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クレイマスター家では、魔法教育は七歳からと決められている。
これは、過去に現れた悪しき魔法使いの傾向に由来する。その多くが、幼少期から魔法に触れていたというのだ。
中には、産声がわりに魔法を撃ちあげたスーパーベイビーもいたとかいないとか。なにそれこわい、母子ともにご無事でしたか?
とにかく、お酒は二十歳になってから、魔法は七歳になってから、というわけだ。
このルール自体は、わからない話ではない。
才能ある魔法使いは、幼い頃から魔法が使える。
そうすると、この世界における魔法至上主義の基準にしたがって、ちやほやされる。
結果的に天狗になって、悪い道に進んでしまうと。あるある。よくある。
その点、わたしについてはご安心あれ。なんといっても、中身は成人済みなのだ。
そもそもわたしの魔法の才能は、この間のパーティーでお察しレベルだ。天狗になれるほどのものは持っていないし、七歳まで魔法禁止にする必要はないと思うのよ。
「それで、そんなに膨れて僕のところに来たんだね」
「お父様もお母様も、あんなに褒めてくれたのに。いざお勉強したいって言ったら七歳まで待ってね、はひどいと思うの」
「きっと心配しているんだよ。かわいいクリスが、悪い子になっちゃうんじゃないかって」
「じゃあエル兄様は、七歳より前に一度も魔法を使ったことはない? 神様とご先祖様と、わたしに誓って?」
「ええ!? まあうん、こっそり練習はしてた……かな?」
「ね! でしょ!? 七歳より前に魔法を使っても、エル兄様はこんなに素敵でカッコよくて優しいお兄様に育っているじゃない」
「クリスにそこまで言ってもらえると、照れちゃうな」
エル兄様が、まんざらでもない顔になる。もう一押しだ。
「だからお願い。エル兄様のご本を、ないしょでちょっとだけ見せてほしいの!」
「そうだね、ちょっとだけなら」
「ストップ! お兄様、甘すぎるでしょ! 理由があるから禁止されているのに」
惜しい、あと一息だったのに。
お母様譲りの芯の強さと突っ込みスキルを持つ、シェリル姉様のご登場である。
あまり無理を言って、ふたりがお父様とお母様に怒られるのは本意ではないし、出直すしかないか。一ページだけでも見せてもらえたら、さっと覚えて検証するのに。
「クリスも、急にどうしたの? この間のパーティーから、すごくハキハキしゃべるようになった気がするし、お母様の話じゃないけど、なんだか急に大人になったみたい」
「え! お、おとなに!? いくつくらいに見えます!?」
またしても、わたしは何を口走っているのか。あまりにストレートに言い当てられて、あわあわと手を振るわたしを見て、シェリル姉様が小さく噴き出した。
「冗談よ! 私も初めてパーティーに出た後はそうだったし、背伸びしたい気持ちもわかるわ、おませさん!」
え、かわいい。
背伸びしたい気持ちもわかるけど、なんてそれこそおませな言い方をしているシェリル姉様だって、まだ十歳なのに。
突然の尊さのシャワーに涙腺が崩壊直前のわたしを、まさしく背伸びしたい幼女がうるうるしていると思ってくれたのか、シェリル姉様がわたしの頭にそっと手を置いた。
これもきっと、お母様の真似をしているのだと思うだけで、尊すぎる。大粒の涙が、ここから出せと叫びちらす。
「お父様とお母様に、絶対ないしょにできる?」
「……シェリルだって、クリスに甘いじゃないか」
苦笑いのエル兄様と満足げなシェリル姉様を順番に見て、わたしはこくこくと頷く。
「絶対ないしょにする」
「わかった。ご本は貸してあげられないけど、もう使っていないノートを一冊だけ貸してあげる。一番最初に使った、簡単な魔法が書いてあるから」
わあ、と大喜びするわたしに、ただし、とシェリル姉様が人差し指を立てる。
「みんながクリスを心配しているんだってことは、忘れないでね?」
「わかった。悪い子にならないように頑張る」
「クリスが無理をしすぎて具合が悪くなっちゃうのも、みんな心配するからね」
「……無理もしないようにする」
シェリル姉様とエル兄様の優しい忠告に、わたしは素直に応じた。
クレイマスター家の地位向上を目指したいので、なんていきなり言い出してもびっくりされるだけだし、何をどこまでできるのかも、まだわからない。
今はただ、ふたりの優しさに甘えつつ、家族に迷惑や心配をかけないようにしようと素直に思った。
シェリル姉様からノートを借りて、お礼を言って自室に戻る。
ノートと言っても、現代日本のようにきちんとしたものではない。少しごわごわした質感の紙束を、ざっくり糸で綴じたものだ。
しかし、それが逆にいい。このレトロな感じ、かなり好きかもしれない。
ソニアにも、シェリル姉様にノートを借りた話はないしょにしてもらうようお願いをして、部屋から締め出した。
兄妹で会話している時は少し離れてもらっていたし、何のノートを借りたかは話していない。それでも、わたしがノートを広げて魔法を唱え始めれば、ソニアの立場上、ないしょにしておくわけにはいかないだろう。
