宮廷画家の竜5
おもな登場人物
ピエタ・リンソン — 25歳、イクストランの国のハースフという貴族の記録画家。イクストランの統治者から新城の壁面へ竜を描く命が下ったため、それを描く画家の選考試験に名を連ねようと、実際の竜を見ようとする。このお話の語り部。
カペロ ― 新大陸の先住民で、老齢のアカル乘り。リンソンが夜をさまよい行きついた集落の人々をイクストランの兵隊から逃がし救った。そして、リンソンが患った草の酩酊を治療した。
クーカ ― 新大陸の先住民、10才の少女。リンソンが行きついた集落の長の娘であり、夜を崇める呪術信仰の巫女。しかし、巫女としての能力を疑われ、排斥されたため、カペロとともに暮らす。
ナダ — 新大陸の先住民、13歳の少年。カペロの弟子で、アカル乗りの修行をしている。カペロ曰く、夜を親しむ性、アカル乗りとしての天賦の才を持つ。
5
私は、彼らの生活が元に戻ると思っていた。
カペロはナダにいっそう厳しく接した。ナダは、私に心を開いては、くれなくなった。異人の私を避けるのは、わからないでもない。彼は、クーカにもよそよそしい態度を取るようになっていた。極端に一人で居たがるのである。今では、テントで寝ているし、彼の仕事の手伝いをしようとしても受け付けない。
私は、そのことで彼を非難した。私を助けてくれた時のあの彼は、どこにもなかったことが悲しかった。彼は、私に対し無表情に黙った。私は、カペロとナダ、そして、集落の間で何か取り決めをしたのだと勘ぐらずにはいられなかった。
四日ほどが経った明朝、カペロが起き出して、小屋から出て行くのに気づいた。遅くまで絵を描いていたから、眠りが浅かった。
彼の後をつけ、森まで行くと、鳥の羽ばたく音が聞こえた。カペロは、鳥の影を追っているようだった。
森の深くまで知られずに来たと思ったら、カペロは、私の方へ振り向いた。茂みに潜ったが、無駄だった。
「怒らんから、そばへこい」
「だいぶ、気をつけてたのに」
「お前には、木は立っているようにしか見えんからだろう」
「わかりかねます。異人なもので」
「無知をひけらかすな。お前もいずれ夜を克服せねばならん。子供たちは、異人のお前を好いとるのだぞ?」
老人は、穏やかな口振りで言った。彼が私をこんなふうに叱咤するとは思わないので、面食らった。
「ついてこい」
鳥は、いなくなっていた。老人と歩いた先に人影。真っ黒い肌をした男がそこに立っていた。禿げ上がっていて、側頭部に白髪がある。上空では、鳥が旋回している。
「だれですか?」
「古い友人だ」
私は、カペロの友人に見つめられていた。異人の私に対して何の感情も起きないようだった。
「お前はここにいろ」
カペロは、彼の古い友人と立ち話をした。鷹は、木の枝に止まって、私の様子をうかがっている。彼らが話し終え、彼の友人は、朝もやの中に姿を消した。私は、戻ってきたカペロに聞いた。
「なにをするつもりなんです?あなたがナダを厳しくすることとなにか関係があるのでしょう?」
「ナダを彼の元に預ける」
「どうしてです?ナダは、責められるようなことはなにもしていない!」
「責めてはおらん。が、こうするしかない」
「わからない。あなたはあの子の優しい部分を知らないんだ」
「しっとる。あいつが赤子のときからの付き合いだ」
「ならなぜ?」
「集落の長を落ち着かせるためだ。ナダから聞いたろう?現の長は、クーカの母だ。お前を助けるためとはいえ、クーカの兄を傷つけてしまった。その見せしめが必要なのだ。今、クーカの母は、戦で心を病んでいる。心の病は、草では治せない。むしろ悪化させるものだ」
「見せしめというのは…ナダの肩の傷は、なんなんです?あれは罰でしょう?」
「あれでは、足りない。そして、クーカの兄とクーカの母親を離さねばならない。あの母は、クーカを見放したばかりに、あの子の兄の領分にあまる期待をかけて、集落の人々の行く末を見ようとしておらんのだ」
