80 シャ・メインが遺した言葉
「……宇宙空間を、生身で漂っていたと聞いたが」
「正確には宇宙服を着用せずに、です。絶対にありえないことですが、とにかく彼は奇跡的に生きてました」
「…ふむ……」
覗きこんだ。
薬が刺激とならないように、緩衝用のシーツにくるまれているが、血が滲んでいて痛々しい。
何かを戦ってきたみたいに、野生的な厳しさを感じさせる。
「超人的な体力を持っているようだな。――――もしかしたら……?ドクター、身元の照会は?」
「確認できる所持品もなく、本人情報体の照会も出来ませんでした。犯罪者か何かだと思いますが…」
プールの縁に手を掛けて、ケイはその可能性を否定する。
「違うな……体をスキャンしたときに、どこかにインプラントされた人工物は見えなかったか?」
「――……前頭葉と脳幹に、それらしき…もしや?」
「馴染みがないから、おざなりになりやすいが……情報局のエージェントだろう。それもパワー・エージェントだと、私はみる」
半ば断言的に言い切った。
「ラントゥールについて、何か情報を持っているはずだ。それが知りたくて面会に来たのだが、意識不明では仕方がないな」
「いえ、意識はあります。呼びかけには応じてましたので」
頭の上でボソボソ話すものだから、安眠が妨げられたのかもしれない。
男の表情筋がピクと動いた。
ゆっくりと瞼も開く。
「あ……!」
ドクターは目ざとく気がついて、患者に負担を掛けないため、加減しろとばかりにケイの腕を掴んだ。
怪訝な顔をするケイの下から、絞り出すような声が上がる。
「………ここ…は……」
「心配ない。我々は味方だ。君は怪我をしているので、治療を受けている」
苦しい息から、彼は無理やり笑顔を作る。
「し……死にそこ…なったか…」
「そんな事はない。君は生きてすることがあるだろう。少し疲れているだけだから、休んで心身の調子を整えるんだ。いいね?」
一生懸命にドクターは語りかける。
「――――いい…んだ……やることは…やっ…」語尾がかすれた。
「…さあ、話すのはやめて、休みなさい」
患者の生存欲求を引き出すのが、医師の仕事であるが、患者本人は人生を達観しすぎたらしい感がある。呼吸を鎮めて整えると、彼は再び言葉を発した。
「ここが…星間共同主権なら……伝えて…ほ…しい…。私は…クリアランス級パワー・エージェントの、シャ・メイン……」
自ら名乗った名前に、ケイが体ごと割り込んだ。
「やはり、君はエージェントだな。教えてくれ。あの星で何があった?なぜ惑星破壊は失敗した?ラントゥールには何がある?」
矢継ぎ早に質問を浴びせる。
クリアランス級と言うだけで、その極秘的な地位は高く、滅多にお目にかかれるものではない。まさに希少価値ある人物は、取り扱う情報も異なるわけで、思わず、はしたなく彼女は飛びついた。
「………ヒブラに関する…一切は存在せず……したがって…ラン…トゥールの封鎖も…破壊も必…要無し……――今現在も、これからも…また、その前より……存在は……」
そこまで言って、シャ・メインは疲れたように瞼を閉じた。
「分かった。責任を持って伝えよう。…しかし、君は何を見たのか?ラントゥールで起きた事の報告は…」
眼を伏せたまま、彼はふと表情を和ませた。
「――私は…そこに居て…陛下が………彼らは……」
自分で、意識が落ちていくのは分かっていた。
小さな嘆息をすると、
「夢を見てた――――全てが……まぼろし…だと云う――……」
―――暫く、ケイとドクターは、シャ・メインが言を継ぐのを待った。
だが二度と彼の唇は開くことはなく、双眸に光を宿すこともなく、その顔はひどく安らかに微笑むばかりである……。