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宮廷画家の竜4

この回から、お話がぐんと動き出してくる感じです。



おもな登場人物


ピエタ・リンソン — 25歳、イクストランの国のハースフという貴族の記録画家。イクストランの統治者から新城の壁面へ竜を描く命が下ったため、それを描く画家の選考試験に名を連ねようと、実物の竜を見ようとする。このお話の語り部。




※カペロ、クーカ、ナダの人物説明を書くと、今回のお話の内容を書いてしまうことになるので、次回、書きます




4




 それから、老人の看病を受け、彼らの小屋でふせった。なんとか立ち上がる体力はあるのだが、二日酔いのような吐き気と頭痛が、おさまらなかったので、食事も喉を通らない。老人から、いろいろな薬草の治療を施されて、症状が治まってきた頃には、二週間もの時が過ぎていた。


 不思議なことなのだが、一週間、彼らと接している内に、先住民の言葉が少しずつ、理解できるようになっていった。私は、始めの頃、老人の言っている言葉にしか注意が払えないでいた。子供たちが会話している語、一つ一つの意味を見出せるわけではないけれど、感情の良し悪しはつかめた。そうすると私の口は、勝手に話し出せるようになった。私には、草の力が宿っているらしかった。私は感動して、草の力について、老人ともっと話したかったが、詳しくは教えてくれなかった。


 老人は、とっつきにくい雰囲気を持っている。それは、異人である私も感じた。集落の端で暮らすことは、彼に合っているのだろう。子供たちは、彼の息子、娘でも孫でもないらしい。そんな人が、子供二人を引き取って育てるのも、わからないことだ。


 少女は、クーカという名前で、とても人懐っこい性格をしている。好奇心も強いので、異人の私にも屈託がない。彼女のおかげで私は、彼ら家の一員であると錯覚させられる。そして、なにより驚いたのは、彼女は、私が絵描きであることを知っていた。なぜなら、私が、小屋の寝床でじっと座っていると、私の荷物を勝手に持ってきて、指先で筆を滑らせるような素振りを、私に見せて言うのだ。


「しないの?」


 私は、度重なる頭痛と嘔吐で絵の事など、頭から追い出してしまって、抜け殻のようになっていた。クーカに紙の束と鉛筆を出してもらい、彼女を椅子に座らせた。私は、覚束ない手で彼女を描いた。絵を見て、彼女は喜んだ。私には、バランスはいいが、気の抜けたつまらない絵に思えた。悔しくて、もう一度、描きたくなった。


 少年は、ナダといった。年は、十のクーカと同じくらいだと思ったが、三つほど上らしい。彼は老人の言うことをよく聞く、働き者といった感じだ。老人の指示を文句一ついわず、行動に移す。とても無口なので、私とクーカのやり取りを遠巻きから見ていることが多い。私に対して敵意はないようだが、無条件に素直にもなれないようだった。クーカが、私の描いた彼女の絵を彼に見せに行くと、やっとのことで寄ってくるといった具合だ。


 私は、この大陸に来てからの風景や建物の素描きや手帳のスケッチを彼らに見せてやった。クーカは、チルの似顔絵を見ていった。


「狼の夢。これは誰?」


 私は、ピエタ・リンソンというのだが、彼らに本名を名乗っても、『狼の夢』と呼ぶのをやめない。


「チルだよ」


 ナダは、書物の伝承を持ち寄った竜の形のパターンを並べた絵を見ていた。


「これは、なんだ?」


「竜だよ。どういえばいいかな…クマより大きくて、顔がトカゲで、鳥みたいに翼が生えてて、丸太のような大きい尻尾をした生き物だ」


「異国には、こんなのが、たくさんいるのか?」


「いないから、困ってるんだ。ここにいるんじゃないかなと思って」


「いない。クマより大きい動物なんて見たことない」


 はっきり言われたので、私は苦笑した。


 そして、彼らにも紙と鉛筆を手渡して、私は言った。


「君たちも、なにか描いてみるといいよ」


 クーカは、大喜びしたが、ナダの反応は煮え切らなかった。


「カペロに怒られる」


 カペロというのは、老人の名前だ。


 私は、彼が一瞬、嬉しそうな表情をしたところを見逃さなかった。それで、よたよたと起き上がって、草を栽培している畑まで行き、老人に頭を下げて、頼んだ。彼は、私のことを笑って、「馬鹿正直の異人」と言うのみだった。


