SideB.ソニアの葛藤
もう限界だ。
今日こそ聞こう。これ以上は、私の気持ちが持たない。
「クリスお嬢様、その素敵な置物は、どうされたのですか?」
よし、これは自然に聞けただろう。私は表向きは平静を保ったまま、まるで今気づいたかのように笑顔で問いかけた。
クリスお嬢様は、妙なところでとんでもない勘の良さを発揮されるので、年上の女性を相手にしているような気分になる時がある。
四歳とはいえ、さすがは公爵家のご令嬢だ。気品と才覚に溢れていらっしゃる。
「これ? わたしが作ったの」
私が意を決して作り上げた平静は、一瞬で音を立てて崩れ落ちた。
ぶくぶくと口から泡を吹いて、仰向けに倒れてしまいたい気持ちだった。
少しだけ、本当に泡は吹いてしまったかもしれない。クリスお嬢様には気付かれなかったようで助かった。
落ち着いて、もう少しきちんと確かめなくては。
「クリスお嬢様が、おつくりになられたのですか?」
「うん、そうだよ!」
「魔法のお勉強中に、彫刻をされていたのでしょうか? いえ、クリスお嬢様がどのように時間を使われても、まったく問題はありませんとも。ただその、あまりにも気になったもので」
「魔法のお勉強だよ? ソルトをイメージして魔法で作ったの。どうかな、ちゃんとソルトに見える?」
「もちろんでございます。大変よくできていると思います! 本当に!」
ソルトのもふもふした毛並みを見事に再現しているのはもちろん、毛並みによって質感が微妙に変えてある。きらめく瞳は本当に生きているようで、肉球はぷっくりとやわらかそうだ。
よくできているどころではない。できすぎている。
クリスお嬢様のお話を信じるなら、魔法でこの精巧な彫刻を作ったらしい。
魔法で、彫刻を、作る?
彫刻どころか、泥ひとつだって、魔法を使った後には残らないはずなのに?
「もう少しでね、お父様とエル兄様がいつかのパーティーで作っていたみたいな、綺麗な紋章もできそうなの。できたら見てくれる?」
「ももも、もちろんでございます!」
クリスお嬢様を疑うわけではないけれど、この愛くるしい笑顔を曇らせないためにも、事実を確認しておく必要がある。
私だって、まがりなりにも冒険者をやってきて、この世界の魔法がどういうものかは知っているつもりだ。
もしも、クリスお嬢様が魔法の勉強をしていく中で、何かを魔法の効果と勘違いされているのであれば、やんわりと傷つけないように気付かせてさしあげるのが、専属メイドたる私の務めだろう。
なんなら、誤解を解いた私を信頼し、将来にわたって専属メイドとしてかわいがっていただけるかもしれない。今も一生懸命に、イメージを膨らませるためなのか、クレイマスター家の紋章をノートに描いていらっしゃる。とても愛らしい。
「あの、クリスお嬢様におうかがいしたいことが……ってちょっと待って! なんそれえ! あ、いえ、とんだ失礼を……それはいったい?」
クリスお嬢様の膝の上にいたソルトが、びくりとして顔をこちらに向ける。
あまりのことに、立場を忘れて素で反応してしまった。
「紋章を魔法でお絵描きしてるの。立体的に作るより簡単で、魔力調節の練習にもなるから」
クリスお嬢様は、確かに紋章の絵を描いていた。
しかしそれは、筆記用具を使ってのそれではなく、片手で魔法式らしきものをすらすらと走らせて、石で絵を描いていたのだ。
「差支え、なければ、ソルトちゃんの、像を作るところも、見せていただけたりは……?」
私は、息も絶え絶えになりながら、なんとか言葉を絞り出す。
「いいよ、ちょっと待ってね! ていていっ!」
気合を入れたのか、かわいらしい掛け声とともに、クリスお嬢様はさきほどより複雑そうな魔法式をぐるぐると躍らせた。