「だから、私を殺そうとやってきたのですか?」
「それもある。お前が死ねば、クーカはお前の夢から解放されるとも考えただろうな」
「では、私が出て行けば、何もかも丸く収まるではありませんか!ナダが追い出されるようなら、私は喜んで去る。夜など…草さえあれば」
「馬鹿を言うな。なんの用意も、知恵もないお前が、草を使ったとして一人でこの地を抜け出すなど、万に一つにない。お前がここへ来たときのようなことは二度と起きんぞ……正直に話そう。わしには、お前が、わからんのだ」
老人が、ふうと息を吐き出し、木の根に座った。私も彼の隣へ腰を下ろす。
「わしは、お前が、あの日、殺される。その目があるやも知れぬと感じておった。集落の人間が、『夜渡り』でわしが留守にするところを見計らうことは、想像できた」
老人の告白が、あまりに落ち着き払っていたので、私は、聞き違いをしているかのように思えた。
「そ、それは…あなたが、私が死んでもいいと思っていたということですか?」
「そうだ。一時は、そう思った。クーカの母の病が、ひどく、そして、お前の影響を受けるナダを恐ろしく思ったのだ」
私は、身が震えだしてしまった。まさか、この場で殺されるのか?この老人の怪力で。
「安心せい。今はそうは思っておらん。しかし、『アカル乗り』の英雄などと、おだてられて、わしは、クーカの父の代わりをせねばならぬと、どこかで思いすぎとったことは、確かだ。わしは、ここに住むまで子を持ったことがなかったからの」
老人は、笑った。私は、固まっていた。拳を出せと言われたので、そうした。私の拳と彼の拳をつき合わせた。
「これで、わしらは友だ。だが、ナダについては、ゆずれんぞ。あいつはお前に会ってから、『アカル乗り』として大きく成長をした。その素質は、以前からあった。夜を恐れない性は、天からの授かりものだ。しかし、あいつは、夜に過ぎた好意を持ち始めとった。あいつは、草を使わずに、自分を深く夜に沈みこませることになんら不快に感じんのだ。わしは、これがお前の影響だとしか考えられない」
「私が、彼に何かしたというのですか?」
「わからん…夜に対して凡人のお前が、どうしてナダに影響を及ぼせるのか。お前との関わりは、わしの杞憂であって、あいつは、元々、そういう性質だったとも思ったが…」
カペロは一息ついて、ヒゲにふれた。
「『夜渡り』で家を留守にしたとき、夜に乗って、わしらは、二晩で、かなりの距離をいっとった。山、七つ分くらいか。馬を使っても、四日はかかるところにいた。ナダは、クーカが、『夜渡り』について行こうとしたことを変におもっとった。お前はしらんだろうが、今までだって一度もそんな駄々をこねたことはない。女が『アカル乗り』についていけないことは当たり前で、クーカは、いつも立派に留守番をしとった。ナダは、わしが、それをちっとも気にかけないことをうるさく言った。わしは、お前が殺されたものとして、わしの考えをあいつに打ち明けた。あいつは、わしの忠告も無視して、夜を飛んで行きよった。たった一晩で、家までな。わしでも二晩はかかる距離だ。これを恐ろしく思わずして、どうする」
私に『アカル乗り』のことはわからない。でも、ナダが、このカペロを驚かせるような『アカル乗り』の才能を持っているということらしいのは、理解できた。
「あの年から、そんな調子で夜と付き合えば、心を蝕まれ、気がふれてしまうことだってありうる。お前とクーカの面倒を見ながら、あいつの夜に魅入られる性質を見守るなどできない。わしが、あいつの才を正しく導いてやれるとは思えんのだ」
だから、あの朝、この老人は、ナダを殴ったのか。夜を怖がらない彼を案じて。
「ケーボは、わしより夜の扱い方をしっとる。偉大な『アカル乗り』だ。彼なら、ナダを正しく導ける」
ケーボというのは、あの肌の黒い友人のことだろう。
「お前に頼みたいことがある」
