夜の宴は長々と
何だかんだと、襲撃を受けた後もにぎやかに馬車は進み、ようやく王城へと辿り着くころには、キャルはすっかりセインの膝を枕に寝入っていた。
「キャル。もうすぐ着くよ。起きて?」
ゆすってみても、むにゃむにゃと要領を得ない返事を返し、一向に眼を開ける気配がない。
「しょうがないなあ」
城に着いても、これでは抱きかかえて移動しなければならないだろう。
「セイン様。なんでしたら、私が抱えますか?」
「え?ラオが?良いよ。何かあったら悪いもの」
遠慮がちにやんわりと断るセインに、ガンダルフがにやりと笑った。
「あれか?さっきの女の襲撃を懸念でもしているのだろう?」
その通りなので、素直に頷く。
「そう。クルトの言っていた赤髪の女。バルバロッサと見て間違いないだろう?あれくらいで諦めたとは思えないし。そもそも、僕をどうしたいのか目的が分からないから、いつ、何どき、何を仕掛けて来るのか分からないからね」
だから、先ほどの馬車の襲撃は、国王の面目を立てる事も含め、近衛のクルトに任せて撃退してもらった。
下手にセイン本人が出て、事を大きくしてしまっては逆効果だ。
「だったら、両手が塞がるのは余計に拙かろう?」
「キャルなら軽いし、片手で抱えても良いから大丈夫。僕のマスターだっていう事はザラムント側にバレているから、僕よりキャルを狙うとも考えられるでしょう?だったら、一緒に居てくれた方が安心だから」
誰かが巻き込まれたら大変だ、などと笑いながら、キャルを抱えたまま馬車を降りる。
実際、ここでラオセナルにキャルを預けて襲撃されようものなら、彼が怪我をしかねない。かといって、国王であるガンダルフはもとより、彼の直属の部下であるクルトは王族付き近衛兵だ。一般人のキャルを、一応一般人であるセインの都合で預けるわけにもいかない。
おまけに、誰かが怪我でもしようものなら、怒られるのはセインなのだ。
足を思い切り踏みつけられるだけならましな方だろうな、などと思いながら、若干セインは遠くを見つめて乾いた笑いを洩らした。
馬車を降りれば、冷たい夜風が頬に心地良かった。
「そうは言っても、此処は既に予の城ぞ。そんなに心配されるほど、警備を怠ってはおらん」
ムッと、唇を尖らせる国王と、そっと眉を顰めた近衛の二人に、セインはくすくすと笑う。
「ごめん、ごめん。君らを疑っているとか、侮っているわけじゃないんだ。ぞれだけ、彼女が厄介だと認識しているっていうだけ」
確かに、あの赤髪のバルバロッサといい、ザラムントの王子といい、言い知れない不気味さがある。
彼女の剣技もさることながら、あの異常な瞳の放つ光は、赤黒い血を溜めたような深淵を彷彿とさせる。
全員が外へ出たのを確認したお庭番が、恭しく頭を下げて一行に近付き、城内へと誘導するのを、ガンダルフが手を振って追い払う。
一度も顔を上げぬまま、お庭番はこちらに背を向ける事無く引き下がった。
国王に背を向け、許しも得ずに顔を見ては失敬に当たると言う事なのだろう。ご苦労な事だ。
「国王と言うのは面倒臭い」
お庭番を無碍に扱い、ふん!と、腰に手を当てて我が儘な子供の様に愚痴をこぼすが、本音だろう。あんな風に、人ではない何かの様な扱いを受けるのは、分かってはいても腹が立つらしい。
そんな人間味あふれる国王に、人間扱いされにくい聖剣が、あきれ顔を向けた。
「王様なんだから、自分で決まり事を変えちゃえばいいのに」
遠慮なくセインが言えば、ふん、と鼻で笑う。
「お主も分かって言っておるだろう?伝統だなんだ、容易くは変えられん。まして、使用人の雇用を減らして経済力を下げる愚直な王ではないつもりだ」
「なるほど?」
それでも、使用人の態度くらいは緩和させてやれるのではないかと思ったが、そうすると、今度は城内の秩序が乱れる。
それらが面倒臭いと使用人を減らせば、解雇した彼らの生活がままならなくなるだろう。
