紙魚飼いのお仕事
僕は紙魚飼いである。紙魚という虫は、文字通り紙を、文字を食べる。そして紙魚は、知識を吸収していく。そういえば、今はもう亡くなってしまったけれど、祖父なんかが飼っていた紙魚はとても大きくて、知識なんかもほとんど人間と変わらなかったような気がする。
僕らは紙魚を使って言葉を、情報を集める。紙魚は良い情報に鼻が利き、自然とその情報の元へ僕を連れていってくれる。
だけど、紙魚飼いのもう一つの大きな仕事は、捨てるにははばかられるが手元には置いておきたくない、そんな文章を処理することである。紙魚が食べればそれ自体はなくなるが中身はなくならない。そんな所がまるで供養のようだと人間達は言う。
「さぁ、行こうか。」
数匹の紙魚を連れて僕は依頼主の元へ向かう。地図を頼りに歩いて行くと、少しばかり町を離れた所に小さな家があった。外に赤い自転車があって、小さな植木鉢が綺麗に飾られている。紙魚達が気持ちよさそうにその植木鉢の間を飛び回る。
呼び鈴を鳴らす。
「紙魚飼いです。ご依頼を受けてやってきました。」
ゆっくりと扉が開き、出てきたのはまだ若い少女だった。17,18と言ったところだろう。
「あ・・・はい、どうぞ。」
たどたどしく彼女は僕を迎え入れた。部屋の中は昼間だというのに薄暗い。まるで学校の図書室のような雰囲気だ。ランプの光はテーブルの上を淡く照らし、テーブルの下は濃い影があった。
彼女は僕にそのテーブルに椅子に座るよう促し、自分も向かい合うように座った。
「で、今回のご用件は?」
彼女はすっと白い便せんを僕に差し出した。袖から覗く手首は白かった。
「この手紙は?」
差出人も宛名も書いてなかった。
「中身、ですか?」
彼女は怪訝に目をひそめた。そんなことを聞かれるとは思ってなかったらしい。
「全部言わなくてもいいんだけど。一応ね、今から紙魚達に食べさせるわけだし。」
紙魚達が手紙の周りに集まってきた。
「それは・・・私への手紙です。」
「・・・。」
そういう手紙が無いわけじゃない。世の中には宛先のない手紙を受け取ってくれる郵便局さえ出来ているくらいだ。そのくらい聞ければいいか、と納得して、僕は紙魚達に手紙を差し出そうとした。
「ま、待って、ちょっと待って・・・。」
「え?」
彼女は僕の手首を掴んで制止した。彼女はばつの悪そうな顔をして、僕の目を見ずに言う。
「もう少し、待って貰えませんか・・っ。」
僕は彼女に手紙を返し、もう一度向かい合って座り直した。沈黙の中を紙魚達が泳ぐ。彼らには心地よいのか、くるくる回るように泳ぐ。
手紙は皺になる程強く握られ、彼女は俯いてしまった。さて、どうしたものか。紙魚達に食べさせるつもりがないのなら僕は此処から帰るだけだし・・・。
「ごめんなさい・・・。」
「まだ、覚悟ができてないのなら、またの機会に・・・。」
「覚悟は、出来てたはずなんです。でもどうしてかな・・・どうして・・・。」
雫の落ちる音だけを立てて彼女は泣いていた。紙魚達は大人しく漂っている。きっと、彼女がそれを僕に渡さないことを感じとっているのだろう。
無理やり手紙をとる必要も、残しておいた方がいいと助言する必要もないだろう。僕はただの紙魚飼いなのだから。
けれどこの部屋から出ていくことも出来なくて、僕は淹れられた紅茶を飲んだ。甘かった。
「それ、どうするの。」
全ての決定権は持ち主である彼女にある。
そっと彼女はその手紙を広げ直して、封を解いた。中から出てきたのは二枚の紙。
うっすらと文字が書かれてあるのが透けて見える。
「私の人生の最後はたった二枚の紙で終わり・・・。」
文字を、撫でた。
「誰もが羨むような人生を望んでなんかいない。幸せも不幸もあったっていいと思ってる。物語みたいな特別なことが起こって欲しいわけじゃない・・・。」
彼女の口から零れる言葉はきっとその手紙の中の文字から溢れている。感情なんて、ひとつの言葉で表わすことなんて出来ない。
「ただ、あまりにも何もない。ねぇ、紙魚飼いさん。・・・あなたの人生ってどんな風?誰かに語る程の中身がある?幸せを感じたことは?不幸を感じたことは?痛みは?妬みは?怒りは?嘆きは・・・?」
彼女はごめんなさい、と言った。一瞬、誰に対して言ったものなのか解らなかった。
「人生をそんなに考えたことが僕はあまりないから。」
彼女は一瞬目を見開いて、顔を上げた。
灰色の瞳が揺れていた。
「・・・きっと、いろんな人がいて、いろんな考えがあって、いろんな人生があって、いろんな生き方があって、いろんな死に方があるのね・・・。」
それは自分自身に呟いたものなのだろう。
言葉なんて自分に認識させているにすぎない。
空が綺麗だと言えばそれは自分の認識に間違いがないかと確かめているだけだ。
「うだうだしてごめんなさい。・・・お願いします。」
彼女は僕に手紙を差し出した。
僕はそれを受け取って、紙魚達に投げた。
紙魚達は文字の匂いを嗅ぎつけて、白い紙に口を寄せる。
そして、浮いていく文字を取り込んだ。
彼女はそれをじっと見ていた。悲しそうな顔でも、嬉しそうな顔でもなかった。
けれど目を離すことはなかった。
「じゃあ、僕はこれで。」
「ありがとうございました。」
僕は彼女の人生を知らない。彼女の手紙の中味も知らない。
知っているのは、紙魚達だけだ。
「どっちが、飼われているんだか。」
『私へ
思えば私の人生は、なんて薄いものだったのでしょう。
幸福さえ何か解らなかったし、不幸も何か解らなかった。
自分を悲劇のヒロインや、特別な人と思いたい訳ではないけれど、でもやっぱり誰かの記憶に残りたかった。
生まれて、生活して、いつしか一人になった。
朝日を見るのも、夕闇を見るのも、夜に紛れるのも、飽きることはなかった。
でもね、やっぱり私は誰かの中に、記憶の中に、残りたかった。
そして、誰かの記憶を、私の中に残したかった。
本当にね、それだけだったんだよ。
でも、無理だと思った。思ったんじゃなくて、私はもう確信してしまった。
だから、せめて、私の記憶を私の中に留めておきたくて、この手紙を書くことにしました。
一人で泣いた夜の事、まだ覚えています。
そこから這い上がった自分も、まだ覚えています。
傷つけてみようと思った時に、風が吹いたことも、全部。
私はきっと、何も忘れないでしょう。
また夜がきて、朝が来る。その繰り返しが生きているということなのなら、私は生きていた。
最低限ではあるかもしれないけど、生きていた。
そう思えると思う。
だから、さよなら。さよなら、私。』
この小説を書くにあたりまして、素敵なお題を提供して下さった ソウサクの種 @createbaroon1様に
感謝申し上げます。ありがとうございました。




