンク色のナース服だった。

「お姉様に似合うように、外見からスリーサイズはスキャンさせてもらったわ! さあレイン、あんたは出て行って! これから、お姉様とあたしの、ふたりっきりのファッションショーが始まるんだから!」

 にじりよるFe、壁に背中をぴったりと張り付くQX。QXにとっては絶体絶命だったが、そう悪いものではないのかもしれない。

「ま、マスター。元気になったのなら、早く撤収しましょう。わたしはマスターの保護と引き換えに、この変態女にいいようにされていたんですよ?」

「そうなのか。悪いことをしたな、QX」レインは自分の言葉が棒読み気味であることに気が付いた。

「マスターがそうおっしゃってくれるなら、わたしも本望です……や! ちょっと、やめて! マスターがぁ、見てるのにー!」

「ふひひ、お姉様のはだ、つるつるー……ぐへへ」

 QXは全身にぴったり着込んでいる銀色のボディスーツをFeにまさぐられていた。どういう理屈か知らないがFeの手のひらが触れたところから肌色に変色を始めている。

 これはいかん、とレインはQXから視線を逸らした。銀色のボディスーツがなければ、QXは普通の少女にしか見えない。レインが手を出さないのを察したのか。Feの手つきは徐々に遠慮がなく、怪しいものに変化していった。

いたたまれなくなったレインは扉の向こうに戻り、そっと扉を閉じた。

「今後の方針が決まるまでガマンしろ、QX」

「マスタああー!」

 QXの悲鳴がレインの背中に矢になって突き刺さるが、それほど悲観するようなことではないのだろう。QXが本気になればFeを徹底的に拒絶することもできるし、FeもわざわざQXに裁縫の真似事をさせることもないはずだ。

 この場所なら、QXに戦い以外のことを教えてやれるかもしれない。


昼夜問わず生きる物の少ない砂漠だが、夜の砂漠は心なしか、静かな気がする。

真夜中だというのにレインとQXが展望台の上に出ているのは、見張りのためだった。半ば慣習的に行われていることで、同業者の砂賊が襲ってくることがあるからだ。

「寒くないか」

「平気です。マスターは?」

[……平気だ]

「そんなこと言って。体温の減少が見られます」

 QXが引っ付いてきた。体温が伝わってくるのと同時に、肌の柔らかさは人間と全く同じだった。少し気恥ずかしくなるが、拒否するのはQXに悪い気がした。

「それと、これ。人間には必要でしょう?」

 QXが差し出したのは、水筒だった。蓋を開けると魔法瓶になっていて、中には紅茶が容れられていた。

「……誰に持たされたんだ」

「バレました? Feさんです」

「いろいろ気を使わせてるんだな」

 一口すすると胃の中に熱が広がる。口の中には甘さと清涼感が残った。どうやら薄荷が入っているらしい。

「マスター、あれは何でしょうか」

QXの指差す方向、夜の砂漠に何か列が見える。レインは砂賊に貸し与えられた双眼鏡を手に取り、画像を拡大した。

遠くに見えるのはラクダを連れた隊商だった。

想像を絶する長さで、先頭から最後尾までの長さは一キロはくだらないだろう。おそらくラクダの数は百頭をくだらないだろう。砂漠に伸びる一筋の黒い線は、まるで一個の生き物のように見える。

「あんなに動物を連れて、何してるんですかね」

「よく見てみろ。ラクダは荷物を積んでいる。行商をしているんだ」

「あんなに沢山のラクダさん、お弁当だけでも大変でしょうに」

「さん付けかよ。ラクダは一か月間飲まず食わずでも死にはしない。食糧コストがあまりかからない生き物なんだ。食糧にもなる」

「食糧?」

QXがこちらを向く。その顔は「いままで尽くしてきた仲間を殺すのか」という避難に満ちていた。

「ああ。ラクダがもし足の骨を折ったり、途中で力尽きるようなことがあったらその場で解体して、人間の食糧になる。弁当みたいなもんだな」

「……可哀想です」

「だが、それがラクダの仕事さ。持ち主だってみすみすラクダを殺すのは損失になるからな。そう簡単に殺さない。逆に、体調を気遣ってできるだけ長生きするようにしているはずさ」

