それは意外です
しばらく弾いて、次第に声が音に乗る。
穏やかな歌声に、軽やかな弦の音が混じり合い、古の物語を紡ぐ。
ぽかんと口を開けて、キャルはセインの歌声と演奏に聞き入った。
ライアーという楽器は初めて目にしたものの、単純な見かけとは違い、とても美しい音色だった。
空気が音に弾かれて輝いているような、そんな錯覚に陥った。
次第に、高く低く響いた歌声が納まり、ぽろん、と、最後の音の余韻を残して弦も震動を止めた。
「はい。おしまい」
そう言った後、セインが冷めた紅茶を喉に流し込んで、渇きを潤す間、誰も微動だにしなかった。
「・・・あ、あれ?」
自分の歌はそんなに下手だっただろうかと不安になって、思わず皆の目の前で手を振る。
「は!」
「わ!」
呼吸をするのも忘れていたように、びくりとキャルの肩が跳ね、それに驚いてセインも跳ねた。
「はー・・・」
ラオセナルは深々と息を吐きだし、トール少年はワゴンを握りしめたままポカンと口を開けっぱなしだ。
「セイン・・・」
「・・・はい?」
ぽつりとキャルに名を呼ばれて、ひやりとしながら返事を返す。
「何よコレ凄いわセインったら何でこんなこと隠してたのよ!」
一息にまくしたてられて、あまりの勢いに仰け反った。
「は?え?あの?」
「すっごい綺麗だった!あれほんとにセインが歌ってたの?」
「えぇ~・・・」
目の前でライアーを弾き、歌って見せたというのにどういう感想だ。
「セイン様がこんなにお歌がお上手だなんて。人は見かけによりませんね」
トール少年も、褒めてくれているようだけれども若干失礼だ。
ラオセナルだけがニコニコと手を叩いてくれている。
「これは素晴らしい。ライアーの名手でいらっしゃった事は聞き及んでおりましたが、歌唱力もおありでしたか」
素直に褒めてくれるラオセナルに、なんだかほろりと涙ぐみそうになった。
「ローランドよりもずっと昔のマスターが、音楽好きでね」
一緒に居るだけで、自然に音楽になじんだものだ。このライアーも、彼女と暮らした時間の賜物だ。
「これなら、路上で演奏してお金が稼げるわね!」
「なんでキャルはそんなにうれしそうなの?」
実はセインの生活費を払うのはそんなに嫌だったのかと、また涙ぐむ。そりゃあ、自分でも情けないとは思ってはいるが、身分証明の出来るものを一切持たない身である。それに、働くにしても旅から旅への根無し草な生活をしている以上、出来る事と言ったらキャルのハンティングを手伝うことぐらいだ。
というか、そもそも手伝っている。この前も道すがら、一人でうろついていた所を襲って来た山賊を捕まえたら賞金首だったし。
それらはきちんと麓の役場で換金してもらった。
「セインってば何だか知らないけど色々賞金首にぶち当たるのよね。賞金首を吸引する磁石でも持ってるんじゃないの?」
「何それ?すっごく嫌なんだけど」
あの海賊王ギャンガルドだって、セインが港町で彼の手下に絡まれた事がきっかけで出会っている。
「そうは言うけど、キャルだって何だかんだで賞金首と出会うじゃないか」
「そりゃ、あたしはハンターだもの」
さもあたりまえ、と言う風に、胸を反らすキャルをじとりと睨む。
「見つけたくて見つけてるわけじゃない癖に」
ぼそりと呟く。
「何よ?何か言った?」
「・・・別にっ?」
要するに二人で賞金首を吸引しているという事なのだろうなと思いつつ、ラオセナルはニコニコと二人を見守っている。
そんな何時になくのんびりとした庭に、珍しくアルフォードが足早にラオセナルの傍に寄り、ひそりと主人に耳打ちする。
傍にいると思っていたこの館の執事は、気配を絶って何時の間にか退席し、何事かに対処していたらしい。
アルフォードから何を耳打ちされたか、ラオセナルが深々と溜め息をついた。なんというか、色々を諦めたような顔だ。
「セイン様。ぼっちゃんが駄々をこねておいでの様なので、申し訳あり」
「誰がぼっちゃんじゃ!!」
ラオセナルが全て言い終わる前に、ラオセナル曰く「ぼっちゃん」が拳を上げて中庭に繋がる窓から身を乗り出した。
「なんじゃ!皆でそんな嫌っそうな顔をしなくても良かろう?」
国王ガンダルフ二世が芝生の整えられた美しい中庭に踏み入れば、キャルもセインもラオセナルも、一斉に眉間に皺を寄せた。
