三章 業炎の魔女
うっすらと目を開けると、蛍光灯の光と天井が見えた。
つるりとした天井は材質からして、レインが普段見上げている土壁とは違う。それだけでここがプラントの事務所の中だということがわかった。
耳をそばだてると、かすかに機器のうなり声が聞こえた。ニコラの説明によると壁に埋め込まれたナノマシンが自ら呼吸し、室温を調整しているらしい。
レインは毛布にくるまり、事務所の床に横たわっていた。
身体を起こすと身体の節々が痛い。硬い床に寝そべっていたおかげだろうか。横に見えるのは革張りのソファーだ。そこに寝ていたはずのニコラはいない。いつものように早起きしてプラントの点検に行っているのだろう。
「……そうか」
ニコラの勧めで、レインはプラントの事務所で一夜を明かしたのだ。普段住んでいるアパートの部屋はプライバシーなど皆無の環境で、自分がQXを部屋に連れ帰ればどこで何を言われるか分からない。
部屋の隅を見る。動かなくなったQXに毛布を掛けてそこに置いていたはずなのだが、いない。心当たりなどあるはずがなかった。
「……出て行くなら、マスターの許可ぐらいとれよ」
そんなことを言えば、また「マスターがぐっすり寝ていたので」とか反論されることが簡単に想像できるあたり、QXの性格が少しだけ掴めた気がする。レインは自分で自分が可笑しくなり、苦笑した。
ともあれ、QXを捜さないといけない。レインは固くなった筋肉を強引に動かし、ワードローブに掛かっている日除けの黒い長衣を持って事務所を後にした。
建物の外に出ると陽が昇っていた。
「くっ」
蛍光灯の光とは根本的に異なる、太陽光の容赦ない明るさにレインは目を細めた。
太陽の位置は昼前。どうやら自分は本当にぐっすり寝ていたらしい。プラントの中は均一に湿度や温度などの環境が整えられている半面、時間感覚が狂うのがタマにキズだった。
「QXは」
どこにいるのだろうか。レインは眼下に広がる街を見渡した。
街は日干し煉瓦で出来た背の低い建物が密集していて、その向こうには白いプラントの外壁が太陽光を反射してひかり輝いている。このプラントの壁の中だけが、レインたち人間が居住生活できるわずかな土地だった。
外の土地は地盤の不安定な場所や砂海で成り立ち、とてもではないが人の住むことのできる環境ではない。土地を持つ地主や権力者は安定した土地で農地を経営しているが、それもわずかな面積だという。
とりあえず腹が減っていた。QXを捜すついでに、食事を腹に入れる必要がある。歩きながら懐の中を探ると、砂まみれになった財布があった。逆さにすると硬貨まで落ちてきて、レインは慌ててそれを拾った。
街の大半の人々はもう起き出し、街に出ていた。もちろん自分は大半のうちに入らない。レインは黙って人々の流れに混じった。
今日は週に一度の市の日で、いつもより人が多い。
街の中にはいくつか露店があり、生活に必要なものを売っている。露店の形態は様々だが、大半は支柱と屋根からなる自前の簡素なテントを広げて営業をしていた。テントの中には敷物を広げた人々がイモや果物等の農作物に値札をつけて売買しているのが見える。
人いきれに混じって鶏の鳴き声がする。木の枝を編んで作られた大きめの半球状の格子のなかに、茶色い鶏が何羽か囲われていた。
「あいつ、どこにいるんだよ」
視界は不自由とまではいかないが、人々の流れに乗りながら特定の人物を捜すことは難しい。
そのとき、雑踏に紛れて人々のざわめきを耳にした。
“花ですよー! 綺麗な花ですよー!”
「花だ、花だ」
ざわめきと共に人々が行列を作っているのは、花を扱っている店だった。
いまどき花で行列ができるなど珍しい。花は高級品だ、そのくせすぐに枯れてしまう。この街で花に身銭を裂く者などごく限られていて、市でも店舗はあまり見かけなかったはずだ。
“花ですよー! 鮮やかな色で心が洗われますよー!”
なのに、なぜ自分は行列の最後尾に並んでいるのだろう。今自分が欲しいものは食事であって、花ではない。
“いい香りですよ、リラックスできますよー!”
行列に横入りする者はいない。不自然なほど整然としていて、逆に不審を覚えるほどだ。この街では窃盗も多いし、決してモラルが高いとは言えないのに。
“奥さんや恋人の贈り物に間違いなし! 好感度急上昇ですよー”
確かに花を女性に贈れば喜ばれるかもしれないが、好感度とはいったい何のことだろうか。ところで、なぜ自分は欲しくもない花を買うためにわざわざ行列に並んでいるのだろうか。
数十分まったような気がする。行列の先頭に来た。
「花、ひとつ」レインの口からひとりでに言葉が出た。
「花、いっちょう!」QXが紙で包装された花を手渡してきた。
「お代は……足りるかな」
「ああ、マスターなら無料です! タダです! で、誰に贈られるんですか?」
「ええと……とりあえず、先生かな。事務所にでも置いてもらおうか」
瞬間、空気の流れが変わったような気がした。
「……なんでわたしじゃないんですか!」
目の前には頬を膨らませたQXがいた。
「え? QX、おまえなんでここにいるんだ?」
なぜ花屋の売り子なんてやっているのだろう。しかし理由を聞くよりも先にQXが問い詰めてきた。
「プレゼントは普通なら相方に贈るって相場が決まっているでしょう? なんでニコラさんなんですか! もしかして胸ですか? マスターはおっきい胸が好きなんですね!」
胸を抑えながら叫ぶQXは、自分で燃料を投入して怒りを燃えたたせているようにしか見えない。
「だからさ、なんで花屋の手伝いなんかやってるんだよ! それに、さっきの呼びかけ、おまえ何かしたな。言ってみろ!」
花屋に並ぶ前までは自分は食事を求めていたはずだ。なのに今は花を買い求めている。QXが人々に対して何か心理的操作をしたと疑うのが妥当で、今度はこちらが問い詰める番だった。
「た、ただの命令音声ですよ。対象の深層下に封じ込められた欲求を呼び覚まします。抵抗できなかった人はここに並んでいる、という寸法です」
えっへん、と胸を張るQXの頭をレインは軽くチョップした。
「いたいっ! マスターなにするんですか! 虐待ハンタイです!」
「なにが虐待だ。客はその金でどうしても必要なものを買うつもりだったのかもしれないんだぞ。返してこい!」
「で、でも商品は渡してますよう」
「それでもだ! どうせ花なんて、どこかから盗んできたんだろ!」
「違いますよ、怖い声出さないでください……花は砂をちょちょいといじくってですね。造花ですよ。その包装も見てください」
花の包装を見ると、それはニコラが書類を書きそこねたものだった。となると、QXは捨てるはずのものを使って商売をしていたことになる。
「どうです、この花は自前のもんです! だからまっとうな稼ぎなのです!」
QXがもう一度胸を張る。反論できないレインは敗北を認めるしかなかった。
「……それで、稼いだ金で何をするつもりなんだ。何か欲しいもんでもあるのか」
レインの問いにQXは即座に答えた。
「もちろん、マスターの砂上船です!」
そう言えば、以前にレインはQXに自分が砂上船を失ったことを話していた。真に受けたQXの行動はいじらしくもあったが、レインは納得した。
「ありがとうな、QX。俺のために」
「えへへ、それほどでもないですよ」QXがてれてれと身体をくねらせている。
「でもこの金、どうしようか」
レインはQXに渡された金を見ながら、途方に暮れていた。
額は少なくない。花を買った人々に返金すべきなのか。だが、もう店を畳んだ今では花を買った客が分からない。ここは、QXの意思を汲んでやるべきだろう。ヒモになる気は毛頭ないが、QXの稼ぎは貯金としてプールしておくことに決めた。
「店じまいも終わったし、QX、帰るぞ……?」
「がー、ぐー」
目を離した隙にQXは露天の隅にある、籐で編んだベンチの上にいびきをかいて寝ていた。そこには日除けの類が掛けられておらず、普通の人間なら熱中症になるところだ。
一番まずいのは、QXがいつの間にか服を脱いでいたことだ。
「うわっ、あいつ」
服を着せようとしたところで、突如スイッチが入ったようにQXがぱちりと目を開けた。
「ふああ、おはようございます」
「おまえ、何してるんだよ。ロボットならオーバーヒートとか起こさないのか?」
「そんなまさか。エネルギー補給です。太陽さんの光がわたしのご飯ですから!」
控えめな胸を張るQXだったが、それを見ているのはレインだけではなかった。街行く人が訝しげにこちらを見ている。眉をひそめる者、口々に何かを囁く者。なかには好色な視線を送る者もいた。そんな視線に我慢できなくなるのは自分がマスターだからだろうか。即座にレインはQXに自分の日除けの黒い長衣を頭から被せた。
