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砂塵の魔女  作者: 追儺式
3/12

二章 大変動と魔女戦争

 遺跡には沈黙が戻っていた。

 そのなかでレインは全身の神経を張り巡らして、辺りの様子を伺っていた。

遺跡の内壁には黒竜の攻撃による亀裂が走っていた。そのため人が通れるだけの隙間があり、期せずして出口が見つかったのは幸運だった。

 問題は黒竜だった。まだ外にいるかもしれない。

 自分がQXの「マスター」になった瞬間、黒竜が攻撃を止めたからには無害だと推測することもできたが、万が一ということもある。レインは音を立てないように忍び足で歪んだ壁に張り付き、その隙間から外を覗き込んだ。

 外は暗い。砂海に落ちてからどれだけの時間が経過したのかは分からないが、夜になっていた。

「外だーっ!」

 QXの声がしたかと思うと、レインは自分の額を建物の内壁に強打する音を聞いた。なにを思ったのかQXがレインの頭を蹴り飛ばし、はしゃぎながら外に走り出していったのだ。それも全裸で。

「……おまえ、外に出たかったのか」

 頭をさすりながら建物から這い出るレインに対して、QXは悪びれるつもりもないようだ。夜空を見上げるQXの瞳は一等星のように光り輝いていた。

「はい! 私たちウイッチフレームは、マスターがいなければ待機施設から出られませんから」

 どうやらQXがレインをマスターに勧誘した理由は、自分が外に出たかったかららしい。それだけなら気楽でいいのだが。

 それにしても、外に出るのに全裸はまずい。非常にまずい。

 なぜなら、いまからレインが行く場所は港町だ。人が大勢とは言わないが、結構いる。何よりも、裸の同年代の少女を連れて歩けるほどレインは恥知らずでも倒錯した趣味を持ってもいなかった。

「QX、ちょっと」

「わ! いきなり何脱いでるんですか? マスターはそう言った趣味をお持ちで?」

「男の前で裸で平然としているおまえに言われたくないよ。ほら」

「……へ? ありがとう、ございます」

 レインは脱いだ服を突き出し、QXに渡す。サイズが大きいが、裸よりはマシだ。これで彼女を外に出しても、最低限怪しげな眼で見られることはない。だが彼女を連れて帰るのに、レインのなかではまだ得体の知れない不安が渦巻いていた。

「えへへ、マスターの匂いがします」嬉しそうに服を着るQXは不安など何処にもない様子だ。

「おまえ、俺を自分が外出するためのダシにしたのか」

「だって起きちゃったし、興味あるじゃないですか。データで学習したことと肌で感じることとは雲泥の差があります。だってほら、夜空がこんなに綺麗! 宝石を散りばめたみたいです!」

「そんなもんかね」

 QXにつられ、レインも夜空を見上げる。曇っていないので星は確かに多く見えるが、いつもの景色なので別にどうということはない。QXの異様なはしゃぎようは、彼女がずっと誰も来ることのない遺跡の棺の中にいたせいだろうか。

「QX、おまえ遺跡には、どれくらいいたんだ」

「さあ。建物の劣化具合から計測しますね……」

 QXが遺跡の中にあった砂漠の薔薇を手に取り凝視する。きっと状態から時間の経過を読み取っているのだろう。

「出ました。約百年と三十五日、二十二時間です」

「……すげえな、そんなことまで調べられるのかよ」

「スキャン結果を衛星に参照したデータです。休眠装置が正常に機能していれば、もっと正確な時間が分かるのですが。私が目を覚ましたのは、装置の劣化によるものらしいです」

「それまでは何をしていたんだ。……眠りに入る、その前は」

「うーん、記憶を遡ってみるのですが、はっきりしません。わたしが機能に足る知識を持っていることから、一応完成しているようなのですが」

 QXは難しい顔で目を閉じている。衛星とやらと意思疎通を図っているのだろう。しばらくした後にやがて諦めたように首を横に振っていた。

「とりあえず、移動しましょう。ここはマスターの生命活動に必要なものがそろっていませんし……マスター、帰り道は分かりますか?」

「星の位置でだいたいは分かるけど……どうするんだよ。船は壊されちまったし」

「移動手段はクロちゃんがいるじゃないですか」

「……クロちゃん?」

 レインの目の前には砂海から浮上してきた、鋼板のようにごつごつした黒竜の背があった。黒竜――クロちゃん。可愛い名前と厳つい外見はどう考えても一致しなかった。

 QXの手に引かれ、レインは遺跡の岸壁から恐る恐るクロちゃん――黒竜の背に飛び乗った。乗ったはいいが、どうにも落ち着かない。砂上船を破壊されたうえに、命まで奪われそうになった相手のことは簡単に忘れられそうになかった。

 黒竜はゆっくりと砂海の上を進み始めた。脂汗を流しながら黒竜の背に張り付くレインを見て、QXがにっこりと笑った。

「な、なあQX。本当にこいつ、味方なの?」

「はい。クロちゃんはリヴァイア級自律型護衛艦です。機密保持のために研究所の警備をしてくれていたようですね」涼しい顔でQXは言う。

「護衛艦ねえ」

 護衛艦とは、砂上船の一種だろうか。よく分からないが人工物には違いない。どう見ても生き物そのままの黒竜をQXがそう呼んでいることにレインは正直ピンとこないが、黒竜の背を揺るがす音は間違いなく一種の機械音だった。

