銃と草1
この回でリンソンとクーカの旅がはじまります
おもな登場人物
ピエタ・リンソン — 25歳、イクストランの国のハースフという貴族の記録画家。イクストランの統治者から新城の壁面へ竜を描く命が下ったため、それを描く画家の選考試験に名を連ねようと、実際の竜を見ようとする。このお話の語り部。
カペロ ― 新大陸の先住民で、老齢のアカル乘り。リンソンが夜をさまよい行きついた集落の人々をイクストランの兵隊から逃がし救った。そして、リンソンが患った草の酩酊を治療した。
クーカ ― 新大陸の先住民、10才の少女。リンソンが行きついた集落の長の娘であり、夜を崇める呪術信仰の巫女。しかし、巫女としての能力を疑われ、排斥されたため、カペロとともに暮らす。
ナダ — 新大陸の先住民、13歳の少年。カペロの弟子で、アカル乗りの修行をしている。カペロ曰く、夜を親しむ性、アカル乗りとしての天賦の才を持つ。
guns and el grass
1
私とクーカは、行き場を失ってしまった。一度は、集落へ向かおうとしたものの、周囲は兵隊だらけで、うかつには近づけなかった。
クーカは、自分の夢を手がかりにナダを探そうと言った。しかし、彼女の手がかりは、曖昧なものばかりだ。ナダを見つけることと、クーカたちが私を見つけた時とは、状況が違いすぎた。私が、彼女に新たに、再び夢の儀式を行わせてやるには、どうすればいいのかわからないのだ。
私は、他の部族の村を目指し、ナダを見たものがいないかたずねて歩くことまではしないでも、クーカを部族の村へ、受け渡すことが一番だと思った。
だが、兵隊がいる場所を避けて、山中を移動するには、かなりの危険がともなう。山の中は、夜が濃すぎる。そこで夜に取り込まれないようにするには、大量の『夜除け』の草が要るだろう。それに、草をもってしても、まったく危険がないわけではない。
カペロが言っていた。山脈には、熟練したアカル乗りでも、防ぎようのない夜の濃さが存在する。
クーカがいなければ、私など、瞬く間に草を使い果たし、夜に取り込まれていただろう。私が、無事でいられたのは、すべて、クーカの夜に取り込まれない性のおかげだった。彼女がいるから、兵隊の目をかいくぐり、夜を移動できた。しかし、その性にばかり頼れない理由があった。
彼女が眠っている間は、他人を夜から守ることができない。恩恵を受けるには、夜の間、彼女に起きていて、もらわなくてはならなかった。
昼の間に眠り、夜に移動する。これは、クーカの体力を著しく消耗させた。ひもじさと睡眠不足に苛まれた。彼女は、それでも泣き言一つを言わない。私は、彼女を夜に寝かせるためにカペロから預かった草を使った。他の部族の村へ行く道のりは、あまりに遠かった。草も限りがあり、カペロのような夜に熟知した人物はいない。夜が旅の問題になるなら、クーカより私のほうが、足手まといになる。
疲れ果てた私は、クーカを一人でいかせ、自分は、軍隊に保護されることも考えた。二人で山奥へ向かえば、他の村にたどりつくまで、二人とも力尽きてしまうだろう。
だが、彼女にその考えを打ち明けることはなかった。クーカの寝顔を見るたびにナダとの約束が、思い出されて、気が触れそうになった。
『狼の夢』
『なんだ?』
『クーカを見捨てないでくれよ』
私がクーカを見捨てない方法があるとすれば、軍隊の警戒の薄い、イクストランのいる町へ行くことだった。私は、そこで奴隷をつれた旅行者のふりをすることにした。
荒野の砂埃が、舞っていた。そこは、町というよりか小屋が密集した休憩所のようなところだった。とにかく、食糧と気を落ち着けられる屋根のある場所を確保して、疲労を回復させねば、何も始まらない。絵の道具は大した金にはならないだろうが、ハースフ候から、いただいた金の懐中時計を質に入れれば、しばらくは、暮らせるはずだ。その間に、いい案が思い浮かぶかもしれない。