「ふわっ、な、なにするんですかマスター! 前が、世界が見えません! 世界は闇に閉ざされました!」
「ちゃんと着て袖を通せ! 変な目で見られてるのが分からないのか!」
変な目で見られるのも無理もない。自分を含めてこの土地に住む人々は、露出の高い服装をするものなど一人もいない。例外なく人々は直射日光から身を守るためにフードや帽子を被っている。たっぷりした長衣に身を包み、露出しているところがあるとすれば手首か顔くらいのものだ。
服を脱いで日光浴をするなど、気が触れていると思われても仕方がない。
「変な目って、わたしにはあの人たちの恰好のほうが奇妙に見えます。長袖で帽子をかぶって、暑くないんですか?」
QXが指差す方向には、街の人々がいる。もうQXに表向きの関心を示すことなく、それぞれ動き回っていた。
「暑くない。おまえはロボットだから裸だろうが何だろうが構わないだろうけど、俺たちがそんな格好すれば全身火ぶくれを起こすぞ」
直射日光に身を晒していれば、例外なく肌が高温で炙られる。長衣はそれから身を守るためのもので、見た目は暑苦しく見えるが通気性の良い構造をしているので、非常に快適に過ごすことができる。
「そんなもんですかね。うう、日光が目の前にあるというのに、もはやこれは拷問です」
「おまえが裸同然で日光浴をしている方が俺には拷問に見えるぞ」
「じゃあ、どうしましょうか。わたしのご飯……おなかへったあ」
「……どうしようかね」
街を眺める。そこには背の低い、日干し煉瓦の積み木でつくられた建物しかない。その向こうにあるのは、石臼のような形をしたプラントの白い建物だ。
「いいアイディアが浮かんだ。QX、ついてこい」
「はいマスター!」
嬉しそうにQXが敬礼する。そんなに命令されるのがうれしいのだろうか。
プラントに入るなり、レインは内階段を上る。その先にあるのは、長年開け閉めすることのなかった錆びついた扉だ。
扉の前でレインとQXはドアノブを掴んでいた。QXの指は男のレインからすると格段に細く、冷たく感じる。
「……そういえば、QX」
「はいなんでしょうか」QXが大きな青い瞳をぱちくりさせた。なぜか暗闇の中でもよく見える。
「おまえ、ロボットって言ってたよな」
「違います、ウイッチフレームです!」
「どっちも似たようなもんだろ。ロボットなら、人より力が強かったりするのか」
「マスターはロボットの知識がおありで?」
「まあ、作業用の重機ロボくらいは知っているさ。おまえはあんな怪力とかあるのか」
「わたしは作業用ロボとまではいきませんが、平均的な成人男性くらいの腕力なら。なんでそんなこと聞くんですか?」
「いや、この扉錆びてるから」
「そういうことですか」
「そういうことだ。いいか、QX」
「マスターの心拍と完全に同期しています、合点承知です」
「じゃ、せーのっ!」
掛け声と同時に扉に体重に勢いをつけて押し込む。思ったよりも素直に扉は開き、勢い余ったレインの身体は扉の向こう、屋上の白い床をゴロゴロと転がっていた。
「いてて……」
「大丈夫ですか、マスター?」レインはQXが手を差し伸べてくるのを握る。冷たくて気持ちがいい。
「ああ、こんなの慣れてる。QX、日光浴にここはどうだ。ここなら誰もいない」
レインとQXがいるのは、プラントの屋上だった。白い床が敷き詰められていて、所々ひび割れ、穴が開き、朽ちている。そのなかで割れた鏡のようなものが陽光に照らされ、ナイフのように鋭い輝きを放っていた。
「ここには集光設備があったみたいですね。大丈夫っぽいです」
言うなりQXが服を脱ぎだす。身体をおもむろに床に投げ出し、大の字で仰向けになった。すると時間を置かずに身体の表面が虹色に発光を始めた。
全裸の少女が横たわっているのを目の前にして、レインのなかで動揺がなかったわけではない。しかし、これはQXにとって必要なことであると思って我慢した。俺は裸の女の子を見ているわけじゃない。ロボットの燃料補給をマスターとして見守っているだけだ。同じような気がするが、違うのだ。
「くーつ、たまりません。やはり天然ものの太陽エネルギーは格別ですなあ」
「オヤジみたいなことを言うよな。身も蓋もないな、ロボットって奴は」
「何事も効率重視ですよ」
「するとなにか、おまえの言うオヤジは効率重視の生き物なのかよ」
「そうかもしれませんねえ」
レインは床に腰掛け、持ってきた包みを開ける。露店で買ってきた、羊の薄切り肉を焼いたのをパンで挟んだものだ。香ばしい匂いが鼻を刺激する。
「マスター、なんですかそれ」
「おまえの日光と同じだよ」
「ふーん。非効率ですね」
「味気ないよりはマシだろう。おまえも喰うか」
ついでに買ってきたオレンジを差し出すが、QXは起き上がって怪訝な顔をしている。
「どうやって食べるんですか?」
「皮をむいて、こう」
ナイフを取り出し、オレンジの分厚い皮を向くと大量の果汁が滴り落ちた。
「なんかべたべたなので、いいです」
そっぽを向かれた側としては立つ瀬がないのだが、レインはロボットに食事を勧めた自分がどうかしているのだ、と割り切ってオレンジの果肉を口に運んだ。
「……すっぱ」
砂漠の日差しは日光浴というにはあまりに過酷な場所だったが、当の本人は熱い鉄板のような地面に横たわり、穏やかに寝息を立てている。
しばらくレインは壁に寄りかかりそんなQXを見ていた。
「やれやれ」
QXの様子は見ていてほほえましかった。確かにかわいい。ロボットであるQXの美しさは人工の産物なのだろうが、この無邪気さはあまりに自然すぎる。
彼女が人々に魔女と呼ばれていることが、その可愛らしい容貌からは想像できなかった。
「……」
街中の人々の、よそよそしい視線は他ならぬQXに向けられていた。それはQXの奇行に向けられてのものか、それとも彼女が魔女であるという疑いを抱いてのものか。まさか彼らに直接聞くわけにもいかず、レインは頭を振った。
「なんだよ、魔女って」
しゃがみ込んで、組んだ腕に顎を乗せる。ニコラの言うとおりにQXが魔女だというのなら、本当に口から炎でも吐くのか。目から光線でも出すのか。
人にとっての災厄となるのか。
自分が絶えず逃げ回ってきた戦争という状況の根源がこのQXにあるとは、とてもではないが想像することはできなかった。
「もう食べられませんよぅ……」
幸せな寝言を言うQXと、頭から滝のように汗を流しながら考え事をしている自分。傍目から見れば、これほどおかしな構図もないだろう。
「……頭がゆだる」
このまま日が暮れるまでここにいるのは本当に拷問以外の何物でもない。とりあえずQXは放っておいて、自分は屋内に引っ込むのが得策と言えた。出入り口はひとつしかないし、外に出るときは服を着ろと言っている。プラントの外に出たとしても問題はないはずだ。
QXに断りを入れようと思ったが、寝ているのを起こすのは気の毒な気がした。もし彼女が起きた時に何か言われれば、朝に置いてきぼりを食ったことで反論すればいい。
QXを起こさぬようにそろりとドアを開け、閉める。太陽の下から日陰に移ると、エアコンの風が異常に涼しく感じられた。これに氷を浮かべた冷たい水が加われば、この世は極楽に違いない。
階段を下りる。事務所の冷蔵庫から水を拝借するためだ。プラントの出入り口に差し掛かったところで、レインは人影を認めた。
ニコラだった。水槽を囲む機器に埋もれながら、手を尽くしたといった風に腕組みをして立ち尽くしている。着ているツナギはいつもに増して汚れきっていて、話しかけようとしたレインは少しの間、言葉が出なかった。
オイルに汚れた彼女の顔にはいつになく憔悴の色があったからだ。
「……どうしたんですか」
「いやな、レイン君。プラントの調子が悪いのは以前に話していただろう」
「はい」
だからニコラは渋い顔をしていたのか。納得したレインに更なる追い討ちがかかった。
「半年もすればこのプラントは機能を失う」
「……え?」
いきなりの言葉にレインの頭の中は真っ白になった。プラントが機能を失うということは、生活の基盤がなくなることと同義だった。
プラントが生み出すものは作物の苗だけではない。砂海の砂を固着させる力場を作り出すことや、地下深くの水脈から水を汲み上げ、ろ過する役割を担っている。
人に必要なものは多々あるが、その筆頭に数えられるのは水だ。水がなければ人は生きていけない。水を生み出すプラントはレインたちにとっての生命線だった。
「そんな。だって、ここにはまだ作物が育っているじゃないですか」
