第十六話 見覚えのあるケトルハット
エイビルムは大きく分けて、4つの区画に分かれています。
一つ目は商業区。西門を入ってすぐのところに広がる区画で、その地面はまだ舗装が甘く、建物が立ち並んでいるというよりは、屋台や出店の形をとった店舗が多く並んでいます。
食品や衣類、その他衛生用品や日用品といった実用的なものが取引される他、奥の方へ行けば行商人向けの工芸品や絵画、貴金属の類を用いた調度品なども見ることができ、その品揃えはかなりのものです。
もっとも、その多くは東の遺跡から発掘された、旧時代の遺物であり、エイビルム自体がたくさんの職人を抱えているわけではないのですが。
さておき、二つ目は居住区です。商業区に入ってすぐのところを北側に進んだ場所にあるそれは、比較的小奇麗な石畳の傍らに、家々が立ち並んではいるのですが……実のところ、居住区とは名ばかりで、その建物のほとんどが宿屋や飲食店を兼ねている、というのがここの珍しいところです。
条件や設備、それに品質もまちまちではありますが、それが例え、冬の寒波が襲い来る、年の暮れ頃であったとしても、エイビルムで宿が取れないということはあり得ません。
本当に、何の贅沢を求めないのであれば、ほとんど無料にも近い形で、麦わらの中で寝泊まりさせてくれる場合もあるといいます。もちろん、真冬にそんなことをすれば、二日で凍死してしまうだろうとは思いますが。
それでもエイビルムの人々が快く、よそ者や旅人に宿を与えてくれるようになったのは、やはりこの街の政がうまくいっている証でしょう。
エイビルムの城壁沿いにずっと北へ行った水門の近く、横一文字に街を貫く用水路を超えて行けば、山肌を削りだしたようにそびえる行政区があり、そこにはこの街を治める領主様がいます。
基本的に用が無ければ立ち入ることの無い場所ですし、私も、実際に領主様に会ったことがあるわけではありませんが、その異名は存じ上げています。
エルジオール・アイアンバンド。
またの名を、鉄結のエルジオール。
彼は元々、帝国に属する軍将の一人であるはずでした。
二十五年前の帝国崩壊と、それに伴う戦火の中を生き抜いた彼は、元々は帝国の城砦の一つだったエイビルムを難民たちの拠り所としただけでなく、自らの私財の全てを投げうって、エイビルムの独立を宣言。
混乱状態にあった周辺都市と連携し、現在まで続く北方都市国家連合の設立や、その他にも数多くの功績を残しました。
その一つが、北方都市国家連合の結束を象徴する復興組織。
冒険者ギルドの設立です。
「なんというか……恐ろしく平和だ」
冒険者ギルドから大通りを通って南の突き当たりへ向かう途中。
隣を歩く男の子が、そんな風に呟いてしまうのも無理はありません。
何故なら今私たちがいる場所、エイビルムを構成する4つの区画のうち、間違いなく最大の面積を占めるこの冒険者区には、当たり前のように武装した、恰幅の良い大人たちが行きかっているのですから。
一応、街の決まりとして、刃をさらけ出した得物を理由もなく手に持って出歩いてはいけないというものはありますが、手に持ちさえしなければ大丈夫。
もちろん、刃の無いものであれば問題ないので、私のような魔法使いは、そのまま杖を地面に突きながら歩いていてもお咎め無しなしですし……。
「そらぁ!!」
なんて掛け声と共に、金属のぶつかり合うような音に振り向けば、藁束や麻布の包みで仕切られたスペースの中で、組手に勤しむ冒険者さんたちの姿も見えます。
「あれは、いいのか」
「大丈夫。いつものことですし、彼らも弁えていますから」
向かい合って、直剣を構え合う二人の男性は、共に身体の大部分を板金鎧で覆っていますし、彼らの持つ武器はすべて、分かりやすく刃を潰してあります。
頭には鎖帷子の頭巾と鉄の鍔広帽も身に付けられていますし、互いに余程の荒くれものでもなければ命にかかわるようなこともないでしょう。
それに今回に関しては、先ほどの一手で決着がついていたようです。
板金鎧を身につけた冒険者らしき二人のうち、片方は地面に剣先をついて、それにもたれるようにして膝を付きました。
「いい勝負だったぜ。立てるか?」
「ああ。今日はこのくらいにしておこう」
