表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第1話 北条義時

 そんなつもりはなかったのに、他人から誤解されたことが、私にはあります。

 うっかり約束を忘れただけなのに、最初から約束を守るつもりは無かったのではないか、と他人に邪推されたりとか、懸命に頑張ったけど、結果的にできなかったのに、最初からできないのに、嘘を言ってできます、やります、と言っていたのではないか、と他人に誤解されたりとか。

 それなりに大人になるまで生きている人にしてみれば、自分にもあるある、ということではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。


 趣味で中世の日本史に関する本を読んでいて、あらためて北条義時と足利尊氏も、そういった想いをしていたのではないか、と思って比較のエッセイを書くことにしました。


 まず、北条義時ですが、多くの方に北条時政の嫡男として、順調にいわゆる北条家2代目当主になったと思われていそうです。

 しかし、私が本で読んだり、ネット情報を集めたりした限り、それには疑問が出てきます。


 北条時政としては、後妻のいわゆる牧の方の産んだ北条政範を後継者とし、先妻の子の北条義時は江間家という分家の当主にするつもりだったのでは、と思われる節があります。

 何故かというと、「吾妻鏡」においては、江間という名字で、当初は北条義時は出てくることが多いとの指摘があるからです。

 そして、26歳も年齢差があるのに、北条政範は16歳にして北条義時と同等の従五位下にありました。

(つまり、北条義時は壮年の42歳になっても、未だに従五位下にしか、なれていなかったのです)


 しかし、北条政範が16歳で亡くなったことから、いわゆる風向きが変わります。

 北条時政は、牧の方の産んだ娘の1人の婿になる平賀朝雅を将軍に就けようとする等の謀略を巡らせ、先妻の子である北条義時は、それに反発等することになります。

 そして、北条義時の兄弟姉妹である北条政子は、息子の源実朝を護るためもあり、父の北条時政に反発して、北条義時に肩入れし、有力御家人の三浦義村等もそれに同調しました。

 そうしたことから、北条時政は失脚し、北条義時が北条家本家を継承することになります。


 北条義時にしてみれば、思わぬ幸運だった、と私には思われます。

 その後、北条義時は和田義盛等と抗争し、北条家の権力を確立していくのですが、更に思わぬことが起こってしまいます。

 言うまでもなく、源実朝暗殺事件です。

 前に書いたエッセイで述べましたが、この件について、私は公暁単独犯行説をとっています。

 北条義時にしてみれば、実の甥にして、それなりに有能な上司を急に失ったような想いをして、困惑したのではないでしょうか。


 なお、この当時の鎌倉幕府と朝廷との関係ですが、私としては、労働組合と企業、労働者と経営者の関係に近いのでは、と捉えています。

 この当時、鎌倉幕府の御家人は、同時に朝廷に仕えていることも多々ある存在でした。

 

 例えば、北条義時の弟、北条時房でさえ、源実朝の生前に京都で活動しており、後鳥羽上皇の前で蹴鞠の見事な腕前を披露したことで、後鳥羽上皇に直に称賛されたとか。


 そして、朝廷で活動する以上、それなりの学問、芸能に通じていないと話になりません。

 例えば、少し時代がずれますが、北条泰時は新勅撰集に和歌が載る程の歌人の顔も持っています。

 鎌倉武士というと、武芸に励み、学問、芸能を軽んじていたというイメージが先立ちますが、武芸に加えて、学問、芸能にも通じていないとダメだったようです。

 そうした側面も考え合わせるなら、確かに鎌倉幕府と朝廷に対立があったのは認めますが、それは労働組合が、企業と労働者の処遇をめぐって対立するようなもので、完全な対立関係にあったとは、私には思えないのです。


 北条義時を事実上の主とする源実朝死後の鎌倉幕府としては、御家人、武士の処遇を第一に考える以上、朝廷の意向に、単純に素直に従いかねることも多く、そうしたことから、後鳥羽上皇をトップとする当時の朝廷との対立云々という話になったのではないか、と私は思うのです。

 この辺りは、労働組合の委員長と言えど、組合員の利益を考える以上、経営者に素直に従う訳にはいかない(とはいえ、完全に敵対して、勤務先を潰す訳には行かない)という事情があるのと同じです。


 しかし、後鳥羽上皇という経営者にしてみれば、こんな労働組合の委員長、クビにしてしまえ、もっと、従順な労働組合の委員長を選べ、という発想になったのではないでしょうか。

 一般的には、後鳥羽上皇は討幕を目指していた、と言われますが、坂井孝一氏の研究やネット情報を見る限り、討幕を目指していたというより、北条義時排除を目指していたようなのです。

 実際、承久の乱の際の院宣や官宣旨を私が虚心坦懐に読む限り、北条義時排除は述べていても、討幕は述べていません。

 この辺りは、後鳥羽上皇の深謀遠慮の現われ、という考えもありますが、私は考え過ぎの気がします。


 ともかく、後鳥羽上皇は、北条義時排除を決断し、承久の乱をおこします。

 ここで、北条義時は自分の保身もあり、兄弟姉妹の北条政子と結託して、後鳥羽上皇は討幕、労働組合解散を意図していると、精確な情報を隠蔽して、自分に都合のいい情報を御家人たちに訴えます。

 御家人たちにしてみれば、労働組合の委員長交代なら呑める余地がありましたが、自分の権利保護の為に実際に戦ってくれている労働組合解散を求められては、さすがに呑めません。

 そして、御家人たちが、実際に朝廷に刃を向けてしまった後で、今更、真実に気が付いても、刃を下す訳には行かない訳で。

(今更、刃を下ろしては、組合を護るために決起したのにクビを受け入れるようなもので、自分の保身のためにも戦うしかありません)


 そして、承久の乱で勝った以上、北条義時としては、それなりのこと、つまり、後鳥羽上皇の遠島処分等をしない訳にはいきません。

(このまま後鳥羽上皇に手を付けないままでいては、今度こそ、自分のクビが危なくなる以上、手を付けない訳にはいきません)

 結果的には勝利を収めましたが、北条義時としては、ここまでの事態が起きるとは思っていなかったのではないか、と私には思えてならないのです。

 ご感想をお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