「だから半年後と言っている。すぐには機能を停止することはないが、徐々にだ。プラントの作物の生産量が少しずつ下降曲線を描いているのは知ってるだろう?」
確かに作物の苗の生産量は日に日に落ちている。しかし、それを何とかするのがニコラの仕事ではないのか。
「先生、差支えなければ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「先生はプラントのことなら何でも知っていると思っていました。専門家だと」
「ああ、確かに私は専門家だ。しかし、私は保守はできても作り直すことまではできん。プラントの砂海浄化設備が、日に日に失っていくのはこれのせいだ」
ニコラの指差す方向を見る。薄暗がりの中に大人の腕ほどの太さのパイプがあった。塗装は剥げ落ち、表面に錆の浮いている年代物だが外見に特別故障した形跡はない。
「何かおかしいんですか」
「そこの裏にある、亀裂の中を見てみろ」
ニコラに従いレインがパイプを覗き込むと裏にはナイフで缶詰をこじ開けたような亀裂があった。その中を覗きこむ。
パイプの中は何かをろ過するフィルターになっていた。しかし砂まみれになっていて、フィルターとしての機能を果たしていなかった。
「……詰まってるんですか?」
「ああ。それも膨大な量だ」
「これをなんとかすれば、プラントの故障は元通りになるんですか」
「ああ。だが、それは無理な相談だ。ダクトを外見だけ元通りにしたところで、分子レベルで付着した不純物はもうどうにもできん」
「試したんですか」
「試したから言っている。砂海の砂がこんなところまで入り込んでいるとはな……分解整備を怠ったツケか」
「……すいません。俺がちゃんとプラントのドアの開け閉めをやっていれば」
「そういうことは問題ではない。君は知らないかもしれんが、プラントの機器自体は多重のエアカーテンによって微粒子の侵入を防いでいる。ここまで砂海の砂が入り込んでいるということは、それらの機能が弱体化しているということだ。それを見抜けなかったのは私の責任だ」
ニコラは苦渋の表情を浮かべていた。詳しいことは分からないが、砂海の砂がパイプの隙間に入り込み、プラントの機能を損なっていることくらいは分かる。
原因はどこにあるのだろうか。出入りした自分たちが砂を運んできたことか、出入り口のドアの立てつけが悪いからか。それとも保守の仕事をしているニコラの見落としだろうか。たとえ原因が明らかになったとしても、この状況を改善できる要素は無かった。
「どうしたんですか、おふたりとも。おなかの具合でも悪いんですか?」
音もなく階段を降りてきたのはQXだった。言い付けどおりに服を着ている。あれだけの太陽光を浴びておきながら、その肌は少しも焼ける気配がない。それどころか、ツヤを増した印象さえある。
「まあ、そうには違いない」返事と同時にニコラが脱力したように肩をすくめた。
「QX、充電は済んだのか?」
「ええ、しっかりと。元気百倍です!」
QXがわざとらしく力こぶを作ってみせたが目の前の二人の雰囲気を察したのか、ゆっくりと手を降ろして、筒状になっている水槽を見上げた。
「ふむ、ところでこのプラント、機能不全に陥っていますね」
「分かるのか、QX」
「はい、分かる範囲でよろしければ。情報が必要ですか?」
QXはプラントを昨日見たばかりのはずだった。それなのに情報を持っているというのか。いや、この施設が遺跡と関連があるならば、それも当然なのか。ニコラが一瞬目を見開いたが、すぐに元に戻った。まるで、下手な期待は自分の首を絞めると自戒するようだった。
「ああ、頼む」ニコラの表情は藁をもつかむようだった。
「では、プラントの稼働を一時停止させてもらえますか」
「なぜだ」
「部分的な損傷、故障ならば機械本体を止めなくとも修理は可能です。ですが、この状態はもう全体の機能に影響を与えています。」
「……それは、無理だ。プラントを停止させたら、今ある作物の苗が死んでしまう」
「長時間というわけではありません。水槽の水が劣化する前に、作業を終わらせます」
「……そうだな、少しやってみよう。何もしないよりはマシだからな」
ニコラがしぶしぶ頷く。その様子を見ているレインは、自分が除け者にされているような気がした。
ニコラが事務所の方向に姿を消してからしばらく経つと、次々と電源が落ち始めた。エアコンの涼風が止み、水槽から立ち上る気泡が絶え、壁面や階段の照明が消える。周囲が暗闇に包まれたかと思えば、点在する白熱灯の灯りが取って代わった。頭上のスピーカーから「非常用電源に切り替わりました」とアナウンスが聞こえてきた。
どうやら、向こうの準備が整ったらしい。
「ではマスター、命令を」
前触れなくQXがこちらを向いたので、レインは会話の中心にいきなり放りこまれたみたいで反応に困ってしまった。
「……レイン君、頼む」
こちらを見ているのはQXだけではなかった。白熱灯の灯りの元に立つニコラが、いつになく殊勝な顔をしてこちらを見ていた。
そうか。QXにプラントの修理ができるからと言って、彼女がひとりで決断することはできない。彼女は道具でありロボット、ウイッチフレームなのだ。そしてそのマスター、主人は自分である。
自分に物事の決定権があることをレインは理解した。
「……QX、やってくれ」
「はい、マスター!」
快い返事が返って来たかと思うと、QXはレインの命令を即座に実行に移した。
まずQXはその場にうずくまり、身体に含んでいた空気を残らず吐き出し始めた。肺の中を真空状態にするような強引な吐き出し方だった。そして何を思ったかおもむろにダクトに口を近づけ、猛然と息を吸い始めた。それも、ただ吸うだけではなかった。
「……砂を、吸いこんでいる?」
そうだ。QXの口とダクトの間には、微粒子レベルの砂が霧となって流れ込んでいたのだ。まるで強力な掃除機のように、QXの口は砂粒の混じった空気を吸い込み続ける。吸い込んだ砂粒や空気はどこに行っているのか。QXの体内に吸収するといっても、それには限界があるはずだった。
いったいQXの身体にはどれだけの許容量があるというのか。
驚きに満ちた表情でニコラはQXの行為を見守っていた。レインも、自分が平静な感覚でその様子を見ることができたとは言い難い。
あまりに人間離れしている。ウイッチフレームは、本当に魔女と呼ばれるにふさわしい存在なのか。
一時間後、QXが「ふう」と吐息をもらすと、口元から微量の砂が霧のようにたゆたっていた。砂を吐き出す気配はなく、呼吸が乱れたということもない。外見に変化は全くなかった。普通そのもののQXは、「これくらいが限界です。まわしてください」とニコラに告げる。慌てたようにニコラが事務所に再び駆け込むと、次々とプラントの電源が復旧し、機械の稼働音が増していった。
照明は元に戻り、涼風がレインの頬を優しく撫でた。しかし、これまでとは変化したことがある。
機械の稼働音だ。以前が老人の呼吸だったとすれば今は壮年の若者で、完全に息を吹き返していた。正直うるさいくらいの音で、レインは隣にいるQXに話しかけるのにも若干声を張り上げなければならなかった。
「QX、大丈夫か?」
「問題ありません。少し体内での処理に時間がかかりますが。フィルターに付着した砂塵を約九一パーセント吸入しました。マスター、プラントは?」
「ああ、直ったみたいだ」
事実そうなのだろう。レインは確認するために事務所に脚を伸ばしたが、そこで見たニコラはソファーを蹴り飛ばしながら壁中を駆けずり回り、機器の調整に四苦八苦していた。
「レイン君、そこのメモリを二割まで下げてくれ! このままでは受け入れ側がオーバーフローを起こしてしまう!」
「……そういうことは、直ったんですか?」
「ああ、直ったなんてもんじゃない。私が来た時よりも格段に出力が上がっている。事実上の強化だ!」
ニコラはいつものクールな態度に似合わない、歓喜に満ちた悲鳴を上げていた。
プラントの中でする食事は、いつも缶詰主体の味気ない物だった。
本来自然の農作物や砂魚を使ったほうが安く上がるのだが、金を出すニコラの好みで缶詰をわざわざ買ってきているのだ。ニコラが言うには缶詰のほうが時間と都合を選ばずに、ひとりで気兼ねなく食事をすることができるかららしい。
しかし、今日レインが呼ばれたプラントの食卓は少し違ったものになっていた。
「まあ食え」
ニコラが差し出すのは缶詰のコンビーフだ。程よい具合に赤身と脂肪が合わさったものでとろけるような食感があり、いつものものとは違う。普段砂魚の干物や露店のハンバーガーしか口にしないレインは缶詰というだけで高級品だったが、今目にしているのは缶詰の中でも高級品に属するものだった。