だったら、現状のままがとりあえずは最善なのだ。
「いずれ、改革はするぞ」
方法は摸索中だと、これまた楽しそうに笑う。
「君は本当に国王に向いているよ」
半ば呆れ気味にセインが言えば、ガンダルフはにやりと不敵に笑う。
「そうか?予は市井の中にまぎれて革命家になっても似合うと自負しているぞ」
「革命に似合う似合わないはどうかと思うけど」
「硬い事言うな!」
「硬いとかそういう事でもないと思うけど」
がっしりとガンダルフに肩を組まれ、キャルをとり落とさないように抱え直して城内へと向かえば、二人のやり取りを見守っていたラオセナルがニコニコと上機嫌に笑っているのと、ムスッと眉間に皺を寄せたままのクルトの不満そうな顔が見れて、セインも思わず笑ってしまう。
二度も不本意な襲撃に合ったが、それでも楽しい夜だといって差し支えない事になりそうだと、海賊たちの元にどうやってキャルを連れていこうかと思案するセインだった。
「さて」
落ち着いて城内。
キャルとセインの二人にあてがわれた部屋へ入れば、部屋中が服であふれ返っていた。
「…何コレ?」
後ろで腹を抱えて笑っている国王に、セインが半眼で訊ねる。
「お主らの服だ。好きなのをやると言ったではないか」
嬉しそうにバシバシと背中を叩かれる。
舞踏会に出ている間に揃えさせたらしい。
「今から選べって?」
既に夜半。服を選ぶには明かりも足りなければ、もちろん、疲れてもいる。
「それでもいいが、明日でもかまわんぞ。そうすれば、もっと増えているだろうしな」
「えー…」
客間とはいえ、だだ広い部屋に沢山の服が所狭しと並べられているのに、これ以上増えるのか。
思わずずれた眼鏡を、キャルを抱えたまま器用に直す。
「僕ら、服に囲まれて寝るの?」
「安心しろ。別に用意した」
悪戯が成功したと言わんばかりの嬉しそうなガンダルフの顔を、思わずまじまじと見つめた。
その額に手を伸ばし。
びし!
「あイタ!」
長い指でデコピンされれば、結構痛い。
ガンダルフが涙目で額を押さえたのを、満足そうにセインが見下ろして、溜め息を一つ。
「あのね。キャルとの約束を守ってくれるのは嬉しいけれど、やり過ぎ」
この時間に駆り出された、おそらく王室付きの仕立て屋の身に降りかかった災難を思えば、デコピンくらいでは生易しいような気がする。
「予、一応国王。この国の最高権力者」
「自分で言うな」
さらにデコピン。
「痛い…」
「痛いようにしてるんだから、当たり前でしょ。キャルみたいに踏みつけたりしないだけましだと思いなよ」
「予、いい加減良い歳なんだが」
「僕なんか八百超えてるよ」
お互いの顔を見合わせたところで、ガンダルフが笑う。
「ふふ、まったく、おぬしには敵わん」
「当然でしょ?歳の功ってね」
そこでまた、ガンダルフは笑うのだが、流石に子供が寝ている横で大笑できず、肩を震わせて堪えつつ、目じりに涙をためて笑っている。
「そんなにおかしい?」
「い、いやいや、いやいや。ふふ、くっくっく」
これが、あの伝説の聖剣だと言うのだから、笑わずにいられない。
ひと振りで千の敵を薙ぎ倒し、手に入れれば世界を手に入れられると言われた大賢者。それの中身は、やたらに歳をとった普通の人間なのだ。
普段の彼からは、神技のような剣の腕前と、彼の英知は計り知れないものが隠されているとは到底思えない。
五百年の昔、世を儚んで己が身を、巨岩に封印してしまったというのも、本人を目の前にすれば納得できる。
伝説と謳われようが、賢者と称えられようが、人間らしく優しすぎるのだ。この男は。
「はーっ」
笑うだけ笑って、満足したのか、ガンダルフは大きく息を吐き出した。
「まったく。おぬしを叩き起こしたのが予でなくて、まっこと残念じゃ!」
「僕はヤだな」
「そう言うな!キャルがセインロズドを引き抜いた。それは予も納得しておるし、良かったと思っておるのだぞ」