「……そうだったらいいのですが」

 レインの言葉にQXは目を伏せ、表情が憂いに満ちたものになった。QXはラクダと自分を重ねあわせているのだろうか。

「ロボットなのに、ころころ表情が変わるんだな」

「ロボットじゃありません、ウイッチフレームです……なんであの人たちは夜に出歩くんですかね」

「決まってるだろ、夜のほうが人間には過ごしやすいからさ。直射日光は身体に悪いからな」

「あんなことして何のメリットがあるんでしょうか。砂上船を使えばもっと多くの荷物を少ない労力で、速く運ぶことができるのに」

 不思議そうな顔をしてQXは遠くに動くラクダの隊列を見ている。

「そりゃ、メリットで測れないことも人にはあるんだろ」

 QXに言い聞かせるが、レイン自身もあのラクダの隊列、通称キャラバンには酔狂な人もいる物だという感想しか持ちえないものだ。ラクダの所有者たちは代々その家業を受け継いでいるらしいが、あくまで副業だという。本来の業務はどこかの地主や、引退した企業の会長職らしい。

 持ち運ぶものは象牙、布など高級品が多い。それだけで、キャラバンの趣味性の高さが窺い知れるというものだ。

原始的、牧歌的な風景だが、キャラバンの近くには絶えず護衛砲台がステルス状態で稼働している。考えようによっては、彼らは砂賊などよりも遥かに危険な連中だった。

「……メンドクサイですね、人間て。こんな時代でも趣味が必要だなんて。非効率も極まれり、ですね」

「効率的に割り切れないのが人間って奴さ……おまえ、ロボットのわりに何も知らないんだな」

「何をしたいのかもわかりませんしね。わたしもマスターも」

 QXがにこりと笑った。月明かりに晒される白い顔はとても綺麗だった。

「これから、どうする。決めたのか?」

「はい。この船はドミナントに行くそうです」

 ドミナントの名前はレインも聞いたことがある。急成長を続ける都市国家で、独立性を保っている。しかし、その場所は明るみになっていない。秘密を保ちながら影響力を強めていくというのは矛盾することで、それがレインに疑念を抱かせる。

「なんでも、砂賊のみなさんと取引があるそうですよ。戦いのない、平和な場所だそうです」

「……そうだな。行くのなら、見てみるだけでもいいかもしれない。どの道、この船を降りたところで砂漠に迷うだけだしな」

「ふあい、そうれすね」

 眠気を含んだ声でQXがあくびをもらした。

「QX、眠いのか?」

「夜間なので、セーブモードにしているだけれすよ。いつまたどこから敵が来るかもしれまれんし」

 どこか言葉づかいがおかしいのは、言語までセーブモードとやらにしているからだろうか。

「……そうか。そうだな」

「効率的なにんれんは、夜は寝るもろれすよお」

 そう言ってQXは思い切りあくびをした。

 事実メンドクサイのだろう、人間という奴は。生きるために必要なものが多すぎて、その上同族同士で殺し合うほど救いのない性を内にはらんでいる。

 いっそのこと、QXたちウイッチフレームのほうがよほどこの世界に適合できているのではないだろうか。

「……考えすぎか」

「ますたぁ」

 QXが寄りかかってきた。そのまま寝息を立てている。

「マスターといると、なんだか思考状態がニュートラルに近づきます……わたし、変ですね。ウイッチフレームなのに」

「落ち着くってことか?」

「はい。ますたーといると、おちつくのれす……ひとつ、聞いてもいいれすか?」

「ああ」

「何であの時、マスターは、私を砂賊のひとに渡さなかったのれす?」

「……なんでだろうな」

 あのとき、街を出て行く以外にも選択肢はあったのだ。ただ、レインが思いつかなかったというだけだ。

砂賊にQXを渡せば今頃レインはこんなところにいなかった。港町で、誰か漁師の手伝いをしながらまた砂上船を得るための金を貯めている、きついが慣れた日常の中にいただろう。

 しかし、自分はその選択をしなかったのだ。

「……女の子を渡せ、って凄む連中からは守らないと、男の名折れだろう」

「Feさんには渡したくせにぃ……わたしを守ってくれたのは、わたしのマスターとしてれすか、それとも個人として……れすか」

「どっちだろうな。マスターの自覚はなかったけど、そうしなければいけない気がしたんだ」

「人間って、よくわかりません……わたしを守らなければ、街を追われることも、さばくで行き倒れになることもなかったのに……」

「ああ、わからないな」

「本当に、わからないのれす……」

 QXの語尾は急速に途切れ、やがてまぶたがゆっくりと降り、呼吸が長く穏やかなものになっていった。

 QXは眠ったのだろうか。

「……ロボットのクセに」

 レインはQXが穏やかな寝息をしているのを見届けると、再び双眼鏡に視線を戻した。

 夜間の見張り終了まで、まだ時間がある。それまで気を抜くことはできない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