「どうしたんです、これ。俺こんなの買って来てませんけど」
「これは私が中央から持ってきたものだ。用意していたのさ、ホームシックになった時のためにね」
「そんな大事なもの。俺に食わせるためにわざわざ運んできたわけじゃないでしょう」
レインが固辞するのを横目に、ニコラが自分のワイングラスに手酌でボトルの中身を注ぐ。そのボトルも見たことのない銘柄だった。おそらくこれも、中央から運んできたのだろう。
「まあそう言うな。かねてからの懸念が解決できたのだ、私にだってはしゃぎたくなる時もある」
心なしかワイングラスを口に運ぶピッチが増しているような気がする。どんなに飲んでも顔色を変えることがないニコラだったが、今日は特別のようだった。
「これでプラントは今までの倍の作物を生産することができる。忙しくなるぞ」
「何か仕事が増えるんですか」
「決まっているだろう、農地の確保だ。地主に相談しなくてはならないな。作物の苗の出荷量が五倍に跳ね上がったんだ、あいつらどんな顔をするだろう」
「ああ、そうですね」
レインは地主たちが好きになれなかった。人の上前を撥ねるだけで自分が汗水たらして働くことがない。それどころか、奴らは自分たちが特別な存在だと勘違いまでしている始末だ。
「……作物の出荷が多くなって、俺たちに何か得はあるんですかね。地主たちを肥え太らせるだけじゃないでしょうか」
「さて、それはどうかな」ニコラが不敵な笑みを浮かべた。
「違うんですか?」
「地主の持つ土地には限りがあるということだ。苗を引き受けられなくなったら、余った苗はどうなる?」
「他の地主に依頼するしかないでしょう」
「そう、地主が増える。地主が増えるとどうなる? 地主が増えれば作物も増える。市場に品物が溢れるぞ」
「過当競争が進む、ということですか?」
「レイン君はなかなか頭がいいな、そうだ。品物の価格が安くなり、人がより生きやすくなる。地主たちは品物を捌くのに苦労し、値段を下げざるを得ん。そればかりではないぞ、余った作物は輸出に回すことができる。外貨を獲得するための手段になるということだ。これでプラントの収入も上がる。そうなれば何が起こるか分かるか?」
「……さあ」
「居住区の拡大だよ。道路も整備できるし、機材もそろう。機材がそろえば住む土地も増える。このプラントは豊かになるぞ!」
プラントの性能が上がるということは、それだけの効果をもたらすということなのだろうか。ニコラは熱に浮かされ夢を語っているように見えるが、おそらく語っていることは現実に違いない。
「ところで、レイン君。折り入って相談があるんだが」
ニコラが身を乗り出す。ほれきた。レインは自分の推測が当たったことに、心の中でため息を漏らした。
「……QXのことでしょう?」
「ああ。彼女をプラントの保守業務の補助にだな」
「それは本人に聞いてみてくださいよ」
「いや、それは駄目なんだ」
「なんでです」
「決まっているだろう。君というマスターがいるからだ」
「……何が言いたいんです」
「単刀直入に言おう。私の仕事にQXを使わせてくれ」
「……マスターを交代する、ということですか」
応える代りにニコラが頷いた。
マスターを交代するということはレインがQXを手離すということだった。レイン自身はQXを所有したところで、何か目的、ビジョンを持っているわけではない。目的のあるニコラなら、マスターに適任だと言えた。
理屈では、そのはずだった。
「もちろん対価は用意する。……君は、遺跡に迷い込むときに砂上船を壊したのだろう?」
「はい」
「一隻用意しよう。前乗っていたものよりもっと、ちゃんとした奴だ」
「今までのがちゃんとしていなかったわけじゃないですけどね」
「そうか、そうだな。すまない、失言だった」
頭を下げるニコラは、自分の機嫌を伺っているのだろうか。もしそうなら、やめてくれと叫びそうになった。QXは取引の道具ではないし、それでニコラとの関係性が変化するなど考えたくもないことだ。
何よりもレインはQXを他人に渡すのに抵抗を感じた。
QXが綺麗な少女だからか、強大な力を持つ魔女だからか。そんな物とは違う。もう少し本を読んで勉強をしていれば、この気持ちをうまく言葉にできるのかもしれない。レインは生まれて初めて、自分の知識が足りないことに苛立ちを覚えた。
しかし、レインの口は心の中とは裏腹な言葉を紡いだ。
「……いいですよ。先生ならうまく使えます、あいつのこと」
「未練はないのか?」
思い留まらせるようにニコラが言う。しかし、提案したのは彼女だった。いまさら何を言うのか。レインは理由のわからない怒りに取りつかれる前に、早く会話を切り上げたかった。
「何の未練です。まだ会って三日と経っていないんですよ」
「そうか。では、いいんだな」
ニコラが静かに、マスター解除の手順を伝える。まるで恋人の別れのようなその行為に、レインは少しだけ夜の寒風にさらされるような寂しさを覚えた。
「あ、マスター!」
こちらに気が付いたのか、QXが手を振ってきた。
頭上には今にも降ってくるような星空が見える。プラントの屋上にQXはいた。前もってレインは「プラントの外には出るな」と念を押していたので、探すのは簡単だった。
「やっぱりここにいたのか」
「だって、マスターのおっしゃることですから」
QXが裏表のない、花のような笑顔を見せた。その笑顔が今のレインには無言で背中を切りつけられるように痛い。
「何で笑ってるんだ? いいことでもあったのか」
「もちろんです。だって、初めて人の役に立ったから。わたし、働きを認められたんですよ?」
「ああ、そうだったな」
レインは考える。ここでマスター解除の手順を踏めばどうなるのか。
最初に自分がマスター拒否したときは、QXはむくれて不貞腐れていた。今回マスター解除すれば反応はその比ではないだろう。それとも糸が切れたように無関心になるのか。
QXの反応を想像するだけで怖いのか、それともQXを失うのが怖いのか。まるで婚約の直後に別れ話を切り出す男のように、レインはQXに切り出す言葉に迷い続けていた。
QXとの契約を解消すれば、ニコラが新しい砂上船を手配してくれる。その事実がまるで自分がQXを金で売り渡してしまうような気がした。
いや、違う。自分はQXを、金で売り渡そうとしているのだ。
「なあ、QX」
「はい?」
「プラントの助手として、おまえに働いてほしいってニコラさんから話があったんだ」
「はあ」QXは要領を得ない表情だった。
「で、だ。それに俺は含まれていないんだよ。俺は大して機械に詳しくないからな」
「マスター、勉強しましょうよ! そうすれば」
「いや、必要なのはQX、おまえだけなんだ」
それを聞くと、QXはすっくと立ち上がった。両目に炎のような輝きがあるのは気のせいだろうか。
「そんなの、イヤです! マスターを差し置いて、わたしだけが働き口を得るなんて! そしたらマスターはヒモみたいじゃないですか!」
「ヒモって、おまえなあ」
マスター解除を念頭に置いた話だったのだが、どうも話が通じていない。同時にレインは自分のプライドがガラガラと音を立てて崩れてゆく音を聞いた気がした。そんな様子を尻目にQXは大股でドアに歩んでいく。
「おい、どこに行くんだ?」
「決まってるでしょう、ニコラさんのところです! マスター込みでの雇用契約を結んでもらえるように直談判してきます!」
QXがドアを閉めようとした刹那、夜空を切り裂くような轟音が響き渡った。
「……なんだ?」
この音はプラント内部のものではない、外部からのものだ。レインが屋上の縁に立って夜の街に目を凝らすと街の向こう、砂海の方向に何かが見えた。
「何ですか、マスター」
隣に駆け寄ったQXが同じように目を凝らす。ロボットであるQXなら、その正体が明確に分かるのだろう。
しかし、レインにも正体ははっきりとわかっていた。
遠くの砂海に浮かぶ、台形の巨大な構造物。それは移動してこちらに近づいているのだ。
「……砂上戦艦だ!」
光る階段を早足で降りながら、レインは考えていた。
砂上戦艦が警告もなしに発砲するということは、その持ち主は砂賊たちで間違いない。砲声が聞こえたが、どこかに着弾したのだろうか。それとも威嚇の空砲だろうか。レインは後者であることを期待した。
こんな辺境の港街になぜ大規模な砂賊たちがやってきたのか。もっと豊かな街は他にもあるはずなのに。
「先生!」
事務所に入ると、ニコラはまだ酒を煽っていた。砲声のことなど遠くで花火が上がったと言った風情だ。
