休憩しようか
「ううーん」
胸の上が苦しくて、眼を覚ました。
ぱっちりと目を開ければ、懐かしい天井がある。
「あれ?」
驚いて身を起こせば、ころりと何かが胸の上から転がり落ちた。
「・・・キャル」
自分の胸の上から転げ落ちてひっくり返ったまま眠るキャルに、セインは深々と溜め息をついた。
「そっか。あの後、ラオの家に泊ったんだっけ」
昨夜、海賊船クイーン・フウェイル号を見送って、眠ってしまったキャルを背負ったまま戻ってからの経緯を、ぼんやりと反芻する。
一旦城に戻れば、にこやかなラオセナルとアルフォードが待ち構えていた。深夜も良い所であるというのに、待っていてくれたらしい。
そのままオズワルド家の馬車に乗って、オズワルドの屋敷に世話になっているのだった。
屋敷に着いてからはキャルを女中に任せ、自分は軽く湯浴みをしてからベッドに入った所まで思い出した。
ふと、首を傾げる。
「あれ?キャルと一緒に寝たっけ?」
キャルは早々に寝てしまっていたから、着替えなんかも女中に任せておいた。自分が寝る前に、別室のベッドでスヤスヤ寝ているのを確認した記憶がある。
と、いうことは。
「潜り込んだの?」
セインが寝ている間に起きて、同じベッドに入ったらしい。
それはまあ、良いとして。
「僕の上で寝るのは止めてよね」
自分の胸の上から転がったままのキャルをシーツの上に寝かせて、そっとケットを掛けてやる。
熟睡しているらしい。頬をつついても幸せそうに目をつむったままだ。
セインはキャルが起きないように、そっとベッドから降りると、傍のテーブルに用意されていた着替えに腕を通した。
「えーっと」
着替えてみればレースやらフリルやらがびらびらと装飾された貴族服で、落ち着かない。しかし、今はこれか寝巻きしか着るものが無い。
仕方ないのでそのまま廊下に出れば、太陽はもう中天間近だった。
「昨夜は遅かったからなあ」
気がつけばお腹も空く。
かるく腹を押さえれば、廊下の向こうからパタパタと足音が聞こえて来た。
「セイン様!お起きになられたのでしたら、呼んで下さればよろしいのに」
昨日から親しくしてもらっている召使いの少年だ。
「えー。だってどう呼べばいいか分からないもの」
「ベルを鳴らして下さい。サイドテーブルの上にあったでしょう?」
「ああ。あったかも」
気さくなセイン相手に、少年も砕けた話し方をしてくれる。
これが他の貴族や王族相手なら、彼は目の前で走ったりしないし、こんな風に注意をしてくれたりもしなかっただろう。世話をしてくれた時に、自分は貴族でも王族でもないから、普通にしてくれと頼んでみた甲斐があったというものだ。
実は自分の身の回りの世話をしてくれる人には、全員に同じ事を言って歩いている。しかし、効果があったのは彼一人だけだった。
それでもやっぱり、敬語は抜けなかったけれど。
オズワルド家のお客様だから、最低限の言葉使いは許して欲しい、という事だった。
「朝から何も食べていらっしゃらないのでしょう?お食事をお持ちしますか?」
「え。良いよ。悪いもの。僕が行くよ」
「そうしますと、これから昼食に入られます国王様と同席する事になりますが?」
「え?!」
何故王と一緒に食事しなければならないのか。ここはラオセナル・オズワルドの邸宅のはずである。