「私にできることでしょうか?」
「ナダの旅の準備をして出発するまで、クーカを北の山へ連れて行ってやってくれ。近頃、わしのことをよくおもっとらんからな。ナダについていくと言い出しかねない」
「別れもなしにですか?」
「お前もついてこいとクーカは言うだろう」
もし、そんな状況になったらと想像すると私も同意見だった。
「しかし…私は、ここにいて、いい人間なのでしょうか?」
「気に病むな。ナダは、すでにケーボと旅へ出ることを承知しておる。それは、クーカのためでもあるのだ。あの子のお前の夢を大事におもって…あいつはな、長の家でこう言いよった」
『ここの人間は、戦に負けたからといって、弱いものいじめばかりしている。武器も持たない異人が一人来たからなんだというんだ。この集落に一人でも猛者がいれば、異人に取り入って、敵について、聞き出し、土地を取り返す戦いを考えるだろう。お前らは、なにもしないで震えている夜嫌い弱虫だ。自分は違う』
「取り入るというのは、あの子なりの方便だろう。子供の言い分とはいえ、皆の衆は、唖然としとった。わしもその一人だ。言い終えて、あいつは、祭壇にあった刃を取って、己の肩を刺しおった。自分は口だけではないと示しおったのだ」
私は、小屋の入り口に立ち、まきを割るナダを見ていた。ナダが、私のほうを見返したので、うなずいてみせた。私は、クーカを山へつれていく準備をしている途中だった。クーカは、カペロと畑で朝の仕事をしている。
「ナダ、きてくれ。事情は聞いた。すこし話そう」
彼は、素直に応じた。
「肩、痛むか?」
「カペロの薬草が効いてる。あとちょっとで塞がるよ。狼の夢の方は塞がったね」
「すまない…私のために」
「嫌なら、すぐ逃げ出してる」
彼は、笑った。四日前の元の彼に戻っていた。
「もう一度、絵を見せてくれないか?」、ナダは遠慮がちに言った。
「もちろん」
私は、荷物からあるだけ書きためた絵を長椅子に広げた。我々はその両端に座った。彼は、素描の束を丹念に見ていた。静かで涼しい朝、窓から入る緩やかな風が心地よかった。
「狼の夢は、本当にこんな生き物がいるって思ってる?」
彼は、一枚の竜の絵を見ていた。
「どうだろう…私の国では、竜の骨があった。少なくとも昔はいたんだろうな。だから、信じてみる価値はあるさ」
「僕も旅のついでに探すよ。竜。それで狼の夢みたいに絵を描く」
「よし、競争だ」
「僕に勝ち目ないな。絵がうまくないから。一枚だけ、くれないか?」
「絵か?一枚だけだなんて言うなよ」
「一枚だけでいい」
ナダは、夜の闇に溶け込んで騎兵隊に襲いかかる竜の下絵を選び出した。
「これ。この竜が、一番好きだ。いい?」
私もそれが、一番好きだった。私が取り掛かっている絵のたった一枚の下絵だが、断ることはできなかった。彼は、今日行ってしまい、私とは二度と会えないかもしれない。
「うん、いいよ。そうだ。ほら、これももっていって」
私は、クーカがすねている絵を取り上げてナダに渡した。
「さっきも見た。なんで、すねてる?」
「君らが、『夜渡り』に行った日」
ナダは声を出して笑った。我々は、大笑いした。
「冗談だよ。他のにするか?」、私は、他のクーカの絵を探した。ナダは首を横に振った。
「これがいい」、彼は、少し照れ臭そうだった。
私は、自分の持っていた残りすべての紙と何本かの鉛筆をナダにやった。彼は遠慮したが、押し付けた。ここには麻があるから、描くものには困りそうもないと思った。木炭もある。ないものは、作ればいい。
「狼の夢」
「なんだ?」
「クーカを見捨てないでおくれよ」
「帰ってこないつもりか?」
「約束したいんだ」
我々は、拳と拳を合わせた。
朝食を終えて、私とクーカが山へ出かけるときになった。
ナダは、せめて最後だけは、クーカに優しく接しようと、彼女へ山菜スープをよそってやった。彼女は、ナダを相手にしなかった。連日の彼の無口ぶりや、彼女を邪険したような言動に腹を立てていた。