「もう、いい加減お帰りになられたらいかがです?今日は神殿で祭事があるはずですが?」
「あんなのは予がおらずとも神官どもが勝手にこなしおるだろが。そもそもセインロズドの復活祭に神殿は関係なかったものを、奴らが勝手に盛り上がっとるだけじゃ」
確かに、セインと宗教は一切関係が無い。
「それより!なんぞライアーの音が響いて来たから何かと思えば、見事な演奏だった!慌てて見に来れば終わっておるし、あれは誰が弾いていたのだ?」
どうやらセインが弾いて歌っていた事には気付いていないらしい。
既にライアーをテーブルの上に置いて手を離していたセインは、心底ほっとした。
「お父様!陛下!」
そこへ、ドレスのスカートをたくし上げ、艶のある茶色の髪を結えて可愛らしいリボンで飾った少女が走り寄って来る。
アメリティアだ。
「これはこれは、王女殿下。淑女は走られるものではありませんよ」
ラオセナルがにこやかに迎えると、少女はぱっと頬を染めてぱたぱたとドレスの裾を叩いた。
「こ、これは、オズワルド様。お邪魔していますのに、はしたない所をお見せしましたわ」
父王しか見に入っていなかったらしい王女は、するりとスカートをつまんでお辞儀をし、素直に非礼を詫びた。
「姫よ!お前も聞いておっただろう?誰が弾いていたか知りたいではないか!」
はしゃぐ父王の耳を、細く白い指で摘んで思いっきり引っ張ったアメリティアは、青筋を浮かべて口元をひきつらせた。
「へ・い・か?」
「痛い痛い痛いいたたたたたたたた」
「先ほど城へお帰りになると承知して下さったばかりじゃありませんの!」
「姫!ひめ!いたい!」
「痛いようにしているのです!」
ガンダルフの両耳を、おもいっきり引っ張る。
「王様の顔が横に伸びるんじゃないかしら」
少々驚いて軽く眼を瞠りながら、キャルがのんびりとそんな事を口にした。
「逞しいね、彼女」
「さすが、ガダ様のご息女でいらっしゃいましょう?」
高貴な親子の、高貴でないやりとりを、周りはなんとなく温い視線で見守る事に徹する。
「どうして誰も助けてくれんのだっ!」
ガンダルフが娘の手を引き離そうとすると、余計に力が掛かって、余計に引っ張られて、余計に痛いらしい。
「ここにあのクルト君がいたら、やっぱり不敬罪とか言うのかなあ?」
気真面目な近衛兵の若者を思い出し、セインが新しくトール少年が淹れてくれたお茶を口に含む。
この家の執事直伝らしい彼の紅茶も、目の前に茶菓子として出されたドーナツに程良く合う美味しさだ。
「美味しいなー」
「ほんとですか?ありがとうございます」
お互い視線を合わせてにっこり微笑む。
「わたしにはミルク沢山!あと、蜂蜜入れてもいいかしら?」
「ミルクと蜂蜜ですね」
キャルの勢いのよい要望に、トール少年がテキパキと準備する。
「こりゃ!助けろと言うておる!」
「言ってません」
国王の悲鳴に近い訴えを、ラオセナルが間髪入れずに叩き落とす。
「ラオ!ラオセナル!」
「何です?」
「痛い!」
メアリティアも、疲れるだろうに力を一切緩めていない。よほど頭に来ているらしい。
「何か他に仰る事があるのではないのですか?私は最低限礼儀正しく有られる様に、貴方様をお育てしたつもりですが」
ラオセナルはガンダルフを見ようともしないで、上品にドーナツを割って口に含む。
「うー、ううー!」
「お父様?」
「うー!」
「うーじゃありません!」
灰色の瞳を潤ませて娘に訴えてみたものの、失敗してしまったらしい。
「すまんかった!予が悪かった!家に帰る!帰るから!」
ほとんど叫びながら、ガンダルフは詫びの言葉を口にして、ようやっと王女の手から耳を解放してもらえたのだった。
「うぬう!負けた!」
「負けたってどういう意味ですか」
ぺん!と手を師匠に叩かれて、ぐすぐすと鼻をすすって蹲ってみたものの。
「王様は王様なんだから、もうちょっと王様らしくした方が良いと思うわ」
キャルに止めを刺されて撃沈した。
「お爺ちゃんの方がよっぽど王様みたいよ?」
「なんじゃと!予はこれでもちゃんと王様稼業しとる!」
「「「「「知ってます」」」」」