驚いたセインに、召使いの少年はくすくす笑う。
「セイン様は本当に国王様に気に入られておいでのようですね。お目覚めになられて間に合うなら、昼食は一緒に摂りたいとのご所望で、わざわざおいでになられたのです」
「うわー。やだよ。面倒臭い」
「そう仰ると思っていました」
国王と共に食事するとなると、何か面倒事を押しつけられるに違いない。下手をすれば、まだ時間があるからと称して城の王族用の食堂の間に連れて行かれる可能性もある。
あの食堂にはアレがある。
「誰が自分の顔見ながら食事して美味しいと思うのさ」
封印される少し前。セインの前の持ち主だったオズワルドの先祖がまだ闊達だったころ、彼に伴われて参内するセインに惚れ込んだ宮廷画家が、知らぬ間に肖像画を描いていたらしく。
以前城を訪れた時に食堂に飾られていた自分の姿絵に、セインは開いた口がふさがらなかった。
あの絵は今も、王族の集まる食堂の間に飾られている。
「あの絵とセイン様、本当にそっくりですよね」
ラオセナルのお供をして、見た事があるのだろう。事情を知らない彼は、五百年以上昔の肖像画とそっくりなセインを、奇跡的な巡り合わせと思っている。
アレが実は自分だと、訂正する気はさらさらない。
「ですから、お食事はお部屋でどうぞ?私が運ばせて頂きますよ。当主様もアルフォード様もご承知でいらっしゃいますから大丈夫です。キャル様の分もご一緒で宜しいですか?」
にっこりとほほ笑む召使いの少年の気遣いに、セインも笑って礼をする。
「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ。国王には後でご挨拶に窺うから」
「かしこまりました。それでは、お部屋でお待ち下さいね。それとも、お食事が出来るまでお庭を散策でもなさいます?」
廊下に出て来たセインを気遣ってだろう。本当に気の利く少年である。
「部屋で待ってるよ。うろついて変なのに捕まるのも嫌だしね」
ウィンク付きで答えれば、少年もにっこりと笑い返してくれた。
「セイン様、そういうお召し物も良くお似合いですよ」
「へ?ヤだなあ。僕もっと普通の服が良いのに」
「じゃあ、もっとシンプルなお召し物もお持ちしますね」
「本当?」
「ええ。国王が、なんだかお約束をされたとかで、ひと部屋に沢山、セイン様とキャル様のお洋服がご用意されていますから」
「げ」
そうだった。忘れていた。
ガンダルフ王とキャルが交わした約束に、やる気を出した国王が、馬鹿みたいに大量の服を用意したのだった。それらをオズワルド家に持って来させたのか。
傍迷惑な。
「ご自分で見に行かれます?」
「うん。そうする。キャルが起きたら、案内してもらおうかな」
「承知しました」
げんなりした様子のセインに、くすくす笑って頭を下げると、またパタパタと走って退席してしまった。
「良く出来た子だなあ」
小さな後ろ姿を眺めて、セインはコキコキと首を鳴らした。
「セイン!」
「うわあ!」
バタン!と勢い良く扉を開け放って、キャルが飛び出した。
「キャル!びっくりするじゃないか!」
「びっくりしたのはあたしよ!何処行ってたの!?」
「へ?ずっとここにいたけど?」
眉を吊り上げて、飛びかからんばかりのキャルに、セインは眉を落とす。
「なら、良いわ!」
バタン!
