4-3-1.
目の前には、木々が豊かな葉をのびのびと茂らせて、風にその枝を揺らしている。
どれもまだ若いようで背は低く、よく晴れた空とのコントラストがとても綺麗だ。
なんて素敵な景色なの!
お散歩の途中や、旅先でこれを眺めていたのなら、手を叩いて無邪気に感動できただろう。
非常に残念だ。今はお散歩の途中でも、ましてや家族旅行の最中でもない。
左右を見上げれば、口をあんぐりと開けた家族の顔が並んでいる。そっと後ろを振り向けば、もう好きにしてくださいと言わんばかりに、ソニアが半笑いで首を横に振っていた。
「一カ月ちょっと、だったかな?」
探るように、お父様が口を開く。
視線は目の前の木々に固定されているけど、家族の誰かに話しかけているのは間違いない。
「すごいわね、大昔からずっと枯れたままの森だったのに」
「……危険はないのかな?」
お母様がお父様のあいまいな問いかけに反応し、エル兄様がそれに続く。
「嫌な感じはしない……よね?」
シェリル姉様が、少し不安そうにしながら頑張って笑顔をつくる。
ことの発端は、残念ながらまたしても、わたしが思いついた例の件だ。
魔力濃度の濃い川を実際にこの目で見て、魔力の結晶化を思いついてから、これならいけると思った。
あの時に思いついたままとはいかなかったけど、魔法式へのスキル組み込みも、魔法の自動発動も成功して、川の魔力濃度を薄める仕組みを動かしたのが、約一カ月前だ。
川の上流に、魔力を結晶にして取り出す仕組みを入れて、魔力を結晶化させて川全体の魔力濃度を薄める。取り出した結晶は、閉鎖中だった近くの水路を開放して流し、流した先で結晶化を解除する魔法式を組み込んだ。
うまくその水路に魔力結晶が流れてくれるように、結晶の大きさや形を調節したり、結晶化の仕組みを入れる位置を入れ替えたり、準備にはまあまあ時間がかかったし、色々な人に協力してもらった。
魔力濃度を薄めた川の水は、まずは限られた地域に限定して使ってもらうことにした。
最初から城塞都市や周辺全体でその水を使ってしまうと、うまくいかなかった時に大変だからということで、そのあたりはお父様が調整してくれた。
この取り組みがうまくいけば、城塞都市近辺の畑で使う水は適度な魔力濃度に薄められ、全体的な水不足が解消に向かうはずだったのだ。
まさしく領民みんなが一丸となって、暮らしをよくしようと頑張ったのに、まさかこんなことになるなんて。
原因は、閉鎖していた水路を開放して逃がした、高濃度の魔力水だ。
この水路の先には、お母様が言った通り、大昔に枯れてしまったという森の跡地があった。ソルトを見つけたあの森だ。
ソルトの家族を探しに何度も来ていたところだし、改めて調査もしてもらって、ここに流しても問題はないだろうとの結論を、その時は出したのだ。
そうして水を流し始めて一カ月で、元気いっぱいの森が出現したというわけ。
「……全部切っちゃったりしないよね?」
おそるおそる聞いてみる。
なんとなく、嫌な感じはしない。シェリル姉様の意見にわたしも賛成だ。
ソルトと出会ったところだから、という思い出補正はある。それを抜きにしても、木々が生気に満ちていて、心地よい気持ちになるのだ。
前世でいうところの森林浴をしたら、思いっきり元気をもらえそうな雰囲気だ。
奥の方に見える一番大きな木なんて、濃度を薄める前の川と同じように、魔力を纏ってぼんやりと光っている。その光がとてもやわらかくて、すごくいい雰囲気なのだ。
若木ばかりとはいえ、たった一カ月で森が出現するのは普通ではない。
普通ではないけど、この森は大丈夫なのでは、という思いが強かった。
「もちろん、いきなりそんなことはしないよ」
「まずはきちんと調査してみないとね。残念だけど、川の魔力を薄める仕掛けはいったん止めた方がいいかな」
お父様とエル兄様に言われ、少し安心しつつも悲しい気持ちがくすぶっている。
調査が完了するまで、この森に高濃度の魔力水を流し続けるわけにはいかないのはわかる。ただ、魔力水を流さなくなって、あっという間に森が枯れてしまったら、すごく残念だ。
「危ないものがないかどうか、調べるだけよ」
泣きそうになっているわたしに気付いたのか、お母様が優しく言ってくれる。
頷いて、頭を切り替える。これからの動き方を考えなくてはいけない。
まずは水路を一時的に閉鎖して、試験的に運用中の畑を担当してくれている領民のみんなへの説明が必要だ。