 クーカの絵は、興奮して肩に力がはいりすぎているので、物の形が歪で何を描いているのかわからない絵だった。一枚の絵に、気に入ったものをところかまわず描いている。楽しくて仕方ないのだろう。


 しかし、ナダの絵は、しっかり影を捉え、奥行きのある風景を描いてあった。彼らが寝泊りしている小屋とテントと森である。


「うまいじゃないか。いつも描いているのかい?」


 彼は首を振って、ニヤついてうつむいた。


「狼の夢よりは下手だ」


「練習すれば、もっとうまく描けるさ。ここで紙が作れればいいな。お爺さんに聞いてみよう」


「家の仕事ある。できないとカペロに追い出されるから」


「ナダばっかりほめる。わたしのは?」


 クーカが、ずいっと私の前に自分の絵を持ってきた。


「個性的だ」


「なにそれ、わかんない」


 ナダが言った。


「狼の夢は、クーカの絵が下手だって言いたいんだよ」


「そんなこと言ってない!」


 私は、笑って誤魔化して言った。


「クーカは、すごいよ」


 彼女は、私に絵を描く気を起こさせてくれた。




 三週間経って、小屋の周辺は出歩けるようになった。老人には、集落の方へは、行ってはいけないと、きつく釘を刺されているけれど、それ以外の森やその奥にある川へはうろついていい事になった。集落が使う川は、別にあるという話なので、彼らと出くわすことはまずない。


 といっても、昼間の間だけである。私は、夕方になると、小屋にいなくては落ち着かないようになっていた。夜の暗闇が、怖くてたまらなかった。さしずめ、『夜』恐怖症というやつだ。


 このことで、竜探しを中断しなければいけなかった。山々を越えて、私の国の同胞のいる町を目指すには、いくつかの夜を過ごさねばならないだろう。明けない夜など、今も信じきれないが、老人の言っている事は、私の身に起きたこととあてはまる。


 このまま、ここへ留まっていれば、竜の壁画を描くことを逃す。壁画は、すでに候補者が決まっているかもしれない。だがしかし、日が経つにつれ、それでもいいと思えるようになった。私は、名誉が欲しくて竜を追っているわけではなくなっていた。彼らと過ごしていることが、私の絵に変化を及ぼしていることに気づいた。私は、クーカが絵を描かないのかと聞かれたときから、何枚かの竜の素描をし、色をのせた。私の頭に思う描いたとおりのものに近い竜になっていた。この土地が、私に足りなかった何かを与えたのだ。大陸の自然、先住民の素朴さ、荒々しさ、夜の恐怖、そして、草の神秘だ。




 私は、畑の仕事を終え、クーカをつれて、川の砂地のところへ来ていた。


 ナダは、三日前から老人とともに家を空けていた。呪術的な信仰に、ちなんだ訓練を行なうためらしい。彼らは、わざと夜になった時を見計らって、畑で育て乾燥させた大量の草を持ち、人のいない遠くの山へこもるという。


 老人は、この行を『夜渡り』と言った。これは、夜を尊び、友として扱うことを『アカル乗り』が忘れないようにすることである。『アカル乗り』というのは、夜を恐れず、〝夜に触れる〟聖人という意味らしい。私は、‟夜に触れる〟ということの意味合いについて、老人に質問した。やはり、答えてはくれなかった。


 クーカは、彼らが行ってしまう直前まで、ついて行きたがった。駄々をこねて癇癪を起こした。老人が聞かないとなると、ナダにすがりついた。カペロの一喝は、小屋を振るわせ、彼女を黙らせた。


 彼らの文化では、女がどれほど夜を恐れない心を持っていても、『アカル乗り』には、なれないし、『夜渡り』に同行することはできない。女色が、夜に立ち向かう男の力を弱めてしまうからだ。


 クーカのような子供を女として意識するというのは、無理な話かもしれないけれど、それは、長い間、培われた風習であり、『アカル乗り』の間では、鉄の掟なのだ。


 ナダが私へ語る分に、カペロのような老齢で強い『アカル乗り』がその約束を違えること自体が、夜に人の弱さ、力の無さを見せることになるという。彼らの中では、夜というものは、擬人化された敵であり、友であり、信仰の頂点なのである。我々、イクストランからすれば、神のような存在だ。一日の終わりに必ずくる夜であるから、身近すぎて偶像にもならないが。


