52 運命の輪は自ら廻す
「いつも…何か……何か違和感が……おかしいというのは、思っていたけれど………」 かいつまんで、導主が少年の記憶をトレスして説明する途中、混乱を来たさずに相槌を打ったのは、彼の自我が安定したのだと思ったのだが、次の瞬間に出てきたのは、予想外のものであった。
胸元をわしづかみにして歯を食いしばり、瞳を見開き、苦しげに激情が吐き出された。
「だからと言って……僕に何をさせたいんだ。勝手に周りが騒いで、どうしろという?僕はノボアではいけないのか? ――ああ、でも…家族はいたのに、どうして僕はいつも一人だったんだろう……あの時……あの人さえ観なければ、こんなに…寂しくは無かったかもしれない……お母さんが呼んだのに、僕を引き止めるからっ……」
儚い郷愁に苛まされていたのを、ここで、呼び起こされたのだ。
――そうだ――
――あれから、心の中に囁かれ続ける、優しく美しい声が、僕の居場所を無くしていく。
――夢でも僕は、ノボアと言う名ではなかった。
――いま僕の目の前に居る人たちが家族でないというなら、僕は、いったい誰の子なのです。
――どこへ、帰ったらよいのです。
――どうして、僕を呼ぶ………
健やかに形成されるべき時期に、精神は表層意識の水面下で、密かにゆえなく行き場を失った感情で満たされていたのだった。そして吐露された生身の人間としての想い。
「陛下……どうかお嘆きになりませんよう……孤独に耐えたのは我らとて同じにございます。増してルイーザは、より多くの時間を独りで過ごされ……魂の呪縛を解き放つ者を待っていたのです」
たまらなくなって、アルダは俯いた少年の手を、包み込むように握り締めた。
「――十年前、貴方はこのヒブラの〈玄室〉に現れて、私を定められました。そして、間違いなく仰られたのです。『ユーデリウスの力を借りた母の代理として、そしてユーデリウスとルイーザの願いを負い、ルイーザの鋼鎖を解くために在る』と。
私は忘れてはおりません。貴方の還るべき所は、ここしかございません…!お母上は、私たちヒブラに託されたのです…」
悲痛の訴えに、少年は過敏に反応した。アルダの手を振り切って、自分に忠実であろうとする女を睨む。
「母だって? 母が? 僕を独りだけ残して、何処へ行ったと言うんだ! どうして僕が十年前に、ここへ来れたというんだ! 知るものか!返してくれ。グーヤーに。家族はそこにしかいない! 何で…なんで僕はこんな目にあわなくちゃならないんだ!」
涙まで流して狂ったように叫ぶと、落ち着かせようとする医師たちの手を逃れるように体を翻し、拍子に座っていたカプセルから床へ昏倒した。
「陛下っ!」
悲鳴で、見張りの使徒が振り返る。
「見ているより心身のバランスが崩れているのです。強迫観念を与えますと、今のように………」
苦言を呈して、医師は少年の頭を抱え上げて様子を窺った。
頭から落ちたので、脳震盪を起こし気を失っている。
「ドクター。この状態でダイブは可能でしょうか?」
「……私の立場としてはお勧めしたくないが――」
彼とてヒブラの人間である。
あらゆる事に対して、時間が無かった。
「どうやらアルダだけが、この方の意識に触れられるようですから――」
但し慎重に、とだけ念押された。
独房とはいえ、作りとしては豪華な部屋にあるベッドに、少年を横たえてから、アルダはそっとその額に手を触れた。
何も知らない少年を、運命の渦に引き摺り下ろすような行為に、多少の罪の意識はある。
だからと言って、このままでもいけない、不可思議な強制力。
(私は――間違ってはいない)
言い聞かせて、臨んだ。