和んでいられる時間はあとちょっと
「お茶とお菓子をお持ちしました」
トレイを持ったアルフォードが入室し、その後にセインが続く。
「おや?どうしたね?」
テーブルの上にあったカップを、新しいものと交換し、マドレーヌの盛られた皿を並べ、紅茶を注ぐアルフォードの、わずかな表情の変化に気が付いたのは、この屋敷の主だけだった。
「あ、いえ。意外な事を先ほどお聞きしたものですから」
「意外な事?」
執事の、普段は見せない戸惑った様子をいぶかしがりながら、ラオセナルは新しい紅茶を口に含んだ。
「ほう」
思わず、関心の声を上げる。
「香りが良いね。味もふくよかだ。茶葉を変えたのかね?」
「いえ、そうではなく」
ちらりと、自分が座っていた椅子に座りなおして紅茶に口を付けるセインを見やるアルフォードに、ラオセナルの視線も動く。
「ん?」
二人の視線に気づいて、セインも顔を上げた。
「失礼かと思いましたが、セイン様から、紅茶の淹れ方を教えていただきました」
「そうかね。それは良かったじゃないか」
ラオセナルは驚きつつ、笑って執事を労うと、改めてセインに向き直って礼を述べる。
「ありがとうございます、セイン様。これでも我が家のお茶は美味しいと評判だったのですが、これでさらに、美味しいお茶を毎日頂く事が出来ますな」
うれしそうなラオセナルに、セインは照れ臭そうに髪を掻き上げた。
「昔は僕がローランドのお茶を淹れていたからね」
にこりと微笑みながら、さらりと言う。
その、オズワルド家初代当主がこの屋敷で暮らしていたのは、五百年も前の事だ。
「もちろん、アルフォードの淹れ方が間違っているわけじゃないよ?あれはあれで美味しい」
「そうね。セインのお茶は美味しいけど、アルフォードさんのお茶だって美味しいわ。私はいつだって ミルクティーだけど。淹れる人で味が変わるって面白いわね」
二人に褒められはすれども、フォローされるべきは紅茶の味ではなく。
「ほほ。では、私は尊いご先祖様が口にされた紅茶と同じ味を堪能しているという事になりますかな」
自分の主が、自分の考えていたことと同じ感想を述べた。
「当時よりも茶葉は良質なものになったし、ローランドがお気に入りだったメーカーは、もうないみたいだから、全く同じ、とまでは言えないかもしれないけど。淹れ方は昔のままだよ」
懐かしそうにセインが紅茶を見つめた。
五百年も昔の人物の嗜好を、当たり前のように話すのだから、彼は本当にあのセインロズドなのだと、改めて思い知る。
「貴重な体験をさせていただきました」
深々と頭を下げるアルフォードに、セインが慌て、ラオセナルが笑う。
「セインはお茶を入れるしか特技が無いんだから、そんなに感謝しなくっても良いのよ?」
そのほのぼのとしたやり取りに、しっかりと釘を刺すキャルの言い様に、涙目になるセインだった。
セインの持ち主であり今のパートナーでもあるキャルは、この眼鏡で長身の、のほほんとした聖剣に、少々手厳しいのが常だ。
「さて、じゃあ、そろそろ僕はお暇するよ」
和やかなティータイムを終え、セインが立ち上がる。
「おや。もう行ってしまわれるのですか?」
もう少し、ゆっくりして行ったらいかがかと、老紳士は眉を下げる。
「うん。一応、僕らの到着は国王に知らせたし、ギャンガルドとジャムリムは城にそのまま向かったけど、やっぱりちゃんと、クイーン・フウェイルのみんなが解放されたか確かめておかないとね」
旅を中断してまで、この王都に戻って来た本来の理由は、知り合いの海賊船クイーン・フウェイル号を、乗組員ごとまるっと人質にとられたからなので、一応確認はするだけしておかないと後味が悪い。
たとえ、当の海賊のキャプテンと、自分を呼び寄せた国王が、意気投合して単にセインをからかっているだけだとしてもだ。
「真意がどこにあるのか、あのガンダルフは油断できないとこなんか、本当にギャンガルドそっくりだよ」
「昔から、退屈なのが大嫌いでしたからね。キャルとセイン様には、申し訳ない事をしました」
「君が謝る事じゃないよ。だいたいの原因は、ギャンガルドなんだから」
ちなみに、ガンダルフとは、この国の最高権力者の名前で、いわゆる国王の名だ。
それをこうも簡単に口に出来るのは、セインがセインであるからだろう。
彼の権力者嫌いなところも多少起因するが、何百年の時を重ねて存在する彼にとって、国王だろうが国家元首だろうが、若造に等しい。
そして、ラオセナルは、というと、一応自身の君主という事になるのだが、現国王の教育係であった彼からしてみれば、自分の息子か弟のようなものだった。
「キャルはどうする?ここにいる?」
セインの問いかけに、マドレーヌを口にいっぱい詰め込んでいたキャルが、慌ててそれを紅茶で飲み下す。
「ああ、せっかくの紅茶とマドレーヌなんだから、味わって食べなよ」
「だって口に入れたばかりなのに、セインが話題を振るからでしょ?!あたしもお城に行くわ!」
勢いよく椅子から飛び降りた。ふわふわの金の髪が揺れる。
「ほほ、そんなに急がなくても、城は逃げやせんよ」
転がりそうなキャルに、ラオセナルが微笑んだ。
「アル、お菓子を包んでもらえるかね?」
「はい、すぐに」
主の頼みに小さく頷くと、オズワルド家の優秀な執事は、小さな包み紙を取り出して、一つ一つ丁寧にマドレーヌを包むと、蝋紙の大きめな袋に詰め込んだ。
「どうぞ」
「わあ!ありがとう!」