 私は、クーカをなだめるという微妙な立場に立たされた。彼女は、異人と二人きりにさせられたと思っているのだろう。私も彼女が嫌がる気持ちは、承知している。(クーカには、懐かれていると思っていたので、多少は、むっとしたけれど)むしろ、老人が私に留守番を任せてくれることが意外だった。人種はちがえど、人として信頼を得ているのだと思った。


 彼らが行ってしまった夜、彼女は、ずっとすねていた。私は、手に負えなくなって眠ってしまった。翌朝になると、彼女の機嫌は直っていた。私が家にあったガラクタを集めて、川魚を捕まえる罠を作っていると、興味津々なのである。


 そして、私たちは、川で昨日仕掛けた罠の様子を見に来た。


 川の砂地が、いやに荒れていた。私は、なぜこうなのか知っていた。ナダが、弓矢の練習の合間に、絵を描いているせいだ。弓できれいに砂をならし、砂の地を矢で引掻いて線を描いている。描いた後は、誰にも見られないように足で踏み荒らしてから帰るのだ。私には、絵を描くことなど、興味はないという素振りを見せるというのに、かわいいところがある。自分の子供の頃を思い出した。


 先に行っていたクーカが、楕円の形をした大きな岩がそびえ立っている横で手を振った。罠を張ったあたりだ。


「入ってなーい」と網をひっぱり上げて言った。私は、クーカから網を受け取って、調べた。壊れているところはない。


「場所が悪かったかな」


「こんなんじゃとれるわけない。狼の夢の分も捕ってあげる。待ってて」


 クーカは、私の目も気にせず、ワンピースのような、ゆったりとした衣装を脱ぎ捨てて、川の水面をのぞきにいった。上半身と腿まで隠れる麻の下着を身につけている。


 彼女の服を畳んで岩の上に置いた。クーカを見放さないところで、川の絵を書くのに、よさそうな場所を探して座った。彼女は、川の中に入ってモリでつき始め、しぶきを浴びて、もうずぶ濡れだった。


「なんで捕れないの!」


「んー?私がやってみよう」


 クーカがぶつくさ言っていたので、私は絵を途中にして立ち上がった。


 木々が騒がしいと思った瞬間、何者かに押し倒された。私は、クーカに知らせるために声を上げたかったが、その暇もなかった。首に冷たい鉄の感触がした。背中を踏まれているから起き上がれない。私は、声を振り絞った。


「なにをする!?」


「なんだ?こいつ?しゃべれるぞ」


 地面に押し付けられて、相手の姿が見ることができない。


「ジジイは、異人を『アカル乗り』にでもするつもりだったのか」


「くそジジイ、俺でさえ弟子にしてくれなかったんだぞ。全部けがしやがって」


 私には、二人の男の使う言葉の意味が、なんとなくわかった。しかし、老人や子供たちより、発音がとても歪んだように聞こえた。ひどく耳障りだ。


「なにしてるの?」


 クーカが、驚いたような、それでいて、沈んだような声をして、彼らに言った。


「逃げろ」


 私は、背中を強く踏み締められた。むせて砂が口の中に入った。ずっとこいつらに見張られてたのか。


 前歯のない先住民の男が、私の顔を覗き込んで、睨んでいる。


「あっちへ行ってろ」


 私の背中を踏んでいる男が言った。


「こいつを殺す」


「やめて。兄さん、そんなことわたし絶対許さない」


 兄さんだと?


「十にもなるんだから、わかるだろう。お前の見た夢は、生贄の夢だ」


「違う。生贄の夢は、あんなに長くない。何日も見ない。カペロが言った」


「これは母さんの命令だぞ?こいつが死ねば、お前は、俺たちの家に帰れる。ジジイの汚い小屋にずっといたいのか?お前が、こんな肥にもならない異人の夢なんか見るから」


 私は、起こされて、男の持っていたナタの柄で額を殴られた。クーカの兄は、胸板の厚い筋肉質の男だった。袖の無い、きらびやかな装飾の多い服を着ている。


「母さんが…」、彼女は、困惑した表情してうつむいている。


 一人の歯のない男が、私の絵の道具を蹴り散らかした。画板についた川の絵を踏みにじっている。


「やめてよ」


 クーカが、持っていたモリの先を兄に向けた。私は、クーカの兄に地面へ放り出された。


「兄に逆らうつもりか?」


 私は、クーカの兄の足にしがみついた。歯のない男に腹を蹴り上げられ、続けざまにクーカの兄は、クーカから奪ったモリで私の二の腕を刺した。すぐにクーカが、モリを引き抜いて、傷口を手で塞いでくれたが、やつは、そんなクーカを突き飛ばし、彼女が動かなくなるまで平手を打った。


