2-3-2.
わたしの心配をよそに、子猫はあっという間に元気になった。
単純にお腹がすいていただけだったのかも、と感心するほどによく水を飲み、ごはんを食べてくれたのだ。
三日が経つ頃には見事な毛づやを取り戻し、一週間が経った今ではわたしの膝の上で、余裕のお昼寝をキメている。
この子の名前は、ソルトに決めた。
薄い三毛模様を見て、「お塩みたい」とぽつりとつぶやいたシェリル姉様の一言が、妙にツボだったのだ。
それから、ソルトは飼い猫ではなさそうだった。
前世と同じく、この世界にも動物と暮らす習慣はある。
しかしソルトのような、前世の家猫そっくりの動物は、誰も知らなかった。
野生の獣なら野に返すべき、とのお父様の主張に対して、わたしはめちゃくちゃ食い下がった。だって、どう見ても家猫だし、子猫なんだもの。
せめて元気になるまで、絶対に面倒を見るから、と言い張って、どうにか了承を得た。
何を隠そう、わたしは超がつく猫好きだ。
前世は激務過ぎて、とてもおねこさまをお迎えする環境は作れず、諦めていた。
そこへ、どう見ても家猫スタイルのソルトが、わたしの前に出てきてくれた。
これはもう、前世越しの夢を叶えるチャンス到来ではないか。もちろん、本当の家族があの枯れた森で見つかれば、きちんと返すつもりだけど。
それが伝わったのかどうなのか、ソルトは今のところ、わたしによく懐いてくれている。
わたしの魔法をすぐそばで眺めたり、勉強中に膝で寝たりするのが大好きで、今日も元気に膝の上である。
「シェリル姉様、来てくれてありがとう。ごめんね、本当はわたしの方から行くべきなのに」
「いいよ、そのかわりちょっとソルト撫でさせて」
今日はシェリル姉様と約束をしてあった。魔法の検証に行き詰まっていたからだ。
ソルトに出会う少し前、お父様がなぞっても発動しなかった魔法式は、わたしがやるとどうしてもうまくいってしまう。
ひとりで解決しきれないなら、誰かに相談してしまうに限る。
これが前世なら、ひとまずネット検索か生成AIにヒアリングかというところだけど、この世界にはどちらもない。
今回の人生では、ひとりで抱え込まない、無理しないをスローガンにしているわたしは、ひとまずノートの持ち主であるシェリル姉様に相談してみることにしたのだ。
ちょうど、魔法式をお父様たちに見せたあの場にも、いなかったしね。
「ふうん。これが私のノートから写した式なのね」
「そうなの。でもお父様になぞってもらったら、うまくいかなくて」
「気を悪くしないでね? 見た感じ、ほとんど別のものに見えるかも。こっちの、私が書いた方でやってみた?」
「むう……ちょっとやってみるね」
みんなと同じ感想を言われてしまった。
少しふくれながら、もとの式で魔法を使ってみる。もちろん、ちゃんと魔法は発動してくれる。それはそうだよね、こっちがお手本なんだから。
「やっぱり今は、繰り返し練習して形を覚えるのがいいんじゃない?」
今は、か。シェリル姉様の意見には一理ある。
魔法式をこねくり回してばかりいたから、反復練習が足りなかった可能性は大いにある。
だから、わたし自身は改良した魔法式をなぞったつもりで、実は無意識に、もとの式で魔法を使ってしまっていたのかもしれない。
それなら、わたしだけ発動できてしまう理由としても、一応の辻褄は合う。
本を読んで知識は身についても、実際に使っていかないとすぐに忘れてしまう。きっとそういうものなのだ。
「わかった、ありがとう」
それからわたしは、シェリル姉様の魔法式と、わたしが改良した魔法式を交互に使って、何度も繰り返し練習をしてみた。
せっかくだからどちらも使えるように、なおかつ違いがわかるようにしたかった。そして、気付いてしまった。
「おかしくない!? 改良したつもりの方が疲れるなんて」
効率をよくしたはずなのに、普通に魔法を使う時より燃費が悪い。大きな声が出てしまったので、ソルトがぴくりと耳を動かす。
「待って、ひとつずつやってみよう」
まずは、繰り返し処理を削除した部分だけ、もとに戻してみる。
「あんまり効果なし……それじゃあこっちは?」
自動でやってくれているはずの、土を固める処理を元通りに書き直してみた。
「すごく楽になった。じゃあこれのせいなんだ……何が違うんだろ」
燃費は悪いのに、自動処理の方が明らかに、固めた土の質がいい。カットもしやすいし、固さはわたしの感覚で自由になるし、つやをどうするかも自由自在だ。
「……わかってきた。土を固める処理は、わたしが無意識に組み込んじゃってるんだ」
魔法式の中で明確に、土を固めてねと指示すればそちらに従う。そうでない場合は無意識にやってしまう。無意識にやってしまう方が燃費が悪いから、結果的に疲れる。
でもこれ、なんだろう。うまく表現できないけど、魔法とは違う感覚のような気がする。
他にも色々試した結果、魔法式に組み込まなくても自動で処理してしまうのは、土を固めたり形を変えたりするところだけみたいだ。限定的に、謎の力が働いているのだ。
「ねえ、ソニア。魔法以外にも、特別な力ってあるの?」
「ございますよ」
「そうなんだ、どういう力があるの?」
「魔法と対をなす力として、スキルがございます。魔法は精霊から、スキルは女神から授けられるそうですよ」
「例えば、土をギュッと固めたりとかも、スキルでできる?」
「ええ、それでしたら『結晶化』というスキルがございます」
「あんまり珍しいスキルじゃなさそう?」
「まあそう、ですね……限られた血統の皆様しか使うことを許されない魔法と違って、スキルは血に左右されず発現するものですし、結晶化のスキルは珍しいものではないかと」
「そっかあ。ありがと」
どういたしまして、クリスお嬢様は好奇心旺盛な上に勉強熱心でいらっしゃいますね、とソニアがいつもの褒め殺しモードに入っていく。
それを困り笑顔で聞き流しつつ、少しだけがっかりしてしまったのはないしょだ。
もしかして、魔法はそれなりでも、他の特別な力があるのかもってちょっと期待しそうになていたからね。先に聞いておいてよかった。
珍しいものではなかったけど、力の正体がわかったのは一歩前進だ。
わたしが無意識にやっているのは、『結晶化』スキルで間違いなさそうだ。
つまり、わたしが改良できたと思い込んでいた魔法式は、無意識に発動させていたスキルありきの形になっていたのだ。
まずは正しい形を覚えようと、みんなが口を揃えて教えてくれた意味がわかった。
魔法の勉強をしているのに、スキルを差し込んだ形で覚えていたら、それはきちんと魔法を使っていることにならないわけでしょ?
ソニアがあっさり教えてくれるくらい、スキルはメジャーなものらしい。本当はきっとみんなも使えるけど、魔法は魔法としてやっているのだろう。
まずはそれぞれ別々に使いこなせるようにしよう。自分流にアレンジするのはそれからだ。
形を整えたり、カットしたりする精度はスキルの方が高そうだから、魔法式はきちんと正しい形で書いて、そこに混ぜ込めたらおもしろそうだよね。
「よおし、頑張るよ!」
また大きな声を出してしまったので、膝の上のソルトが不満そうに、みいと鳴いた。