にこやかに渡されたマドレーヌの詰まった紙袋を受け取って、キャルもアルフォードに笑顔で礼を返す。
「そういえば、あの岩の聖堂はどうなったの?」
聖堂というのは、セインロズドが封印されていた岩を、取り囲むように作られた六角形の建物で、作ったのはこの町の役所だ。
オズワルド家が、「聖剣は実在する」と宣言し、証拠とばかりに自宅の庭を一部開放して、セインロズドの封印されていた岩を一般に公開してしまった事がある。そのときに、金儲けになると目論んだ役所が、観光用に聖堂を建てたのだった。
オズワルド家にしてみれば、お家の威信をかけた行為であったし、家の中にずっと有るよりは、人目に触れさせて、もしかしたら、セインロズドを目覚めさせる人物が現れるかもしれない、という微かな望みがあった。
五百年も封印されていたものが、ちょっと公開されたからといってすぐに封印がとかれるかと言ったら、そんな可能性は一パーセントにも満たなかった。
事実、聖剣の封印されていた岩を一般に解放したところ、様々な人々が列をなし、セインロズドを引き抜こうとやっきになった。終いには、見物料という名目で役所がチケット代を請求し、町中にセインロズド目当てに集まった観光客目当ての出店が立ち並ぶほどの人々が集まったが、どんな力自慢も、どんな権力者も、老若男女構わず聖剣・大賢者セインロズドを引き抜く事は出来なかったのだ。
しかし、奇しくもキャルが現れ、ある日唐突に彼女によってセインロズドは見事に引き抜かれた。
偶然というには、起こるべくして起きた奇跡としか言いようがなかった。
「あの悪趣味な建物は壊したよ。もう一般に公開する必要もないから、あの岩の庭も、返してもらって壁も作ったからね。見たいと言う人がいれば、今でも見学は出来るようにしているよ」
ラオセナルの説明に、キャルは満足そうに頷いた。
「そうね。それがいいわ」
セインロズド目当てに、さまざまな人がこの町を訪れ、確かに観光という面では成功したかもしれないが、同時に治安の悪化を招いた。
何せ、「セインロズドを手にした者は世界を手にする」と謳われた聖剣だ。
ただ見に来るだけなら良いが、野望を抱いたゴロツキが集まったようなものだった。
そもそも、王都というだけで、観光地には事欠かない町なのだから、余計な金儲けを目論んだ結果といえる。
「じゃあ、おやつも貰った事だし、行こうか」
セインがキャルを促した頃、どたどたとけたたましい足音が、小さな部屋に響いた。
一応、気は使っているらしく、部屋の傍まで来ると、急ブレーキをかけて、足音が多少小さくなるものの、それでも急いでいる事が分かる早足で、扉も音は小さめだったが、せわしげにノックされた。
何事かと全員で顔を見合わせる。
「入りなさい」
ラオセナルが入室を許可すると、頭を下げながら使用人が蒼白な面持ちで顔を出し、
「大変でございます。陛下がご到着なさいました。いかがいたしましょう?」
とんでもない事を告げた。
「………」
全員でぽかんと口を開けてしまったが、呆けている場合でもない。
「陛下って、国王陛下?」
当たり前のことを、思わず口にしてしまったキャルだったが、気にしない様子で使用人は頷いた。
「パレードを開催されたらしいのですが、到着点がこの家なのだそうで、門前でお待ちでいらっしゃいます。ラオセナル様、何か聞いておいでではございませんか?」
そういえば、町に入った時、国王のパレードがあるような話を耳にした覚えがあると、セインは思わず遠くを眺めた。
「馬鹿は放っておきなさい。いずれ帰るでしょう」
深々と、ラオセナルが長い溜め息を吐いた。
「え、いえ、でも…その…」
蒼白だった使用人の顔色が、さらに土気色になる。
国王相手に無視をするなど、常識では有り得ない。
「良いんだよ。お前たちはいつも通りの仕事をしていておくれ。あの王様はただ遊びたいだけなんだから」
「はあ。かしこまりました」
ラオセナルの言葉に、なんとなく納得したのか。ぺこりと頭を下げると、「失礼いたしました」といって扉を閉め、今度は落ち着いた足取りで自分の持ち場へ帰って行ったらしい。ぱたぱたと、小さな足音が遠ざかる。
「良いの?」
「良いのです」
キャルの問いにも、ラオセナルはきっぱりと言い切った。
「それより、セイン様はどうされます?ガンダルフ様にお会いするために城へ行くのではありませんでしたかな?」
今現在、本人が屋敷の目の前に来ているのだから、手間が省けたといえば、そうなる。
「んー、いいよ。僕は僕で、ちゃんと海賊船の皆の顔を見ておきたいしね。キャルと一緒に、城へ行く。ガンダルフが居ようが居まいが、関係ないし」
セインが、キャルの手を繋ごうと手を伸ばした時だった。
「なんだと!予がこうして迎えに来ているというのに!」
ばん!という大きな音とともに、派手な格好をした派手なおっさんが、庭に面したテラスのガラス戸を突き破らんばかりの勢いで顔を出した。
彼の背後には、これまた派手な集団が跪いて控えている。
整然と並んだそれは、金糸の刺繍の、深く赤い軍服を身にまとい、帯刀したまま頭を垂れ。
掲げる旗には盾と剣に冠を頂いた獅子。地色は臙脂。金色の麦が盾を囲うその意匠は王国の最高位を示す。
すなわちそれは国王旗。
「予が迎えに来てやったぞ」
満面の笑顔で、白い正装に身を包んだこの男こそ。
「国王が何をしているの?!」
この国の第六七代国王ガンダルフ二世だった。