 先住民の男たちは、私を河原のほうへ運んだ。私にはやつらが、何をしようとしているのかわかった。ナタを使って、私の首を落とすつもりだ。必死に抗う私に彼らは、数度、蹴りを浴びせた。


 私は、歯のない男に背後から両腕をつかまれ、後頭部を足蹴にされた。ナタを持ったクーカの兄が、私の目の前に立っている。


 クーカが、私をかばおうとやってくる。私は、あきらめて言った。


「もういい。くるな」


 クーカの兄の眼を睨みつけた。


 その時、彼の右肩に矢が刺さり、膝から崩れ落ちた。クーカの兄が地面をひたすらのた打ち回って泣き叫んでいた。


 私は、矢の飛んできた方向を見上げた。大岩のてっぺんで、ナダが弓へと次ぎの矢をつがえていた。


「走れ。ワップ。今度は当たり所がわるいかもな」


 私を押さえつけていた歯のない男が、クーカの兄へ肩を貸した。彼らは、森のほうへ走りながら言った。


「こんなことをして、ただで済むと思うな!母さんに知れたら、お前なんか」


 ナダは、彼らの進路へ弧を描くように矢を放った。慌てて横にそれて、かさの高い雑草に隠れるように男たちは、這って進んでいる。


「みなしご!小間使い!」


 ナダが、岩から降りてきて、袋で水をくみ、私の傷を洗ってくれた。


「クーカ、歩けるか」


 ナダは、私の腕の傷口を見ながら言った。子供だと思っていたが、そうしている姿は大人びている。クーカは、しゅんとしてぽろぽろ、涙をこぼし、よってきた。


「平気」


「手伝え」


 ナダは、持っていた薬草の粉末を水で溶かし、どろどろの液して、私の傷口に塗った。クーカの涙が私の腕に落ちた。鼻水もだらだらと流れている。


「ごめんなさい、狼の夢」


「大丈夫。なんとか助かった」


 私は、精一杯、笑った。


「お前なんか一生、老いぼれの小間使いだ!親無し!」


 クーカの兄の負け惜しみの声が、森から響いてくる。ナダは、彼が忘れていったナタを拾い、森へ投げ込んだ。


「ありがとう。君が来てくれなかったら、どうなってたか」


「別にいいよ。クーカ、服はどうした?」


 彼女が服を着て、私たちの横に戻ってくると、しゃくりあげて、泣いた。ナダにしがみついて、わんわん泣いた。


 私は、ナダの服が異常に濡れていることに気づいた。ナダの首筋に玉の汗が吹き出ている。よく見れば、彼は、呼吸も速く、かなり疲れているように見えた。私とクーカ、二人に取り付かれて歩くのはつらいだろう。私は、一人で歩けると言って、彼から離れた。


「君、一人かい?」


「カペロはあと一日くらいで帰ってくると思う」


「どうして?」


 彼は、黙った。再び聞いても、答えてはくれなかった。


 私たちが、家に帰ると、小屋とテントの中が、荒らされていた。小屋の物が壊されて、床に散乱している。これをやらかした犯人は、すぐに見当が付いた。血が落ちている。私は、クーカの兄の腐った性根に憎悪した。


 クーカは、泣き腫らした顔で言った。


「わたしが、やったことにして」


「カペロに嘘は通じない。こんなもの、さっと片付けられるさ」


「私のせいだ。すまない…」


「狼の夢のせいじゃない!兄さんが」


「クーカやめろ。座って狼の夢。もっといいのを塗る」


 クーカの声をさえぎって、ナダは、小屋のすみに散らばっている袋の中身を探って、点検した。


「ナダ、わたしも口が痛い」


 クーカが私に口の中を見せてくる。口の中が切れているらしい。彼女も戦った。私のために。


「座ってろよ。狼の夢終わったら、見てやる」


「ナダは優しいね。どうして兄さんは優しくないの?」


「しゃべるなって。口が痛いんだろ」、ナダは、私たちに背を向けて薬草を探していた。


 手分けして小屋の中を片付け終えた時は、夜になってしまっていた。食事は、彼らに手伝ってもらい、私の荷物から、彼らには馴染みのない調味料を使って、芋を調理した。子供たちは、喜んだ。