私は、目についた酒場に入った。店の男は、私の姿がよほどみすぼらしく見えたようで、顔をしかめた。
その男に質屋がないかと尋ねた。長い間、イクストランの語を使っていなかったから、通じるかどうか不安だった。男は、私を値踏みしている。
クーカが、私の背中に身を隠していたので、店の男は、クーカの顔の見える位置まで、カウンターの中を歩いた。店の男は、東の町にあると教えてくれて、続けた。
「奴隷を貸してくれるなら、いくらか金を都合してもいい」
私は、黙ってクーカの手を引いた。私の強引な様子に彼女は、きょとんとしていた。彼女がイクストランの言葉を理解できなくてよかった。
いくつか、小屋をまわって働き口がないか、たずねてみたが、一様に追い払われた。それもそうだ。奴隷をつれている余裕のある人間が、あくせく下働きをするなんて、胡散臭いことはないだろう。確かにそれは、嘘だ。クーカは、私の奴隷ではない。
馬小屋の前にいた二人の男が、うろうろする我々を見ていた。異様なものを感じて、町を出た。食べるものも、草も、この町へくるまでに、ほとんどなくなってしまった。昼間のうちに、少しでも質屋のある東の町まで、距離を稼ぎたい。
半時間ほど歩いていると、後ろから馬がやってきて、我々の前に立ち塞がった。馬小屋でたむろしていた二人組みだ。男は、馬に乗ったまま言った。
「酒場のダンナが、あんたの奴隷と一晩過ごしたいらしい」
私は、男を睨みつけた。
「見栄をはるなよ。誰もがやっていることだろう?」
男は、ガンベルトから回転式拳銃を抜いて言った。
「ああ」
私は、生返事をして返す。こいつら…
「おとなしく戻るよな?」
「ああ」
私は、深呼吸をして言った。自分の考えに吐き気を覚えた。
「人前では、なかなかね…あんたたちも楽しみたいんじゃないか?」
二人の男たちは、顔を見合わせた。そして、私を見て、眉を吊り上げた。薄く笑っている。
「見てくれ。自慢の奴隷だ。恥ずかしがって、私の背から離れようとしない」
私は、祈った。頼む。馬から下りろ。下りてくれ。
男が、ガンベルトに銃をしまい、勢いをつけて馬を下りた。しかも、私に背を向けて。私は、感情に任せて動いた。下馬する寸前のやつに、体当たりをかまし、地面へ首を押しつけて、一心不乱に男を殴りつけた。相手が、反撃してくる気がないと思ったところで、銃を奪い取る。
体当たりをしかけた拍子に、殴った男の乗っていた馬が、暴れ出し、連鎖的にもう一人の男の方の馬もコントロールを失っていた。なだめるために手綱に手を取られている。
私は、奪った銃で、馬上の男を狙って撃った。一発目は、馬の首に当たった。馬の首から血が吹き出て、男と一緒に倒れた。私は、倒れた馬に足を挟まれた男へ、容赦なく銃を撃ち続ける。
弾倉が空になったことに気づくと、銃を奪ったほうの男のうめき声が聞こえた。後ろを振り向き、熱くなった銃身を握りこんで、男の顔めがけて、銃の柄を叩き込んだ。何度も何度も、繰り返す。
私は、クーカに飛びつかれるまで、それをやめなかった。男が、とっくに事切れていることがわからなかったのだ。
自分の荒い息と心臓の音が、とても大きく聞こえる。周囲を見渡した。死体が二つ転がっている。
この惨状を自分のやったことだとは思えなかった。だが、我に帰っても、良心はとがめなかった。私には、責任があった。カペロとナダからクーカを預かった。
男たちの身包みを剥がし、死体を茂みへ隠した。銃声で逃げた馬一頭を捕まえた。
恐る恐るクーカは、私にどうしたの?と聞いてきた。そんなことを言えるはずがない。
私は、黙り込んで、殴った男の服に着替えた。これで多少の嘘も通りやすくなるだろう。
男は、少しばかり金も持っていたが、食糧を買いに元いた町に戻ることはできなかった。奪った馬に二人して乗り、東の町へと向かった。馬を走らせていると、男たちを手にかけた瞬間が、脳裏へ蘇ってきて、恐ろしくなった。
