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おれはウザ女じょの野中いちにも感謝しなければいけない。
ひとつ。真実ちゃんの小説を書く闘志にますます火を付けてくれた事。
ひとつ。真実ちゃんのおれへの愛にもますます火を付けてくれた事。
1週間も連絡を取れなかった真実ちゃんから「1万文字書けました」との電話を受け。
おれはすぐさまS区にある真実ちゃんのマンションへと向かった。
オートロックのベルを5、6回鳴らして、やっとエントランスのドアが開いた。
部屋の鍵は、真実ちゃんが這って開けておいてくれたのだろう。
リビングに続く廊下には真実ちゃんがくったりと倒れて眠り込んでいた。
「真実ちゃん!!」
声を掛けるが返事は無い。
泥のように眠るとはこの事だろう。
全く、おれだって倒れ込むまで仕事した事なんか無いぞ。
お姫様抱っこをして……と言いたい所だが、あいにくおれにはそんなパワーは無かったので真実ちゃんの左肩に腕を掛けて引きずるようにベッドまで運ぶ。
真実ちゃんの柔らかい身体がおれの半身に張り付いた状態だ。
可愛い女の子、しかも彼女がベッドに倒れ込んでいるが変な気は起きない。
ただただ心配なだけだ。
おれは買ってきた冷え冷えシートを真実ちゃんの丸いおでこに貼ってあげた。
いつ真実ちゃんが目を覚まして飲ませてもいいようにスポーツドリンクも冷蔵庫を勝手に開けて冷やしておく。
冷蔵庫の中には、真実ちゃんが1週間前に作っておいたのであろうクッキーがタッパーの中に入っていた。
「……ん……。祐樹さ……ん……」
「……お目覚めですか先生」
茶化した言い方をしてみるが。
真実ちゃんが思ったより早く目を覚ましたのでひどく安心した。
「……読んでみて……ください……。私の1万文字……」
真実ちゃんが無理に起き上がろうとするので優しく両肩を押し、ベッドに戻らせた。
部屋に入った時から気になっていたが、数ヶ月前におれがプレゼントしたお下がりのノートパソコンの画面が部屋全体を照らすように光を放っている。
この画面に、例の『1万文字』が入っているのだろう。
「真実ちゃん、何に付けても身体が資本だよ。倒れるまで書くなんてやっちゃ駄目だよ」
「……ごめんなさい」
でも真実ちゃんをここまで追い込んだのはおれ(と、ウザ女)だ。
今更ながらおれの心を後悔が襲う。
「……でも、読んでみてください。『コッペリアの劇場』、書いてみたんです……」
「ーー分かった」
おれは彼女の『お願い』に大人しく従った。
ノートパソコンの中には文字の羅列が映し出されていた。
『昔、不幸で美しい女がいた。
名前はまだ無い。』
ここまでは前に読んだ分と一緒だ。
文字の羅列は続く。
1万文字なんて、すぐだと思ったがなかなかどうして読みづらかった。
まずヒロインの視点が定まっていない。
『私』だったり『彼女』だったりする。
時系列も、過去の事を書いているのか現在形なのか分からない。
正直、本当に読みづらい。
ーーだけどーー面白かった。
シンデレラに辛くあたっていたヒロインが、この義理の妹に過去の自分を見出し、反省し、少しずつ優しくなっていく。
だけどその後がハチャメチャで良かった。
結局ビアンカと名付けられたこのお姉さんは、シンデレラの代わりに王子に見染められるが、
「王妃なんぞになったらしがらみでおかしくなってしまう」
と考え、王子から逃げ回る。
追う王子。
逃げるビアンカ。
追う王子。
逃げるビアンカ。
『王妃になって国を治めたくないのか』
と迫る王子に、ビアンカは
『尻尾をだしたわね、王子。所詮あなたはお金と名誉さえあれば全てを思い通りに出来ると思い込んでいる俗物なんだわ』(おれ注・言い過ぎだろ)
激怒する王子(おれ注・まあそうだろう)。
『この女を地下牢に入れろ。然るのち、首をはねてしまえ』
と、ここでいつの間にか武術の腕を磨いて女剣士になっていたシンデレラが義理の姉でありヒロインであるビアンカを助ける為、王子の放った追っ手達をバッタバッタと切り裂いていく。
『ーーこの国は、私達が住むには狭すぎたんだわ』
継母と1番目のお姉さんを先に亡命させ、ビアンカとシンデレラは広い世界を求めて旅に出る。
物語はここでおしまい。
何だか分からないが、面白いとおれは感じた。
何より、真実ちゃんが『武術』なんて単語を出すとは想像も付かなかった。
しかもシンデレラをお姉さんの護衛につかせるとは。
キラリとセンスを感じさせる所があった。
「ーー面白かったよ、真実ちゃん」
ベッドに横たわる真実ちゃんは花のようにフワリと笑みを浮かべ、
「……良かった……です、祐樹さんに気に入って頂けて……」
と、両の腕で目元を隠した。
「ビアンカも可愛かったし、シンデレラも上のお姉さんも継母も、ゲスの極みな王子様も面白かった」
おれは素直な気持ちで感想を述べた。
「これは本当に真実ちゃんが1人で書いたの?」
真実ちゃんの精神力も良くなりつつあったので、褒め言葉も兼ねてちょっと意地悪を言ってみた。
「……ぜぇんぶ、私が書きましたぁ……」
と、真実ちゃんは何も隠さない。
でもこの小説、誰に向けて書いてるんだろう。
真実ちゃんには、読者にも『ターゲット』という物があるという事を教えなきゃいけない。
ーーターゲット?
今の所おれ1人に決まってるじゃないか、とおれは思った。
真実ちゃんのこの処女作は、栄美にも聖良にもおれの家族にもましてや渡ツネオ等には絶対に読ませない!
これがおれのジャスティス!!
「所で真実ちゃん、タイトルの『コッペリア』はどこにいったの?」
真実ちゃんは恥ずかしそうに大きな瞳を細め、
「私がキャラクターを『動かし』たんですから、それで良いんです……」
と呟き、また深い眠りに入りそうになった。
「真実ちゃん、ちょっと待って! 水分補給!!」
おれは冷え冷えシート越しに真実ちゃんのおでこに唇を押し付けてから。
急いで冷蔵庫へスポーツドリンクを取りに立ち上がった。