 風に乗って砂が吹きすさび、レインの頬をかすかに叩いた。

 頭上には星の海、眼下には砂の海原が広がっている。その間を泳ぐのはウイッチフレームと呼ばれる少女と竜、そして自分というひとりの人間。あまりに非現実的な光景に、レインはまるで自分が物語の登場人物のような気分になった。

 空に満天の星空があり、QXは黒竜の背を周囲を踊るように駆けていた。上機嫌で踊っているQXは、突然体をくの字に折り曲げながら「グェホ」とむせていた。仕方がないので背中をさすってやる。

「まったく、ロボットでもむせるのかよ」

「すいません、お手数かけます……あれ?」

 なんとか息を整えて周囲を見渡したQXは、眉間に皺を寄せていた。

「……なにかあるのかよ」

「違います。ここは、どこですか。呼吸システムを環境に適応させる必要があります」

「むせた理由はそれか。めんどくさい奴……ここは砂海の難所、竜の咢って呼ばれてるよ。それがなにか?」

「砂海? 聞いたことのない場所ですね……」

 QXは腕組みをして唸っている。両目を閉じているのは、なにかあるのだろうか。

「位置座標出ました。南緯三六度二七分 東経一四八度一六分、標高二二二八メートル。オーストラリア大陸、コジオスコ山……ですよね……」

 そのデータも衛星とやらから入手したのだろうか、自分の言葉に自身なさげにQXが言った。

「確かにここは、昔そう呼ばれていたらしいな。もっとも、俺の生まれるずっと前らしいが」

「ずっと前って、どれくらい前ですか」

「……約百年前、大変動以前の話だ」

「大変動? なんですかそれ」

「知らないのか。地球の環境改造の失敗のあおりを受けて、世界が大混乱しちまったことだよ」

 それを聞いたQXの反応は今まで見た中で一番ロボット染みていた。むしろ、本当の人間が見せる反応に近いのかもしれない。

 QXは事実を受け止めきれず、ただ風景――満天の星空と地平線、そして果ての見えない砂海の黄色い絨毯――を目の前にして、愕然としていたのだ。

「……本当でしょうか。わたしが休眠状態に入る直前、ここは山でした。この場所が山岳地帯でないというのなら、いったいどこなのでしょうか」

 QXが乾いた声でレインに問いかけた。

「だから、砂海だよ」

 レインは見たままの景色を、当たり前に言った。


「ここは、私が活動を休止する、百年前まで山だったはずです」

 まだ現実を受け止められないのか、QXの声は弱々しい。百年前といえば、ちょうど大変動の時期と重なる。

「今は海じゃないか。砂で出来ているけどね」

「……いったい、何が起こったんですか」

「だから大変動だよ」

 大変動とは、レインが生まれるよりもはるか前に起こった事件だ。

 大人たちの話によれば、大変動以前の世界は少しずつ水位が上がり始めていた。当時の世界は北と南に巨大な氷山を抱えていたが、気温の上昇によってそれらが融解してしまったのだ。地球温暖化というものらしい。

「……なぜ、この砂海が出来たのでしょうか。マスターの話によると、世界は海水で溢れたはずでは」

「大変動の影響さ。人による環境改造は、最終的に海水を流砂にしてしまった。それが砂海の始まりさ」

「それは奇跡と呼ぶにしても出来過ぎています。水と砂では、原子構造に共通点が皆無です。それに、たったの百年で世界がここまでなるのは異常です!」

「俺は学者先生じゃないからよく分からないが、原子構造を変換する技術だって、そのころの人間は作り出していたのかもしれないじゃないか」

「そんな……」

 世界の水位が上昇し続けていたのを、当時の人々はただ手をこまねいて見ていたわけではない。海水温度を下げるための藻の開発や陸地の干拓、果ては地球全体に人工的な雲の膜を張ることにより太陽光を減衰させ、海水の気化を抑えようという計画さえあったという。

 環境というものは国境で境界線が曳かれているわけではない。環境対策というものは、国家同士が手を携えた大規模な対策が必要不可欠な事業だ。それらがうまく行かなかったのはひとえに人の多様性と、国家というものの融通の利かなさだった。

 温暖化を制する者は地球を制する。当時、誰かが叫んだ言葉だ。

 国同士で持ち寄る資材や研究成果の出し惜しみ、一向にまとまらない会議。温暖化に対する国家間での牽制により対策は遅々として進まず、凄まじい速さで陸地を浸食し続ける海岸線のスピードに対して対策はいつも後手に回っていた。多額の資金を投入しても得られる成果はほとんどなく、国々はその責任をいつも他国に向けていた。

 やがて環境対策会議が空中分解して機能しなくなった時、国々は致命的なまでに手前勝手な行動を始めた。

 国家レベルでの惑星改造だった。他国を顧みないローカルレベルの惑星改造は様々な齟齬を生み出し、科学者たちの予想もつかないほどの化学反応を引き起こした。地震、洪水、有毒ガスの発生。当初考えられていた「陸地の海岸線の復活」という名目は影を潜め、地球は文字通りの大変動という名の混乱に陥った。