 食べている最中、クーカは、目をしょぼしょぼさせていた。彼女は、首をすえていられなくなって、囲炉裏の横で敷物を敷いて寝入ってしまった。彼女の寝床はすぐそこの奥にあるのだが、我々と少しでも近くにいたかったようだ。


 私は、かねてからの疑問をナダへ問いかけた。川で聞いた先住民の男たちとクーカの話から、彼女の家族のただならぬ関係が、私がこの集落へきた事に密接につながっているように思えた。私は、何も知らないまま、殺されていたかもしれない。理由もわからず、死ぬのは、ごめんだ。今度は、ナダは、私の問いに親身になってくれた。


 集落は、元からこの山の中にあったわけではなかった。二年ほど前、東の盆地にあった先住民の村が、イクストランの兵隊の襲撃にあって、そこの生き残りが、この集落なのである。男も女も見境ない虐殺にあい、命からがら逃げ出せた人たちだった。だから、兵隊と同じ人種の私に強く恨みを抱くことは当然のことであった。


 そういう集落の人々が、すがる気持ちで頼っていたのが、吉報を伝える巫女の存在だった。巫女は、わざと自分を夜に取り込ませて、眠り、儀式を行なう。そうすることで、夢の中で予知、あるいは、探知し、先住民の人々にとって、役に立つ情報を得るのである。イクストランの私には、にわかに信じがたいことだ。


 その巫女が、まだ幼いクーカだった。しかし、クーカは、人々の欲しがる有益な情報を夢に見なかった。彼女が優秀な巫女なのであれば、兵隊がやってくることを予知できたはずというのが、当時、彼女を取り巻いていた集落の人々の見解だった。虐殺が起きるという大事を見過ごしてしまったのだ。


 私は、ナダにクーカの年のことを指摘して、そんなことを幼子に理解できるわけはないと言った。彼は、子供でも目覚めた時、酷い悪夢であれば、泣き叫ぶくらいのことはできると私を納得させた。


 問題は、虐殺の予知を話せなかったことではない。クーカが、集落を怖がらせるような悪夢を一つも見なかったことなのだ。それが、彼女の巫女としての信憑性をおとしめる結果になった。


 だが、住んでいた土地を追われ、山奥で切羽詰った彼らは、吉報を欲しがった。毎日のように儀式を行なった末、ついに彼女は、夢を見た。彼女が見た夢は、私の夢だった。彼女が、一番初めに私について見た夢は、夜に取り込まれた私が、狼のうなり声に驚いて、脱兎のごとく逃げるという内容らしい。


 それが、私を『狼の夢』と名づけた理由だった。情けないことだが、たしかに私が夜の中で体験したことだった。


 彼女は、この二年間、ずっと私についての夢を見ていたという。私が本国を放浪し、竜を調べた旅や、船に乗ってこの大陸に向かったこと、ハースフ候、私の家、よく行く酒場、私が絵を描いている姿、絵描き仲間、仲間と寄り合う場所まで。断片的ではあるけれど、私という人間を形作るための情報は、ほぼ網羅していたようだ。


 クーカが、小さな女の子でありながら、異人の私に対して恐れを抱かないのは、こうしたことがあるからだとナダは、言った。つまり、私という人間に警戒心を抱くところがあまりないということだ。可愛らしい少女にそう思われるのは、悪い気はしないけれど、私の生活を覗き見されたようで気恥ずかしくなった。


 一方、彼女を取り巻く集落の人々にとって、それは気味の悪い夢にしか思えなかった。神聖な儀式にわけのわからない人物が、何度も出てくるので、疎ましさを増すばかりだった。儀式を行なえば、必然的に彼女の話すことは、私のことのみになってしまう。彼らは、始めクーカが何を言っているのか、わからなかったが、夢の私の振る舞いを聞くたびに、それが異人であることを確信した。何の役にも立たない憎き異人のことを知ったところで、彼らは嫌悪を覚えるだけだった。