夕方を過ぎても、馬を休ませなかった。夜通し馬を走らせて、次の町にたどり着きたかった。犯した罪に追手がかかることを恐れていた。クーカは、私に口を挟まなかった。
馬を潰してしまうかと思ったが、乗り切って、明朝には、町へ到着できた。そして、ひと気のない岩陰を探して、店が開く時間まで、クーカを休ませた。私は、ピリピリしてあたりを見張った。町のほとりの川で洗濯をしている女を見つけて、質屋の場所を尋ねた。
質屋の前に、耳の垂れた焦げ茶色の犬が座っていた。首輪はない。クーカは、その犬に近づいて、手の匂いを嗅がせてから、頭に触れた。私は、店の人間にクーカを見せたくなかったので、ここで待っているように言った。
カウンターの上には、物々しい鉄格子が張られていた。私は、懐中時計を店の主人に見せた。ネジを回せば、まだしっかり動くのにもかかわらず、主人は、不相応な値付けをした。
「この蓋は、金でできています」
「金をさばくには、手間がかかんだ。おらあ、港の宝石商じゃねえ。百より上は出さねえ」
「時計は、貴重です。夜になる時間が計れるではないですか」
「夜なぞ、寝ちまえや、どうってことはない」
ここの人々は、夜の危険性を軽くみているらしい。
「そんな。五百はくだらない代物ですよ」
主人は、鼻で笑った。
「どうせ、こいつは、盗品だろうが。おれあ、客のことは、しゃべらねえから、つかまる前にカネを持っていけ」
その文句で、私はたじろいだ。あしもとを見られているのに否定はできない。私にやましいところがあるからだった。
百セーブルと言えば、風呂付の宿が二十日程度、宿泊できる額である。私は、それで手を打った。ハースフ候と私の縁が、たったの百だと思うと、打ちのめされた。しかし、クーカと生活するには、どうしても金がいる。私の中の候との関係に見切りをつけてしまった。
落ち込んで店を出ると、クーカがいなかった。犬もいない。
私は、建物の並ぶ通りを行きかう人々をざっと見渡した。
いない。
私は、気が動転して、走り出した。道を歩く先住民の奴隷や、イクストランの町人たち、すべてに殺意を覚えた。
彼女の名を大声で呼んだ。
「狼の夢!こっち」
クーカが、建物と建物のすき間で手招きしていた。私は、安堵と同時に腹が立った。
「こんなことは、二度とごめんだぞ!私の言うことが聞けないのなら、一人でいくがいい!おい、クーカ!聞いているのか!」
クーカが、私の話を聞かずに路地の奥の暗がりを見ていたので、私もその先を見てみた。木造の壁に誰かが、ぐったり寄りかかっている。そのかたわらで先のほどの犬が、悲しそうに鼻を鳴らしていた。
「うるせーあほが。地獄へ送ってやるか。このヤロー」
イクストランの男が、気だるそうに我々を見た。口をあんぐりあけて、呼吸している。
「なんだお前ら…いい匂いさせてんな。草、持ってんのか?くれよ。ちょっとばかし金あるんだぜ…へへ」
その男は、二言目には、態度をひるがえし、ふらふらと私たちに近寄ってきた。
私は、無視して行こうとするが、クーカが、手を取ってもついてこない。犬が、クーカの足元にじゃれついていた。
男は、淀んだ青い目をして無精ヒゲをはやしていた。歩みが、おぼつかない。私からどんな匂いがするのかわからないが、男の身体の方が、草を燃やした煙の香ばしい甘い匂いが、むせ返るほどした。
「おー?あんた、どこかで見たことがあるぞ」
私も、男の顔に見覚えがあった。私は、目にした人間の顔は、だいたい覚えている。ましてや、一度絵にした顔だ。
「まーいい。そんなことは。草は?」
私は、男の胸倉をつかんだ。
「なにが草だ!私の金を返せ!」
この男は、この新大陸へきて、間もない頃、私の従者を撃ち殺した狙撃手だったのだ。
「怒鳴るなよ…頭が割れちまう」
「思い出させてやるぞ。盗賊。四年前、お前らに銀百枚を奪われた」
「おめー幽霊か?獲物は、残らず、あの世行きだあーな、草くれよ…教会にいって祈ってやるからさあ…うへ、うへへへへ」