 いくつもの島が沈み、地域によっては方位磁針が機能しなくなる世界だ。やがて国境線も曖昧になり、住む土地を失った人々は離散する。それは国という枠組みが消滅するのと同義だった。やがて大変動は惑星改造を主導する国々が力を失い、次々と息絶えるように消滅することによって一応の終息を見せた。

 その頃、世界中の海水は砂に変化していた。QXが疑問を示すように、原子構造に大きな隔たりのある両者がどのようにして変貌、あるいは置換されていったのかは今では謎となっている。

 そして今の状況がある。

 しかし、それで人が平和な日常を取り戻したわけではなかった。ただ、「水」が「砂」に変化しただけで、人の居住できる環境が徐々に失われていく状況は何一つ変わらなかったからだ。

「マスター、大変動の後には何が起こったんでしょうか」

「人が生活の基盤を失ったときにすることなんて、決まってるだろ」

「……飢え、混乱、戦争ですか」

「あたり」

 当時の世界は水位が上がり、乾いたスポンジが水を吸い取るように急速に陸地は浸食されていた。海水が砂に置換されたことで水位の上昇は収まったが、それでも旧来の社会生活が回復されたわけではなかった。

 大変動後の世界は陸地が大幅に減少し、同時に多くの水源が消滅していたのだ。陸地と水源を世界中の人々は奪い合い、犯罪や争いは局地的な紛争を生み、やがて大規模な戦争を引き起こした。

 レイン自身もおぼろげな記憶しか残っていないが、生きてゆくのに必死だったということだけは覚えている。ひとところに定住したという記憶はなく、難民キャンプを転々としていつも腹を空かせていた記憶しかない。

 両親とは難民キャンプではぐれてしまった。確か妹がいたはずなのだが、戦争による避難で離ればなれになってしまったか、それとも死んでしまったのか。

 ひとりの人の生き死にが重要視されない状況が、戦争というものなのだろう。

 それからのレインはひとりで生きてきた。日雇いの労働をし、仕事を求めて各地を転々とした。

「大変だったよ、少ない土地に人が溢れてさ。戦争は世界に溢れた人類が生き残るための口減らしだっていう話だけど、それを主導する人も人さ。つまるところ、俺たちは生きるために殺し合いをしなければならなかった」

 QXはそれを聞いて何か思うところがあるのか、沈痛な面持ちだった。

「戦争のせいで、多くの人が亡くなられたのですね」

「ああ」

「ですが……」

 QXは言いかけたがその言葉を打ち消すように、首を横に振った。


 レインとQXを乗せた黒竜が粛々と砂海を進む。

 黒竜が目指しているのは、港街ガゼルだ。レインの住処がある場所でもある。

 南十字星の位置から察するに、方向は合っている。黒竜がレインの指示なしで港の方向に向かっているのは、黒竜は自分の思考を読み取っているのだろうか。ほとんど揺れのない乗り心地は非常にいいはずなのだが、いつまでたってもレインの気分が落ち着くことはなかった。

 QXを見る。黒竜の背に腰掛けるQXはアッシュブロンドの長髪を風になびかせ、何の感情もなく砂海を見ていた。かつてあったはずの景色がいきなり失われた彼女の気持ちは、レインには想像もつかない。レインがそんなことを考えるのは、QXがあまりに人間に近いからだろう。

 彼女を連れ帰ってどうしようというのか、レインは今でも判断に迷っていた。あのときマスターになったのはあくまで自己防衛のためだが、途中での解除はできるのだろうか。

 そういえば、砂上船を壊してしまったのは致命的にまずいことだった。

「あー、砂上船が無きゃ漁もできん。明日からどうするかな」

「船ですか? この護衛艦ではご不満でしょうか。遺跡周辺なら命令に従って機能しますよ。大は小を兼ねると言いますし」

「どこの言い伝えか知らないけど、それは間違いだぞ。こんな馬鹿でかい化け物で漁なんかしてみろ、魚が逃げちまう」

「それ以外でもいろいろあるじゃないですか。お魚さんを追っかけたりとか」

「うーん、新しいのを買うしかないかな。それでも金がない」

「ローンを組めばいいのでは?」

「ローンって、いつの話だよ。信用制度は大変動のおかげで影も形もなくなった。いま信用できるのは、現金だけさ」

「……マスターは、現金がないということですか」

「さっき言っただろ」

 QXが思案するように眉をひそめる。QXがどんな強力な力を持っていたとしても、砂上船を購入できるだけの働きは持たないだろう。ひとまずは、ふたりで喰う手段を考えなければ。

 そろそろ陸地が見えてもいいころだ。レインは水平線に目を凝らした。

 陸地と砂海はほとんど同じ色をしているため、一見境界があいまいに見える。しかし港だけは例外で、砂海の砂を押し留めるための外壁が白く弧を描いてレインの前に広がっていた。