「え?」
一言残して、扉を閉めてしまったキャルに、セインは呆然と自室の扉を眺めた。
「・・・キャル?」
おそるおそる扉を開けると、枕が飛んで来たので慌てて閉める。
「着替えてんだから開けるんじゃないわよ!」
「ごごごごご、ごめん!」
八歳とはいえ女の子。恥じらいは立派にあるのです。
「ちょっと理不尽な気もするけど・・・」
部屋のテーブルの上には、自分の服のほかにキャルの服もきちんと準備されていたのを思い出す。屋敷の方々には、しっかりキャルがセインの部屋で寝ているのがバレていたらしい。
「うわあ・・・」
何故か恥ずかしさを覚えるセインである。
仕方ないので部屋の前でぼーっとしていると、聞き慣れた足音が聞こえたので顔を上げた。
「おや。どうしました?」
アルフォードが、首を傾げている。
「おはようございます。セイン様」
「おはよう、アル。と言っても、もうお昼近いけどね」
遅い朝の挨拶を交わし、セインは苦笑する。
「キャルが着替え中なんだ」
「それは、・・・災難でしたね」
「はははー」
一言でだいたいの事情を理解してくれる有能なオズワルド家の執事は、こういう場合、ありがたいようで恥ずかしい。
「お洋服の替えの準備が出来ましたので、お呼びしに来たのですが。失礼しても?」
先ほど、召使いの少年に頼んだ着替えの事だろう。
「キャロット様?」
ドアをノックして、部屋の奥にアルフォードが呼びかける。
しばらくして、部屋の中からパタパタと足音が聞こえたと思えば、ガチャリと開いた。
「お待たせ!もう良いわ」
顔を出したキャルが、にっこりとアルフォードに笑いかける。
「おはよ!アルフォードさん」
「はい。おはようございますキャル様。もう起きてもよろしいので?」
ほとんど朝方と言っていいような時間に屋敷に戻ってきた少女に、アルフォードが心配気に訊ねる。
「まだ少し眠いけど、後でお昼寝するわ。いつまでも寝ていたら、溶けちゃうもの」
元気なキャルの様子に、男二で人ほっとする。
「昨夜は特別だからね。これからも夜更かしは禁止!」
「分かってるわよ!セインはうるさいんだから!」
成長期真っ盛りのキャルである。
「寝不足は成長とお肌の天敵ですよ?キャル様」
アルフォードまでそんな事を言うので、キャルはぷうっと頬を膨らませた。
「もうっ!二人して!分かってるって言ってるじゃない!」
「これは、申し訳ありません」
にこやかに詫びるアルフォードに、キャルは魚みたいに口をぱくぱくさせる。顔は真っ赤だ。
肩を振るわせて、笑いをこらえているセインだった。
「痛い!」
「笑ってんじゃないわよ!」
「笑ってないよ。我慢はしてたけど」
「笑ってるじゃない!」
「ごめんごめん」
ぽかぽかと殴られるが、普段より威力が無いのはアルフォードの前だからだろうか。
キャルは総じて、オズワルド家の家人に弱い。それはセインも同じだ。
「お食事を先になさいますか?それとも、お着替えを先に?」
「ああ。僕はさっさと着替えたいけど、キャルはお腹空いたでしょう?先に食堂に行く?」
振り返れば、キャルはきょとんとセインを見上げた。
「着替えるって、どうして?」
「だって、こんなフリフリのひらひらした服、落ち着かないもの。キャルは似合ってるね」
言いながら、服の裾をつまみあげる。
「良いじゃない。似合ってるわよ?」
意外なご意見を頂戴して、眼を見開くセインの周りを、キャルがくるりと一周する。
「セインって、黙って立ってればそれなりだもの。こういうのも似合ってるんじゃないかしら?」
そういう彼女の服も、ゼルダの屋敷で着た服とまではいかないものの、胸元にフリルのついた白いシャツに、柔らかなピンクのジャンバースカートを重ねて着ている。スカートにも細かなフリルが飾られ、赤いリボンがポイントに添えられて、普段よりも可愛らしい服装である。
「あたしがこういうの似合うのは当然よね!」
言い切った。
「ガンダルフが、このうちにまで大量の服を持って来たらしいんだ。もっと動きやすいのに着替えたいんだけど」
「じゃ、ご飯の後にしましょ」
「えー」
「えー、じゃないわ。たまには目の保養させなさいよ」
「めのほよう・・・」
以前も、貴族服を着せられて、仮装行列みたいな事をしたときには、そんな事言われなかったけど。
納得しないまま、がっくりと肩を落とせば、アルフォードがくすくすと笑う。
「では、お食事がお先で宜しいですね。直ぐにこちらにお持ちしますから、お部屋でお待ち下さい」
少し頭を下げると、アルフォードは颯爽と廊下の奥に消えていった。
ぐううぅ
「あ」
キャルのお腹が鳴った。