「先生はここに隠れてて!」
「しかし……私も銃くらいは撃てる」
「先生は女の人でしょう! 捕まったら何されるか分かりませんよ? それにプラントの価値は連中も分かっているはずです。壊すようなことはしないはずです」
レインの言葉にニコラがふっ、と笑った。
「そうか、君は私のことを女性と扱ってくれるんだな」
「当たり前ですよ」レインは自分の顔が紅潮してゆくのを感じた。
万が一の時のために保管していたライフルを取り出し、マガジンを確認する。大丈夫、撃てる。数年ほど銃を手にしていないが、今は大丈夫かどうか迷う時ではない。無言でレインはライフルを肩に背負った。
事務所を出るとプラントの階段からQXが身を乗り出してきた。
「マスター?」
「QX、おまえもここにいろ。外は危ない」
「危ないって、マスターはその危ない中に行かれるんですよね」
「ああ。人手は必要だからな」
「じゃあ、わたしも連れて行ってください!」
「……おまえ、自分が何言ってるのか分かってるのか?」
レインは仰天した。QXは確かに強大な力を持つと呼ばれる魔女だが、その力は未知数だ。いくらなんでも使い方のわからない兵器をいきなりぶっ放すことはできない。QXに危険が及ぶだけではなく、この街を丸ごと消滅させてしまうかもしれないのだ。
「はい。それに、マスターが死んじゃったら、わたしどうすればいいんですか?」
「……新しくマスターを見つけるなり、勝手にしろよ。」
「そんなこと言わないでください。私のマスターは誰でもいいわけではないんですから」
「じゃあ聞かせてくれ。俺をマスターにした理由はなんだ」
かねてから聞きたかったことだった。レインの質問にQXが少しの間首をかしげる。
「うーん、言語化できません。要素が複雑すぎるんですよね。わたしにも分からないことなんですが、一言だけ言えることがあります」
「……なんなんだ」
「ビビッと来たんですよ!」
QXが親指を立て、歯を見せて笑った。
街は戦場というにはまだだったが、外壁部で銃声が間断なく響いていた。路地に人影は見えないが、きっとどこかに隠れているのだろう。
逆に、銃声以外の音がしないのが不気味だった。
街の一角には農地が広がっていて、そっちからは銃声は響いていない。灌木が土手の上に広がり、林を作り上げている。林の中には避難してきた人々が息をひそめて事態が過ぎるのを待っていた。街が襲われている以上外に逃げ出すのが賢い選択と言えたが、街が包囲されている可能性もあり、迂闊に動けば街を出たそばから蜂の巣にされてしまう可能性もあった。
「早くみんなをプラントの中へ!」
外に出てきたニコラが叫ぶ。プラントの中は基本的に一般市民の立ち入りが制限されているが、この非常時にそんな建前は破り捨ててもいいはずだった。レインとQXはふたりでプラントの搬入口の門を開け、手招きする。徐々に人々がこちらに気づき、避難を始めた。
プラントの中は精密機器の集合体であり、非常に価値のある物だ。砂賊がうかつに発砲でもしたら、全てがおじゃんになってしまう。ニコラの行動は、砂賊たちの目的がプラントの奪取と仮定しての選択だ。それ以外にこの街に対外的な価値などない。
しかし砂賊にこの土地を自由にさせるという選択肢はなかった。プラントを無傷で明け渡してしまえば、ここが砂賊の支配する街になることは確実だからだ。実際、そのような事例は多い。
砂賊に支配されればこれまでの秩序は崩壊する。
「くそっ」
レインは不吉な想像を頭の中から追い出すべく走る。砂礫を踏みつけると乾いた音がするが、それすらも気に障る。
「待ってください、マスター!」
QXが後ろから追いかけていていた。レインはあっという間に追いつかれ、並走する形になる。
「おまえ、何かできるのか、戦えるのか!」
「ちょっと、検索中です。なにせ初めてなものですから」
「やっぱり置いて来ればよかった」
走っていくうちに、外壁はすぐに見えていた。多数の重機ロボが外壁に陣取り、対空砲火の閃光を上げている。
「マスター!」
突然QXに袖を掴まれ横方向に引っ張られた。砂の地面に何かが減り込む音がし、自分の立っていた場所を見るとそこには銃弾によって黒い穴が穿かれていた。
「流れ弾か」虚勢を張ることで出た言葉だったがレインの声は震えていた。身体は心よりも正確に危機を認識しているらしい。
「流れ弾が一番怖いんですよ、マスター」
QXはレインを諭すように真剣な顔をしていた。
「流れ弾には意思がありません。ただ相手が狙っているのならば予測の上での回避も容易ですが、意思のない銃弾はただ高速に飛来するだけですから、避けるのには相当の演算が必要になります」
「……そうだな、ありがとう」
よくわからないが、QXが自分を助けてくれたのは事実だ。
「いえ、マスターのためでしたら、わたしは盾になることだって」
献身的なQXの言葉だったが、これ以上ここに留まっていてはまた流れ弾が来るかもしれない。外壁の陰に隠れながら、レインはライフルを握る手に力を込めた。
時折、岸壁の土嚢にくぐもった音がするのは機銃の流れ弾が着弾しているからだ。
東の空が所々、朱に染まっている。もちろん日の出というわけではなく、そこで戦闘が行われているのだ。重火器による砲撃の音が地面を揺らしてこちらまで響いてくる。
砂海の上で多数の砂上船が砲火を上げ、戦闘用の無人端末が波を蹴立てて動き回っている。それらは砂海の上を動き回るための「かんじき」のついた脚と、上半身は大砲や機銃を組み合わせた汎用火器で出来ている。それらは変則的な軌道を描き、敵の砲火を避けながら射撃を続けている。
砂海を戦場に多数の砂上船と戦闘端末たちが敵味方に入り乱れて、戦いを続けていた。遠目にはどれが敵で、どれが味方かは分からない。こちらに迫る者は敵で、背中を向けている者は味方だとレインは推測するしかない。大人たちの間ではレーダーにより戦況が分かるらしく、閃光が上がる度に歓声とどよめきが細波のように広がっている。
砂海を望むプラントの外壁は、人々の喧騒に支配されていた。
外壁の陰で戦いを見ている人間はレインだけではない。街の住人が何人か同じようにいる。彼らも同じように武装しているが、戦闘端末がこちらに突っ込んできたときにライフルで太刀打ちできるとは思えなかった。
ライフルを持つ自分も彼らと同類でレインは自分の無謀さを再認識するが、どの道あのままプラントに隠れていることはできなかった。そんなことをしていれば、自分は臆病者として街で後ろ指を差される日々を送ることになる。自分の命とプライドを天秤にかけて後者を選んだのは合理的ではないが、もともと人間は合理的にはできていないのだ。
「……おかしい」
レインは双眼鏡越しに見える戦場の様子に首をかしげていた。想像とは違い、戦場は砂海の上での小競り合いに留まっていたからだ。
なぜこちらに攻め込んでこないのだろう。こちらの守りが厚く、攻めあぐねているのか。砂賊とプラント側の戦闘は互角に見える。決定打には欠けるが距離的に、少しずつこちらの兵器たちが距離を広げて押し戻す気配があったからだ。
その原因は、こちらの防衛砲台にあった。
大気中を音もなく浮遊する防衛砲台は、認識する敵影に音もなく忍び寄り、死角から一撃で葬り去る。遺跡から発掘されたお宝で、その性能は高い。他のプラントにはない物で、こんな辺鄙な港町には過ぎた代物だった。
戦況を砂上戦艦は無言で見つめているようだった。援軍を出す気配もない。まるで手を出すべきかどうか迷っているように見えた。
「ふう」
人々の安堵の吐息が聞こえ、レインも嘆息した。
このままの流れなら、砂賊は略奪をあきらめるはずだった。このようなことは過去にもたびたび起きている。
向こうも商売でやっているのだ、損害が増えたところで回収がそれを上回らなければ赤字だ。まともな損得勘定を弾くことができるなら、即座に撤退してもおかしくはなかった。
瞬間、砂海の上で閃光が上がった。それも複数。
砂海の上で巻き起こる閃光は同時に無数の巨大な砂柱を巻き上げる。砂上船や機動兵器を構成していた構造物は数えきれない数の破片となり、四方八方に飛び散る。破片はこちらにも飛来し、乾いた音を立ててプラントの外壁に突き刺さるのが見えた。
「……!」
ついさっきまで優勢だったのに、なぜ、どうやって。撃破の瞬間はあまりに唐突で、人々から恐怖の匂いを含んだヒステリックなざわめきが火柱のように噴出する。
ざわめきのなか、雷光のようによく通る声がレインの耳に突き刺さった。
“よく聞きなさい、そのプラントに魔女がいるでしょう? おとなしく引き渡せば、命だけは勘弁してあげるわ!”