 やがて、クーカは、巫女としての能力が欠けていると判断された。彼女の母は、彼女の夢を否定し、家から追い出した。クーカの家は、集落をまとめる長の家であり、巫女であるからこその長の地位なのである。クーカの夢が、異人を信奉することになると考え、集落の人々の示しがつかなくなることを嫌ったのだ。


 それは、事実上の縁切りだった。夢のことなど、彼女にはどうしようもないことであるけれど、彼らは、二度とクーカを信用することはなかった。家から追い出されたクーカに行く場所などあるはずもない。集落の人々は、クーカを同情していないわけではなかった。しかし、クーカの家は長の家だ。その長の決定に刃向かい、クーカを受け入れることを恐れた。


 カペロは、違った。彼は、集落の人々を兵隊から逃がした『アカル乗り』の英雄だった。そうでなくとも、元々、集落の人間とあまり交わることをしない彼が、長との関係を配慮することはなかった。


 とはいっても、クーカは最初から老人と馴染んだということでもない。家族に捨てられた彼女の傷は深いもので、クーカは、夢の儀式を行なうようにカペロに頼んだ。カペロは、彼女の希望を極力叶えた。


 クーカは、家族に認められたいがため、集落に有益な報せを届けたいがために、私の夢ではない夢を見ることを臨んでいた。けれど、結局、彼女は、私の夢しか見なかった。彼女は私の夢を憎んだこともあったらしい。その時、カペロにこう、言われたのだそうだ。


『お前は、夢を見ない人間の言ったことを信じるのか?たとえ疎まれても、自分が巫女と思うなら、夢で見たものを信じるしかない。その異人は、悪人に見えるか?』


 私は、息をのんだ。その異人とは、まさに私のことだった。私の存在がこうも、ここに住む人々を揺さぶる要因だったとは思いもしなかったし、このクーカという小さな少女が、ここまで芯の強い子だとも思ってもみなかった。


 私は、この子の吉報であり、希望なのだ。私は、逃げ出したくなった。私には、そんな力、どこを探してもない。絵を描くしか能がないのだ。


「私は…ここへ来てはいけなかったんじゃないか?お世辞にも、この子の期待にそうような人間ではない。自分で知っている。私は、クーカが殴られた時、なにもできなかった」


 私は、あざだらけの顔をナダに向ける。


「わからない。わからないけど、僕も狼の夢に死んで欲しくないと思った。だから、ここにいる」


「しかし、君たちに迷惑をかけるばかりだ。どうにかして、この集落から抜け出せないものか?夜をなんとかできれば」


「だめだ。クーカには、狼の夢が、どうしても必要だ。あんたの夢を見続ける限り」


「やつらに殺されるのを待てというのかい?」


 ナダは、少し黙してから言った。


「僕にできることはする。でも、明日カペロが帰ってくる。もう寝よう」


「ここは、安全なのか?」


「うん。今、夜だし、村の男は、みんな夜嫌いの弱虫だから。ワップのやつなんてあんな図体して、夜中に小便だって一人でいけないんだ。あれで『アカル乗り』になりたいだなんて笑わせるよ」


 ナダは少年らしくクーカの兄をからかって、私を和ませた。普段は無口な少年の語りに驚かされたあとのこれだから、ふき出してしまった。


 我々は、囲炉裏の周りに敷物を持ち寄って横になった。クーカを起こすのは、面倒だし、それに今日は、なるべく明かりの近くにいた方がいい。


「ナダ…」


「なに?」


 私は、彼の両親について聞きたかった。


「なんでもない」


 私の国の兵隊によって失ったかもしれないと考え、口をつぐんだ。私は、年端もいかない彼に頼る自分が嫌になった。




 物音がして私は、目覚めた。ナダが、小屋から引きずり出されていった。私は驚いて、彼らを追った。ナダを引っ張っているのは、カペロだった。夜も明け始め、周囲は、朝靄で白んでいた。


 老人は、ナダを直立不動にし、彼の頭にげんこつを食らわせた。私は、彼らに割って入った。


「なにをするんです?わけも聞かずに」


 カペロは、私を眼力で射抜き、黙らせた。呼吸をすることも忘れるほどの怒気を彼から感じ、次ぎに私は、身体が転がり、地面に顔を押し付けていた。この老体に、ほんの少し押されただけで吹っ飛ばされていた。