山へ行くと、ほとんど彼女に案内される形になった。彼女の方が、ナダとカペロについて、よくこの山を登っているのだから、ここでは、私が、彼女の生徒だった。
頂上に着いて、弁当を食べ、写生をした。彼女も始めは風景を描いていたけれど、すぐ石遊びに興味がうつった。
山の頂上に落ちている石は、硬いものにぶつかると簡単に火花が出る。それを岩が、ギザギザに出っ張った崖から落とすと、岩々にぶつかり、連なるように瞬いてみえる火が、きれいなのだ。ここの部族は、石を更に火がつきやすいように加工して、マッチ代わりに使っている。下は何もない岩場らしいので、山火事にはならないようだ。私も何度か、火花を楽しんだ。崖下は、影になって暗いので明るさも際立って見える。落とす場所を見極めなければ、何度も石は光ってくれない。私が落とす場所は、三回くらいしか光らなかった。クーカの落とす場所は、どこも十回以上光った。私が、ほめると、彼女は、ナダから教えてもらった場所だと言った。しかし、自分が今ナダを嫌っていることを思い出し、途端にツンケンするのだった。
我々は、早めに下山して、家に戻ってきた。彼女は、ナダが、夕方の畑の手入れをしていないことに気づき、率先して仕事をした。今日の夕方の当番は、ナダだった。カペロに早速、仕事を代わることを申し出て、ナダの怠慢に文句を言ってやろうということなのだろう。
しかし、彼は日が暮れても帰ってこなかった。夜の帳が下りてくるにつれ、夕食の支度をしている彼女の気分が、違うものに変わっていくのが、みてとれた。今では、外ばかり見て、落ち着かない。怒ることに馬鹿らしくなったのか彼女は、とうとうカペロに聞いた。
「ナダになにかを言いつけたの?」
老人は、ナダが、当分帰らないことを伝えた。私が聞いた話をかい摘んで、『アカル乗り』の修行の旅へ行ったと簡潔に言った。彼女は、老人の言うことを信じなかった。そして、なにを思ったか、彼女は、夜の中を飛び出して行こうとした。私は、それを慌てて止めた。
「狼の夢も知ってたのね」
それで彼女の勘の良さを刺激してしまい、私が、山登りに誘ったことがすべて、茶番であったことが明るみになった。
彼女は、怒り狂って、私に芋の入った茶碗を投げつけた。カペロにも同じことをし、罵倒した。彼は、黙々と食事を取った。彼女は、私の制止も振り切って、家から出て行った。私は追おうとしたが、老人は静かに言った。
「ほうっておけ。あの子は、夜の巫女。心配はない」
彼は、座敷に落ちた芋を拾って食った。ゆっくりと飯を食べ終わり、私と食器を片付けた。そして、老人は、一時間ほどパイプの煙をくゆらせてから、松明も持たず、クーカを探しに行った。私は、やきもきして家の敷居を行ったり来たりした。
半時間してカペロは、クーカを背にして帰ってきた。彼女は、寝入ってしまうまで、「みんな大嫌い」と泣きながらあえいだ。
それからの数週間、私と老人は、クーカとまともに口を聞いてもらえなかった。私は、クーカの怒りを甘んじて受けた。それは老人も同じだったが、家事をおろそかにするとクーカを怒鳴りつけた。といっても、そんなことは、数えるほどしかなく、彼女は、怒られまいとすることに意地を張っていた。
私は、老人から、夜についての知識を教わるようになった。夜につけ入る隙を与えないための心構えというものを教わり、独自の調合された薬を一週間に一度の間隔で飲んだ。この薬は、飲み下せば、食道がひりひりするものだった。それで済めばいいのだが、なんとも奇妙なことにその薬は、飲んでからきっかり一日が過ぎると、下痢をもよおす副作用があった。その下痢は、一時間は座っていないと収まることがなかった。