少女の声だった。
恐慌に満ちたざわめきは、まるで熱病のように、潮が満ちるように急速に外壁の群衆に伝播していった。
魔女、一体何のことだ……あいつらの目的はプラントじゃないのか? 誰かこの街で魔女を見た奴はいるのか……まさか、そんな怪物、ここにいるわけがないじゃないか!
外壁に大人たちが寄せ集まり情報を求めようとしても手に入らない混乱の中、レインは立ち尽くしていた。
このなかで自分は唯一事態を正確に認識しているのだろう。それだけに、喉元にナイフを突き立てられたような事態の深刻さを打ち明けることができない。
「……あいつらの目的は、QXだってのか」
かたわらに立つQXを見ると彼女も、自分が魔女と呼ばれている現実、そしてどう振る舞っていいか分からないように自らの肩を抱いている。
「マスター」
眼があった。こちらを見るQXの視線は、自分がどうすべきかという指示を仰いでいるように見えた。
どうすべきか。自分とQX、二人分の判断を下さなくてはならないことに、レインの胸中は苛立ちで充満した。プラントの安全のために砂賊どもにQXを引き渡すのか。それとも、手に手を取り合って駆け落ち同然でここを抜け出すのか。
それとも、危険を冒して戦うのか。
レインが考えている間にも遠くに見えていた砂上戦艦が、いつの間にかすぐそばまで近づいていた。もう視界に収まりきらないほどの大きさで、このままでは外壁を潰してしまいかねない。一体どこまで近づいてくるのか。
砂上戦艦の船体は砂塵の色だ。甲板上に人影はないが、船体中をハリネズミのように武装している砲塔群はすべてこちらを向いていた。
“そろそろ返答を聞かせてもらおうかしら。嘘をついたら、ただじゃおかないわ!”
砂上戦艦の台形の艦橋の上に、小柄な人影があった。
「……女の子?」
レインは我が目を疑った。
砂上戦艦の上で指揮を執っているのは、赤銅色の長髪を風になびかせている少女だった。黒い装飾過多のコートに身を包み、頭には海賊帽をあしらっている。右目には黒い眼帯を着けているという徹底ぶりだ。
そのなかで、右手に持つねじくれた形をした木の杖だけが、統一された外見の中で異彩を放っていた。
「あれは、紅の旗だ!」
誰かが叫ぶのをレインは耳にした。
紅の旗という名称はレインも耳にしたことがある。この辺りの砂賊の中でも最大勢力で、数多くのプラントを支配下に収めている。敵対する砂賊たちには容赦ない攻撃を加え、壊滅させると同時に吸収を繰り返してきた。
そんな砂賊の最大勢力がQXを欲しがっているという状況から察せられるのは、決まっている。
QXを戦力として迎えたいのだ。
しかし、レイン自身はマスターでありながらQXの性能については何一つ知らない。それとも、砂賊たちのほうがレインよりもQXたちについて詳しいのだろうか。
あの、砂上戦艦の上に立つ海賊帽の少女が。
突如としてつんざくような砲声がスコールのようにレインの耳を激しく揺さぶった。プラント側の人間が迎撃を開始したのだ。砂上船や戦闘端末の砲火が砂上戦艦に集中する。
しかし、その砲火は砂上戦艦に届く直前で既に巨大な炎の華を咲かせていた。
「……チャフだ!」
群衆の誰かが叫ぶのが聞こえた。
砂上戦艦は直撃を受ける前に金属片を射出して囮にし、ダメージを逃したのだ。外壁の直近でも爆発が巻き起こり、肌を焦げ付かせる熱風に炙られ、焦げ付いた匂いが辺りに立ち込める。爆風がプラントの外壁を揺らし、中には強引に弾道を逸らされた砲弾が流れ弾になってプラント内の敷地に着弾するのが見えた。熱風から少しでも逃れようと群衆はドミノのように姿勢を崩し、レインとQXもそのなかで倒れることすらできない。無力な自分は何故この場所にいるのだろう、とレインのなかで素朴な疑問が頭の中に浮かんだ。
も うこの距離ではこちらが砲火を上げたところで、プラントの損害が増えるだけだった。ここまで押し込まれたこと自体がプラント側にとって王手を指されたことに他ならない。
「マスター!」
砲声に耐え切れなくなったのか、それとも自分を守ろうとしてくれているのか、QXが抱きついてきた。レインは腕の中にいるQXの震えとかすかな体温を感じながら、どうすることもできないまま刻一刻と悪化し続ける事態の推移を見守るしかなかった。
激しい銃声が鼓膜を揺さぶる。見ると銃弾が砂上戦艦を乱打していた。外壁に陣取る人々が手に持つ武器の照準を砂上戦艦に合わせ、射撃を始めたのだ。砂上戦艦の甲板上ではまるで楽器に見立てたような甲高い音が火花を散らしながら間断なく響き渡る。しかし削れるのは表面の塗装だけで、向こうはこちらの抵抗など意に介さない。
艦橋の上に立つ海賊少女にその銃撃が当たることがなかった。射程が足りないのか、それとも何かの力で銃弾が逸れているのか。海賊少女はレインたちの様子に恐れるどころか、あきれ返ったような視線を向けていた。
その間にも、ゆっくりと進み続ける砂上戦艦はその脚を止める気配がなかった。
「……砂上戦艦ごと乗り込む気かよ!」
蜘蛛の子を散らすように砂上戦艦の前の外壁にいた人々が退避する。しがみつくQXの手を握り、レインも群衆の一部となって全速力で走る。程なくして、砂上戦艦の前方にしつらえられた衝角が重苦しい音を立ててプラント外壁にめり込む音が聞こえた。構造物を強引に捻じ曲げ破壊する特有の不協和音が辺りに響き渡る。それはまるでプラントが悲鳴を上げているように見えた。
“もう一度言うわ。魔女を明け渡しなさい! あんたたちにあれは手に余るモノなのよ。今すぐプラント中をひっくり返して探し出せばこれ以上進軍はしないと約束してあげるわ!”
