あなたがやってきた仕事、そんなに簡単でしたか?
私は学生時代、建築学科に籍を置いていました。
留年するほどに不真面目でしたが、ひとつだけ頑張ったものがあります。
「通らなきゃ除籍」という噂がたっていた意匠系の課題です。
内容は「B4ケント紙に鉛筆で大学内風景を写実的に描きなさい」
そして一つの制限がありました「50時間以上かけて描くこと」
それまで「1時間で」「来週まで」のような制限はいくつもありましたが「以上」なんて制限は初めてでした。
私は絵について全くの素人でした。するとどうなるでしょうか?丁寧にじっくり取り組んでも10分ほどで描き終わってしまいます。そしてしっかり下手です。さすがにコレは提出できません。白紙からのリスタートです。
5回、6回と描き改めますが、絵は一向に上達しません。しかし時間のかけ方は分かってきました。真っ白いB4のケント紙に対して、3時間ほどかけられるようになりました。この絵はそこそこ見れるものにはなっていました。しかし50時間かけた絵として提出するにはやはり厳しいものがありました。
またしてもリスタート。今度は30時間かけて描き上げます。
完成した絵はぱっと見、モノクロ写真と間違えるほどの出来になりました。
ちょっと衝撃を受けましたね。「これが俺の描いた絵・・・?」って。
しかし指定された50時間にはあと20時間も足りません。
今の絵にこれ以上線を加えても無駄に汚すだけです。
また白紙からやり直して、初期の線を薄くして、そこに細かい線を重ねていけば50時間になるだろう。そういう計算も出来るようになりました。しかし、それを実行することはありませんでした。50時間の労力はキツいですし、何より30時間を費やした絵をボツにするのが嫌だったのです。
というわけで課題は終了。制限破りの絵でしたが無事、受理されました。除籍にもなりませんでした。
私が大学生をやっていて、「勉強になった」と思えたのはこの課題やった時だけです。
「時間をかけることでしか得られないものがある」というところでしょうか。
だからといって「時間をかければ良いというものではない」という意見に反対するわけでもありません。同意です。でもそんなことを殊更に言ってしまう人間が使う「時間」、その絶対量には懐疑的な見方をせざるを得ません。
ハウツー本の話に戻りましょう。
冲方先生、プロット作りだけできても、小説家ごっこしかできません。
奈良先生、1週間では小説が書けるようにはなりません。ご存じですよね?
久美先生、15分の文章トレーニングの先にあるのは、15分で文章を作る能力でしかありません。
どの先生も「小説を書くには時間がかかる」ということを、嫌というほど知っているはずです。
対象が新人賞にも引っ掛からない素人であるならば特に強調して叩き込むべきです。
持ち前の文章力をもって伝えなければならないのは「こんなに簡単に小説が書けるよ」なんていう誰も得をしないギャグではないのです。「お前は一日何時間空けれるの?それを小説に全振りできる?それならまずは1年かけて―――」そんな本にして欲しかったです。
そういうことです。ちょくちょくと「小説ってホント大変」と愚痴っていた久美沙織先生のハウツー本を私は再度推したいと思います。例の裁判の方も陰ながら応援しています。