 老人は、ナダをどやしつけた。


「草とパイプを出せ。火打ち石もだ」


 ナダは、決して老人から目を反らさず、懐から木の筒を差し出した。下の部分には、握りやすいように皮の装飾が施されていた。老人は、それを取り上げて、自分の腰に差した。草の束と黒い石も受け取る。


「草は、どれくらい使った?」


「一束くらい。節約したんだ」


 取り入るように彼は、老人へ声を弾ませた。老人は表情を緩めることはなく、彼をまた殴りつけた。


「聞かれたことだけ話せ」


 私は、老人が何に対して怒っているのかが、わからない。老人が私を睨み、ナダに問う。


「誰がきた?」


「ワップとドント」


「やつらをどうした?」


「矢をうった。ワップの肩に当たった。生きている」


「今から、畑の手入れをしろ。終わったら、全力で、北の山の頂上までいってここまで帰ってくる。二往復。わかったか?」


 ナダは、うなずいた。


「ならば行け」


 老人の一声で彼は、畑の方へ駆けて行った。


 クーカが、彼らのやり取りを戸口で見ていた。彼女は、昨日片付けた壊れた炊事道具と踏み散らかされた薬草を抱えて、老人に見せた。


「ナダは悪くない。わたしがやった」


 老人は、クーカへ一瞥して、小屋の寝床へいって、横になった。ナダをかばうための嘘であることは、見え透いていた。


「ナダを手伝ってくる」とクーカが言うと、老人は怒鳴り、彼女を震え上がらせた。


「飯を作れ!」


 そして、老人は、私に言った。


「わしが眠っている間、クーカをナダの元へ行かせるな。お前もナダを助けることはしてはならんぞ」


 私は、狼狽して、はいと返事をした。蛇に睨まれたカエルの心境だった。


 ナダが、二回の山登りの罰則を終えて、帰ってきたときにカペロは目覚めた。ちょうど朝の気持ちのよい日の光が降り注ぐ頃であった。明け方から、およそ四時間ほどだ。北の山までは、二千メートルほどではあるが、楽な道では決してないし、傾斜もある。それをたった四時間で二往復するなどということは大人の私の常識でも、考えられないことだった。カペロは、ナダの足に触れ、疲労具合で彼が嘘をついていないか、はかった。


 老人は、早々にナダを連れて、集落の方へ出向いていった。集落の長と話し合いにいくのだろう。私は、老人に言われた通りにクーカを抑えるのに精一杯だった。彼女は、なにかを感じているのか、気が気ではなく、私に怒りをぶつけ、そして、私の胸で泣いた。


 私は、なにもできない。異人の私が、何かしようとすれば、余計に集落の人同士のいざこざは広がってしまうだろう。私は、彼女にとって、夢の中の人間でしかないのだ。




 昼に彼らは、帰ってきた。ナダは、右肩を押さえていた。当てていた布が、血まみれになっている。私は、クーカの代わりに、どういうことか説明してくれとカペロへ問い質そうとした。彼は、私を睨んで黙した。私は、ナダに話しかけたが、彼も何も言わなかった。


 ナダは、カペロの素早く丁寧な治療を受けてから、彼の指示で物置のテントの中へ入った。謹慎ということだろう。彼の肩の傷も集落の長から与えられた罰に違いない。


 私とクーカは、ナダのいるテントの中に入ろうとした。彼は、テントの入り口を紐で固く塞いでしまっていた。外から呼びかけても返事はなかった。


「翌朝に帰る。ナダに、飯をやらなくていい。夕方の草の手入れをおこたるな」


 そう言って老人は、荷物を持って、出かけていった。


 クーカに習って私は、草の手入れを手伝い、老人の言いつけを守った、けれど、ナダについては、破ろうとした。彼は、どう話しかけても、ずっとテントにこもっていた。私たちの考えは虚しく、クーカは、疲れて寝てしまった。


 私は、眠くなるまで、今日の苛立ちを竜の下絵を書くことにぶつけた。描きたい竜のイメージは、できていた。


 その絵は、夜の闇に溶け込んだ竜が、わが国の騎兵隊の元に舞い降りてくるというものだった。混乱する隊列へ一斉射を号令する将校、騎銃の火花。隊の松明の光では捕らえ切れない竜の巨躯。翼や足、頭部、浮かび上がるのは、ほんの一部でしかない。


 この大陸には、竜などいないのかもしれない。怠け者の兵隊のうわ言なのかもしれない。私は、これを描き終えたら、この集落から出て行く決心をした。







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