28 敵とは誰か
(ヒブラのだが――)
不思議な響きを持って、彼はその名を繰り返す。
(ヒブラがどうしたって…?)
(おかしいな……)
これがとても大切なものに思える。
(おかしいな…)もう一度口の中でつぶやき、痛みも忘れてノボアは立った。
『月』が、彼の瞳と同じオレンジの輝きを伴って雲を払いのけていた。
風が騒々しくノボアの髪を乱す。
「ああ…そうか――」
『月』の光が彼の脳を焼き尽くすような気がして、無意識にバイザーを降ろした。それでも『月』は彼に強烈なイメージを思わせてならない。
「僕は……」
とは言ったものの、
「………」
彼の心によぎったものは、足跡すら残さず掴みどころが無い。
瞼を閉じた。
胸元では、小さな紫色のペンダントが揺れている。
吹き抜ける風の中に、声が聞こえたようだった。
(………僕は)
思おうとしたときである。
(ノボア――)
女の声が突如として響いた。
ハッとして瞳を見開く。
(――待って――――ノボア)
周りは荒涼とした大地のみで、生き物の気配すらない。
(お願い――もう一度眼を閉じて――)
遠く、そして近く、女は囁く。
ノボアは彼女を知っていた。
だから敵であるといった認識には至らなかったが、彼女が彼の中に侵入してきたことが癇に障る。
『なぜこんな手段をとる?』
激しい反発心のまま尋ねた。
(そうしないと、私たちは安全ではないから………)
『危険なのは君ではないのか――』
ノボアはそこで眼を閉じた。
暗闇の視界に光が灯り、少しづつ広がってゆくと向こうから女のシルエットが浮かび上がった。
(いいえ、危険なのは貴方――気をつけて、シャ・メインが貴方を視ている)
『シャ・メイン?彼は戦死したのではないのか?』
(彼は自らの任務のため、姿を隠しただけ。彼の敵はヒブラ)
『パワー・エージェントだったと……?』
アルダは黙って腕を上げ、その手に撫でるようにノボアの頬を捉えた。
オリーブグリーンの瞳が彼を静かに見つめる。
(燃えるような夕闇の太陽の眸、高貴な彩の髪………あの時見たあのままの――)
(どうか貴方が運命られた方ならば…)
『何をワケの判らない――』
アルダの手を払いのけるようにして身を引いた。
さすがにここまで訳のわからないことを言われると、嫌悪感と疎ましさだけになる。
『ヒブラもダハトも、戦線の敵だ』
(それは違う!貴方はそう思い込まされているだけ!貴方には、誰かが意図的に精神シールドを施した跡がある。パワー・エージェントですら視ることが出来ないようにロックされて、人為的な記憶が摺込まれたのだと思う……)
『馬鹿な!』
(否定してはいけない。拒絶は新たな混乱を生み出す。――今私が貴方の前に来れるのも、貴方が一瞬だけ心を開放したからだけど……ああ…これ以上、持たない――)
ひどく悔しい風に、彼女の存在が薄れてきていた。
『待ってくれ――どういうことなのか僕には…』
(私が迎えに行くまで……シャ・メインが貴方の中にトラップを仕掛けてる…ウゴカナイデ…――)
悲しそうに言うアルダめがけて、鋭い閃光が走る。
ビクッとしてノボアは眼を見開いたが、アルダがそれに貫かれたのを感じた。