男の身が、ぷるぷると小刻みに震えている。
「チルはどこだ?」
「…草くれりゃ、なんでも話してやるよ…俺はなあ、く、草がねえと…そこの犬っころとなんら変わりはねえからよ。あんまり、ご無沙汰にしてるから、俺たち来週結婚する予定もなくはないんだぜ。わんわんわーん、へはへはははへはっ」
だめだ。この男は、草に飲まれている。クーカと出会った時に、私もこうなりかけたことがあった。私は、カペロの治療のおかげでこうなることをまぬがれた。
草は、『夜除け』をすること以外にも使い道がある。草の煙を吸うことで、一時的に、思考が明せきになり、高揚と感覚の鋭敏さを得ることができる。それが、『夜除け』、夜に取り込まれないよう、役に立つのは、星明りなどの周囲のものを強く感じて、夜の暗闇から身を守る精神を保つことを助けるためだ。アカル乗りの技を行なうことにも、その事が関係しているらしい。
だが、草は、嗜好して過剰に吸い続けると、効果が切れても通常の体調へ戻らなってしまう。つまり、草をやっていない時は、吐き気をもよおして、頭痛がし、バランス感覚が麻痺する。草がなければ、人として、何一つまともにこなせなくなるだろう。そして、草以外に一切、興味を示さなくなる。これが、草のやりすぎによる症状だ。カペロの教えで、絶対にやってはいけないことの中の一つに昼間から草を吸うことがあった。
狙撃手は、通りを歩き出した。犬がついていく。クーカも犬に誘われて、足を動かした。あの犬が気に入ったらしい。私は、草を渡すことを考えあぐねた。
「どこへいくつもりだ?」
狙撃手は、足をもつらせて振り返る。
「俺の家だあよ…」
この男の家で、少し休ませてもらうのもいいかもしれない。
掘っ立て小屋の住居の群れに、狙撃手の家があった。周りの家は、カペロと住んでいた小屋よりは大きいが、いい暮らしをしているとは、言えない。男の家には、煙突が立っていた。
なかには、一間にベッドと大きな工作テーブル、その隣に火床があった。テーブルの周辺には、鉄くずが積みあがり、今にも崩れそうだった。入り口の足元にも、鉄片がいくつか転がっている。よく見るとそれは、銃身の形をしていた。クーカが、足元のネジを一つとって、犬に嗅がせている。
私は、立ったままでいた。狙撃手はテーブルの酒瓶を取って言った。
「なにか飲むか?これしかないがな…へへへ」
私は、手を振った。
「あんた、酒も飲むのか?」
「草がないときの気休めさ…草をはじめてから、こいつで酔っ払えたためしはない。なあ、そろそろくれねえか」
「その前に銀貨百枚だ」、今の時価は、わからないけれど、銀一枚十セーブルはくだらないはずだ。それだけあれば、当分、クーカとの生活費には困らない。
「そんなものここにあるもんか…」
狙撃手は、ポケットの中の金を掻き出してテーブルへ置いた。
「こ、これで勘弁してくれ…たまらねえんだ」
凍えたように震え出す狙撃手。握った金が何枚かテーブルの下に落ちた。
「チルは、どこだ?あの少年は金を持っているか?」
「草をくれないと、考えられねえ…」
「嘘をついたら、ただじゃおかないぞ」、あの時の自分とはわけが違うのだ。
私は、彼の金をかき集めてから、皮の背のうの中から草を一つまみした。夜に動くには、貴重なものだ。これくらいが妥当だろう。
それをテーブルに置くと、狙撃手は、ナイフで草を刻み始めた。小さな紙に包んで、見る見るうちに巻きタバコにしていく。かまどの火掻き棒で赤くなった炭を引き寄せ、先に火をつけた。
身震いして、煙が、体内に染み渡っていくのを感じたようだ。息を止め、恍惚の表情。鼻から残りの煙を吐き出した。
「なんなんだ…こりゃあよお…うまいってもんじゃねえぞ」
二口目でタバコの長さ半分以上が灰に変わった。狙撃手があまりにうまそうに草を吸っているので、クーカも見ていた。
「さあ、話すんだ」