心構えは、深呼吸をしたり、声を発したり、理論的な平静の保ち方であって、私の国の文化にも通じるところがあり、理解できた。しかし、下痢の苦行については、最初から詳しい説明は一切なかった。私は、この薬に夜を寄せ付けなくする養分が、含まれているのだと思っていた。三度目の薬を飲むとき、私がカペロに疑問を言うと、彼は、やっと気づいたかというふうに大いに笑った。
「夜を除ける草は、その都度使わねば効果はない。そして、草があっても、心が締まらなければ、意味はなし。だいいち、草に頼りすぎるものは、草に心を奪われる。それは夜に取り込まれることと同じことだ。さて、お前の場合、この薬を飲んでから、きっかり一日で下痢が始まるようだが、なぜお前は、それを御しようとはせんのだ?」
私は、絶句した。つまり、老人は、この薬で起こった下痢を自分でコントロールし抑える精神を作れというのだ。私は、馬鹿げていると言った。彼は、私に生きてここを出るためだと大真面目に言った。私はやるしかなかった。それから彼は、下痢を避ける手立てを示してくれた。私は、首を傾げてしまう。
「なぜ、始めから方法を教えてくれないのです?」
「痛みや恐れを知らねば、乗り越える力も実らん。ない山は、乗り越えられない。お前も夜の恐ろしさをわかっとるから、こうして無事にここにおる。己を知り、力をたくわえるには、痛みと恐れほどの薬はない」
私は、老人に遊ばれているのではないかと疑った。だが、下痢を二日延ばしにできたことに驚いた。日に日に身軽になる身体に爽快感を覚え、衰えがちだった視力が、子供の頃に戻ったように回復した。そして、五感が、鋭くなった気がした。そうして、カペロの訓練は、私に絵を描かせる暇も与えなくなっていった。
カペロは、私の要領がよくなると、家を開けがちになった。彼は、クーカの兄をクーカの母から引き離し、違う小屋で『アカル乗り』の指導をしていた。これはクーカには秘密だった。クーカの兄を彼の弟子として取ることは、私をこの集落で生かしたまま留めることを許す条件にもなっていたらしかった。
薬を飲んで完全に下痢を起こさなくできるようになるまで三年もの月日を要した。
私は、ある種、カペロよりもクーカから信頼寄せられるようになった。彼女は、ナダを遠くへやった老人にずっと反感があった。私は、クーカを娘のように思い、国を忘れ、ハースフ候を忘れ、竜を忘れ、そして、絵すらも忘れ去ろうとしていた。夜を抜け出す理由など、もう無くなったのかもしれなかった。国の新城は、完成され、壁の絵は、描かれているだろう。由緒正しい画家によって。
三年の間、カペロは、二ヶ月ごとにクーカへ夢を見る儀式を行なった。彼女は、もう私の夢さえも見なくなったと言った。
カペロが、我々の小屋で共に過ごさない日が多くなってから、彼女は、カペロに内緒で、私の飲んでいる薬を試させて欲しいと頼むようになった。彼女は、巫女としての自信をなくしたので、それを補てんするように自分も『アカル乗り』になりたいらしかった。
彼女は、自分は夜に取り込まれないのだと自慢げに言った。それは、カペロにも聞いた。だが、私のしている訓練は、必ずしも『アカル乗り』の修行とは限らないし、単に夜を克服するための心と身体を作っているに過ぎないことを彼女へ説明した。
夜に対して、無知な異人に行なうカペロが考え出した荒療治なのだ。私をそそのかそうとしても、女は、『アカル乗り』にはなれないことを知っている。
しかし、クーカは、反論するように計画を話し出した。
「わたし、カペロに嘘をついた。本当はね。夢を見たの。髪がちょっとしかなくて、白髪のおじいさんの夢。肌が真っ黒で、木みたいに頑丈そうな足なの。そのおじいさんは、広いところを歩いていて、上に鷹が飛んでた」
私は、それがカペロの古い友人のケーボであることに気づいた。
「ナダの夢を見たのよ。おじいさんは、ナダをいじめてた。憎いか恐ろしいかって。夜を飛べるようになってナダを助けにいかなくちゃ。そう思うでしょ?」
「カペロに相談しよう」
「だめ。カペロは、女は、何もできないと思ってる!」