セインとラオセナルとアメリティアとアルフォードとトールに口を揃えて認めてもらえたというのに、何だか嬉しくないのは何故だろう。
「とにかく、座りなよ。王様?」
セインが自分の席をガンダルフに空けると、アメリティアが慌てた。
「そんな。セイン様はお父様の我が儘に随分とご迷惑をおかけしたと聞いております。今回の事でも、随分と我が国は助けて頂いた筈ですわ。その恩人を立たせるとは、我が王家の恥にございます」
その言に、きょとんとしたのはセインだけではない。
この王女様はいったい、何処まで知っているのか。
「ぼっちゃん?」
ラオセナルに睨まれて、ガンダルフは肩をすくめた。
「アメリティアは頭が良い。予が何を言わずとも、理解しておる様でな」
にやりと笑って見せる国王に、セインもラオセナルもキャルも、アメリティアを見やった。
「あら。私何か変な事を言いました?」
小首を傾げて見せる様は、本当に可愛らしい。
「何処までご理解されておられるので?」
ラオセナルの問いに、にこりと微笑む。
「陛下が、お立場をお忘れになって海賊と遊んだという事と、それにセイン様とキャル様が巻き込まれた事かしら。あとは、それは結局我が国の中枢部の膿を、セイン様を使っておびき出すための工作だったというくらいの事柄でしたら、なんとなくですけれど、傍から見ていても分かりますわ」
にこりと微笑む王女に、ポカンと口を開けたのはセインで、くつくつと肩を揺らして笑ったのはラオセナルだった。
「普通、傍から見ていてもそこまではわかりませんよ、アメリティア様」
ラオセナルが立ちあがり、王女に席を譲る。
「でも、わざわざ海賊王を使ってまでセイン様というお方を呼び戻し、この度の国を上げてのお祭り騒ぎを起こしたのは他ならぬお父様でしょう?騒ぎたいだけならセインロズドでなくても理由は何でも良いわけですから、そうなると何か裏がありますわよね?となると、呼び戻されたセイン様にその何かがあるとみて間違いは無いのではありませんこと?あとは、お父様が何やらこそこそやっていて、お祭り騒ぎに乗じて集まった各国の代表者たちと臣下が何をやっているのか探らせてはほくそ笑んでいるんですもの。口は悪いのですけれど、セイン様とこのお祭り騒ぎは餌と見て間違いはありませんでしょ?特に、セイン様はとても美味しい餌で、大物が釣れるのじゃありませんかしら。もしくは大漁に捕れるのかしら?そうお思いになりません?」
勧められた席を仕草で辞退して、軽く人差し指を唇にさし当てながら、つらつらと自分の推理を披露する王女は、なるほど。
「ラオの言う通りだね」
国王の子供たちの中で、唯一国王を唸らせる王女。
「頼もしい限りです」
年寄り二人で頷き合った。
「さて?もうお帰りのお時間ですわお父様」
そう言うと、アメリティアは渋る国王を、離れた場所で控えている親衛隊の元まで連れて行き、屋敷の玄関先まで馬車を用意させると、ととと、と速足で戻ってくる。
ひょい、と、セインの前までやって来た彼女は、両手を胸の前で組み、キラキラと眼を輝かせた。
「セイン様?」
「な、何?」
ずい、と詰め寄られて首を傾げると、
「先程は見事でしたわ!いつかおねだりしても宜しいかしら?」
ひくりとセインの片頬が引きつった。
「え?な、何の事かな?」
ごまかそうとすれば、不思議そうな顔をして、
「だって、さっきのライアーは、セイン様でございましょう?」
ずばりと言い切られてしまった。
「ははは・・・」
冷や汗が背中を伝った。
「陛下から、我が国の市民権と、旅行をされる際の手形をセイン様とキャル様にご用意すると聞いておりますわ。明日にでもご用意できますから、こちらに持って来させます。宜しいかしら?」
最後の部分はラオセナルに向け、父の師に了承を伺うこの国の第三王女は、幼い面にかわいらしい笑みを乗せている。
「分かりました。・・・それから、陛下にはご内密に」
ウィンクをして唇に人差し指を当てるオズワルド家当主に、
「承知しましたわ。ライアーの名手は秘密ですわね?」
何を秘密にするのか理解して、アメリティアもウィンクで返す。
「お見送りは宜しいですわ。陛下がまた駄々をこねますから」
そう言うと、王女は国王を連れて城へと戻って行ったのだった。