狙撃手の表情に赤みが差し、瞳も爛々と輝きを取り戻していった。左手を突き出し、「待て」を示した。口元のタバコの灰がまた落ちた。
「あのガキはなんだ?」、狙撃手は、自分を見つめるクーカにきびしい視線を向ける。
「あんたには、関係のない。チルのことをしゃべれ」
言って、すぐさまに狙撃手は額を押さえて、テーブルに肘を付いた。そして、頭を震わせた。
「くそ…ガキを追い出せ…」、うめき苦しんでいる。
クーカが、私の上着のそでを握り締めた。彼女の目から、涙がこぼれ落ちていた。
「どうした?クーカ?」
「わからない…」クーカは、机に伏した狙撃手に釘付けになっている。
「出て行け!」
「どうした?説明してくれ」
「あのガキ、草を通して俺の頭の中、覗きやがった!ちくしょう!」
狙撃手は、手当たり次第、鉄くずをつかみとり、我々へ投げつけた。我々は、外に逃げ出した。クーカは、放心状態で泣いていた。嗚咽はなく、ただ目から水があふれてくるという感じだ。困って家の前で立ち尽くしていると、壁の向こうから、気の立った狙撃手の声が聞こえてくる。
「もっと草をくれ!ガキを家に入れるなよ!」
「いい加減にしろ」
「くれ…よ」
向こうも情緒不安定で、話ができる状態ではない。
「明日、また来る」
「待て!草くれ……くそ」
狙撃手がうるさくて、近所の住人たちが、罵声を放った。家の中から狙撃手のもだえる声が響いた。
私は、とにかく人目のつかないところへ、クーカを隠したかった。町を一通り歩き回って、目立たない方の宿へ、宿泊することにした。
無愛想な女将が、我々を眠たそうな目で見下していた。私は、宿帳に『ラント・ターム』という偽名を書いた。自分の名を書く気になれなかった。イクストランでは、よくある姓と名だ。
女将に一日分の前払いと、我々が宿泊していることを他言しないことを条件に少しのチップを払った。約束を守ってくれたらば、もっとチップを払うし、宿泊日数も伸びることを伝えた。女将は、上機嫌になって、我々を部屋まで案内してくれた。チップは、草の代わりに狙撃手から貰った金だ。
部屋に風呂を用意してもらった。我々は、不潔そのもので、数日、川で汗を流す余裕すらなかった。大きな桶を部屋に運び込んでくれたけれど、宿の人間は、湯を沸かす手間を惜しんだ。この土地の気候は、暖かいので、井戸水でも構わない。クーカは、宿の部屋にあるすべてが、物珍しいようで目線をあちらこちらにやった。
私は、彼女の髪を石鹸で洗ってやった。カペロの家では、石鹸が、なかったようなので、彼女は、頭の泡をつかんで遊んだ。クーカの髪は、長く、洗うのは骨が折れた。私は、それで思いついて、宿からハサミを借りて、クーカの髪を整えてやった。伊達に絵描きを名乗っていたわけではない。
前髪や、耳にかかるところを丁寧に切り落とした。テーブルに置いた鏡に彼女を映し、髪をすく。艶やかで真っ直ぐな髪にすべすべの桃色の頬が触れる。まだ子供っぽさがあるにしろ、年を経てるにつれ彼女は、美しくなっていた。
クーカは、鏡を覗きこみ、自分の姿に目をぱちくりさせ、変な感じと言った。
入浴が終わると、宿の者に食べ物を運ばせて、空腹を満たした。そして、クーカを眠らせた。私は、椅子に腰をかけ、眠りについた。拳銃を握り締め、いつでも撃てるようにして。
明朝、私は、クーカへ、昨日の狙撃手になにがあったのかをたずねてみた。狙撃手が、単に狂っているのか、彼女が本当に何かしたのか慎重に判別しなければならない。カペロから教わりきれなかった草の神秘もあるだろう。クーカは、そのときの気持ちを思い出しているようで、目をうるませた。
「いっぱい入ってきた」
「なにがだい?」
「あの人の悲しい感じとか…」、彼女は、あわあわと口を開け、言葉を詰まらせた。
「うまく話せない…一度にたくさん夢を見ているみたいで…あの人のいろいろあったこと」
「あの男は、頭の中を覗いたと言っていたな」