 港に辿り着くためには手続きが必要だった。レインは反射的に懐の携帯端末を探るが、空だった。

「やばい」

「怖がっちゃって、どうしたんですか?」QXが首をかしげると、銀色の長い髪が揺れた。

「早期警戒用の浮き砲台があるんだよ。端末で認証を通さないと攻撃を受ける」

「はて。なにか外敵でもいらっしゃるんですか?」

「砂賊がいる。物資や食料、女を奪っていく恐ろしい連中さ」

「昔の海賊みたいなもんですかね」

「ほとんど海がない今では海賊なんて死語みたいなもんだけどな。このままじゃ、俺たちが砂賊に間違われる」

 言っているうちに、岸壁は目に見えるほど近づいてきている。自動砲台は、民間の砂上船程度なら一撃で大破させることができる強力なものだ。攻撃されればいかに強力な黒竜でも、ある程度の損傷は免れない。もちろん武器を持たないレインなど、砲台のエネルギー弾が発射されればあっという間に跡形も残らず消滅してしまうだろう。

「……」

 今のところ、こちらに出来ることは何もない。息を殺して射撃を待ち構えるが、一向に砲声や衝撃、エネルギー弾が付近の砂面に砂柱を上げる気配がない。いつもなら大きめの漂流物でも攻撃するほど敏感なセンサーを持つ無人砲台なのにこちらに気づいていないというのは、どう考えてもおかしい。

 今の砂海は緩やかに砂の流れる音だけが響いていた。

 無人砲台はまるで居眠りしているかのように沈黙していたのだ。

 レインの傍らでQXが空中に何かスクリーンを呼び出し、操作している。

「……QX、何やってるんだ?」

「ああ、認証を求められたので捻じ込みました。あの砲台は、マスターが言う“遺跡”とやらから持ってきたものみたいですね」

「そうだけど、それがどうしたんだ」

「私たちウイッチフレームも出自は同じ、遺跡からのものだということです。上位の機種なら、下位の機種の制御を奪って抑え込むこともできますから」

「それを早く言え!」

「命令してくださらなくては、私は動くことができません」

「だったら何で今、勝手に砲台を黙らせたんだよ」

「自己保存と、マスターの命が危ないと判断しましたので」

 QXは「そんなことも分からないんですか」と言いたげな表情で平然と答えているが、それがバカにされたようで面白くない。

「だったらあの強引な契約はなんだよ! おまえ、勝手にキスでも何でもすればよかったじゃないか!」

「あれは、別に、強引だったわけでは……アリマセン」なぜ口調がたどたどしくなるのか。

「黒竜をけしかけてきただろ、あれおまえが命令したんだろ!」

「命令した訳ではありません。状況がマスターにそうさせただけです。断っていれば今頃、マスターは黒竜のおなかのなかで有機化合物に加工されていたでしょうね」

「くっ……」言いかけていた非難をレインは口中に抑え込んだ。胃がムカムカする。

 まさか自分は従えているはずのQXに論破されてしまったのか。元々ウイッチフレームと呼ばれるロボットなら、それも十分あり得る話だ。これではどちらが主導権を持っているか分かったものではない。

 うなだれるレインが顔を上げると、砂面に浮かぶ明かりが妙に眩しく光を放っていることに気が付いた。

「……探照灯の光?」

 ぎらつく明かりは、砂海における遭難者を救助するための探照灯の光だ。

探照灯の主は、小型の砂上船だった。

「……」

砂上船は光をこちらに浴びせ続けているが、動く気配がなかった。警戒しているのはわかるが、一言も言葉を発することがないのは様子を伺っているのだろうか。

「おーい」

呼びかけてみるが、応答はない。探照灯の光に応えるように黒竜が巨大な首を水面から出した。それにもかかわらず、依然として砂上船から反応はなかった。

「……QX」

「はい。いかがなさいますか、マスター」

 レインはQXに黒竜の脚を止めるように指示した。黒竜の巨大な体躯は港に入らぬ混乱を招くことになるのと、砂上船の無反応が気になった。

 砂上船のライトが灯台の灯りのようにゆっくりと旋回する。その光に照らされた砂面に、何かが映った。

「……手首?」

 キラキラと光るのは腕輪だ。それを嵌めているのはたおやかな白魚のような手首。

 一本の腕が砂面から、植物の苗のように突き出ていた。砂上船の反応がないことと、この手首。二つの事柄を繋ぎ合わせると、事態は容易に推測できた。

 砂上船の上から人が落ち、沈みかけているのだ。

「遭難者だ。QX!」

「はい!」

 レインの呼びかけに応じてQXが黒竜を腕の方向に向かわせる。砂上船の主が落ちて間もないことは、身体が完全に沈み切っていないことで分かる。ともあれ早く引き上げなければ酸欠を起こし、完全な生き埋め状態になる。手だけが砂面のなかに浮かんでいる地点までたどり着くと、反射的にレインは砂面に飛び込んで砂面に突き出ている腕を引っ張る。自分の身体が沈み込むのと引き換えに遭難者の頭が出てきた。

「ぶはっ」

 意識を保ったままずっと我慢していたのだろうか、遭難者は青白い顔で背中を震わせ、大きく咳き込んでいた。若い女性で、女性の身元はレインがよく知っているものだった。

「……先生!」

「どれどれ。知り合いですか?」

 遭難者の顔をまじまじと見ながらQXが言う。

「ああ。ニコラ先生。科学者で、この街のプラント管理をしている」


 ニコラ・テスラは、レインにとって姉のような存在だ。

 年の頃は二十代前半。背が高く、肌の色が比較的白いのは、彼女がここの生まれではないからだ。綺麗な人だが、本人はそのことを気にしていないどころか無頓着だ。証拠にニコラはいつも長い髪を後ろで一つ結びにしているだけで、服装は薄汚れたツナギだ。分厚いゴーグルのような眼鏡をかけているのはトドメと言ってもいいだろう。

