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翌朝、日曜日。
真実ちゃんが手作りのチーズケーキを持って我が家にやって来た。
うちの家族は真実ちゃんの作るお菓子の大ファンだ。
母親と妹は大喜びで早速チーズケーキをカットしていた。
「真実ちゃんがウチにお嫁さんに来てくれたらねー」
母親の軽口に、真実ちゃんはアワアワとしていた。
そして満更でもないおれ。
家族も囲んでのお茶会を済ませ、真実ちゃんをおれの部屋に呼んだ。
「お兄ちゃん、真実ちゃんに変な事しないでしょうねー!?」
先日のハグ事件以来、妹はおれを警戒したままだ。
「……真面目な話をするんだよ」
妹を無視して、おれは真実ちゃんと部屋の中で2人きり。
本題に入る。
「えーと、真実ちゃんは、あれから1文字くらいは書いたのかな?」
『1行』じゃなくて『1文字』。
ちょっとイヤミくさい言い回しだが、ハードルを下げる為には仕方のない事だった。
「……えーと……」
真実ちゃんは困ったような、申し訳無さそうな表情をしている。
うん、全然書いてないって事だな?
そうだろうそうだろう。
彼女は夕べも、おれが電話した時に光速の勢いで出てくれた。
きっとスマホでおれのツイッターに張り付いていたんだろう。
「栄美もああ言ってくれてる事だし。おれも真実ちゃんが書いた文章を読みたいな」
出来るだけ詰め寄らない形で説得してみる。
しかし、意外な事に真実ちゃんは胸を張った。何だ、何だ。
「私、今手書きでプロットを書いてるんです」
いずれは本文も書かないとな、って思ってるんですと続けた。
何という事だ。
彼女はもう動き出してるんじゃないか。
夕べの光速通話の件はおれの早とちりだったという事か。
「本当かい!? いや、昨日のおれの電話を数秒も経たない内に取ったから、もしかしてまたツイッターを見てたんじゃないかと……!!」
「あ、それは見てたんですけど……」
…………。
……し〜ん〜じ〜つ〜ちゃ〜ん〜!!!!
「……いや、何かさ。最近おれの周りが『真実ちゃんの書いた小説が読みたい』ってうるさいんだ。せっつく訳じゃないんだけど、書いてくれたら皆喜ぶよ」
プレッシャーを与え過ぎてもいけないと思ってはいるが。
こんなにも君には「プレ読者」の人々がいるんだよと暗に言ってみる。
「……私、そんなに皆さんに期待させているんでしょうか」
真実ちゃんは不安げな顔をした。
おれは慌ててフォローする。
「あ、あんまり気負わなくてもいいよ。ただ、真実ちゃんがどんな小説を書くのかなーって思ってるってくらいに取ってくれれば」
そうですか……と、少し俯いた真実ちゃん。
「今考えているのは、お伽話風のラノベなんです」
お伽話か。
うん、真実ちゃんに合ってる。
って、『お伽話風ラノベ』?
「シンデレラのお姉さんが途中で改心して、素敵な女の人になるっていう話なんです」
「良いじゃん。ウケそうだよ真実ちゃん」
ちょっと今流行りの悪役令嬢物っぽいが、その題材自体が面白いし。
女の子である真実ちゃんにも合ってそうだ。
彼女も良い所のお嬢ちゃんみたいだし。
「でも、祐樹さんのツイッターを見るのはお許し頂けないかな、なんて……」
彼女は小声で言う。
「祐樹さんと離れている時は、心配なんです。今頃どんな素敵な女の人に会ってたりするのかなあ、なんて……」
「いや、おれ基本的に引きこもりだし。家で仕事してるし」
おれは真実ちゃんの細い手に手を重ねた。
真実ちゃんの白い柔らかそうな頬が桜色に変わる。
「……そんな事して貰ったら……」
「して貰ったら?」
「ますます好きになっちゃいますからね?」
おれの彼女は、その表情をゆっくりと甘過ぎる砂糖菓子のように笑顔の形に溶かし込んだ。
それを見たおれは。
いやあ、とんでもない女の子を好きになってしまったなあと幸せを噛み締めていた。