「草を吸う人は、ときどき知らない間に気持ちと思い出がつながること、忘れてた。だから、カペロもわたしの前で吸わなかった」
そういえば、夜の訓練で我々が、夜除けの草を炊く時、カペロは、遠くへ離れて周囲を見回っていた。あれは、クーカに頭の中を覗かれないように意識的に行なっていたのか。
「それで、どんな夢を見たんだい?」
「たくさんすぎてよくわからない…でも……私たちの村にいた人の同じ灰色の服が見えた。怖い大きな音の出る武器を持って」
「兵隊のこと?」
「うん」
狙撃手は、兵隊だったのだろうか。
「他にもなにか話せないか?」
クーカはうつむいて、足にかけられた毛布を握った。
「たくさん死んでた。あの人たちは、友達がみんな死んでしまうことを知ってた。知ってたけど…あの人たちは、カペロと同じことをしたの!」
クーカは、そんな要領を得ないことをまくし立てた。そして、カペロに会いたい、カペロにあやまりたいと言って、わっと泣き出した。
私は、これ以上彼女から、話させることはしなかった。あの男の身に起こった事を感じやすいばかりに自分のことにしてすり替えようとしているのが、わかったからだ。彼女に戦争のことを考えさせるのは、荷が重すぎる。我々の今の状況ですら、耐え難いのだから。
クーカは、泣き疲れて、眠ってしまった。私は、彼女を置いて出かけなくてはならなかった。クーカに対する狙撃手の反応からして、彼女を連れて行けば、話しにならない気がした。
私は、クーカへすぐに戻ると書置きを残した。(クーカの部族の文字は、私にとってたいへん書きづらいものだったが、カペロや彼女から教わって、簡単な単語なら記せる)そして、女将に、クーカに昼食を用意してやるように、と言いつけて、もう一日分の宿泊費とチップを渡した。
私は、狙撃手の家へ足を運んだ。彼の家には、誰もいないようだった。しかし、扉は、開けっ放しになっていて、炉の火がついていた。
私は、隣の家にいた女性に、彼がどこへ行ったのかをたずねた。西にある森へ鳥を撃ちに行ったそうだ。彼女は、私がここへ来れば、そう伝えるように狙撃手からことづかっていたようだった。
森は、町を出てすぐそこだ。それほど遠くないから、気が向いたら来いという意味だろう。私は、迷うことなく、そこへ向かった。
少しばかり森をさまよい歩いた。狙撃手の姿は、見えなかった。東側を向くと、少し高くなった岩場が見える。あそこからなら、森が上から見渡せそうだ。
森が途切れ、足元が草むらになった。すると、がさがさと、なにかが近寄ってくる。狙撃手の犬だった。私は、犬の頭をなでた。犬は、ついてこいと言わんばかりに反転して走った。
そこには、小銃を抱き、大きな岩の影にもたれている狙撃手がいた。見晴らしがいいだけに、日当たりが良過ぎて、まぶしい。彼は牛追い帽を被って、目を細めている。かたわらには、すでに野鳥が一羽、しとめられていた。
「ガキはいないだろうな?」、狙撃手は、私を見るなり言った。
「ああ、つれてこなかった」
「いたら、撃ってたぞ」、冗談とも真剣とも取れない言い草だった。
「私には、事情がわからなかったから、許しをこうつもりはない」
「なんでもいい。あの草をくれ」
彼は、中腰で移動して、銃を片手に岩の上へうつ伏せになった。岩には、キルトが敷かれている。
「あんたからもらった草がまだ効いてる。上物だな。どこから仕入れた?」
「順序が違う。先に銀貨百枚だ」
「鳥をやる」
「ふざけるな」
「チルの居場所は、俺も知らない。ここ最近、あいつから一方的に仕事を持ってくるだけの関係だからな」
私は、彼に背を向けた。それならば、この男に用はない。
「居そうなところのあたりをつけることはできる。でも、お前、あいつに取立てなんかいった日にゃ、返り討ちにされるぞ。まあ、座れ」
私は、その辺の岩の出っ張りに座った。