 息を吹きかえしたニコラは、「……無事だったか、レイン君」と眼鏡の弦を上げながら言った。自らの状況を脇に置いた彼女の態度にレインは開いた口がふさがらない。

「ついさっきまで生き埋めになりかけていた人が何言ってるんです。どうせ、酒でも飲んでいたんでしょ」

「それはそうだ。私はこれが主食だからな」

ニコラがワインのグラスを傾ける仕草は、妙にオヤジくさかった。

「なんであんなところで溺れてたんですか」

「そりゃ、キミを捜していたからだよ。港の連中も何人か探してくれていたが、この砂海で遭難者が出るのは珍しいことではない。夜が更けると皆、家に引っ込んだよ」

「薄情な奴ら」

「そう言うな。彼らだって生活がかかっている。少しの時間でもキミのために割いてくれたのだから、礼を言っても罰は当たらんぞ」

「それはそうですが」

「キミが遅くならなければ、こうやって私が生死の境をさまようこともなかったわけだし」

「それは……すいませんでした」

「ところでキミに聞きたいことがあるのだが」

「なんですか? QXのことなら」

「なぜ、服を着ていない? そういう趣味でもあるのか?」

 ニコラがこちらを見る視線は、どこか居心地悪そうだった。レインは自分が下着だけの格好であることを思い出し、あわててしまう。

「ありません! 俺の服は、あいつが」

「追いはぎにでもあったのか……ん?」

 ニコラがQXを認めると、少しだけ目を細めたようだった。QXがニコラを見て、「マスターのお知り合いですか?」と聞いてくるのに対して、ニコラは「……まあ、そんなところだ」と返すだけだった。

 レインとQXの乗る黒竜は、ニコラの砂上船の誘導に従って桟橋にその巨体を横付けさせていた。座礁の心配があったが、砂海の柔らかな海面は黒竜にとって大した障害にならなかったようだ。

 夜の港は人の気配がない。夜行性の砂魚は稀であることと、見通しのきかない夜に漁を行うものなど居ないからだ。それはレインにとって都合の良い状況だった。もし黒竜が人目に触れれば、きっと港は大混乱だろう。

「よかったな、レイン君。その護衛艦が人目に触れると、いろいろ厄介なことになるからな」

「黒竜のこと、知ってるんですか?」

「ああ。少しだけだけどな」

 ニコラがそう言うと、砂上船から発せられる探照灯の光が唐突に消えた。そろりと黒竜の背から降り、QXの手を取る。QXはレインの手に引かれて桟橋に降り立った。

 ニコラは美人だが無愛想を絵に描いたような性格だ。彼女がQXを見る視線は、眼鏡の奥でいつもよりも一際冷たい光を放っていた。


「クロちゃん、ばいばーい」

 QXが手を振る先に見えるのは黒竜だ。夜闇に紛れてその姿を確認するのは難しい。

 黒竜は岸壁に降り立ったQXとレインを確認すると、別れの挨拶のようにひと鳴きしてから砂海を震わせる音を立てて、細波を揺らしながら夜闇の向こうに消えていった。

「ふう」

 やはり地面は落ち着く。レインは地面の感触を確かめるようにしゃがみ込んだ。

「……ウイッチフレームか、どこで拾ってきた?」

 開口一番、ニコラが質問してきた。視線はレインではなく、QXに向かれている。その視線は限りなく冷たい。

「拾ってきたも何も、いろいろあったんです」

「……そうだな、ここは目立つ。とりあえず、私の家で話そう。君の服は……とりあえず、これで」

 言うなりニコラはおもむろに自分の服を脱ぎ始めた。レインは「何考えてるんですか先生!」と、大急ぎで制止した。

「何って、そんな格好していたら君は“夜に下着で歩き回る変態”のレッテルを張られてしまうぞ?」

「先生の服を受け取れば俺は“夜に女装で歩き回る変態”のレッテルを張られて、先生は“夜に下着で歩き回る変態”のレッテルを張られます!」

「ふむ、そうなると、リスクはふたつに分散されるのではないのか?」

「リスクが倍になるんですよ!」

「まあ、君が“夜に下着で歩き回る変態”でいいのなら。本当にそんな趣味があるのか?」

「あるわけないでしょう!」

「それは残念」

 ニコラは冗談を言ったつもりなのだろうか。レインに背中を向けたニコラが歩いてゆく方向には、人影もまばらになった街があった。

 置いてけぼりを食らわないよう、レインも慌ててついてゆく。その後ろをQXが続いた。ニコラの背中は夜闇に紛れてしまったが、行先は分かっているので心配はない。

 ニコラの行先は町のはずれにあるプラント施設だ。

「マスター、あの人とどんな関係なんですか? ふ、服を交換できるってことは、恋人か何かですか? 入れ替わりプレイとかそんなハイレベルなこと、するんですか?」

 ニコラのことが気になるのか、QXが慌てた調子でレインの背中に問いかけてきた。

「恋人って、おまえ分かるのか」

「一般的な認識程度には。繁殖の前段階で、年代は同程度が好ましいです。マスターとあの人では、年代が釣り合いません。年代が違えば体験や価値観も相違が多く、“つがい”にするには少々不適格かと」