「えー?」
疑いの眼差しを向けられたが、それは本当にそう思っているのだから仕方がない。
「…今回、こっちに帰って来るのを渋ったそうじゃな」
ちらりと、意地の悪い笑みを乗せてセインの顔を覗き込めば、ぎろりと睨まれた。
「僕は、僕と同じ存在なんかに興味無い」
「ふむ。同族には会いたいもんだと思ったが?」
この場合、セインの血縁者という意味ではない。
この世に一振りしかないと思われていた聖剣。それが、他国の持ち物とはいえ二振りあると確認されたのだ。
同じように長い時を生き、同じように剣に身を移し、同じようにこの世に存在する。
「同族じゃないよ。あんなの。それに、僕にはキャルが居る」
「あまり、嬢ちゃんにはバルバロッサの事を知られたくなかったようじゃな?」
セインが息を詰める。
「嬢ちゃんが、気にすると思ったか」
また、睨まれる。
「ほほ、怖い怖い」
楽しそうに喉を鳴らすガンダルフに、セインは殺気を放った。
「嬢ちゃんはまだ幼い。これから長く一緒に居られるだろうさ。しかし、その長さは人間の寿命の長さでの事。おぬしの長い生の中では、一瞬にしかならんだろうに」
「それでも。僕にはキャルが居る。僕はキャルに会えて、これほど嬉しい事は無いんだ。同族?寿命?知った事か。僕は今のままでいい」
憐れむ眼差しを深めるガンダルフに、セインは尚も言い捨てた。
「それとも、僕が彼らの元に行って、この国を滅ぼす手伝いをするのが、君の望みか?」
彼ら二人と、キャルとセインの二人の違い。
それが分かっているなら、口に出さずとも理解できるだろうと、セインはガンダルフを叩きつけるような視線で見つめる。
「…ふむ。予は全く、余計な事をしてしまったかの」
「本当にね。余計な事と思ってない所が憎らしいよ」
ふい、と、そこで許してくれたのか、視線を外したセインに、ガンダルフは知らずに詰めていた息を吐き出した。
自国に聖剣が存在するなどと、他国へ大声で宣伝する益とは何か。
それを踏まえて、ついでに警戒すべき国々をおびき寄せ、警告を発し、彼らに加担する国内の膿を一掃する。
国の都合にセインを利用した。
それはすっかりバレている。
知っていながら、嫌だと言いながら、彼が戻って来てくれた理由は一つだ。
「すまない。感謝する」
「やめてよ。僕はこれ以上僕らに関わるなと、釘を刺しに来ただけなんだから」
礼も受け取ってもらえないらしい。
ガンダルフは小さく笑う。
「おぬし、損する性格じゃの」
「うるさいよ」
耳まで赤くなった賢者に、親しみをこめて笑顔を向けた。
お人好しの賢者様は、自分が利用されると分かっていて帰って来てくれた。この国の民の平穏の為に。
「国の中央が乱れれば困るのは国民じゃ。民に代わって、感謝するよ。ありがとう」
「だから、知らないってば」
ついに背中を向けられてしまったことに、ガンダルフは眉尻を下げる。
そして、その背中に、深々と頭を下げるのだった。
そんなやり取りをしていれば、セインの腕の中で、キャルがむずがった。
「…うー?」
「…」
「…」
呻いたキャルに、大人二人は声を殺して息を止める。
直ぐに可愛らしい寝息が聞こえて来て、そっと肩から力を抜いた。
「寝ている時は天使じゃのー」
キャルの頬を撫でるガンダルフに、セインはムッとする。
「寝てなくたってキャルは可愛いよ」
「なんじゃそりゃ。のろけか」
「のっ!?」
顔を赤くさせたり青くさせたりする大賢者をからかいながら、王様はニッと、人の悪い笑みを顔に張り付けた。
「で?これから行くのか?」
大海賊ギャンガルドの船は、世も明けきらない早朝にこの町の港を発つ。
見送ると言ったのはキャルだ。セインも、彼らの顔を見ておきたい。次に会えるのはいつになるのか分からないし、今後会えるかどうかも分からないのだから。
「うん。まずは夜会服を着替えてしまわないと。でも」