流石にじろじろと試合を見ておいて、そのまま立ち去ると言うのも味気ないので、私がぱちぱちと軽く彼らの健闘を称えると、膝を付いた方の冒険者さんが、恥ずかしそうな仕草で「よしてくれ」と手をやりました。
それでも私の姿を見た男の子は、見よう見まねで拍手をしてしまったらしく、それに気づいたもう一人の冒険者さんが、こちらを見て何やら言いたげにしています。
「あれ? 君たちはひょっとして」
そう言って背格好の良い彼は、そのままこちらへ歩いてきました。反射的にか、男の子が少し動揺したような様子で私を見ます。
ですが、実のところ私は直前の冒険者さんの言葉で、ある記憶を辿れていたところでした。心なしか見覚えのあるケトルハットと……腰に下げっぱなしになった二本の長剣にも、どこか見覚えがあったせいでしょうか。
「あなたは、昨日の冒険者さんですか?」
「その通り。てことは君らも今日は休日か?」
やっぱり思った通りです。思えば未だに名前は聞けずにいましたが、彼は丁度昨日、怪我をした馬車馬を治した際に傍にいた、冒険者さんに違いありません。
言いながら彼は、胸に付けていた胸当てを取り外し、頭に被っていたチェインコイフと、ケトルハットを脱いでその顔を見せてくれました。
「珍しい髪色ですね」
「よく言われるよ。焼き過ぎたラズベリーパイみたいな色だって」
赤紫色、と言うのでしょうか。ツーブロックに整えられた彼の髪色は、随分と熟したラズベリーのように濃い色をしていました。この辺りは色素の薄い髪色の人が多いですから、少し珍しく思います。
「おいエンデ、俺はもうメシに行くからな!」
「おうよ。後で一杯奢るって約束、忘れんなよ!」
「チッ、覚えてやがったか……」
目の前の冒険者さんは、どうやらエンデさんというようです。背後で立ち去ろうとした冒険者さんに声をかけられたエンデさんは、ひらひらと手を振りながら冗談っぽく声にこたえて、またすぐにこちらを向き直してくれました。
「えーっと、私も名乗った方がいいですか?」
「どちらでもいいけど、知れた方が俺は嬉しいね」
「ですよね。私、カヤって言います」
「カヤか……いい名前だ。よろしく」
長身の彼はそう言って、私に合わせて膝を折りながら、片手を差し出してくれました。応対する私は、特に迷うこともなくその手を取りつつも、やっぱり反応の意味について考えてしまいます。
私の名前は、獣人の領域ではそう珍しくもない名前ですが、この辺りではそうでもありません。ひょっとしたら、私が半獣人であることもバレてしまったかもしれませんが……まあ、別にそれくらい、仕方のないことだとも思います。
「それで……そっちの君は?」
「ああと、なんというか」
この流れでは当然ではありますが、答えられない質問を受けて、男の子は困ったように唸ります。説明も難しいかもしれませんし、ここは私が代わりに伝えておくべきでしょう。
「実は彼、自分の名前がわからないらしいんですよね」
「ほう……? となると、記憶喪失か」
「まあ、多分」
実のところ、少しだけ驚きました。私も彼に対して、記憶喪失という表現を使いはしましたが、そこまで一般的に受け入れられることもない概念だと思っていたので。
「昔の友人に似たようなやつが居てね。丁度向こうの突き当たりにある診療所に通って、長いこと治療に励んでた」
「向こう、というとアーフルさんの?」
「彼について知ってるのか? まあ有名人だしな」
「そうなんですか? 今から向かうところなんですが、私、全然知らなくて……」
私がそう言って自分の事情を匂わせてみると、彼は「なるほど?」と首を傾げて、直後に考え込むような仕草をしました。
「まあ、どうやって説明することもできる人ではあるが……なんだったら、今から一緒に行ってみるか?」
「いいんですか?」
「ああ。というか、実のところはだな……」
そう言って彼は再び屈みこみ、左手の手袋を外してみせてくれました。中からは白い肌の中に、黒ずんで少し腫れっぽくなった打撲痕が。
「さっきのやつに、一発良いのをもらったんだ。ナイショだぞ?」
そうやって、歯を見せてにかっと彼は笑います。
まだまだ謎の多い人ではありますが、とりあえず悪い人ではなさそうです。