人々が青ざめた顔を見合わせる。再度の通告は、間違いなく「魔女」がプラントの中にいることを物語っていた。
絶望感がレインの頭の上に黒い雲を造るようにたち込める。冗談じゃない、馬鹿げている。皆の安全のために、QXを引き渡すなんて。しかし群衆の中にはプラントに見知らぬ魔女を探しに行った者もいた。ざわめきはさらに激しくなり、不安と内圧が急速に高まる。今の外壁内の群衆はまさに破裂寸前の風船だった。このままではQXの素性がばれ、生贄となって砂賊どもに引き渡されるのは時間の問題だ。そのために邪魔になるものは、きっと容赦しないだろう。たとえレイン自身がQXの盾になろうとも、目の前でQXは――。
そのとき、砂上戦艦の鼻先で叩きつけるような金属音がこだました。
「作業ロボット?」
数体の作業ロボが砂上戦艦を力づくで押し留めていた。作業ロボは足元を滑らせながら、懸命に砂上戦艦の巨体を押し返そうとしている。全身のあらゆる関節からスパークの閃光を上げるその様は、まるで人間が一軒家を力づくで移動させるような無謀さだった。
砂上戦艦は動かない。足元のエンジンは悲鳴を上げているが、砂上戦艦といえども簡単には作業ロボを押し切ることができないようだった。
前触れなしに、海賊少女の眼前に何かが出現した。それは自動砲台で、浮遊する鉛色の筒先は正確に少女を狙っていた。
この距離なら、チャフは効かない。射出したとしても、超高温の爆風が少女の身体を消滅させることは確実だった。
「ふん」
絶体絶命の状況を海賊帽の少女は鼻で笑った。
少女が右手に持っている木の杖を自動砲台に向けるのが見えた。よく見ると木の杖は頭が独特な形状に歪んでいて、レインはそれが竜の頭に見えた。
「しゃらくさい!」
叫びと同時に木の杖の、竜の頭の形状をした部分から瞬間的に紅蓮の炎が洪水のように迸った。炎の洪水は空中を大蛇のようにうねり、自動砲台を一瞬にして包み込む。射撃準備をしていた自動砲台の砲塔が飴細工のようにぐにゃりと曲がり、内から爆発する。重力に従って金属の飛沫を上げながら形を失い、あっという間に溶け落ちてしまった。
直近の爆発にもかかわらず、海賊少女は傷一つ負っていなかった。
他の自動砲台はあった。砲台たちは海賊少女を囲むように砲塔の筒先を向けていたが、砲火を上げる気配がない。仲間を破壊されたというのに、少女に攻撃しようとする意思がないようだった。
「メデューサ現象さ」
ニコラがいつの間にか、レインの横に立っていた。
「ウイッチフレームの前では、自動管制の火器は全てその影響下に入る。無力化されると言ったほうが分かりやすいか。あの少女は魔女、ウイッチフレームだ」
「……あんな小さいのに、魔女?」
「大きさは関係ない、来るぞ!」
ニコラが叫ぶと同時に銃声、砲声がとどろく。
海賊少女が飛び降り、群衆に向かってきたのだ。
「あんたたちが戦いたいってのなら、」
恐慌に駆られて握る銃の照準の精度など、あって無いようなものだ。なによりも、夜間で動く小さな標的に目視で狙いを定めるのは至難のわざだ。
「少し付き合ってあげるわ!」
ライフルの火線に照らされる海賊少女の横顔は、不敵にほほ笑んでいた。
木の杖から発せられる超高温のプラズマが可視光となって次々と群衆に殺到し、瞬時に身体を元からなかったかのように焦げた靴だけを残して蒸発させる。砂上戦艦の前に立ちはだかる作業ロボは何の抵抗もできずに操縦者を内に収めたまま音を立てて爆発、炎上した。
「いいから聞きなさい! あたしたちはむやみに危害を加えようってんじゃないんだから。あたしたちの目的は、あんたたちが匿っている魔女にある。いいから出しなさい、あんたたちには過ぎた代物なんだから!」
「何を言っている、そんなものはこちらにはない!」
何も知らないのか、誰かがプラント側の代表として声を上げる。しかしその声はあまりに弱く、虚勢というにも程遠いものだった。
カチ、カチと音が鳴る。とても耳障りなその音は、他ならぬ自分の歯が鳴らしていることにレインは気が付いた。
QXが見つけ出されれば差し出さなくてはならない。マスターであるレインの意思など蚊帳の外だ。
砂上戦艦のなかで動きがあった。こちらに内火艇を降ろす準備をしているのが見える。業を煮やした彼らが自ら街中を捜索しようとしているのだ。狭いプラント内を捜索するのに大した時間は必要ない。QXが彼らの前に差し出されるのは確実だろう。
それまでの経緯でどれだけの略奪があるのだろうか、どれだけの殺人があるのだろうか。
たった一人の少女のために――。
「……検索が終わりました。マスター、命令してください」
QXが覚悟を決めたようにこちらをじっと見ていた。硬い表情だった。
「……命令って、なにを」
「戦うことです。わたしには、戦う力があるのです」
それはQXを魔女、戦うための存在として認めるということだ。
レインは葛藤する。
戦いは嫌いだ。戦いは、戦争は自分たち家族を離散させた。生きる住居、人のつながりを奪った。
それを、戦いを今自分は命令する立場にある。
戦いを戦いで止めるのか。矛盾した発想だったが、命令しなければどうなる。砂賊が街に押し入り、物資を奪われ、人が殺される。戦争を自ら呼び込むことに他ならない。
それを止めるには、ここで戦わなければならないのだ。そうしなければ、子供のころと同じ轍を踏むことにある。
あの頃のレインは無力だった。親を探し、付いてゆくだけで精いっぱいの単なるお荷物だった。
しかし、今は違う。考えるだけの知恵があり、隣にはQXがいる。
確かに同じ人、しかも可憐な女の子の姿をしているQXを兵器として扱うのには、途方もない抵抗がある。しかし、レイン自身が同じ力を持っていれば、QXと同じようにするだろう。
戦うという選択だ。
もう、過去の自分とは違うのだ。
「QX、頼む。戦ってくれ」
レインはQXの眼を覗き込んで言った。祈りに近い切実な願いを込めて。
「はい、喜んで。マスター」
QXはとても綺麗な笑顔で応じてくれた。
瞬間、猛烈な熱風が衝撃波となってレインの周囲の外壁を破壊した。補強に補強を重ねたつぎはぎだらけの壁が音を立てて崩れる。押し寄せてくるのは炎の洪水で、それらはまるで質量を持つかのように壁面に殺到し、壁面を次々に熔かしながら散り散りに破壊していった。
視界が赤と黒に染まり、反射的に目を閉じる。QXの姿は見えない。熱気が身体中の産毛を一瞬にして焼き尽くす感覚、体重を失う。レインは熱を持った衝撃波になすすべもなく、地面に転がっていた。
身体を確認する。レインの身体を包んでいた黒い外套は襤褸切れと化していたが、炎の移った箇所はない。なによりも自分が無傷で済んだことは奇跡に等しかった。なぜ自分だけが無事なのか、という疑問のほうが先に立った。なぜなら、周囲にある全てのものが炎にまかれ、溶け、黒炭の塊になっていたからだ。
「あら、結構いい男じゃない。ナノマシン反応がある……あんたが魔女のマスター?」
QXのものとは違う、少女の声がレインの耳を打った。
目の前にいるのは、海賊少女だった。澄ました表情で、身長はQXよりもわずかに低いくらいか。好奇心に輝く吊り眼の瞳は少女の無邪気さを持っていたが、片方の目は黒い眼帯で覆われ、その瞳はひとつしか存在しなかった。
「……なんでそうだと思うんだ」答えるレインの声は炎に炙られたせいか、乾ききっていた。
「だって、ナノマシンの匂いがしたんだもん。でも意外ね、もっと欲深そうな奴だと思ったんだけど」
「QXを捜しだして奪って、何をさせるつもりなんだ」
「魔女の名前、QXって言うんだ。何をさせたいか、知りたい?」海賊少女はその童顔に似合わない、妖艶な笑みを浮かべた。
その時、瓦礫と化した近くの外壁が音を立てて吹き飛んだ。
「……!」
外壁の中から弾丸の勢いで飛び出してきた影があった。QXだった。
「マスターの仇!」
QXはどこから出したのか金属質の光沢のある棒を持ち、海賊少女に躍りかかっていた。対する海賊少女は木の杖で応戦している。QXが金属の棒を押し込んでいるというのに、小柄な海賊少女は姿勢をまったく崩すことがない。両者の間には原理不明の紫電が滞留し、圧倒的な力の衝突を連想させた。
おい、俺はまだ死んでない。ふたりの様子を目の当たりにしたレインの言葉は吹き荒れる砂塵と巻き上がる焔にかき消された。
「全システムオンライン、機装状態に移行します!」
