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第二十二話 斜陽と影

 言葉の意味が分からなくなって、停止した思考をなんとか動かそうと、咄嗟に「どういうことですか」と尋ねたら、シャラさんは困ったように目を細めて、その顔に苦笑いを浮かべてしまいました。


「やっぱり、言わないほうが良かったかも……ほんとごめんね。アタシって本当にいつも、言わなくていいこと言っちゃうんだ」

「いえ、それは……いや……」

「大丈夫だよカヤちゃん。本当に一応言っただけって言うか……黒もじゃくんも、きっとめちゃくちゃいい子だと思うし」

「そ、そうですか」

「もちろんさ! だから大丈夫。大丈夫だよ」


 シャラさんはそんな風にして、私の肩にぽすんと手を載せて、にこやかに微笑んでから背を向けました。そうしてどこか急ぎ足で「じゃあね!」とドアの向こう側に消えていく彼女の姿を……咄嗟に引き留めることはできないまま。

 私はただ立ち尽くしたままで、彼女の姿を見送りました。


「不安定、って……?」


 まとまらない思考の答えを求めるように、私は誰に聞かせるでもなく呟いて、先ほどのシャラさんの発言の意図を探ろうと、考え込んでしまいます。


 こう言ってしまうのもなんですが、今日アーフルさんの診療所で、男の子がなにかしでかしてしまったようなことは無かったはずです。どちらかと言えば、彼の振る舞いは穏やかすぎたくらいで……終始自分がここに居てもいいのか、気にするようなそぶりを見せていたわけですから。


 まさか、シャラさんが個人的に男の子のことを嫌っているのでしょうか?

 だから、私と男の子が近づきすぎないように仕向けたのでしょうか?

 いえ、まさかそんなはずはないでしょう。


 確か彼女は直前に、「院長は言ってなかったこと」と前置きをしていたように思います。だとするなら、先ほどの発言はシャラさんとアーフルさんが二人で出した見解であり、その上でアーフルさんは伏せようとした情報であった可能性もあります。


 そして何より、彼女の発言に悪意の色は見られなかったように思います。

 彼は良い子だと言う彼女の言葉は、本心からのものだったようにも思います。


 だとするならば、尚更に。

 一体なぜ、彼女は私にそんな言葉を……?


「カヤさん?」

「あ……はい!」

「大丈夫か……?」


 ずっと立ち尽くしたままで、思考の中に意識を飛ばしていた私の目の前に、男の子の姿が見えました。私の顔を覗き込みつつ、私へ心配そうに声を掛けてくれる男の子の姿がありました。


「ひょっとして、すごく疲れているんじゃないか」

「そ、そんなことはないですよ? 多分」

「そうなのか? でも、無理はしないでくれ」


 その言葉に「大丈夫です」と答えるのは簡単かもしれません。少なくとも、事情を説明するよりはずっと楽で、この場をやり過ごせる選択であるのかもしれません。

 ですが、きっとそれではいけないのでしょう。

 それでは、今目の前にいる彼に向き合えているとは言えないのでしょう。

 それでも、考えのまとまらないうちから、不安だけを共有してしまうのは、どうなのだろうとも思ってしまうわけで。


「……そうですね。やっぱり今日は少し、疲れすぎたかもしれません」

「やっぱりか。だったら今日は、どうかゆっくり休んでくれ。家が遠いなら、昨日みたいに、マスターにお願いしてもいいんじゃないか」

「いやあ、流石にそれはダメですよ。昨日のはきっと特例ですし。今日は今から家に帰って、晩御飯も食べなきゃいけませんから」

「そうか……ごめんなさい。事情がよくわかっていなくて」


 そうやって、少し恥ずかしそうに俯いてこちらを見る、男の子の姿を見ていると……やっぱり彼が悪い人であるようには思えません。

 もちろん、不安定と言う言葉もしっくりきませんし、彼はきっと心の底から純粋に、私のことを案じてくれているのだろうとも思います。


「そろそろ消灯です。お早めに」

「あ、はい! すいません……」


 窓口の奥の方から響いた、そんな言葉に後押しされて、私は男の子にも促しつつ、建物の外へと出ていきます。


 そうやって、建物の外へ出て数歩歩けば、辺りはずいぶんと暗くなっていました。

 私は冒険者ギルドの陰から出るように、太陽の位置を確認してみますが、空はほとんどを雲に覆いつくされてしまっている様子。

 日もずいぶんと西に傾いているとはいえ、夜にはまだ早いのかもしれませんが……この分ではこれからもそう時間も経たぬうちに、あたりは真っ暗闇になってしまうでしょう。


「ずいぶん暗いな。家まで一人で大丈夫だろうか」

「そうですね……って、一人で?」


 言葉の意味がわからなくって、私のすぐ後ろに続いていた男の子へ向けて振り返ると、彼は目を丸くした様子で、こちらを見ていました。それはまるで、私がそうやって尋ねた理由がわからないと言った様子です。