するとどうだろう。部屋に飾ってあるものとは違うポーズをとった、ソルトの彫刻が出来上がっていくではないか。
遠のく意識をどうにかつなぎ止め、感動のあまり勝手に目じりから出ていこうとする水分を無理やり押し戻して、私は一部始終を確かに見た。
奇跡だ。目の前で奇跡が起きている。
私にはもはや、何がどうなっているのかすらわからない。
紋章にしても彫刻にしても、私が知る魔法の常識を逸脱している。とんでもなく複雑かつ精密な、魔力操作技術だ。
「この魔法……私以外にも披露されましたか?」
声が震える。
どうか、まだ秘密であってくれ。
もしこれが、よからぬ考えを持つ輩に知られれば、大変な事件になる。
「ソニアに見せたのが初めてだよ」
なんだか恥ずかしそうに、クリスお嬢様が答えてくれる。
なんとおかわいい……じゃなくて、少しだけホッとした。
「ソニアもみんなに言わないでほしいな、魔法式もまだまだ変えたいし」
「魔法式を……デスカ?」
丁寧語らしき鳴き声をどうにか最後にくっつけられた自分に、スタンディングオベーションを送りたい。ぱりっとした正装のメイド服を着込んだ私を千人規模で立たせ、背筋を伸ばして両手を打ち鳴らす、特大のやつをだ。
クリスお嬢様は、魔法式を変えたいとおっしゃらなかったか?
「うん。魔力を流しておく箱を分けて、役割別に使った方がいいのかなって。そうすると、ここはこうなるから――」
今度こそ膝から崩れ落ちた私を、手元にある魔法式を覗き込んだと勘違いしてくれたらしいクリスお嬢様が、嬉しそうに解説を続ける。
ご安心ください。私にはその記号と図形の羅列を見ても、清々しいほど何もわかりません。
「確か、シェリルお嬢様のノートに書かれた魔法は、発動すると消えていましたよね?」
「あれは練習しやすいように、使った後で消える魔法を教えてくれたの。シェリル姉様もエル兄様も優しいよね。そうだ、わたしが勝手に魔法式を書き換えてるのも、できればないしょにしてほしいかも……!」
魔法式は基本的に、形で覚えるものだという認識だ。
解読に取り組んでいるのはごく一部の学者先生くらいなもので、実際に魔法を操る貴族の皆様も、魔法式のどの部分がどんな役割を担っているかを理解してはいない……はずだ。
それが、魔法式を解読して、改良に取り組んでいるですって?
「こっちもちゃんと、練習はしてるんだ」
そう言って、クリスお嬢様は先ほどの彫像を作る魔法をもう一度見せてくれた。
今度は、仰向けポーズのソルトが現れたかと思うと、すうと消える。つまり、私が認識している魔法だ。
これだけ目の前で実演されれば、信じないわけにはいかない。
練習用に……か。クリスお嬢様はどうやら本当に、この世界の魔法の常識を知らずに、おひとりでここまで辿り着いたらしい。
紛れもない天才だ。
それを伝えようとして、思いとどまる。
ここで、お嬢様は天才です、奇跡です、私の癒しですと伝えてしまっていいものか。
「先ほどのソルトちゃんの像、いただいても……?」
「わ、気に入ってくれたんだ! でもどうしようかな。まだないしょだし」
「……そうですよね」
言えない。
アレクシス様やハンナ様に報告するために、証拠が欲しいだなんて。
「でもいいよ、はいどうぞ!」
「え? よろしいのですか?」
「ソニアには、いつもたくさん助けてもらっているから、お礼!」
「クリスお嬢様……ありがとうございます、ありがとうございます!」
そして、本当に申し訳ありません。
クリスお嬢様をお守りするためにも、これはどうしても報告しなければならないのです。
その結果、私がクリスお嬢様に嫌われてしまったとしても、私はクリスお嬢様の安全をとりますとも!
私は、クリスお嬢様が差し出してくださった彫像を、うやうやしく両手で受け取った。