QXが素早く叫ぶと、その身体から光が漏れ出した。同時に髪が風に拡散するように長く伸長し、一定の長さに達すると硬質化する。QXの髪はまるで柔らかい氷が内から銀色の光を発するように見えた。同時にQXの身体中を半透明の鎧のようなものが覆い隠してゆく。
機装とは聞き慣れない言葉だが、様子からすると装備を整えているのだろうか。これよりQXは戦闘を始めるということだ。破壊に特化した姿だというのに、レインには装甲に覆われたQXの姿に得も言われぬ美しさを感じた。人外の、異形の美しさ。それは女神か、悪魔か。
いや、あれは魔女本来の姿だ。
「いかん、逃げろ!」レインの腕を引っ張るのはニコラだった。肩が外れんばかりの勢いで、戦うQXたちから距離を取ろうとしているのがはっきりと分かる。しかし、マスターである自分が彼女を放っておいて逃げていいのだろうか。
「逃げる? 先生、加勢は」
「バカ、あの光は魔女の警告灯だ!」
「警告灯? あんなに綺麗なのに」
「戦場であれを見たら逃げろということだ、巻き込まれて死ぬぞ!」
QXの長大な髪が尾のようにしなり、地面を激しく叩く。次の瞬間QXは虚空を蹴り、砂海に向かって飛翔する。海賊少女との鍔迫り合いは続いたままだ。
まるでレインたちが巻き添えをくわないように、海賊少女を連れ去ってくれたようだった。いや、事実そうなのだろう。
「だから言ったろう、彼女は魔女だと」
脅威が飛び去って安心したのかニコラが嘆息する。同時に街の人々が事態を察したのか、レインに対して掴み掛る勢いで殺到する。質問攻めが鼓膜を満たし、衣服が破れ、ところ構わず殴りつける衝撃が痛みとなってレインの身体に警告を与える。
しかし、レインはそのどれにも答えることができなかった。
言葉が出ない、考えもつかない。瞬きすら億劫だ。魔女に心を奪われてしまったように、レインはその場に立ち尽くしていた。
銀色に光る髪は羽根の形をつくり、空を泳ぎ、空気を裂く。夜闇から抜け出したような光の蝶を追うのは、同じく夜闇を焼き尽くさんばかりの光を放つ炎の蝶だ。
光の鱗粉を撒き散らしながら銀光の蝶と化したQXが飛翔する。対する海賊少女も、炎をその身にまとわりつかせながら砂海上空を駆け抜ける。両者の間には眼にもとまらぬ勢いで剣戟が交わされているが決定打を与えることはできず、お互いの得物に高速で傷を刻み付けるに留まっている。しかもその傷は自己修復をしている。ひとつ傷が刻まれるのと同時にひとつの傷の修復が終わっていた。
それはあまりに美しい様だった。所有者さえも触れてはならない美しさ。この世にはこういったものがあるのか。レインは驚きに満ちた視線でQXの戦いを見守っていた。
そして、心配になった。
はたして戦いを終えた後、QXは自分の元に戻ってくるのだろうか。人の軛を逃れた魔女の戦いは、人の認識できない速度と領域でいまだに続いている。
その様子はニコラたちに見えることはない。自分が見えるのはひとえに自分がQXとキスをしたことにより、ナノマシンの移植を果たしたからだろう。
それでいい、とレインは思った。人間が無粋な介入をすればそれこそ命にかかわる。何よりも、QXと海賊少女はお互いを見つけるとまるで十年来の友人のように、躍るように、じゃれ合うように剣戟を交わし続けているのだ。
「もしかして、これがしたかったのか」
レインは喘ぐように言葉を紡いだ。
砂賊の頭である海賊少女が来た理由とは、ただ戦うこと。
証拠に、砂上戦艦は沈黙を守り続けている。レインを囲み質問攻めをしている人々を除き、プラント中の人々も砂賊たちもただ一点を見つめていた。
ふたりの魔女の、戦いの行く末を。
砂海には杖同士が打ち合う澄んだ衝突音が響き渡っていた。
重力制御によって宙に浮かぶQXと少女を中心にして足元の砂面が振動し、砂の波紋が芸術品のような美しい同心円を描く。しかしその姿は一瞬で拡散し、崩れ落ちる。
QXは海賊帽の少女に肉薄し、その手に握るのは金属の質感を持った杖だった。手数は互角だったが明らかに体格で上回るQXのほうが勢いで押していた。
だが、攻め切れない。
QXは兵装の知識こそあるが、どうやって相手を殲滅できるかという知識を保有していなかった。ただ、がむしゃらに杖を叩きつけているだけだ。
「あたしもそろそろ、本気出そうかしら!」
海賊少女が叫ぶや否や、海賊帽が燃え上がる。一瞬にして炭の欠片と化した海賊帽の下にあるのは、燃え上がる髪だった。天を突かんばかりに燃え上がる赤い髪。逆立つ紅蓮の炎はそれ自体が意思を持つ生き物のように夜空を駆け、反射的に距離を取ったQXに殺到する。
「炎を操るっ?」
QXは金属の杖でこちらに向かってくる炎を振り払う。風圧によって炎は一瞬だけ怖気づくように勢いを無くしたが、それで攻撃が終わるはずもなかった。
「今さら言うなんて!」海賊少女がにやりと笑い、その身を包む衣服が内から迸る炎によって一瞬にして焼失した。内から伸びる無数の炎の舌はQXの迎撃できる限界をはるかに超えていた。出力を上げたQXの髪の毛から閃光が迸り、急角度のブーメランのような軌跡を描いて海賊少女と距離を取る。しかし炎の追撃を避けきれず、翼状になった髪の端がわずかに焼け焦げていた。
「くっ!」
「そら、どうした!」
海賊少女は攻める手を休めることはない。全身から炎を伸ばしてQXを絡め取り、巻きつき、締め上げる。嫌な臭いがQXの嗅覚端子を満たし、視界の端に所々羽根が焼け落ちるのが見えた。
「そんな類型的な攻撃!」
QXが腕に力を込める。二の腕から生え出てきたのは鋭利な刃だった。質量を持つ炎を両断し、自由の身となったQXは焼け落ちた羽根を修復しながら海賊少女に肉薄する。
「突っ込むしか能がないなんて、どんな兵装だって宝の持ち腐れなのよ!」
海賊少女は自ら身体の輪郭を溶け尽くさんばかりの勢いで全身から炎を放つ。それはまさに、炎の化身だった。少女の業火は足元の砂海さえも一瞬で蒸発させ、すり鉢状の空洞を形作る。同時に砂の含んでいた水分が周囲に破裂し、大規模な水蒸気爆発を巻き起こした。
「その言葉、そっくりお返しします!」
QXが得物である金属の杖を展開させる。内から繰り出される骨組みは外へ外へと植物のように伸長し、外側に張り付けられた布は絶えず骨組みを追い続ける。完成したそれは骨組みを持ち、ビロード状の伸縮自在の布を持った流体金属製の巨大な蝙蝠傘だった。瞬きよりも早く傘が展開を終えたときには遠目からでも見えるほど、砂上戦艦でも雨宿りできそうなほどの巨大な傘が出来上がっていた。
「くっ」
叩きつけようとした炎がすべて一瞬で眼前に出現した傘に押し返されたことに海賊少女が舌打ちした瞬間、傘の一部をこじ開けるように穴が開いた。
その中から出現したのはQXの踵だった。
「あんたなんかあ!」
QXの振り下した踵は海賊少女の燃える頭部を正確に捉えていた。「げっ」とうめくような声が海賊少女の口から洩れたかと思うと、力を失う。身体を纏っていた炎は急速にかき消え、重力に引かれて砂海に落ちて行った。
「……」
無言でQXが砂海に下降する。もう展開していた傘も内に収まり、羽根の形をしていた髪の毛は元に戻っていた。
何の道具もなしに砂面に立つことができるのは、QXが魔女だからに違いない。砂海の上に波紋を刻みながら少女の元に歩んでゆくQXはなにか大事なものを失ったような、虚脱したような表情だった。
まるで処女を失った少女のような。
砂海に沈みかけている海賊少女は全身を纏っていた炎が消え、一糸まとわぬ裸の状態だった。こうして見るだけでは少女は人間と見分けが全くつかず、それがかえって少女の特異さを浮き彫りにしていた。
海賊少女は口元に満足そうな笑みを浮かべていた。ついさっきまでしていたはずの眼帯は炎によって消滅していた。
隠されていた眼帯の奥を認めたQXはわずかに顔をしかめた。そして、自分が勝った理由、相手が弱すぎる理由を知った。
眼帯の奥に、大きな傷があった。傷から覗くのは微細な機械の輝きで、自己修復機能を持つウイッチフレームがこの状態にあるということは、ひとつの事実を物語っていた。
「あなた……壊れているのね」
乾いた哀しみを絞り出すように、QXは呟いた。
陽が上り、太陽の光が穏やかに砂海を照らす。途絶えることのない砂海の流れは、ふたりの魔女の邂逅さえも何事もなかったかのように見ているだけだった。