ソニアは、嘘が得意なタイプには見えない。シェリル姉様との秘密の約束だから、とノートを借りた話そのものをないしょにしておいてもらう方が、彼女の精神衛生上にもよさそうだ。
ノートを借りるついでに、シェリル姉様に魔法の基礎も教えてもらった。基礎というか、概念というか。
魔法は基本的に、属性ごとに伝わる魔法式を覚えて、なぞることで使えるようになる。
この魔法式の形はこういう魔法、というのを覚えるのがメインで、あとはその通りに魔力でなぞる流れを、経験でつかんでいくのだという。
ふむふむと大人しく聞いていたものの、正直言って怖すぎやしませんか。
個人的に、プログラミングで一番怖いのは、ちゃんと動いてくれない時ではない。なんだかわからないまま、動いてしまった時だ。
よくわからないまま動いてしまったら、どこかで変な動きをし始めても直せないじゃない。だって、わからないんだから。
「よかった……なんとなく読めそう」
ノートを開いてみて、その心配はどうやら杞憂に終わってくれそうだった。
わたしが最初に開いたページは、簡単な土の塊を出す魔法の式だ。読んでいくと、魔法を使うための大きな式の中に、いくつかの細かい式が書いてある。
魔法式の起動処理、流した魔力に見合う土の塊を作る処理、作った土の塊を出力する処理、最後に魔法の効果をクリアする処理……大体こんな感じだ。
魔法式の構築にどこかで失敗したら、処理をクリアして終了する処理がところどころに入っているから、暴発したりもしなさそう。プログラミングでいうところの、エラー処理だね。
シェリル姉様はまだ十歳だ。まずは魔法式を形で覚えて、魔力を流す感覚を身に着けているところなのかもしれない。
前世のプログラミングと違うのは、式をなぞるのに魔力が必要なところだ。
こればかりは、キーボードを叩けば完成、というわけにはいかない。
魔法を動かすエネルギーである、魔力を扱う感覚や経験を磨いていく必要がある。
最初の数年は、魔力を扱う感覚を磨くことに重点を置いた、教育方針なのかもしれない。
わたしは、前世の知識のおかげで、魔法式をすんなり読めている。言ってみれば、座学だけは中級者から入れている状態だから、アプローチが違って当然だ。
「次の魔法がこれで……その次がこれ、と。起動する処理がいくつかあって、最初に魔法の系統を決めてるっぽい?」
魔力を流す処理にも、種類がある。決まった量しか魔法式に流れないように指定されているものもあれば、魔力を流した量によって出力される魔法の威力が変わるものもある。
自分で流す魔力の量を指定できる方が、当然ながら自由度は高いけど、扱いが難しそうだ。
このノートは初心者用だけあって、土の塊を出すよとか、土を板状にして出すよとか、そういう魔法が載っている。
お父様やエル兄様がパーティーの余興でやっていたような、自由に形をデザインできる魔法は、どうしているのだろう。
どういう処理にするか、自由に書いていける書き方があるのかな。それか、紋章を作るための個別の式があるとか?
「やば、おもしろい……もっと知りたい! 捗っちゃう!」
前世から、コツコツ学んでいくのは好きだった。
なんとなく式が読めるのも手伝って、わたしは時間を忘れてノートの解読に没頭した。そしてその中で、さっそくいくつかの課題に気がついた。
「最後に必ず、全部クリアしてるみたい?」
土の塊を作るとか、土を変化させて石にするとか、基本的な魔法が書かれているだけあって、仕組みは単純なものが多い。
ただし、どの魔法も最後は、発動した後でクリアするように指定されている。
「初心者向けのお勉強用か、貴族社会だからかな?」
きっとそうだ。パーティーの余興で、お父様とエル兄様が作った紋章もそうだった。
あの場で見た、他の属性の魔法も同じだったはずだ。
考えてみれば、魔法を発動した分だけ、その場に炎とか土の塊がわいわい残っていたら、後片付けが大変だ。
発動後に消えてくれる魔法から学んでいくのは、貴族社会の理に適っているのだろう。
「ああでも、うずうずする。これとこれを書き換えたらいいと思うんだよね……!」
やっちゃう?
やっちゃいますか?
無理をしないと約束した手前、ないしょのないしょになってしまうけど!
よし、クリアする処理は取ってしまおう。
だって、すぐに消えてしまったら、細かい精度がわからないじゃない?
それに、手元に自分が作ったものがあった方が、実感が湧いて嬉しくなるし。
どうせなら、他にも気になっている処理があるから、そちらも色々試してみたい。
土を固める処理は、魔力を流した時に自動でやってくれていそうだから、省略したい。
無駄な繰り返し処理も、消してしまいたい。
ああ、自分用のノートが欲しくなってきた。
まだ意味がわからない、おまじないみたいな記号があるから、他の魔法式と見比べて意味を調べておきたいし、どの処理がどういう意味なのかをきちんと整理したい。
変更した履歴を残しておきたいし、魔法式を書き換えるにしても、ノートはいる。
お絵描きしたいからノートが欲しいと言えば、買ってもらえるだろうか。
わたしは、シェリル姉様から借りたノートを引き出しにしまって、部屋を飛び出した。