 棒読み気味なQXの即答は、詰め込まれた知識を引き出しているからだろうか。

「つがいってな……鳥じゃないんだぞ」

「生き物は皆同じです。成長し、繁殖し、死んでゆく。そうじゃないですか?」

「……確かに」

 確かにそうかもしれない。しかし人間はそれに意味を見出す生き物だ。他の生き物とひとくくりにするのは、少々抵抗があった。

「それにしても、見れば見るほどこの街は前時代的な建物ばかりですね。時が数百年、数千年分巻き戻ったような感じです」

 街の景色は、日干し煉瓦でつくられた背の低い建物が主体だ。きょろきょろとあたりを見回すQXは目立つ存在なので、レインはQXの手を強く引いて脚を速めた。

「きゃっ! な、なんですか?」

「あんまりキョロキョロするな。恥ずかしいから」

「なんでですか? マスターが犯罪者とかだったら話は別ですけど。確かに犯罪者的な身なりですけど」

「誰のせいだと思ってるんだ、俺は何もやってない! なんとなく、悪い予感がしたんだ」

「……勘、ですか?」

「ああ。とにかく、そんなところだ」

 ここ港町ガゼルは、人の出入りが少ない。砂海の流れが複雑な場所にあるのが大きな要因だ。ここを訪れる余所者は他で食い詰めた者や難民、悪いときは犯罪者という場合があり、この街の余所者に対する扱いは決して良いものではない。ましてやQXのような得体の知れない存在は、真っ先に忌避される存在だ。

「さあ、着いた」

 辿り着いた場所は街のはずれにあるプラント施設だ。厳重にフェンスで囲まれた場所に、入ることができるのはごく一部の人間に限られる。

「先生?」

 ニコラはもう建物の中に消えていた。

「マスター、ここは?」

「オアシスプラントさ。水や作物を育ててるんだ」

「ふむ、便利なものですね」

 フェンスに囲まれた中は、うっそうと生い茂る植物がある。作物の苗で、どれも外で栽培するには困難なものばかりで、貴重品だ。

 これらは街の共有財産で、契約農家に引き渡される。農家は苗を育てて、収穫の何割かを手数料がわりに受け取り、残りを街に還元する。そのため、農家は確実に作物を育てることのできる地主しかなることができない。街の多くの住人は地主に雇用されている小作人だが、作物の循環はそれなりにうまくいっていた。

いっていた、と過去形になるのは、少し事情があるのだ。

「先生?」

 作物の高い背を掻き分け、レインとQXはあぜ道を慎重に通る。畑の中に足を突っ込んだら、それなりにうるさい連中もいるのだ。当然かもしれないが。

「おーい、せんせーい」

 作物の苗の林を掻き分けた先にあったものは、薄汚れた背の低い塔だった。元々は白かったものが、長年の砂塵の浸食と経年劣化によりベージュ色に染まっていた。

「これ、なんですか?」

「プラントの動力部。最近調子が悪いって言ってたけど」

「なんか、わたしがいた施設と似ていますね」

 確かにQXの言うとおりだった。あの「遺跡」と見た目は瓜二つで、違うところがあるとすればあちらがウイッチフレームを育てていた場所だとすれば、こちらは作物の苗を作り上げている場所だということだろう。

「先生は、ここの管理人なんだ」

「オペレーターってことですかね」

「ああ。三年前くらいからここにいる。中央から派遣されてきたんで、俺が世話をしてるんだ」

 なぜ少年である自分が中央からの役人、しかもうら若き女性の世話を仰せつかったのかは分からない。しかし、この仕事は他に労働力を裂くことのできない街の人々がレインに貧乏くじを引かせたというだけのことなのかもしれない。

「せんせーい」

 指紋と網膜の認証を受け、レインはプラントのゲートをくぐる。QXも同じようにあとに続いたがゲートに阻まれるということはなかった。無人砲台の件もあるし、ウイッチフレームという立場は特別なのか。

「……」

 螺旋階段を下りる。緑色の蛍光灯が足元を照らし、空調が下から涼やかな空気を運んでくる。階段が巻きついているのは縦に伸びた巨大な円柱状の水槽で、地下から一直線に生えているようだ。水槽の中にあるのは水藻や作物の苗だ。

「なるほど。ここで種を発芽させ、ある程度成長させてから地上に出すんですね」

「ああ。そうでないと、砂漠の世界じゃあっという間に枯れてしまうからな」

「では水槽の中の溶液は栄養素や二酸化炭素が含まれる、と。生態系を干渉しあわないように、水槽は内部で小分けにされているんですね」

「……そうそう、そんな感じ」

 突っ込んだことについてはよく分からないが、レインはとりあえずQXに話を合わせた。

「それにしては、水槽内の植物が少ないですね。水槽の規模からすれば、もっと効率が上がってもよさそうなんですが」

「……それは、先生に聞いてくれ」

 プラントの中はまるで別世界のように居心地がいい。ニコラの世話を押し付けられたのは正直面倒だったが、このプラントの中に入る特権を得たのは役得と言っていい。事実、レインは自分の住居よりもこっちに居つくことの方が多くなっていた。