ひととおり設備を確認して、水を止めても大丈夫になったら、魔力を結晶化する仕組みを入れたところの魔法式を組み替える。
「さっそく戻って、みんなに伝えよう。クリスの方は準備にどれくらいかかるかな?」
「特別な準備はしなくても大丈夫だよ。すぐでも大丈夫」
魔法式の方は、いざという時にすぐ止められるようにしてあるから、スイッチを切り替えるような感覚で変更できる。
「……クリス、どうか落ち込まないでおくれ。みんなで考えて、挑戦していくことが大事なのだからね」
「私たちも色々と手を尽くしてきたつもりだけれど、本当の意味でそれを教えてくれたのは、あなたなのよ。もし今回がうまくいかなくても、また次の方法を考えましょう?」
お父様とお母様の言葉に、笑顔を返す。
そうだよね。全部が全部、うまくいくわけがない。そういう時にまた走りだせるかどうかが大切だと、わたしも思う。
みんなで森に背を向けたその時、びゅうとひときわ強い風が吹いて、さらさらと木々の葉を揺らした。
ふわりと光の粒に頬を撫でられて、振り向く。
「え? ソルト!?」
隣にいたはずのソルトが、魔力光をまとった一番大きな木の根本に移動していていた。
それだけなら、こんなに驚く必要はなかった。
わたしが声をあげたのは、ソルトの全身が、木と同じようにぼんやり光っていたからだ。
木と共鳴するように明滅を始めたソルトが、みいみいと嬉しそうに鳴く。
「大きくなってる!?」
光に包まれ、明滅を続けるソルトの身体が、ぐんぐん大きくなっていく。
五歳のわたしの肩に乗っかれるくらいのサイズだったのに、今では座った状態で、お父様の身長に届きそうだ。
とはいえ、猫として成長した感じではなくて、見た目は子猫のままだ。
当のソルトは高くなった視界に慣れないのか、きょろきょろしている。それから、わたしに気付いて狙いを定めると、一目散に駆け寄ってきた。
いつものノリで身体をすりつけ、そのままわたしに飛び乗ろうとして――
「わあ、大きくなってもかわいいしやわらか……ってちょっと待った待って待っておもいしぬギブギブギブ!」
わたしの本気の叫びとタップに必死さを感じてくれたのか、ソルトがさっと飛びのく。
普段から話しかけておいて! 本当によかったね! あやうくかわい死ぬところだよ!
「クリスお嬢様、ご無事で!? いったいどうなっているのですか!?」
「ソルト、実はやっぱり魔物だったとか?」
「ちょいちょい! 土の精霊様を魔物呼ばわりしちゃダメっす!」
シェリル姉様の言葉に、食い気味にかみついてきた言葉の飛んできた方を見ると、光る木の後ろから、するりと人影が姿を現した。
そこにいたのは、前世でファンタジーものの映画に出てきたような、金髪で青い目をした、耳のとがったエルフのお姉さんだった。
綺麗、とシェリル姉様がつぶやく。
確かに、絵にかいたような金髪碧眼で、すごく綺麗な人だ。
服装としては、ソニアの雰囲気に近い。動くのに邪魔にならなさそうな鎧というか、鎧のパーツと服を組み合わせたような感じだ。
「あなたはどなたでしょうか? そして、土の精霊様とおっしゃいましたか?」
ソニアが、それとなく姿勢を変えた。これは、槍をさっと構えられる姿勢だ。木の後ろからいきなり知らない人が出てきたら、警戒するよね。
「そっすよ、土の精霊様っす」
「ソルトが精霊……?」
「ほうほうなるほど、あなたっすね」
やけに軽い感じのエルフのお姉さんが、わたしの方に一歩踏み出す。
それにあわせて、ソニアがわたしの前にすっと出た。
今度は完全に槍を構えて、切っ先をエルフのお姉さんに向けている。
「どなたですか、とお聞きしたはずです。素性のわからない方を、お嬢様方に近づかせるわけにはまいりません」
「おっと、失礼いたしましたっす」
エルフのお姉さんが、敵意がないことを示すように、両手を上にあげてみせた。整った顔立ちが、にへらとゆるい笑顔に変わる。
「私は風の精霊、エアっす。土の精霊様の命の恩人で、しかも神樹まで復活させてくださったそちらの方に、神樹の守り手としてお礼を言わせてほしいだけっす」
精霊はめったに人前に姿を現さず、人生で一回も会えない人の方が多いのだという。
それなのに、自称とはいえそんな精霊がふたり……というかひとりと一匹?
とにかく、揃って目の前に姿を見せている。
そしてその後ろにあるのは、本当に存在するのかもはや疑わしい、と書かれている本もあるくらいの、伝説の神樹だというのだ。
いきなり森が現れてからのこの流れ、さすがにそろそろキャパがついていかない。