「チルは、偉くなったのさ。この四年間で、ここいら一帯の町の地下活動を牛耳るようになってる。あんなガキが、先住民からも、イクストラン移民からも『風足のチル』なんて呼ばれて。ぶっ飛んだだろ?」
「信じられないな」、なにしろ、盗賊の言うことだ。
「あいつは、夜のことをよく知っている。汚れ仕事や水稼業をうまくきりもりできるわけだ。今じゃ、軍の将校連中も、チルからおいしい汁が吸えるってもんで抱き込まれているって話だぜ。あんたは、あれを信じるか?」
「なにを?」
「夜が、俺たち人間様を襲ってくることだよ」
「あんたたちに有り金を盗られた後、ひどい目に遭った」
「ならわかるな。チルを追っても無駄だ。草をくれ」
「銀貨百枚の貸しがなくなるわけじゃない」
「隣にこい」
そう言って、狙撃手は、うつ伏せになり、森の方へ向けて、小銃を構えた。兵隊が持つペンスレード銃だったが、私の知っているものより、心持ち、銃身が長い気がする。
「見てろ」
「鳥は、いらないと言った」、狙撃手は、いいからと言って私を強引に隣へ伏せさせた。
男は、小銃の安全弁を解き、撃鉄を起して、引き金に指を掛けた。
ゆるやかな風が吹き、しばらく、黙って時を過ごした。
森まで二百メートルほどだろうか。鳥など何処にも見えない。私は、クーカのことが、心配になってきた。
狙撃手の顔をうかがった。彼は、照準を睨んで、片目をつむっているのではなかった。馬鹿げたことに両目をつむっていた。寝息のような規則正しい呼吸している。この男の精神は、草に飲まれて破綻しているとしか考えられない。
突然、ターン!と銃声が、鳴り響いた。私は、この男が眠っていると思ったので、不意をつかれ、驚いて、岩から転げ落ちた。狙撃手が、犬へとかけ声を発した。彼は、鳥をしとめたと言う。
我々は、犬の後を追って歩き出した。森の中にたどりつくと、犬が吠えて、鳥が落ちている場所を示してくれた。
鳥は、見事に胴体を撃ちぬかれていた。常人なら、百メートル先の標的をかすらせることすら難しいに違いない。
「どんなもんだ。あんたが、草をくれれば、もっと遠くの標的だって狙える」
この芸当が、草の神秘であることはわかったが、狙撃手が意図しているところが、理解できない。私が、ほうけていると、男は、じれったそうに言った。
「つまり、殺したいやつがいれば、後腐れなく殺せるってわけ。あんたには、いないのか?邪魔なやつが」
こいつは、どうしようもない草に飲まれた異常者だ。銀貨百枚の貸しを殺しで肩をつけたいと考えている。
「馬鹿なことを言うんじゃない。私は、自分の金を取り返したいだけだ」
「俺は、草を吸いたいだけだ。へへ、へへへ」
狙撃手は、鳥の両翼をつかんで広げ、操り人形のように動かした。私は、目を覆ってため息をつき、厳しい口調で言った。
「チルの居そうな場所を教えろ!」
「わかった。わかったよ。タイネスか、ポートンのどっちかだ。会えるかどうかわからんがね」
「あんたもついてくるんだ。チルが大物になったというなら、仲立ちがいる」
「俺は、あいつに草をせびりすぎて、この町に押し込まれてんだよ。俺が直接会いに行きゃ、あいつを敵に回すことになる。勘弁しろよな」
「お前が、本当のことを言っている保証がどこにある?草はやる。確信が、もてたのならば」
狙撃手は、舌打ちした。
「どうなっても知らねえぞ」
私は、狙撃手と明日町を発つことを約束した。最後まで草をくれとねだられたが、私は、やらなかった。彼の挙動が正常に見えたからだ。どうやら、カペロの育てた草は、彼にとって、今まで使っていたものとは比べものにならないほど上等だったらしい。しかし、私の持っている草は、残り少ない。それが知れてしまえば、私と狙撃手の立場は、逆転するだろう。やすやすと草をやるわけにはいかないのだ。
狙撃手は、一瞬、失望と殺意の目を向けたが、結局、あきらめて、しとめた二匹の野鳥を店に売りに行った。私は、毅然とした態度を保っていた。必要とあらば、腰の銃だって取るつもりだった。