「いた」

 階段を下りた先にはさらにフェンスがあり、その向こうには事務所がある。事務所の明かりはついていた。

 黙ってドアを開けると、ニコラが着替えをしていた。

「遅いじゃないか」

 振り返るニコラは下着姿だった。存在を主張するように大きな乳房が揺れ、レインの視線を釘付けにする。

「ナ、なんで着替えてるんですか!」

「普通、砂にまみれれば着替えもするだろう」

「それに着替えを見られたなら悲鳴を上げるとかしてください!」

「きゃー」悲鳴を上げるニコラの顔は、限りなく冷静だった。

「やる気のない棒読みは悲鳴じゃないです! その前に鍵とかしてください!」

「やる気って何のことだね。鍵は失くしてから壊したままでな」

 ニコラの返事を待たずに慌ててドアを閉める。普通は見られた側が慌てるはずだが、なぜ見た側が慌てなくてはならないのか。この人は羞恥心がないのか。レインがここで仕事をするようになってから、何度かこのようなことがあった。

「もういいぞー」

「……入りますよ?」

 事務所の部屋は壁伝いに様々な計器が低い唸り声を上げ、その中心でニコラがだらしなくソファーに身を投げ出していた。着替えで体力を使い果たしてしまったらしい。

 空調の効いた部屋で使い込まれたワイングラスをだらしなく傾けているニコラの赤ら顔は、とてもじゃないが人様にお見せできるものではない。ソファーの対面にある接客用のガラステーブルには吸殻で満載の灰皿と中身のないワインの瓶、空になった缶詰が今にも倒れそうな危ういバランスで奇怪な構造物を作りあげていた。

「あーあ、散らかしちゃって。綺麗好きじゃないと嫁に行けませんよ?」

 自分も服を着たあと、レインは部屋の惨状にため息を漏らした。

「嫁制度など大変動以前の過去の遺物だ。社会制度が崩壊した今、嫁という制度にどんな価値があるというのだ」

 冷笑するニコラだがなぜかその頬は引きつり、額には玉のような汗が浮かんでいた。

「社会制度の崩壊が、昔のような家族制度を作り上げているんじゃないですか?」

「ほう、言うな。レイン君、砂漠の熱に浮かされて少しは賢くなったのか」

「いえ。部屋を片付けていたら先生のレポートを見ちゃいまして」

「……そうか。では、いつものように頼むとしよう」

「はいはい」

 ニコラの軽口に付き合いながら、レインは部屋の片づけを始める。酒瓶は出入りの業者のところに持っていくために作物運搬用のエレベーターに乗せる。カラになった缶詰も同様だ。これらは自分がいつも用意しているのだが、品行方正を絵に描いたようなニコラの容貌と汚部屋をものともしない内面は整合性が取れているか非常に怪しいものだった。

 空瓶を取ろうとした手が誰かの手と触れた。QXだった。

「私、手伝います」

「命令しないと動けないんじゃなかったのか?」

「そこまでわたし、杓子定規じゃありません」

 QXが頬を膨らませる。手伝い始めたのは、彼女が状況を察することができるからだろか。止める理由もないので、レインはQXの行動をするに任せた。

「……缶は俺がやるよ。危ないからな」

「優しいんですね、マスター」

 間近でQXが微笑する。この街にいるどんな女の子よりも華のある笑顔に、レインは一瞬だけ見とれてしまった。

 しかし同時に、その白い肌に違和感を覚える。完璧な彫像のような、傷一つない肌。それが彼女がウイッチフレームであることを如実に物語っていた。

「……マスター?」

「いや、気にするな。じゃあ、おまえはそっちやってくれ。ゴミ以外のものは触れるなよ、先生が怒るから」

「はい」

 簡単に指示をすると、QXはレインの動きを見ながら片付けを開始した。二人でやると作業は思っていたよりもずっと速くスムーズに進んだ。

「わたし、ゴミを運んできますね」

「場所、わかるのか?」

「はい。入り口付近に集積場がありましたから」

 それなら任せておいても安心だ。レインはQXに後を頼むと、ソファーにひっくり返っているニコラの元に行き報告した。いつものことで、日課のようなものだ。

「これで全部かな。終わりました」

「ご苦労。さて、レイン君」

「どこから話したらいいですかね……」

 本題はここからだ。レインは自分が砂海で遭難し、迷い込んでしまった遺跡での出来事を話すと、ニコラは腕組みをして考えていた。

「……よかったな、キミにウイッチフレームのマスターの資格があって。キミは彼女に救われたというわけだ」

「誰でもなれるもんじゃないんですか?」

「ああ。マスターになることができるのは、遺伝的特性のある限られた人間だけだ。血統によるものではなく、完全なランダムで発現するのだが」

言うとニコラがいきなり服を脱ぎだした。

「ち、ちょっと先生! 次はなんですか!」

「遺伝的特性の説明だよ。別に変な気持ちになったわけではない」

 ニコラは黒いブラジャーだけになった上半身をさらけ出すと、レインに背を向けた。

「……なんです、それ?」

 レインはニコラのつるりとした背中を見て愕然とした。肌の色はQXには劣るが、十分白いほうだ。美しい背中の曲線に造物主が嫉妬するように、右肩のあたりに焼印で刻まれたような不思議な模様があった。