「ああ、俺はもちろん、途中までは送っていくつもりで……」

「あ、いえ、そうじゃなくて。あなたも一緒に帰るんじゃないんですか?」

「……そうなのか?」

「そうでしょう? そうじゃないと、泊まる宿が無いじゃないですか」


 私は当然そうだと思って彼にそう言ってみましたが、彼はまだ何か言いたげな様子です。

 一体何が引っかかっているのでしょうか。

 お金の面で考えても、絶対に私の家に来た方が節約になると思うのですが……。


「それが普通なのか?」

「え?」

「俺は、見ての通り男だろう。カヤさんは……女性なのに、家に招いて大丈夫なのか?」


 数秒の沈黙。考え込んでみて……確かに思い当たる状況。

 言ってしまえば女性が男性を連れ帰る状況と、そのことから一般的な感性を持って予想される事柄について思案してみれば、確かに彼の言いたいことがわかりました。


「あ、あー! すいません! 気づきませんでした!」

「いや、いいんだ。勘違いでなくてよかった」


 つまり彼は、仮にも女性である私が、自分を家に泊めて大丈夫なのかと言いたいわけです。

 言われてみれば確かに私は一人暮らしですし、そうでなくとも、女性一人が男性を連れ帰るような真似をすれば、家の人からどんな目で見られるかなんてわかるはず。彼からすれば、それはもう受け辛い申し出であったことでしょうに、気付けなかったとは反省です。


「でも、あなたは大丈夫なんですか?」

「大丈夫だ。こう見えても、夜を越すあては見つけてある」

「そ、そうなんですね……」


 あてがある、ということは、予めマスターか他の誰かに頼んでおいてくれたのでしょうか。

 だとしても、冬も近いこの状況で、一文無し夜を越すと言うのは、随分勇気のいることだとは思います。


「だったらせめて、これを」


 そう思って、私は腰のベルトに付けっぱなしになっていたポーチから、一握りの革袋を取り出して、中を漁って手渡しました。一握りで取り出せた銀貨は三枚。これだけあれば最悪でも、安宿で一泊するくらいはできるはず。


「これは……なんだ?」

「えっ?」

「銀色で綺麗だが、何に使うんだ」

「あー……えっと……」


 困りました。まさかそこから説明が必要だったとは。

 もちろん、記憶喪失なら仕方のないことではあるはずですが……正直ちょっと想定外です。


「でしたら、私も今から杖を買いに行くので、一緒に使い方を覚えましょうか」

「わかった。何から何まで……迷惑をかける。ごめんなさい」


 そうやってまた微かに俯いた彼の姿を見ていると、なんともいたたまれない気持ちになってしまいます。それでも彼は記憶喪失で、勝手がわからないのは仕方のないことであるはずですし……なにより思うこととして。


「迷惑なんてありませんよ。だって私たち、もう立派な仲間じゃないですか」


 冒険者が仲間同士、助け合うのは普通のことです。崇高な理想でなんでもなく、そうでなくてはいけません。そうでなくては冒険者ギルドが成り立ちませんし、だからこそ互いに信頼と命を預け合う、仲間になることは難しい。


 それでも私と彼は紛れもなく、一度命を預け合った仲間なのです。あの海岸でのやり取りを通して、命を預け合えると確信し、実際に今日も助け合った……仲間なのです。


「私、あなたに会えて嬉しいですから。これからもきっと上手くやれます」


 それはもはや、どこか自分に言い聞かせるように。

 そう思って、私はせめて真っ直ぐに、こちらを見る彼と目を合わせます。

 そうしていると、いつのまにやら。西の曇り空の隙間から姿を現した太陽が、丁度私たちの立つ場所を、照らしてくれたようでした。


 斜陽が視界の端に差し込み、微かに目がくらんでしまいます。


「あなたは……」


 否応なしに、逆光の中に立ち尽くす形となった彼。

 強く陰に覆われた姿の、その顔に映る表情は良く見えません。

 それでも目を逸らすべきでないと思って、私が彼の言葉を待とうとした……。

 その瞬間の、ことでした。



「あなたたちなんて仲間じゃない!!」



 背後から響いた叫び声。悲痛な感情の込められた、魂が叫んでいるような声。

 それはどこか……いえ、確実に聞き覚えのある大声量で、この大通りに響いていました。

 私は咄嗟に振り返り、声の主を探すように眼を向けます。


「おい待てよハロウェ! 戻ってこい!」


 そうして目に入ったのは、三人の人影。引き留める二人の人物と、それを意にも介さず、その場から走り去る黒髪の少女でした。

 黒髪の少女は私の知るハロウェと同じように、黒のケープコートと三角帽子を身に付けていて、その顔を袖で拭いながら、エイビルムの東門へと……。

 日の当たらない影の中へと、走って行ってしまいました。


「……今のは?」

「知り合いです。多分、いえ、絶対にそうです」


 背後から響いた男の子の声に振り向くこともなく、答えながら向かおうとして、気づきます。


『   』


 私はもう、ハロウェの仲間ではないのでした。


 私はもう、彼女とはまるで無関係の人物で、私の仲間はすぐそばにいる男の子なのでした。

 私が今向かい合うべきは、もう他人になったハロウェではなく、たったいま仲間でいてくれている男の子なのでした。


「……なんでもありません。大丈夫」


 そうやって、私はまた自分に言い聞かせるように言い、ちゃんと背後へ振り返ります。

 そうやって彼女を追いたい気持ちを投げ捨て、しっかりと目の前の男の子に向かい合います。


「カヤさん……? 大丈夫か?」


 そういう彼の表情は酷く不安気に、私の顔を見ていました。

 話の途中だったこともあるのでしょうが、彼には心配をかけてしまいました。


「大丈夫です。今から一緒に杖を見に行って、お金の使い方を覚えましょう」


 それから私たちは、冒険者区で買い物を済ませて、夜が更ける前に別れました。

 今日はもう、随分と疲れてしまったので、不安感や止まらない思考は一旦保留にして、各々の寝床に……戻りましょう。

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