腕の中のキャルを見る。
起こしてしまうのがかわいそうなくらい、熟睡している。
まろい頬は赤く、大きな蒼い瞳を瞼の裏に隠して、金の睫毛が時々ふるりと震える様は、本当に天使のように愛らしい。
きゅ、と、セインのシャツを握りしめた小さな手を、セインの大きな手がそっと覆う。
「起こさないといけないけど、起こしたら起こしたで、怒られるんだよね…」
眉尻を下げた聖剣に、国王はまた噴き出した。
「ちょっと。笑わないでよ!」
「いやいや、尻に敷かれとるなーと思って」
「君だって、細君の尻に敷かれてるんでしょうが!」
「予の妃は六人おるぞ?誰の事だ」
「王妃に決まってるでしょう?」
セインはまだお目通りした事の無いガンダルフの正室メイリースは、美しくしとやかな女性だと聞いているが、ガンダルフが彼女に頭が上がらない、と言う事も、ラオセナルからちゃんと聞いている。
「ふむ。男とは悲しい生き物よな」
「…否定はしないけどさ」
ここに、自宅に帰って行ったラオセナルが居たら、どんな表情をしたものだろうか。
「勝手に着替えさせたらどうじゃ?」
「起きた後に、やっぱり怒られるよ」
変態という罵詈雑言付きで。
「なにもおぬしが着替えさせろとは言うとらん。うちのメイドに頼めば良かろう」
ガンダルフの提案に、セインは光明を見た気がした。
なにせ、クイーン・フウェイル号の皆との再会を、キャルは楽しみにしていたのだから、これで見送ったところでキャルが寝ていましたでは、セインが結局怒られる。かといって、今起こしても怒られる。
これがメイドなら、キャルも大人しく起きてくれるに違いない。
「本当?お願いしても良いかな?」
その嬉しそうな、情けない顔に、ガンダルフはまた、肩を震わせるのだった。
かくして。
「セイーン!早くしなさいよ!」
メイドに起こされ、眼を覚ませば部屋中が服であふれ返っており、ご機嫌で好きなものを選んで着換えさせてもらったキャルは、これまたご機嫌で港へ向かう。
城を出る時、キャルが起きたので遠慮なく腹を抱え、大笑して送り出してくれたガンダルフに恨み事を呟きつつ、自分もさっぱりと簡単な服に着替えたセインがとぼとぼと、ガス灯に照らされる夜道を、キャルの手を取って歩く。
ガンダルフとギャンガルドが、今後も交流を保つだろう事は分かっているので、今夜の事は内密にしてくれないかと切に思うが、きっとそれも無駄な事だろう。
「キャル、皆に会ったら、帰ってすぐ寝るんだよ?君は育ちざかりなんだからね!」
「分かってるわよ!寝る子は育つんでしょ?」
珍しく素直なキャルに、セインが一瞬ぎょっとする。
しかし顔には出さない。出したら足を踏まれるに決まっている。
こういうとこが、駄目なんだろうなあ、とは思っても、キャルと出会ってから、すっかり習慣になってしまっているので、もう諦める事にした。
「またいつ、ザラムントに襲われるか分からないんだから、離れちゃ駄目だよ」
「分かってるわよ。でも、襲って来たてあたしだってハンターのはしくれよ?大丈夫!」
「えー?」
キャルの腕前は充分に理解しているし、この時間まであの連中がうろうろしているのも考えにくい。きっと今頃は、夜通しの宴に自分たちの有利になりそうな情報を集めて暗躍している事だろう。
明日にはこの祭りも落ち着く。情報を得るには今夜が格好の舞台なのだから。
「それも、ガンダルフの手のうち何だから、彼は本当に国王に向いているよね」
感心しながら、それでも油断しないに越したことは無いと、セインはキャルの手を握る自分の手に力を込める。
ふと、潮の香りをかいだ。
「あ」
見れば、月夜に照らされる水面に、巨大な帆船が、やはり月明かりに照らされて姿を現した。
「クイーンだ」
懐かしい船の愛称を呟く。
初めて彼女を見たときも思ったが、美しい船だ。
あの時も、宵闇の中、月に照らされてキラキラと輝いていた。