第一話
私と彼女の出会いからこのお話を始めよう。
もう十年になるであろうか。
そのころ私は小学生で、あまり大きくなく栄えてもいない街に住んでいた。
しかしそのような場所でも私という小学生は、毎日を楽しく面白く生きていた。
学校が終われば家の玄関にランドセルを投げ捨て、疾風のごとく外へ遊びに出る。
春は原っぱを駆け回り、夏は虫を追い掛け、秋は落ち葉を踏みしめ、冬は雪の中を転げまわって、とにかく日のあるうちは遊びまわり、暮れて家に帰ると倒れるように眠った。
そんな時分の私にとって、小学校とは友達との駄弁り場でしかなかったように思う。
その駄弁り場では、いくつもの噂が生まれては消えた。
それはどこのクラスの誰それが、何某のことが好きだという色恋事であったり、「口裂女」、「紫鏡」のようないわゆる都市伝説であったりした。
その駄弁り場に、彼女は唐突に姿を現した。
「なんでも教えてくれる白黒の女」。
それが彼女の噂についた名であった。
学校の裏にある長い長い坂道を「スッポンポーティー」と叫びながら駆け上がり、登り切った所から続く下り坂をスキップで降りると住宅地が見えてくる。
その住宅地の中の家々の間を、蛇のように伸びるコンクリートロードを誰にも見られずに突き当りの角まで歩き、そこを曲がらずにそのまま突き当たるとぶつかることなくそのまますり抜け、その女の住む白黒の館へと続く道が現れるといういかにもな噂だった。
噂は噂。
この都市伝説じみた謎の儀式には決定的な欠陥があった。
私たちの通っていた小学校の裏には、「長い長い坂道」なんてものがなかったのだ。
あるのは商店街と、建設が途中で止まったジャングルジムのような廃ビルだけ。
よって、その白黒の女に会った者などいるはずもないし、そもそもこのような話が生まれることすらおかしいのだが、その白黒の女の噂話は消えることなくかなり長い間語られ続けた。
更には何人かのクラスメイトが「白黒の女に会った」とまで言い出したのだ。
そのうちの大半は嘘だったが、その中に3人、実に実しやかに白黒の女について語る者がいた。
その中の一人は「次の日のテストの答え」を。
こいつはその日のテストで満点を取った。
もう一人は「好きな女の子の好きな人」を。
こいつは好きなのが自分だと分かり、即日告白を成功させた。
最後の一人は「白黒女の名前」を訊いた。
女は「パンダリーナ」という名前らしかった。
そして、パンダリーナは質問に一つだけ答えると消えてしまい、訊いた本人はいつの間にか学校の校庭にいるのだという。
そしてその噂は唐突に現れたように、唐突に消えた。
噂がぱったりと止んだ日を、私は10月24日だと正確に記憶している。
何故なら私が彼女に―あのパンダリーナに―会ったのが10月24日だったから。
私の家は学校裏の商店街にある小ぢんまりとしたたこ焼き屋だ。
二階建てで、一階がお店、二階が私の家だ。
自慢ではないが、大阪生まれの大阪育ちな父の焼くたこ焼きは外はカリカリ、中はトロっとまろやかという大変美味なものであった。
元々は会社員で、この街へ派遣された父が、今は見る影もない美少女であったこの街出身の母と劇的な出会いをし、会社を辞めて結婚し、都会を嫌がる母の為にこの街に引っ越してきた父がたこ焼き屋を始めたのがきっかけで、今でもたまに雑誌や地元のテレビ局が取材に来るほどだ。
いや、父と母の出会いなどどうでもいい。
これは私と彼女の話だ。
10月24日。
私はいつも通り自宅にランドセルを置いて、みんなの待つ遊び場へと向かうつもりで家へと駆けていた。
学校に一つしかない出入り口の門を抜け、学校をぐるっと回るように行くと自宅のある商店街がある。
しかし、その日学校の裏にあったのは、先の方が光で見えないほどの長い長い坂道だった。
商店街も、廃ビルもない。
慌てて振り向いてみると、何の変哲もない学校がある。
道を間違えたわけではないと知った私は唖然としてその坂道を見上げ、この坂道が私たちの間で語られているあの坂道だと気付いた時、私の口から言葉が自然と漏れた。
「スッポンポーティー」
噂にあるように叫んでいないにもかかわらず、身体は坂道を登り始めた。
駆け上がるのではなく、首根っこあたりをつままれてぐいっと引き上げられる感覚に近かった。
登り切ると、下り坂があり、降りた所に住宅街も見えたとき、私は歓喜と恐怖の入り混じった妙な感覚にとらわれたが、そんなことにも構わず身体はスキップして坂を下り始め、住宅地にたどり着くとそのまま家々の間を抜け、突き当りの角の壁へ突き当たった。
ここまでの行動は全て自らの意思と関係なく行われた。
壁に突き当たり、そのまま突き抜けた瞬間、私の心にはもはや歓喜しかなかった。
その歓喜はパンダリーナに会えるからではなく、明日自分が学校でこのことを話せばヒーローになれるといういかにもガキっぽい理由からだ。
突き抜けた先にあったのは、屋根が白く、壁が黒い洋館で、つまりそれがパンダリーナの館であった。
興奮を抑えきれず、館まで走っていき、小学生にとっては巨大ともいえる館の扉をあけ放つと、冗談みたいに豪華なシャンデリアや、宝塚の団員が降りてきそうな階段のある広いロビーに出た。
そのロビーに置いてあるヨーロピアンなテーブルとイスに、彼女は座っていた。
確かに白と黒の服を着ていた。
黒の手袋に黒のストッキング、服は身体のラインがその大きな胸まではっきり見える白のライダースーツと同じく白のホットパンツ。
小学生にはあまりに刺激的すぎる服装にただただ見惚れる私に、答える側であるはずの彼女はあろうことか質問をしてきた。
それは英語の文章をそのまま和訳したかのような言葉だった。
「こんにちは。あなたの名前は何ですか?」