独力で『アカル乗り』の技を習得するなんてことは、できるはずもない。ナダの夢を見ただけに余計に強く思うのも無理はないけれど。
「でも、クーカ。ナダが、どこにいるのか、わかるのかい?」
「鷹を…探す」
彼女は、自分でも頼りない手がかりだということがわかって、眉をひそめた。
「いじめているとは限らないじゃないか?『アカル乗り』の修行は厳しいことは、私も知っている。私の訓練だって大変なんだ。カペロもナダに厳しかった」
「…うん」
「次からは、自分の見た夢をちゃんとカペロに話すんだよ。カペロが知らないとそれが悪いことなのか良いことなのか判断してもらえないからね。信頼してくれるのは嬉しいけど、私には、わからないことがまだ多すぎるんだ」
「薬をちょうだい。ね?」
「クーカは女の子なんだから」
「わたし、夜でも一人でだって平気」
彼女の唯一の強みを盾にして、駄々をこねられた。彼女は、どうしても私と同じことをしたいようだった。これは、私が家にいないうちにこっそり飲まれると思い、薬を持ち歩くようにした。
それから、しばらくしてカペロとともに、夜を出歩く訓練をするようになった。私は、夜の自然を全身の感覚で見極められるようになっていた。星と月明かりを常に意識して歩くことで松明を持たなくとも恐怖を感じなかった。
私は、カペロから『アカル乗りの』の技をいくつか、見せてもらえた。彼は、遠くから焚き火を消したり、闇の上に乗って空中を歩いてみせたりできた。影の中をものすごい速さで移動もできる。彼の後を歩いているのだと思ったら、いつの間にか彼は私の背後にいたりした。
私もそのようなことができるようになれるかと彼に聞いたら、私が、‟夜に触れられる〟ようになるまで、十年から二十年の修行が必要だろうということだった。
私が夜の訓練に慣れてくると、カペロは、クーカの兄のワップを連れてきて、一緒に夜を歩くようになった。彼は、私を蔑んでいた。顔を見れば、私を生贄となじった。
一時は、我慢していたが、「妹が、異人の家畜を飼えるのが、うらやましい。変わりに追い出されたナダは、豚以下だったってことだ」と、クーカやナダを引き合いに出して、せせら笑ったので、取っ組み合いの喧嘩をした。
私は、カペロにこっぴどく説教をくらった。感情を高ぶらせると、夜に付け入る隙を見せびらかすことになる。私もかなり殴られたけれど、ワップの奥歯を折ってやった。ワップは、大口を叩いているにも関わらず、決してカペロの近くを離れようとしなかった。その夜への恐れを見て、私は、内心あざ笑った。ナダが言った通りだ。
やがて、私は、クーカが夢を見ていないという嘘をついたことをカペロに話して聞かせた。私は、クーカが、ナダの夢を見たことで自分だけで何か始めようとするのではないかと、心配になったのだ。私は、彼女が嘘をついたことを叱らないように頼み、そして、夜の訓練で彼女を一人にすることは、危険だと説いた。彼に言わせれば私は、甘やかしが過ぎるらしい。私は、彼女のカペロへの不信を、熱を入れて話した。私の下痢の薬を欲しがったことも。彼は、しぶしぶ、私の提案を受け入れた。クーカも夜の訓練へ同行するようにもなった。カペロに、「昔、乳母でもやっていたのか」とからかわれたが、あまり悪い気はしなかった。
そして、更に一年が過ぎた。我々の夜の訓練は、草をあまり使わずとも、かなりの日数を続けて行なえるようになった。そのおかげで、他の部族の集落とイクストランの町の方角が把握できるようになっていた。
事は、起こるべくして起こったのかもしれない。
その日、我々は、ちょうど四人で遠出をして帰ってきたところだった。夜明け前だった。その前から、私はカペロの様子がいつもと違うことに気づいていた。なにかを感じ取って、我々の歩くペースを無視して先へ行こうとする。集落の家並みが見下ろせる山の頂にさしかかると、カペロは、我々を伏せさせた。
