72 それぞれの存在意義
悲鳴を聞いて、使徒は走り寄った。
骨が折られたのか、不自然な首の曲がり方をし、鼻から血を流して絶命している。
「おいっ!」
ただならぬ事態、と理解したとき、彼の命もここには無かった。
転がる死体を見下ろすのは、パワー・エージェントのシャ・メイン。
「………」
無言のまま死体を引き摺り下ろすと、あたかも目的地を知っているようにカートに乗り込んで、奥へと飛ばした。
赤褐色に鈍く光る〈回廊〉内は、まだ何事も無い風に静まり返っている。
“裏切り狩り”エージェントと遣り合っている途中、扉は突然開いたのだ。はじめから唯一つのターゲットとしていた、ヒブラが無防備に侵入口を開放した好機は逃してはならない。戦いは放棄し、一目散にその懐へと駆け込んだのである。
(………ノボアめ…お前を感じるぞ………)
背後にギトリたちの追跡を感じないわけではない。
だがシャ・メインには、ただただノボア一人。
通り抜けた、幾つかのドームで使徒を弾き飛ばし、累々と死体を積み重ねる。怒りにも似たエネルギーが、彼の中に漲っていた。
――必ず倒す!
そしてまたドームに抜ける。
「何者!」
ひときわ大きな室内に、これまでとは違う連中がたむろしていた。
「敵が侵入してきたぞ!ディフェンサーは何故機能せんのだ!」
何かに慌てた様子はあったが、シャ・メインの出現にますます騒ぎが大きくなったらしい。
「ヒブラを守れぇ!」
号令がかかる前に、使徒が数人かかってくる。
シャ・メインはカートにあった武器を手にすると、神業的に飛び上がって乱射した。
「パワー・エージェントだ!」
次々と撃ち倒し、この集団を取りまとめていそうな男をめがけた。
周りは彼の身の軽さに追いつかない。
「静かに」
ローブを着た目的の男に、銃を押し付けて凄みを利かせた。
「!」
頭を抑えられて、使徒たちは動きを止める。
「お前が責任者か?」
銃口を腹に、男は脂汗を掻きながら頷く。
「ヒブラの頭目か?」
「わ…わたしは道士マッシモだ。ヒブラ全体を治める導主は別にいる」
「では用なしか」
トリガーを引こうとした。
「ま、まて!私はヒブラを、より良い道へ導きたいと願っている!その証拠に、政府軍に何度も通信を送っているのだが、一向に受信した気配が無い!頼む、平和的な解決を、我々は望む!」
「………とうの昔に政府は見限っている。降伏は意味を為さない。――――…内部分裂があったようだな」
「――――それは認めよう。しかし、ヒブラとて人間。開かれた世界で生きたいのは、人として当たり前だと思わんかね?」
「一千年も心を閉ざしてきた輩が、そうそう自由世界と融合できたものかな?――――違うな……お前たちは、ここを出たいだけだ。口憚ることなく陰に身を潜めることなく、ヒブラであるのを棄てずに、ふざけた誇りを持って歩く。どれだけ根が深いかも自覚せずにな」
「そんなことはない。時が経てば、ヒブラから散った子孫もその記憶を忘れ、また誇りも失い、人類の幸福を平等に分かち合うだろう」
「理想論を言う」道士マッシモの言葉に、シャ・メインはチッと舌打ちした。
「人間は、どれだけ世代を経ても同族の血の流れも決して忘れず、過去の栄光にすがる。そこに己の存在意義を問い、誇大化させて自己満足するものだ」
「私はそのような未来に背を向ける過去志向の話をしていない。過去の栄光も、誇りも、どうして子孫が共有できるのだ。今現在、我々が持ちうる経験がどうして彼らが理解できると? ――私が言いたいのは、未来の子孫は我々祖先に縛られること無く、各自の意志でそれぞれの人生を生きて欲しいと……負の遺産を残したくないと切に願って止まない。同じ人間同士でありながら、受け入れられないのは――」
「未来志向の話をし、過去を忘れろと?妙な話だ……俺からすれば、過去の隠蔽工作にすぎんな。道士。その過去の誇りを、間違いなく思い出させる遺物的存在から目を逸らすのか?」
「! ………それは…あの少年のことを言っているのか?」
それには答えず、シャ・メインはマッシモの首を片手で掴んだ。