「同じような模様がキミの身体にもあるはずだ。マスターをしているなら、わざわざ調べる必要もないが」

「……触っても、いいですか?」

「ああ」

 恐る恐る触ってみる。ピクリと反応があるが、痛みを感じているわけではないようだった。模様の表面には細かな凹凸があり、アザや傷というにはあまりに規則的だった。

「私たちはこれのことを聖痕スティグマと呼んでいる。魔女を従える、唯一の楔だ」

「……魔女?」

「ああ、魔女だ」

 ニコラは不可思議な笑みを浮かべた。

 QXは自分のことをウイッチフレームと呼んでいた。いわゆるロボットだ。それをニコラは魔女と呼んでいる。科学者である彼女がそんなオカルトじみた言葉を使うのにレインは決定的に違和感を覚えた。

「魔女って、こいつはウイッチフレーム、ロボットですよ。魔女だなんて、正反対の呼び名じゃないですか。オカルトじみてます」

「言ったろう、魔女という呼び名はある意味正しいのさ。むしろロボットという呼び方のほうが、私には言い間違いなのではないかと思える時がある」

「あいつが、QXが魔女っていうのには何かわけがあるんですか」

「ああ。ウイッチフレームはロボットと呼ぶには、あまりに人間に酷似している。あいつらはロボット的な特徴をもっていないからだ。ロボットと言えば、人に従い、人を保護し、命令を順守する。ロボット三原則という奴を持っているはずだが、それが曲解された形で実装された物がウイッチフレームだ。奴らは命令に従うふりをして人を操り、人を殺し、人を騙す。いわば魔女そのものなんだよ」

「……人と魔女の、決定的な違いってなんですか」

「簡単なことさ。流水を逆流させ、天から雷を呼び、干ばつの地に豪雨を降らせる。何もない所から金を生み出し、炎の息を吐く。ロボットなんて生易しいモノじゃない。私たち人間にとって怪物であり、世界の物理法則に背を向けた存在、それが魔女、ウイッチフレームだよ」

 忌々しげに呟くニコラの横顔は、燃え上がる炎のような熱量に満ちていた。ニコラはウイッチフレームを知っているが、その出会いは悲劇をもたらしたのだろうか。そうだとしたら、彼女がQXに向ける視線にも納得がいく。

「先生は、何か知っているんですか。QXのことを」

「キミも存外不勉強らしいな。魔女戦争について習ったことがないか?」

「俺、学校には行けませんでしたから」

「……失言だったな、すまない」

 一度レインに頭を下げた後、ニコラは「魔女戦争」について語り始めた。

 魔女戦争とは、「大変動」前後に起きた戦争のことだ。

 大変動は五年という短期間で世界の人口の半分を死滅させたと言われている。地球環境が手の施しようのないところまで悪化した後、食糧危機により戦争が起こるのはある意味必然だった。

 当時、兵器同士の消耗戦はそのまま国力の差に結びつくもので、小国は大国同士の殴り合いを見ながら風見鶏のように姿勢を変え続けていた。

 その状況を変えたのがウイッチフレーム――魔女と呼ばれる存在だった。

 単騎で広大な戦場を掌握しうる性能を持ち、これまでの兵器が無力に等しくなる。口から火炎放射を放ち、手刀は音速で飛んでくるミサイルを軽々と叩き落とす。航空機並みの空力性能を持ち、自軍の兵器を支配下に置くことによるペイロードは無限大。光学迷彩による地形への同化と温度、音響欺瞞によってレーダーを無力化する。

 各国はウイッチフレームの開発に血道を上げたが、大変動の余波は戦争にまで覆いかぶさった。大変動が終戦を早めるきっかけになったのは皮肉というしかない。

 レインはニコラがまだワインが抜けていないのではないか、と思ったが、自分とQXを見つめるその視線は刃物のように鋭く、冗談というにはあまりに深刻過ぎる口調だった。

「で、君はどうする? 魔女を手に入れた人間は、例外なく人生が変わる。巨万の富を手に入れる奴もいれば、魔女を狙う奴に騙され、殺される人間もいる。レイン君、君の生活がこのままの続く保証は限りなく低いものになったんだよ」

「俺は……」

 レインは答えをためらっていた。街に連れ帰る、そこまでは考えに入れていたことだ。しかしそこからのことは想像の外だった。

なにより、QXのことをまったく知らなかったのだ。

「……魔女の所有者、か」

 レインは実感のない思いで呟いた。

「戻りましたらー」

 ドアの開く音がし、QXが部屋に入ってきた。なぜか足がふらつき、口調もたどたどしい。

「どうした、QX。調子が悪いのか?」

 脚がふらついているだけではない。どこかさっきとは様子の違うQXは疲れたのか、レインの呟きに答えることなく床に崩れ落ちた。

「QX!」

 駆け寄って呼びかける。が、レインの心配をよそにQXは目を閉じ、穏やかな寝息を立てていた。

「エネルギー切れ……れす」

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