明るくなりはじめていた空に、煙が上がっていく。ほふく前進して集落の様子をうかがった。火をかけられ、焼かれた家やテントが押し倒されているのが、ぽつぽつと見えた。そんな家々に囲まれた広場を等間隔に焚き火をし、小銃を持った兵隊が、何人かうろついている。
動揺するより先に我々は、カペロに茂みと木々の間に追いやられ、隠された。
ワップが、私に飛び掛ってきた。弁解しようとも頭が回らない。こんな山奥で兵隊の襲撃が起こるなどとは、思いもしなかった。
カペロは、私をつかむワップを突き放そうとした。しかし、彼は、カペロの手をすり抜け「母さん!」と叫び、山を降りていってしまった。それに応じるようにクーカが立ち上がろうとしたので、カペロは彼女の背中を押さえつけた。
「なにもしていない…この四年間ずっとここにいた。信じてくれ」
「それくらいわかっとる。いらぬことを考えるな。クーカもだ」
カペロは、思いつめた私に言った。私は、彼らに合わせる顔がない。クーカは、カペロを睨みつけた。
「わしにまかせろ。お前らは、西の岩場に隠れとれ。洞窟がたくさんあるところだ」
「もう無理だ。銃には敵わない。ただでさえ、夜が明けそうだというのに」
彼が、夜を操れる『アカル乗り』だとして、何丁も並んだ小銃を前になにができる?どう考えたって無謀だった。
「いく!」、クーカが、叫んだ。カペロは、彼女の頬を打ち、そして頬をつねった。
「お前は、狼の夢の言うことを聞け。わしが、ワップを連れ戻す」
「しかし…」
「長生きの秘訣は知っている。草は、どれくらい残っている?」
「二束だが…私が、交渉を持ちかければ」
彼は、私から一束、受け取った。
「そのなりでか?お前は、わしらの仲間だ」
私の服装は、兵隊に好印象を与えるものではなかった。シャツもズボンもこれ以上なく汚れて、カペロから譲ってもらった民族衣装を羽織っていた。兵隊は、絶対的な優位に立っている。そんな私がやってきてできることは、彼らの悪感情を掻き立てることくらいなものだと、カペロはわかっていた。軍隊は、私を消すことなど造作もない。私は、奴隷として軍の戦利品にもなりはしないのだから。
「洞窟にいろ。必ず迎えに行く」
クーカは、放心して、カペロの背中を見送った。私は、彼女の手を取り、無言で西の岩場を目指した。
岩場の洞窟は、ひんやりしていて、暑さを避けるには、ちょうどよかった。川も近くにあり、水が汲める。私は、岩場の高台にある洞穴を選んで、そこに荷物を下ろした。見晴らしがいいので、誰かがくれば、すぐにわかるだろう。
クーカは、一言も口を聞かなかった。私の作った魚の燻製を差し出しても、食べない。その日、カペロは、戻ってこなかった。
二日しても、彼は現れなかった。三日目になって、騎兵の斥候が数名、そばを通り過ぎた。私たちは、洞窟の奥へと身を隠した。身体も限界に来ていた。
「また夢に見なかった…」
彼女は、自分の夢で軍隊の危機を予知できなかったことを責めた。そんなことはないと私は、言うのだが、彼女には気休めにもならず、一緒に泣いてやるしかなかった。
翌日、岩場に軍の斥候が、やってくるようになり、我々が身を潜めるのは、危うくなってきた。明日は、もっと多くの兵隊がやってきて、すべての洞窟の中をくまなく調査するかもしれない。
私は、決断を下した。カペロは、もう迎えにはこない。クーカにそれを伝えるのは、酷だった。
兵隊なんて怖くないと泣いて拒むクーカへ、私は、かつてのカペロのように怒鳴り声を発した。私の怒り方は、彼の猿真似だった。笑ってしまうほど、情けなくなった。私は、この感情をクーカの前で噛み殺すのに必死になった。
我々は、夜を待って、そこから立ち去った。洞窟を吹き抜ける強い風が、ごうごうとうるさく鳴っていた。
作者は、ナダとリンソンの別れの場面が、とても好きです。
そのシーンを書いたときは、いつも筆の遅い作者が、驚くほどさらっとかけて、妙にさわやかな気持ちだったことを覚えています。