おっさんと蜘蛛と恐怖とビターステップ
服をいそいそと畳み、準備運動をしっかりと行っておく。
「ここで溺れたら誰も助けてくれねえからな。
しっかり準備運動をしておかないと。
さてと、準備運動もしたし、あとはこのむっちりボディがしっかりと湖の底まで泳ぎ切ってくれることを祈って。。。
レッツスイミングうううううううううっ!」
そういうと恐る恐る、水底を目指して泳ぎ始めた。
(久しぶりに泳ぐから、いつまで泳げるのか分からんな。。。
とりあえず、足がつったりする前にさっさと潜って、光ってるものを確認しておきますか。)
湖の中心に来たところで、潜水を開始する。
水深は約3mぐらいだろうか、結構深そうだ。
さて、日頃運動もせず、食っちゃねしてビール飲んでるおっさんが、いきなり20分も泳ぐとなったらどうなるか、読者の皆さんはお気づきだろう。
そう、人類の敵、運動不足による肉離れが35歳のおっさんを殺しにかかっていた。
(ふぐっ!こんな時に!右足が肉離れだと!
痛たっ..............きゃあああああああああああああああっ!)
絶叫したくても水中のため、声にならない叫び声をガボガボあげながら、悶絶したところで誰も助けに来るわけもなく、とにかくここまで潜ったのだから手を伸ばしてキラキラ光っていた当たりを手で探る。
(あっやばい、激痛が増してきた。。。あかん!ほんとあかん!
死ぬ、これ冗談抜きで溺れ死ぬ!
そろそろ意識が痛みでもう限界が。。。)
とりあえず手当たり次第手でその場所らしきところをを探り、手に当たった「もの」を握りしめて一気に水上に上がる。
(これで水面に上がれば、日頃の贅肉の浮力で生き残れる!)
「ガボガボっ..............ぷはっ!ぜぇ...ぜぇ...いきなり死ぬところだった...」
なんとか、死に物狂いで水面下に上がりながら、とりあえず肉離れを起こした右足を動かさないようにしつつ、湖の岸に打ちあがる。
「あぁ...泳ぐだけでこれかよおっさん。
マジで、この山から出るのとか無理ゲーだろよ。。。
とりあえず、湖の底で手に握りしめたものを確認すると、どうやら青白くブルー色に輝く涙の形をした宝石だったようだ。
台座などの宝飾はなく、ルミライトのように青白く力強い光を出し続け周囲を照らしている。
「これがどうやら湖を明るく照らしている理由みたいだな。」
宝石を手に握ると、手の中に巨大な力を感じる。
とても大きく、目をつぶるとまるで小さな惑星を握りしめたかのような、圧倒的な大きさの力を実感する。
「なんだこれ。。。恐ろしく強い何かを秘めてる宝石なのは確かだな。
それに宝石を取った後の湖の色がどんどん、普通の水の色に戻っていってる。」
この宝石の効果だったのか、どうやらこの湖は宝石の影響を受ける前の状態に戻りつつあるようだ。
「なんか段々色が元に、いやなんか水面が墨汁で染めたかのように真っ黒になってきてるぞ。
これ、宝石を取ったからってことは...まさか、ここの安置も他の場所と「同じ」になるんじゃ。」
ガサガサと周囲の茂みから狙っていた「獲物」をようやく襲えると、先ほどの人間大の蜘蛛がこちらをじっと見つめていた。
「ひっ...、あいつさっきの蜘蛛かよ。気づかれてないと思ってたのに、俺もターゲットに入っていたのか。
やべぇ、さっさと着替えてここから離れないと。
時間が経つにつれてどんどん状況がヤバくなりそうだ。」
本能的に危険を察知した俺は、蜘蛛を視界に入れながらゆっくりと着替えを済ませる。
そして、石を握り占めながらゆっくりゆっくりと、距離を取っていく。
人間大の蜘蛛も捕食者の目つきで、獲物を逃がすまいと木の合間を飛びながらゆっくりと距離を詰めていく。
ただ、なぜか理由はわからないが即座に襲ってはこないようだ。
なんだ。何があの蜘蛛の襲撃を躊躇させている。
「そうかこの宝石か。」
どうやらこの右手に握りしめる宝石が、目の前の蜘蛛の虐殺を拒んでいるようだ。
こいつが効力をなくしたらその時は、俺があいつにバリバリと食われて終わる時。
一瞬でも気を抜けばすぐさま肉塊になって、モンスターどもの養分に早変わりって寸法だ。
「やべぇ...手の震えが止まんねぇよ。
普通に考えて35歳のおっさんが、蜘蛛のモンスター見てビビらないはずがないだろうよ。」
気が付けば1DKの我が家から死というリアルを突き付けられ、完全に涙と鼻水だらけの表情でパニック状態に陥っていた。
誰しも、自分が「捕食され・食われ・死ぬ」という立場を本能的に理解してしまった時点で、動物とは硬直してしまうものなのだ。
ましてや、人間大のそれはそれは大きくて凶悪な蜘蛛の前では、人は無力にすぎない。
狡猾な蜘蛛は、獲物のその「硬直」をしっかりと感じ取っていた。
あれは獲物であり、自分の恐怖している「捕食する餌」であることを。
ただ、いつもの餌とは違い自分の大嫌いなあの匂いを存分に漂わせている。
湖のあのとてもとても嫌な臭いだった。